覚醒編・4『誰よりも仲間のことを』
■ ■ ■ ■ ■
足音すら掻き消す大雨だった。
カルマーリキが駆けつけたとき、幼い少女は首に繋がれた鎖を引っ張られ、ズルズルと引き摺られていた。
まだ年端もいかない猫人族の子だった。彼女は大粒の涙を流しながら首輪を外そうとするが、鉄の鎖はびくともしなかった。
男が抵抗する少女をチラリと振り返り、舌を打つ。
「逃げようとしやがって。戻ったらキツめの教育が必要だな」
「いや、いや……!」
もがく少女。
見れば、両手の爪は剥がれて指先からは血が滲んでいた。
痛みを忘れるくらい必死に抵抗したのだろう。連れ戻されればどんな目に遭うのか、理解しているようだった。
男と少女がどんな関係でどんな事情だろうと、カルマーリキには関係のないことだった。
それにもし貴族が関わっているとなると、厄介事に首を突っ込むことになるかもしれない。仲間たちを巻き込むかもしれない。
それでも、泣いている子どもを放っておくことなんてできなかった。
「止まって」
「あ? なんだガキ」
立ち塞がったカルマーリキを、ギロリと睨む男。
顔が傷だらけで、あきらかにカタギの風貌ではない。人をなんとも思っていなさそうな目つきをしていた。
脅し慣れている――いや、誰かを殺した経験もあるだろう。普通に生きていれば絶対に出会わない種類の相手だ。
でも、カルマーリキは怯んだりしなかった。
「ねえ、その子なんなのさ? どうして泣いてるの?」
「は? てめぇには関係ねぇだろ」
「その子獣人だよね。誘拐してるの? どこに連れて行くつもり?」
「だから関係ねぇって言ってんだろ。失せろメスガキ」
「はいそうですか、って見逃せるわけないでしょ」
「……なら、死ね」
躊躇いなく、男は袖の下に隠していた投げナイフを放った。
恐ろしいほど手馴れた動作。不意を打たれたら避けられない速度だ。
だが、カルマーリキには最初から視えていた。
「甘いよ」
『天眼』で、男が隠し持っている暗器は把握している。
カルマーリキは投げられたナイフをキャッチして、そのまま距離を詰めてそのナイフを全力で振るった。
男にではなく、少女を繋いだ鎖に。
「なっ」
「精霊召喚――『斬』!」
鎖を切断すると、少女を抱きかかえて跳んだ。
驚く程軽い体だ。ろくにご飯も食べていないだろう。
男は少女には目もくれず、綺麗に切断された鎖を見て唸り声をあげた。
「投げナイフで鉄鎖を切りやがっただと……てめぇナニモンだクソガキ」
「ガキじゃないさ。少なくとも、あんたよりは長生きしてるよ」
「――その耳、エルフか!」
男は叫びながら、再度ナイフを投げてきた。
カルマーリキも即座にナイフを投げ返してぶつけると、男が投げたナイフだけが折れた。
地面に落ちた二つのナイフ。ひとつは完全に真っ二つだった。
「同じナイフで……エルフの術式か」
「ご名答」
召喚法の付与術式『斬』。
精霊召喚のなかでもかなり難しい、切れ味を増加させる神秘術だ。カルマーリキも最近憶えたばかりだった。
男はなぜか歪んだ笑みを浮かべた。
「エルフと殺し合うのは初めてだが、その綺麗な顔にデケェ傷つけてみたかったんだよなぁ……死ねや、クソガキ!」
「ふん。指一本触れさせてやるもんか」
「シッ!」
男はナイフを投げながら走り出す。
首をひねって避けたカルマーリキ。
避けられるのは想定内だったのか、距離を詰めてきた瞬間、不意に地面を蹴り上げた。
溜まっていた水が派手に跳ねて、カルマーリキの顔にかかる。
とっさに目を閉じたその瞬間、ニヤリと笑みを浮かべた男は懐から毒々しい液体が入った瓶を取り出した。
すぐさま投げつけようとして――
「卑怯者め」
目を開けずとも『天眼』により俯瞰してその動きがすべてが視えているカルマーリキは、男の視線が瓶に向いたその一瞬の隙をついていた。
「な――ぶッ!?」
懐に飛び込んだカルマーリキは、男の顎を肘でカチ上げた。
のけぞる男の顔に手を向け、
「『ウォーターボール』」
「ごぼ、ば……ぶ……」
顔を水で覆った。
男は一瞬で溺れ、意識を失って倒れた。
そのまますぐにロープを取り出して、男の体をぐるぐる巻きにする。口には大きな石を詰めて、布で縛っておいた。
「これでひとまずは安心かな。きみ、大丈夫?」
「え、あ……」
地面にぺたりと座り込んだ猫人族の少女は、何がなんだかわからない様子で戸惑っていた。
カルマーリキはにっこり笑ってから、空を見上げる。
「事情を聞きたいところだけど……その前に、ちょっと雨宿りしよっか。体も冷えちゃうしね」
カルマーリキが少女を連れて馬車まで戻ってくると、馬車の前でルルクが待っていた。
「おかえり。すぐに中に入って」
「うん」
馬車の中にはすでに暖かいお湯とタオルが用意されていて、サーヤがすぐにタオルで少女の体を拭き始めた。少女はかなり驚いていたが、抵抗することなく服を脱いで大人しく乾かされていた。
