覚醒編・1『魂の器』
「ナギのこの症状、おそらく呪いの変質によるものじゃろう」
大陸最大の国家、バルギア竜公国竜都フォース。
その一角にある広大な屋敷が、俺たちの住まいだ。
敷地もさることながら屋敷そのものまでデカい豪邸だ。親バカ竜王が娘のセオリーのために建てた住居だから当然かもしれないが、二階にある寝室も規格外。二十畳ほどの部屋の中央には、キングサイズ三台分はあるふかふかの天蓋付きベッドが鎮座している。
最高級のベッドなので、寝心地も最高だ。
いつもならそのベッドに包まれて夢を見ている時間なのだが、俺や仲間たちはみんな起きていた。
ナギが悪夢にうなされているかのように苦しんでいるからだ。
俺はミレニアの言葉を反芻した。
「呪いか」
「呪いじゃ」
別室で寝ていたミレニアとメレスーロスも、騒ぎに気づいて起きてきた。
知識の宝庫とも言えるミレニアに『凶刀・神薙』の異様な鑑定結果のことを話したら、返ってきたのはそんな言葉だった。
「とうに知っておるじゃろうが、呪いとは魂への干渉の一種じゃ。妾たち生物は本来、他者への干渉は肉体的、精神的の二種類しかできぬ。じゃが上位の存在などであれば魂へ直接干渉をおこなうこともあるし、条件次第では対等の存在でも互いに魂を縛ることもできる。『誓約』などのスキルがそうじゃな」
誓いを破れば、魂そのものにペナルティを課すスキル『誓約』。
それは以前、ナギがサトゥルヌに受けていたものだ。あのとき解呪薬がなければサトゥルヌを殺したナギは『誓約』の効果によって死んでいただろう。
あれも原理は呪いと同じ。解呪薬が効いた理由もそれだという。
「普段から、ナギの武具はナギに呪いをかけておる。その呪いが変質した影響で、魂に負荷を与えてしまっておるようじゃ」
「魂に? これだけ痛そうなのに、体は平気なの?」
サーヤは、胸を押さえて苦しそうにするナギの頭を撫でながら言った。
ミレニアは首を振る。
「表層的には肉体にも影響が出ておるが、あくまで副産物じゃろう。この様子を見るに相当ひどい悪夢を見せられておるようじゃが……サーヤ、ためしに深く眠らせてみるがよい」
「わかったわ。『スリープ』」
「……すぅ……」
催眠魔術をかけると、とたんに表情が和らいで穏やかになったナギ。
そのまますやすやと寝息を立て始めた。
なるほど、夢を見ないほど深く眠らせれば良かったのか。
「すごい……さすがミレニアさんね」
「似た症状を見たことがあるだけじゃ。それよりも、いまのはあくまで誤魔化しに過ぎん。深く眠らせることで苦しみを感じさせぬようにはしたが、魂そのものはいまも傷ついておる。このままじゃと負荷がかかり過ぎてマズいことになる」
「具体的には?」
俺が率直に聞くと、ミレニアは表情を曇らせた。
「死にはせんじゃろうが……最悪、廃人になるかもしれん」
「治す方法は?」
「わからぬ。呪いをかけている相手が生物やそこらの儀式魔術なら、妾たちだけでどうにかなるじゃろう。じゃが今回は……」
ミレニアが視線を向けたのは、ベッドに立てかけている太刀。
禍々しい雰囲気すら放っている呪いの武器だ。
「ありとあらゆる術式や干渉を弾き、どんな武器でも壊せぬほどの強度を持っておる神話級装備が相手じゃ。神話級の呪いを覆すのは並大抵ではできんじゃろうし、壊すにしても神代レベルの加工技術がいるじゃろう。それも魔術にも神秘術にも頼らぬものが、の」
「……かなり難しいな」
いくらリリスが稀代の術器具職人とはいえ、鍛冶技術はドワーフには及ばない。
そのドワーフですら、自らの手で神話級武具を作れる職人などこの時代にはいないだろう。
「しかもじゃ。妾が思うに、この『凶刀・神薙』はただの神話級装備ではない。推測の域は出ぬが……おそらく付与されているのは術式ではなく、創造神の権能そのものじゃ。妾の予想が正しければ、本来の姿は装備品ではなく神器じゃろう」
「なんだって!?」
聖教国にあった八つの神器と同じ、創造神の力が?
