覚醒編・7『ふたつの墓』
陽が沈むと、サーヤが操るゴーレム馬車はゆっくりと速度を落とした。
インワンダー獣王国には数えきれないほどの集落が点在している。
力がものを言うこの国で、王都ラランドはいわば女王のナワバリとも言える。女王が定めている法のもとに集まる者は多いが、当然、違った考え方を持つ者も多い。
種族主義や血統主義はもちろん、先祖代々継いできた土地を持つ獣人もかなり多く、ラランド以外にも百を超える集落が独自の掟をもとに成り立っていた。
当然、そこに王都の法は影響しない。
力と義を重んじる彼らは集落同士の諍いも多く、殺し合いに発展することも多々あった。
竜王が君臨してから目に見えて国家間の小競り合いは減ったが、この獣王国内においてはさほど変わらなかった。さらにバルギアの隣国ゆえに逃げて来た魔物が住み着き、王都以外の治安は控えめに言っても悪い。
それゆえ傭兵文化が強く根付いているのだ。
各集落では日没後は夜目が効く者が見張りに立っている。
警戒心が強く、怪しい影が見えたらすぐに戦闘要員が出てくるだろう。
そんな国で夜にまでゴーレムケンタウロスを爆走させていたら、魔物と間違えて魔術で攻撃されてしまうかもしれない。
どんな理由があろうと余計なトラブルは避けたいので、人目を避けながら野営できる場所がないかと『神秘之瞳』で周囲を見渡していた。
「うーん、よさげな場所ないな~」
「それならば、妾が案内しよう」
「あ、起きたんだ」
さっきまで熟睡していたミレニアが、いつのまにか目を覚ましていた。
「案内って、このあたりは詳しいのか?」
「まあの。かつてヘルメスとカーリナとともに長らく滞在しておったのじゃ」
「そうかなら任せる……って、それいつの話?」
「当然、八百年前のことじゃが?」
だよな。
さすがに賢者たちの時代からは景色も様変わりしているはずだ。
地形は変わらなくても、集落なんかは無くなったり新しくできたりしているだろう。
「まあ、その後も何度か来ておるから案ずるでない。それに、いくら時代が経とうが紛争が起ころうが、獣人たちにとって変えられる場所ではないのじゃよ」
「わかった。じゃあ任せるよ」
「うむ。サーヤ、操作交代じゃ」
「はーい」
御者台の真後ろにある操作用の魔石に触れ、ゴーレムケンタウロスに指令を上書きするミレニア。
ケンタウロスはしばらく真っすぐ進むと、けもの道のようなところに入っていった。
しばらく林を進んだ先にあったのは、のどかな草原と小さな丘だった。
丘の上にはログハウスのような木でできた家が一軒だけ建っていた。
誰か住んでいるのか、煙突から煙が出ている。
「あそこ?」
「うむ。やはりここは変わらんの」
感慨に耽るように言うミレニア。
そういえば、ミレニアの記憶のなかでチラッと見た気がする。
確か物語にもあったように、三賢者がかつて獣王国を襲った巨大な怪物と戦ったとき、丘の上にある小さな家にしばらく泊めてもらっていたっけ。
「じゃあ、あそこにあるのは――」
俺がミレニアに確認しようとしたときだった。
丘の家の玄関扉が開き、大きな影がぬっと出てきた。
「じいちゃーん! なんか変なのが来てるー!」
そいつは、ここまで聞こえる大声を発した。
「じいちゃん来てってば! ギラギラした魔物が馬車引いてる! スゲー!」
「うるさいわ! そう大声で怒鳴るんじゃない!」
家の中から、負けず劣らずの声量で声が響いた。
「じいちゃんの声のほうがうるさい!」
「おめーのほうがうるさいわヤン坊!」
「僕の声が大きいのはしょーがないじゃん! 体だって大きいんだから!」
家の中に向かって叫んだのは、ヤン坊と呼ばれた巨体の少年。
三メートル近くありそうな体躯に、小さな頭にチョコンとついた丸い耳。
大抵の魔物なら殴り殺せそうなほどのガタイに、まだ幼げなあどけない顔が乗っかっている。
熊人族だ。初めて見た。
そのヤン坊と家の中の〝じいちゃん〟が口喧嘩しているあいだに、俺たちの馬車は家のすぐそばに到着した。
ヤン坊の声量に、それまで寝ていた仲間たちもようやく起きる。
「ひとまず妾が先に挨拶をしてくる。待っておれ」
ミレニアが降りて、ヤン坊とやらに近づいていった。
「これ坊主や。家主を呼んでくれんかの?」
「わっ! 人族のこども!?」
ヤン坊は驚いて、玄関の柱の陰に隠れた。
体のほとんどがはみ出してて全然隠れられてないけど。
「こ、ここには何もないぞ! 何か盗もうってんなら容赦しないぞ! じいちゃんが!」
