覚醒編・5『英雄であり続けるために』
「――というわけで、被害者が多すぎて困ってるんです」
俺たちは、国境の街ザンバールの領主の屋敷にいた。
降り続いていた雨は止み、灰色の雲が風に流されていく。
あの後俺たちは、街中で捕まっている獣人を保護して回った。
奴隷商や闇ギルドを潰して数時間……助けた獣人の集団は、なんと百人ほどに膨れ上がった。
しかもそのほとんどがろくな飯も与えられず、悪人共の欲求を満たすためにひどい扱いを受けていたのだ。
重傷だった者たちはサーヤとカルマーリキが治療して、そのまま行き場のない獣人たちをこの屋敷に連れて来ていた。この街には大きな広場や公園がなく、この人数が集まれる場所は領主の庭くらいしかなかったのだ。
多少の揉め事は覚悟していたが、事情を話したら意外にも門兵はすんなり通してくれた。むしろ闇ギルドを潰して回ったことを感謝されたくらいだ。
そこでようやくわかった。
この街の治安は、領主がコントロールしていない。数少ない兵士たちが各々の目に届く範囲だけを必死に守っていたのだ。
そりゃあ闇ギルドがのさばるだろう。
これでは街の統治者としてあまりにお粗末――ミレニアがカンカンになりながら屋敷に乗り込んだ。
この街の領主は、ザンバルダール子爵。
かつて【白金虎】のリーダーだったフラッツの、父親だった。
彼はかつての威勢を微塵も感じさせない暗い表情で、小さくつぶやいた。
「……それで、君は何を望む?」
目の下には大きな隈。
以前俺たちに食って掛かってきたときの覇気は、まるきり失っていた。
俺は素直に要求を伝える。
「誘拐されていた獣人たちの安全確保と、それぞれの故郷への輸送です。怪我が酷かった方たちの治療は俺たちがやっておきましたので、あとは彼らを無事に故郷まで送り届けて下さい」
「……わかった」
怖いほど素直に頷いたザンバルダール子爵。
ミレニアが念を押す。
「本来ならば余所の市政に口を出す気はないのじゃが、民のためにも進言しておこう。おぬしに何があったのかは知らぬが、最低限の責務は果たすのじゃ。それができぬと言うのならこっちも黙ってはおれん」
「……ええ、肝に銘じます」
半ば脅しのように言われてようやく、執事を呼んで色々手配を始めたザンバルダール子爵。
待っている間に数少ない使用人たちに聞いてみれば、この子爵の豹変はやはり息子のフラッツが亡くなった直後から始まったらしい。
屋敷に閉じこもり、すべてのやる気を失ったようになったとか。兵士や使用人への給金もほとんど払わなくなり、残っているのはごく一部だけ。
街の運営が滞って闇ギルドが我が物顔で街を歩くようになったのも当然だ。
その闇ギルドはみんな捕えてルニー商会経由でスマスリク公爵に知らせたから、すぐに王都から兵士がやってくるだろう。
だが、それだけでは根本的にこの街が元に戻る解決にはならない。
「……君は、腑抜けた私を笑うかね」
ひとまずの手配を終えた子爵は、椅子に背を預けながら力なく言った。
「いいえ。俺は権力者として人の上に立ったことはありませんし、その苦労も知りませんからね」
「……だが裁定はできるだろう? 姫様が私を領主として認めないと言えば、私は失脚する。君にはそう姫様に言わせる立場も力もある。そうだろう」
ヤケクソ気味に言う子爵は、どこか終わりたがっているようにも見えた。
愛する息子を失って失意の底に沈み、街の運営すら放置してしまった。だがその失態も、闇ギルドの者たちが情報をうまく隠して竜都の公爵たちにはきちんと伝わらなかった。おそらくそんなところだろう。
もうどうにでもなれと、そう言わんばかりの態度だった。
「ザンバルダールさん」
「……なにかな」
「この街で、フラッツさんは育ったんですよね」
俺がフラッツの名前を出した瞬間、彼は拳をぐっと握った。
一瞬、強い感情が彼の目に宿ったような気がしたが、それもすぐに消えた。
「それが、どうかしたのかね」
「確かにセオリーが一言命じれば、子爵は地位を失います。この街を良くするにはそれが一番手っ取り早いでしょう」
「ならそうすればいい。君にはそれができる」