カルマーリキもずぶ濡れの服を脱いで体を拭いた。
短時間だったが、思ったより体の芯まで冷えていた。
ブルリと身を震わせたカルマーリキの背中に、あったかい感触がピトリ。
『えるふのお姉ちゃ~ん。ボクが温めてあげるなの~』
「いいの? ありがとねプニスケ」
『お姉ちゃんがんばったなの! ご主人様も褒めてたなの~』
「ルルク様がうちのことを? ほんとかな~」
「なんで疑うんだよ」
ぬくぬくプニスケを抱きしめていたら、ルルクが頭を拭きながら隣に座った。
「だってルルク様、うちのこと滅多に褒めないでしょ」
「そんなことないぞ。我が家は褒めて育てる方針だしな」
「じゃあ前にうちのこと褒めたのいつ?」
「……いやぁ獣人って可愛いよなぁ」
「ほら! すぐそうやって誤魔化す!」
頬を膨らませたカルマーリキ。
まあ、そもそもルルクはあまり他人を評価しない性格だってことくらいよくわかっている。褒めることも貶すことも滅多にない。
だから冗談みたいなものだったが、
「……でも、今回は本当によくやった。ありがとう」
「えっ」
なぜ礼を言われたのかわからず、困惑する。
ルルクは獣人の子を眺めながらうっすらと微笑んでいた。
「俺、子どもから怖がられるんだよな」
「……そうなの?」
「ああ。暗殺教団って場所でもそうだったんだけど、子どもからすれば戦う俺って不気味なやつに見えるみたいなんだよ。だからたとえ俺が助けても、それで怖い思いをさせたら元も子もないだろ? その点、助けたのが子どもに好かれるカルマーリキでよかったなって思ってさ」
「そ、そんなことないよ」
「あるんだよ。怖がらせずに子どもを助けるってのは、俺じゃどうがんばってもできないことなんだ。仲間に礼を言うには、十分な理由だろ?」
どこか悲しそうに、それでいて誇らしそうに笑ったルルク。
カルマーリキはかつて何の才能もない凡人だった。
いまでこそ弓の腕は誰よりも優れている自信がある。
でも、それだけだ。
ルルクのそばにいる仲間たちの中で、自分が一番ルルクから遠いと思っていた。同じパーティでもなく、愛する妹でもなく、対等な王位存在でもない。
ルルクが大事に想う理由なんて自分にはひとつもない。
そう思っていた。
「最近特に思うんだよな。俺は、本当に仲間に恵まれたなってさ」
仲間。
いままで一緒に過ごしてきて、ルルクはエルニネールやサーヤのことを本当に信頼しているんだと感じていた。ルルクにとってその二人は特別で、仲間の中にも多少なりとも序列みたいなものがある。カルマーリキはずっとそう思っていた。
でも、違うんだ。
ルルクにとっては、仲間に順番なんてない。
そのひとの何を信頼するかの差はあっても、誰かと比べることなくルルクが仲間を想っているのが、ようやくわかった。
そしてその中に、いつの間にかカルマーリキも含まれていた。
じん、と胸が震えた。
こみ上げてくる嬉しさを感じた。それと同時に、言わなければならないことに気付く。
「……ごめんねルルク様。許可も得ずに、勝手に飛び出して」
「だからいいって」
「でも今回はうまくいったから……もし、何か失敗してたら……」
「それでもいいんだよ」
ルルクはカルマーリキの腕の中のプニスケを、隣から手を伸ばして撫でた。
二人でプニスケを撫でながら、
「仲間がやると決めたことは全力でサポートする。それが俺たち【王の未来】だろ?」
「……ルルク様」
うちは、同じパーティじゃない。
だけどルルクの中では、そんなこと関係ないらしい。
ああ、そうか。
これがルルクなんだ。
仲間の誰よりも子どもっぽい部分があって、自分の好きなことにしか興味がなさそうで。だけど誰よりも仲間のことを想っている。
これこそ、うちが好きになったルルク様だ――そう強く想った。
「まあ、それはそうとして獣人の子どもを泣かせるなんて許せんな。しかも昼間から堂々と……リリス、この街の治安状況はどうなってる?」
「一年ほど前から徐々に悪化しており、犯罪者が裏で衛兵を買収していることも多いようです。違法商や闇ギルドが力を持ちつつあり、あまり褒められた状況ではありません」
「なんじゃそれは。領主はなにをしておるのじゃ」
唇を尖らせるミレニア。
するとルルクが何か思いついたように、
「確かここの領主って……そうか。あの人か」
「お兄様、知り合いなのですか?」
「会ったことがあるってだけだ。けど、そうだな……じゃあ獣人に手を出してるやつら、俺たちで全部潰すか。セオリー、やっていいか?」
「へ? あ、うん……?」
いきなりやる気に火が着いたらしい。
キョトンとした竜姫の許可を得たルルクは、ニヤリと笑みを浮かべた。
悪そうな顔をしている。
いきなりトラブルに顔を突っ込むことになったが、もちろん異を唱える者は誰もいなかった。
この日、この街の闇ギルドはすべて壊滅した。
またしても何も知らない竜姫「なんかよくわからないけど、あるじ楽しそう」