「悪さをしに来たのではない。墓守に挨拶と、少々頼みごとをしに来たのじゃ」
「……じいちゃんに挨拶?」
「うむ。おるかの」
「なんだぁ! もちろんいるよ。じいちゃーん、お客さんだぞー!」
「聞こえとるわいバカタレ!」
怒鳴り声と共に出てきたのは、腰の曲がった小さな老人だった。
本当に小さい。五歳児ミレニアと同じくらいのサイズだ。
頭にはヤン坊と同じクマミミがついている。ヤン坊の祖父だろう。
老人はしかめっ面でミレニアを睨んで、
「ワシになにか用かの? 葬式の準備をするつもりはまだないぞ?」
「押し売りに来たわけでもない。おぬしが今代の墓守かの?」
「そうじゃ。ここで墓守を任されておるタタルタンという。そういうあんたは何者じゃお嬢ちゃん? 身なりは小さいが、底知れぬ力を感じるのう」
片眉を吊り上げる墓守のタタルタン。
ミレニアは手に一冊の日記のようなものを召喚し、その表紙を墓守に見せながら言った。
「妾はミレニア=ダムーレン。少々話したいところじゃが……まずは、墓参りをさせてくれんかの?」
「この本は初代女王様の……まさか、いや……このサインは間違いありません。なるほど、あなたがかの賢者様でしたか。ご存命であったという噂は最近聞いておりましたが……いやはや、失礼な物言いまことに申し訳ございませぬ」
頭を下げたタタルタン。
「じいちゃんが謝った!? おまえ、何者だ!?」
「ヤン坊! 賢者様になんという物言いじゃ!」
「ケンジャ? それおまえの名前か? 変な名前だな~」
キョトンとした目でミレニアを見るヤン坊。
三賢者の話は知らないのか、聞いたけど忘れているんだろう。
ミレニアは笑いながら、
「どちらも気にするでない。妾はいまはただの冒険者よ。それでタタルタン殿、墓参りをしてよいかの? 仲間たちも一緒にじゃ」
「もちろんでございます。ワシは家の中におりますゆえ、ごゆるりとお過ごし下さい」
「うむ」
「ヤン坊、おめーも家に……って何しとる!?」
タタルタンが驚愕に目を開いてみていたのは、馬車に戻ってくるミレニアの隣で、興味津々にミレニアと話すヤン坊。
「なーなー。ボウケンシャってなに?」
「冒険と自由を愛する職業人のことじゃ」
「ボーケンか~いいなぁ。楽しそう!」
「楽しいぞ。興味があるならぬしもなるがよい。冒険者ギルドは純粋な心で扉を叩く者であれば、何者も拒まぬ」
「へー。ボウケンシャは扉を叩いて遊ぶのかー。それも楽しそう!」
勘違いしているヤン坊だったがミレニアは笑うだけで訂正しなかった。
純粋な熊人族の子どもと一緒に馬車まで戻ってきたら、
「ルルクたちや。まずは墓参りをするのじゃ。この国の創始者にの」
「わかった」
なるほどな。
そういうことなら、全員ちゃんと顔を見せなければならない。
この国の創始者――初代女王の墓参りならば、礼儀を欠かしては言語道断だ。
俺たちがゾロゾロと馬車を降りたら、その様子をみていたヤン坊が目をカッと見開いて、
「よ、よ、羊人族だ―――――っ!」
空気がビリビリと震えるほどの大声で叫んだ。
その視線は、言葉通りエルニに注がれていた。
獣人のなかで最も希少な種族――羊人族。
しかし、いまやエルニは冒険者界隈どころか人族社会で広く知られるようになっている。
次代の魔王として、知らない者はほとんどいないだろう。
吟遊詩人の仕事もあいまって、いまではどの国を闊歩していても興味本位で近づいてくるやつはいなくなった。
招来の魔王の反感を買うのは恐ろしいんだろう。
ヤン坊は、そんなエルニのことは知らないみたいだった。
目をキラキラさせて興味津々に近づいていく。
「キミ羊人族だよね!? 僕知ってるよ、羊人族ってすんごい珍しいんだよね! 僕も初めて見たけど、聞いてたよりずっとちっちゃいね! じいちゃんよりは大きいけど、そんなにちっちゃかったら戦うの大変だよね。それに羊人族ってみんな弱っちいからすぐ死んじゃうんでしょ? 僕がグッてしたらすぐ骨折れそうだもんね。弱っちい種族だから人族に攫われるんでしょ? 弱っちいから数も少ないって――」
「『エアズロック』」
「はべ!?」
鼻息がかかる距離まで近づかれて鬱陶しかったのか、空気を固めて箱を作り、ヤン坊を閉じ込めてしまったエルニ。
「――! ――っ!」
透明な壁に箱に閉じ込められ、困惑しながら壁を叩くヤン坊。
完全に閉じ込めたからか、何を言っているのかはわからない。
エルニはいつものすまし顔でスタスタと歩いていく。鬼畜だな。