「しませんよ。俺が立場や力を振るうのは、仲間の誰かと敵対した相手にだけです。今回のことも街のためにやったわけじゃないので、あなたをどうこうする気はありません」
「……そうか」
「それにフラッツさんからしてみれば、自分の故郷がこんな風に荒れ果てた挙句に生家が没落するなんて、嬉しくないと思いますからね」
「君が、フラッツの何を知っている」
「知りません。けど、彼は英雄でした」
生前、どんなに俺たちに傲慢な態度を取っていたとしても。
それでもフラッツ=ザンバルダールはこの国の英雄で、この街の英雄だった。
俺は、そんな彼が嫌いではなかった。
そしてなにより、
「子爵。あなたの息子は、あなたにとっても英雄じゃなかったんですか?」
「そんなこと、言うまでもないことだろう……っ!」
爪が食い込むほど、強く手を握りしめた子爵。
俺は言葉を重ねた。
「ならあなたは英雄の父親です。誰が何と言おうと、あなたはその立場から逃げられない。そして国の威信を背負って立派に戦って死んだ英雄は、あなたが死んだ後も、この国が滅びるまで英雄と呼ばれ続けるんです。その英雄が生まれた街を、家を、父親が壊すつもりですか?」
「そんなつもりは……私はただ、息子のことを……!」
「フラッツさんを曇りなき英雄としてこの国に遺せるのかどうかは、あなた自身にかかっている。俺はそう思います。あとはあなた自身の選択ですよ」
「私は……私、は……」
手で顔を覆い、涙を流し始めたザンバルダール子爵。
何かが崩れたように、彼はしばらくのあいだ嗚咽を漏らすのだった。
「……ひとつ、聞いてよいか」
子爵の気が落ち着いた頃には、雲の合間から太陽が注いでいた。
使用人が運んできた紅茶を飲んで彼が言葉を紡ぐのを待っていたら、子爵は憑き物が落ちたような表情をして言った。
「息子は魔族に殺されたと聞いた。それは本当なのか」
「はい。おそらく特殊なスキルか、あるいは呪いのようなもので殺されたようです。教会の聖魔術士たちも手の施しようがなかった、と」
「……そうか。その魔族は?」
「私たちが倒したわ」
サーヤが正直に答えると、深く息をついた子爵。
「……ならば仇もいない、ということか」
「そうね。彼を守り切れなくてごめんなさい」
「君が謝ることはない。今さらかもしれんが、息子の仇を討ってくれた相手に頭を下げられては、父として立つ瀬がない」
しばらく窓の外を眺めていた子爵。
眩しい日の光に目を細めながら、自分の膝を叩いて立ち上がった。
「不甲斐ないところを見せた。みなも、この私のために残ってくれて本当に感謝しかない。この一年間、すまなかった」
使用人や執事に、深く頭を下げた子爵。
その目には、昔の輝きが少なからず戻っていた。
「失った信頼は大きいが、なんとしても取り戻さねばならん。苦しめた民たちへの贖罪もせねばならん」
「どこへでもお供いたします、旦那様」
「ああ。頼む」
もう俺たちが余計な手出しをする必要はなさそうだ。
ミレニアも頷いていた。
「この様子なら、彼らのことも任せて大丈夫じゃな」
「ああ。俺たちも次に向かおう」
「そのことですがお兄様、どうやら許可証の手配が取れたようです。まずはルニー商会へお立ち寄りを」
「仕事が早いな」
リリスに先導されて、俺たちも屋敷を後にした。
庭を通るとき、助けた獣人たちに囲まれて感謝の言葉をたくさん浴びた。泣いて礼を言う者も多かった。
愛すべき獣人たちだ。助けられて何よりだ。
正義の味方なんてものになるつもりはないが、やっぱり、誰かに感謝されるのは悪い気分じゃないな。
それに、
「気にしないで。気をつけて家に帰ってね」
「お礼なんていらないよ! みんな、また会おうねー!」
「すべてはお兄様のご判断です。冒険者ルルクを、お忘れなきようお願いしますね」
嬉しそうに獣人たちに接するサーヤ、カルマーリキ、リリスの笑顔を見たら、むしろ俺のほうが報酬をもらったような気になるのだった。
それからすぐにザンバールの街を出発し、初めてインワンダー獣王国に入った。
竜王のナワバリの外に出た途端、さらに空気が冷たくなった。
「獣王国はまだ冬です? ルルク、なにか着るものを出すです」
「あんまり早く着込むと後で大変じゃないか?」