確かにナギの『凶刀・神薙』はリリスの『解析之瞳』で何度鑑定しても、かけられた術式などの詳細な情報はわからなかった。存在の格が違えばすべての情報を読み取ることは出来ない。それはいままでで散々知っていた。
だが、まさか権能そのものが込められていたとは。
「先日、ナギが〝太刀に話しかけられた〟と言っておったじゃろ。本来、武具やスキル単体では意志など持たぬものじゃ……創造神の権能を除いてのう」
「権能なら意志を持ってるの?」
サーヤが首をひねる。
「うむ。ルルクも体験したのではないか? 権能同士がぶつかり合うとき、それらは意思を伴って会話することがある。その場合、妾たちの意志とは無関係に勝負が決まったりもする」
「……あのときのことか」
俺が『知恵の剣』に全力で抗ったとき、月面の世界のような場所に意識が飛ばされた。
あのとき俺の背後に出てきた大樹が、知恵の権能――惑星のような瞳と喋っていた。
大樹と瞳が力比べを始めた結果、俺やエークス卿が何もしなくても趨勢は決した。
「そもそも神話級装備はみな神の力の一端が備わっておるものじゃが……言葉を発するほど強い力は、創造神の権能だけじゃ。そもそも〝八つの神器〟の効力すら寄せ付けんかった性能も鑑みたら、そうとしか考えられん」
「それはたしかにな」
「なによりそう思うのは、呪いが変質しているからじゃ。あるいは進化とも言えるじゃろう。権能が意志と共に進化する……ほれ、どこかで聞き覚えがないかのう?」
「なるほど。数秘術か」
納得した。
もとより珍しい呪いを持っていた武器だ。それが亜神を斬ったことにより『凶刀・神薙』に強い変化が生まれてしまったってことか。
おかげで『凶刀・神薙』のトンデモ能力が何に由来するものなのか、手がかりにはなったが……。
ミレニアも低く唸った。
「じゃが、問題はその権能の正体がわからぬということじゃ。それと呪いに関する詳細ものう。何か手がかりがなければ、対処法などまるで思いつかぬ」
「何が必要だと思う? ナギのためならなんでもするぞ」
「私もよ」
「我も!」
「リリもお兄様と同じ意見です」
俺がそう言うと、みんなも頷いてくれた。
だがミレニアは困った表情を変えなかった。
「もちろん妾もじゃが……権能の正体がわからぬ限り、対処法も絞れぬ。せめて呪いがどのように発動しているのか、あるいは『凶刀・神薙』が何を求めておるのかがわかれば、推測もできるかもしれんがのう」
「くそ……現状、打つ手なしなのか」
「すまぬ。せめて魂がハッキリと視えるようなスキルでもあれば別じゃが……そんなスキル聞いたこともないしのう」
魂を視るスキル、か。
……あれ?
「いるぞ、それ」
「いるわね、それ」
俺とサーヤがぽんと手を打った。
ミレニアが目を丸くした。
「ほんとか!?」
「本当だ。よく知ってるやつがそのスキルを持ってる」
光明が見えた。
思いついたのは同じ転生者の、唯一の性転換少女。
かつては踊り子として庶民のアイドルをやっていたが、歌劇団員になって約半年、いまやマタイサ王国で大注目のアイドル――〝歌姫のニチカ〟。
俺は久々に、彼女に会いに行くことに決めた。
というわけで、やってきましたニチカの家。
「ごめんくださーい。ニチカさんはいますかー?」
「はーい……あっ、ルルクくん! いらっしゃいませ! どうぞどうぞ中に入って!」
「お邪魔しまーす。あ、スイモクおはよう。今日も可愛いね」
「……えっルルクさん!? 本当に?」
マタイサ王国王都、閑静な住宅街の小さな一軒家。
そこに住んでいるのは双子のニチカとスイモク姉弟だった。姉のニチカは半年くらい前から歌劇団に所属しており、スイモクも吟遊詩人として名を挙げ始めていた。
姉弟揃って美少女と美少年だということもあり、マタイサ王国ではいま一番注目されているアイドルたちだ。
ニチカは劇団員で忙しい毎日を送っていたから久々だったが、親友のスイモクとは暇ができたら会いに来ている。ニチカの……というよりスイモクの家を知っていたのは、親友として当然の嗜みだ。断じて美少年のストーカーだからではない。断じて。まあスイモクの普段の様子は気になるけども。
朝からいきなり訪ねた俺は、もちろん五歳児の姿だ。
この姿は初めて見たはずだったが、ニチカはすんなり受け入れていた。肉体が変化しても魂に変わりはないんだろう。
後ろにいたスイモクはさすがに初見じゃ違和感しかなかったのか、目を丸くして驚いていた。
ニチカは歓迎の笑みを浮かべながら、
「いきなりどうしたの? ようやくわたしを抱く気になった?」
「冗談はほどほどにしてニチカさん。まったくスイモクならまだしも……」
「そっちこそ冗談はやめて!? ……え、冗談だよね? ねえルルクくん!?」
「ところでニチカさんに頼みがあるんだけど」
「待って待って! スイモクもなんか言ってよ!」
「ぼ、僕は……あの、べつに……」
俯いて顔を真っ赤にする美少年スイモク。
いや確かに冗談を言っている場合ではないが。
「それはそうとして、本当にニチカさんに頼みがあって来たんだよ」
「そ、そっか……それでどうしたの? ルルクくんの頼みならなんでも聞くよ? あ、スイモクが欲しいとか以外ならだけど」