……まあでも、しばらくはいいか。
純粋な子どもだから害意はないけど、無意識に種族差別が見て取れた。
獣人のなかにも潜在的な差別意識はあるもんなんだな。とくに羊人族に対しては。
「も、申し訳ございません。孫にはしっかりと言って聞かせますのでなにとぞお許しを……!」
「ん。べつにいい」
タタルタンが慌ててやってきて、エルニに頭を下げていた。
エルニは単純にうるさかったから閉じ込めただけだろう。
ぺこぺこ謝る祖父の気も知らず、当のヤン坊はなぜか透明な箱の状態を楽しみ始めていて、箱のなかで転がってキャッキャと笑い出していた。
しばらくは放っておいてもよさそうだな。
そのまま俺たちは家の近くにあった墓標までやってきた。
そこには、二つの墓が並んでいた。
一つは聞いた通り初代女王の墓。
歴史書に載っているとおり、墓石に刻まれた名は『アリスシェード』。
そしてその隣に同じ大きさの墓に刻まれた名は――
「……リーンブライト」
かつての魔王の名前だった。
そういえばリーンブライトも獣人だったっけ。
マタイサで有名な童話『リーンブライトの涙』では人族として描かれているが、確か、本当は狐人族だったっけ。
本来の歴史では、若きリーンブライトは獣王国の創設直後に国を出て、たった一人でシナ帝国を滅ぼしてそこに共和国の元になる国を創ったのだ。
てことは、リーンブライトは初代女王と関係があったのだろう。
その並んだ墓の前に立ったミレニアは、アイテムボックスから酒を取り出しながら語った。
「あまり知られておらんが、リーンブライトは初代女王……アリスシェードの実の姉じゃ。八百年前に妾たちがこの国を訪れたとき、老いた初代女王は懐かしそうにそう言っておった」
「姉妹だったのか。だからここに墓を?」
「うむ。この丘は姉妹が育った場所だったのじゃよ。隠居した彼女はこの丘で暮らしておっての……亡くなるとき、やっと姉と並んで眠れると言って笑っておったわ。色々あって墓参りもしばらく来ておらんかったが……久々に来てやったぞ、アリスよ」
穏やかに笑いかけながら墓に酒をそそぐミレニア。
俺たちが祈った後も、しばらく何かを語りかけるように黙とうを捧げていたので、先にそっと離れておいた。
旧友と、積もる話もあるだろう。邪魔はしないでおこう。
……それにしても、リーンブライトか。
いまのエルニよりも強かったというが、どれくらいの実力だったんだろう。
約千年前、その彼女がまだ現役にも関わらず暗殺されて亡くなったのは聞いている。暗殺教団の里長クロウいわく、それを成し遂げたのは暗殺教団創始者であり伝説の暗殺者ファサン――元クラスメイトのネスタリア=リーンだったとか。
魔術の弱点は、呪文が必要なことだ。詠唱をいくら省略しても、発動には呪文を唱える時間だけは必要だった。何かに対処しようとしても、どうしても初動が遅れてしまう。
中央魔術学会いわく、あのリーンブライトですら無言魔術は発動できなかったというから、コンマ一秒の判断ミスで殺されることもあるだろう。
だけど俺の頭の中に、ずっとモヤモヤしたものが居座っている。
エルニよりも優れていたという魔術士が、本当に暗殺されてしまったのだろうか。
それほどネスタリア=リーンは優れた暗殺者だったのだろうか。
千年前の真実は俺にはわからない。
しかしどれほど優れた魔術士でも呪文を唱えるその一瞬の隙が生じてしまうなら、それはエルニにも言えることだ。他人事ではない。
いままで俺は、エルニが誰かに負ける姿を想像したことがない。
どんな強い相手でも、魔術さえ通じるならなんとかなると思っている。
それは信頼であると同時に、俺の隙なのかもしれない。
「魔王でも死ぬときは死ぬ……そうだよな」
いくら強くても不死ではない。
『魔術無効』の魔王スキルを持っていても、戦いの中で死ぬこともあるのだ。
かつて魔術の賢者ヘルメスの師匠だった二代前の魔王も〝世界樹の扉〟争奪戦争で亡くなり、世界樹の改編で歴史から消え去って創作上の人物だとされてしまった。その父親の三代前の魔王――世間では二代前と言われている――も、勇者と戦って死を迎えた。
『無言魔術は誰も使えない』
それは魔王でも変わらない、明確な魔術士の弱点だ。
俺は変換効率だとか、減衰だとか、基礎理論すらよく理解できていないけれど。
「無言魔術……か」
どうにか、ならないかな。
俺はいつものように無表情で佇むエルニの横顔を眺めて、彼女のためにできることがないか考えるのだった。