「別に、我慢できないほどではないです……ただ、寒いとちょっとしたときに痛みが増すです」
「そうか。わかった」
「お兄様、ナギさん、少しお待ちを」
と、リリスが口を挟む。
マルチボックスから取り出したのは、イヤリングだった。銀色のイヤリングだ。
「仕方ありませんがこちらを渡しておきます。仕方ありませんが」
「なんです?」
「防寒効果の耳飾りです。装飾品なら装備できるとお聞きしましたので」
おお、そんなものが。
ナギはそれを手に取り、訝し気に見つめる。
「クソ重妹がナギに? 変なものでも拾い食いしたです?」
「信じられないならつけなくて結構です!」
「そうは言ってないです。有難くもらうです」
すぐに耳につけたナギ。
「おお、暖かいです。これなら動きの邪魔にもならないです」
「良かったな。リリス、ナギのために作ってくれたのか。ありがとな」
「へぇ、ナギのためです? 兄妹揃ってツンデレだったです?」
「べ、べつにナギさんのためではありません。ナギさんが足手まといになったら、困るのはお兄様ですから!」
ふん、とナギから視線を逸らしたリリス。
リリスがこんな態度を取るのもナギ相手だけだから、これはこれで新鮮で可愛い。さすが俺の天使だ。
その天使は、露骨に話を逸らした。
「そ、それにしてもお兄様。インワンダー獣王国は初めてですよね?」
「まあな。獣人の楽園って呼ばれてるんだろ? 色んな獣人がいるって聞いてたから、来るの楽しみだったんだ。女王は何族だっけ?」
当然、俺はワクワクしていた。
獣人の楽園とも、力が支配する国とも言われる獣人が集う国。この国の存在を知ってから、ずっと来てみたかった場所のひとつだ。
なんでもこの国では、最も強い女性が王座につくらしい。
ここ数十年はひとりがその最強の座に君臨しているんだとか。歴代でも最高の実力者――そういう評判はよく耳にする。
「現在は兎人族です」
「やっぱウサミミは正義だな。そういや兎人族って冒険者にもあんまりいないよな」
「犬系か猫系が多いもんね。そのふたつは種族スキルがシンプルに強化型だから強くなりやすい、ってケッツァさんに聞いたわ。例の【血染めの森】も、半数はどっちからしいわよ」
「確かに、前にぶっ飛ばしたビ……ビス……ビスケット? さんも犬人族だったな」
半年くらい前、マグー帝国の依頼でママレド第三王女を指名クエストと偽って誘拐しようとしていた【血染めの森】の傭兵だ。
尖った犬耳の好戦的な傭兵だったのを憶えている。
するとサーヤが首を傾げた。
「もしかして〝灼熱〟のビルケッソ? 倒してたのね」
「ああ、そんな感じのひと。王女誘拐未遂で捕まえて、いまも牢屋にいるはずだ」
「ふうん」
あまり興味もなさそうだった。
サーヤの隣に座っていたナギが、
「ケッツァとどっちが強いです? あの猫娘、たしか第一部隊出身って言ってたですが」
「たぶんビスケットさんだな。さすがに部隊長だけあってレベルも高かったし、何より燃える拳はロマンがあったなぁ……そういえば同じような技、レンヤも使ってたっけ。俺も教えてもらいたいな」
「ナギたちどうあがいても無理です」
「だよなぁ」
さすがに魔力なしで火は出せない。
「炎パンチやりたい。かっこいいし」
「ルルクは実用性皆無なのでは? どうせ本気で殴ればみんな死ぬです」
「ロマンなの! そういうナギだって本当はやってみたいんじゃない?」
「そんな俗な技など不要です。ナギにはこの太刀があるので無敵です……まあ、いまはその太刀に殺されかけてるですが」
ブラックジョークを飛ばしたナギ。
さすがに俺たちは笑えない。
空気がシンとしてしまい少し居心地の悪そうなナギ。こういう空気にしちゃった時って、気まずいよな。わかる。
「あらナギさん、もう少し冗談のセンスを磨いた方が良いのでは?」
「黙るですクソ重妹。そっちこそ兄との適切な距離感を学ぶです」
「私にとってはこれが適切ですが、なにか?」
「面白いジョークです」
「本音と冗談の区別もつかないなんて、読解力が足りないのではないですか?」
バチバチと睨み合う二人。
ほんと、この二人はいっつもケンカしてるな。
けどリリスのおかげで自虐ネタからの気まずい空気も流れていった。もしかしてわざとだったのか……?