「欲しくなったら勝手に連れて行くんで大丈夫。それより、ちょっと困ったことがあって……」
俺はナギに関することを正直に話した。
話を聞いたニチカは深刻な表情になって、
「鬼塚が……あの子がそんな目に……。わかった、手伝うからすぐに連れてって」
「いいのか?」
「そりゃあ友達のピンチだもんね。あの子はあんまり好きじゃないけど、そうも言ってられないでしょ? ごめんスイモク、劇団に今日は遅れるって伝えてきてくれない? リハだから迷惑かけるけど、ごめんって」
「わかったよ姉さん。ルルクさんのお役に立ってきてね」
「もちろんよ」
二人はシンクロしたように同じタイミングで頷くと、
「さ、連れてって」
「ありがとう――『空間転移』」
間髪入れず、すぐに屋敷の中庭に転移した。
出迎えたのはメイド長のジャクリーヌだ。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさいませルルク様。あなたがニチカ様ですね? ようこそおいでくださいました」
「は、はい! お邪魔します……」
「みんなは?」
「すでに準備を済ませておいでです。ナギ様の個室に」
俺がニチカを迎えに行っているあいだに、診察の準備を進めてくれたようだ。
すぐにニチカを連れて寝室に向かう。
「わあ。広いお屋敷だね」
物珍しそうに周囲を見渡しながら廊下を歩くニチカ。
彼女を連れてきたのは、滅多に使われない女性陣の個室だ。
部屋のベッドでナギは眠っていて、仲間たちがみんなでナギを囲んでいる。
ちなみにメレスーロスとカルマーリキは、念のためギルドマスターのカムロックにクエストの報告がてら、カムロックにも呪いについて話を聞きに行ってくれている。
「ただいま」
「おかえりルルク」
「ナギの様子は?」
「いまはぐっすりよ。『スリープ』が効いてるみたい」
サーヤが心配そうにしながら、
「ニチカさん、ごめんねいきなり呼び出して」
「べつにあんたのためじゃないし。ルルクくんのためだし!」
「そっか。ありがとね」
「……ふん」
やっぱりサーヤとは折り合いが悪いようだ。
それを見ていたミレニアが目を細めた。
「おぬしが魂が視える踊り子とやらか」
「そうだけど……ねえルルクくん、この偉そうなちっちゃい子、だれ?」
首をかしげるニチカ。
俺は短く答えた。
「神秘術の賢者ミレニア」
「なんだ賢者様か…………って賢者様ぁぁぁああああああ!?」
「そう驚くでない。それより踊り子よ、はようナギの魂を診てやってくれんか。妾ではいまいち詳細が掴めず困っておったところよ」
「は、はい」
伝説級の人物がいると知って、急に緊張するニチカ。
だがナギをじっと注視した瞬間、そんなことは忘れて真剣な表情になった。
「なにこれ……」
「どうだ? ナギの魂に何が起こってる?」
俺が問いかけたら、ニチカはしばらく悩んでから説明を始めた。
「えっとね、生物にはみんな大なり小なり魂があるんだけど、その魂はみんな〝容器みたいなもの〟に入ってるの。わたしは魂の器って呼んでるんだけど……それは知ってる?」
「ほう。妾は初耳じゃ」
「私も」
「俺は知ってる」
ロズとひとつになったあの日、俺は自分の魂の器を視た。
七色楽の盃に、ロズとルルクの盃がくっついている形をしていた。
「その魂の器は、種族によって最初の形が違うの。ヒト種だったら丸みを帯びたカップで、魔物だったら平べったいお皿。そこの竜姫様なら大きな金杯みたいな感じかな。異なる魂を取り込んだら……つまりレベルアップしたら、その形が変わっていくみたいなの。どう変わっていくかは人によって違うみたいだけど、ルルクくんなら別の盃がくっついたまま大きくなってるし、サーヤなら八角形みたいになってるし、賢者様はボールみたいにまん丸になってる」
「へえ。形が変わっていくのか」
それは知らなかった。
「みんなその中に魂が入ってるんだけど、魂の姿そのものは大きくは変わらないの。特に転生者は、外見と違って魂は前世の姿をしたままなんだよ。もちろん私もそう」
「なるほど。だからルルクを見てすぐに七色くんだって気付いたのね」
「そういうこと。本当なら器が変わっても中の魂に影響が出るほどじゃないんだけど………ナギ、何を取り込んだの?」
ニチカはかすかに怯えながら、ナギの魂を視ていた。
「前に視たときは、ナギの器はふつうだった。ちょっと四角っぽいけど一応は綺麗な形だった……でも、いまは歪んでる。まるで相容れないものを取り込んだみたいに、色んなところがぐにゃぐにゃしてるの。こんな器の形、初めて見た」
「もしかしてそれがナギが苦しんでる原因?」
「たぶん違う。それだけなら大丈夫なんだろうけど……そこに置いてる刀。それがナギの歪んだ部分を侵食してるの。まるでそこだけ少しずつ食べてるみたいに、ナギの魂の器が蝕まれてる……その中にある魂ごと、食いちぎろうとしてるの」
まるで恐ろしいものを見るかのように、ニチカはそう言った。
俺たちには魂そのものを視ることはできないから、確かめることは出来ない。
だがニチカは魂を視ることにかけては誰よりも詳しい。彼女がそう言うからには疑う余地もない。
『凶刀・神薙』が、ナギの魂を少しずつ喰っている。
それが、ナギの苦しみの原因だった。