まあそれはそうとして。
「サーヤ、話は戻るけど他の【血染めの森】で有名な人は誰がいるんだ? さすがにクリムゾンは憶えたけど……」
「隊長格なら〝爆炎〟のマルケリルと〝苛烈〟のカリブーね。詳しくは知らないけど、マルケリルは虎人族で、カリブーは鷹人族だって。鳥系の獣人はそうとう珍しいわよ」
「鷹か……会ってみたいぜ」
鷹っていうからには飛べるんだろうな。速く飛べるなら、戦いにはそれだけで有利だ。
「ちなみにクリムゾンは獅人族よ。百獣の王だなんて、いかにも強そうね」
「でも兎人族の女王には勝てなかったんだって?」
「らしいわ。詳しくは知らないけど、女王決定戦みたいなのがあって、その準決勝戦で勝ったのがいまの女王。負けて傭兵になったのがクリムゾンなんだって」
「やっぱ戦って王を決めるのか。もしエルニが参戦したら王様になっちまうな」
「ん」
俺がそう言うと、自信満々で頷いたエルニ。
サーヤがため息を吐いた。
「本当になりそうなのが怖いところだわ」
「よゆう」
「手合わせなんてしないでよ? 勝っても負けてもろくなことにならなさそう」
「……」
「ねえ、わかってる?」
「……ん」
目を逸らしたエルニだった。
確かに最強の女王に勝ったら、その気がなくても王様に担ぎ上げられるかもしれない。確かにそれは面倒だな。
フラグにならないよう、女王に会うようなイベントはなるべく避けたいところだな。
そんなことを考えていると、ゴーレムの操作係をしていたカルマーリキが慌てて振り返った。
「ルルク様、前方に倒れた馬車! 誰かが戦ってる!」
「ん?」
言われてすぐに視線を飛ばす。
倒れた馬車のすぐそばで戦う獣人と人族の集団がいた。
武装しているのは人族たちだけだが、数は獣人のほうが多い。とはいえ獣人たちのほとんどは鎖で繋がれみんな下着だけで裸同然だった。
戦える男の獣人が何人かいて、武装している人族に素手で挑んでいるが――その多くは打ちのめされている。
「人攫いだな」
さっきの街にいた彼らも、こうして獣王国から連れて来られていたんだろう。
「私がいく!」
「うちも!」
サーヤとカルマーリキが馬車から飛び出した。
その瞬間。
空から、一陣の風が吹きつけた。
鮮烈な速度で垂直落下してきたその風は、戦っている人族たちを吹き飛ばした。
その降り立った風の中心には、翼が生えた獣人がひとり。
細身で額に傷のある青年だった。
「ここで何をしている、人族ども」
青年は倒れた馬車と、怪我をした獣人たち、それから彼らと戦っていた人族をぐるりと見回して言った。
「……近頃この辺りを荒らしている者共がいるとは聞いていたが、貴様らがそうだな? ならば、ここは我が相手をしよう」
「な、なんだてめぇ!」
「我の顔も知らぬか、下賤な人族よ。我は【血染めの森】のカリブー……いざ参る」
〝苛烈〟のカリブーか。
その鷹人族の青年は、風を身に纏って不遜に言ったのだった。




