閑話『愛をこめて討伐を』
お待たせしました、連載用の書下ろし閑話です。
時は少し遡り、第Ⅲ幕と第Ⅳ幕のあいだの時系列。
ルルクたちが学術都市に向かう少し前のお話です。
■ ■ ■ ■ ■
「ねえみんな。今日は何の日かわかる?」
屋敷の私室で、仲間の女の子たちを集めたサーヤが神妙に言った。
「なんの話です?」
ナギが眉をひそめた。
サーヤの隣には、同じく真面目な表情で頷くリリス。
エルニネールはいつもどおり無表情で、セオリーは首をかしげ、カルマーリキはキョトンとしている。
「今日は二月の十四日……ナギならピンとくるでしょ」
「なるほど、です」
世界が変わっても同列に語るのは、おかしな話かもしれないけど。
そもそも、この世界の一年は十ヶ月だ。一ヶ月は三十二日で、一週間は八日周期。
創造神が実在する世界だし、暦も地球とはまったく違う。当然、日本のシーズンイベントなんて転生者以外誰も知らないと考えるのが道理だ。
とはいえ例外も存在する。
「バレンタインデーですね。女の子が大切な人に甘いお菓子を差し上げるイベント……ついに、この日がやってきましたね」
「ん? クソ重妹がなぜ知ってるです。それも萌の入れ知恵です?」
「バレンタインデーは十年ほど前からマグー帝国で流行しているんですよ。ルニー商会もその新しい文化に着目しておりまして、帝国以外でも流行らせてみたいなと……いえ、ルニー商会が本格的に動けば間違いなく流行るでしょう。恋愛と甘いお菓子を絡めたイベント……周知徹底さえすれば、世の女性が飛びつかないはずがありません」
「それはそうですが、それくらいコネルがとっくに画策してないです?」
「……じつは、コネルに妙な意地がありまして」
と、少し困った顔をサーヤに向けたリリス。
サーヤは言葉を引き継いだ。
「問題はね、この世界にチョコレートが存在しないことなのよ」
バレンタインデーといえばチョコ。
マグー帝国――帝王レンヤが流行させたのは、甘い物ならなんでもいい贈り物の文化らしい。
だが、やはり女子高生だったコネルはチョコレートが存在しないバレンタインデーは認めたくないようだ。いくら商機があろうとも、原料であるカカオが見つかるまでは流行らせないという謎の意地があるのだった。
無論、サーヤもその気持ちは理解できた。
それにチョコとその他の菓子では、文化の定着に差が出るだろう。もしレンヤが先にチョコを作り出していれば、おそらくバレンタインという文化は瞬く間に世界中で流行っていただろう。それくらいチョコレートは魅力的な菓子なのだ。
「私もコネルと同意見だわ。だからいままでは意識してこなかった」
「なら、なぜこの話をするです? カカオは見つかってないのでは?」
「見つけたのよ。チョコレートをね」
サーヤは指をピンと立てて言った。
「カカオではなく、チョコを見つけたです?」
「ええ。そうよねリリスさん」
「はい。ルニー商会の調査で、大きな毒袋を持つカエルの魔物が変異種となった場合、その毒袋が甘い芳醇な香りを放つことがわかりました。その中には濃厚な茶色い液体が含まれていることも」
「まさか……」
「〝チョコーレットフロッグ〟。私とリリスさんはそう名付けたわ。ずっとその変異種を探してたんだけど、見つけたのよ。つい今朝ね」
「そこで皆様に提案です。私たちでチョコレートフロッグを捕まえて、ルルお兄様にプレゼントしませんか? 愛をカタチにする絶好の日に、この世界で初めてチョコレートを贈りましょう」
リリスがギラリと目を輝かせて言った。
仲間たちは少し沈黙を挟んでから、
「仕方ないです。別にルルクなんてどうでもいいですが、チョコは気になるです」
「ふっ。我が主に〝ちょこ〟なる甘美を捧げよう……」
「面白そうだね! うちももちろん行くよ」
「ん、とうぜん」
「よし。じゃあさっそく行きましょう。エルニネール、移動は任せたわ」
こうしてサーヤたちは、ルルクに内緒で出掛けたのだった。
エルニネールの転移で来たのは、バルギア竜公国の北部に位置する街だった。
かつてエルフの里に行き来する時に通った場所で、懐かしの【タバスコ商会】の本店がある街だった。
久々に来たが、街の様子はとくに代わり映えはなかった。
「ちなみに現在のタバスコ商会は、ルニー商会の傘下に入っております。今回の変異種の情報提供も、タバスコ商会の方からのものです。ほら、あちらでお待ちです」
リリスの先導でタバスコ商会へ歩いていくと、店の前で仮面をつけた商会員と、細身の不愛想な男が待っていた。
「お待ちしておりましたモノン様」
「女帝モノン……本当にもう来たのか。いや、その付き添いの魔術士は……なるほど」
驚く目つきの悪い男は、タバスコ商会の幹部カルデナス。
一度サーヤたちとは会っているからか、わずかに目を見開いたあとは納得したように口を閉じた。
リリスも細かい説明をする気はなさそうで、
「お待たせいたしました。早速ですが、私たちは変異種の捕獲に向かいます。頼んでいた道具を頂けますか?」
「ああ。変異型に強い効果があるであろう『冷却縄』だ」
カルデナスが渡してきたのは、細長いロープ型の魔術器。
リリスがじっと観察し、
「ふむふむ、なるほど。氷魔術と細い金属線を複雑に組み合わせて伝導率を高めたものですか。この螺旋構造に連立させた術式は初めて見ました。大変勉強になりますね……」
「天下の女帝にそう言われるとはな。鼻が高い」
「この魔術器の話は後ほど聞かせてもらえますか。それより、急いでおりますのでこれにて失礼いたします。エルニネールさん、ここから真っすぐ東の草原地帯に変異種がいます。移動をお願いいたします」
片目を瞑って、『万里眼』で標的の場所を的確に伝えるリリス。
本当に優秀なサポーターだ。
エルニネールもすぐに魔術を発動した。
「『ミーティア』」
仲間たちを包んだエルニネールの魔術は、一瞬で上昇し、空を飛んでいく。
街から東に十分ほど進んだら草原地帯が広がっていた。
その一点をリリスが指さした。
「あそこです。あの茶色いカエルの魔物が例の変異種です」
そのまま魔物のすぐ近くまで降り立った。
強い魔物はそう多くないバルギア竜公国の土地。当然、この草原も平和なものだったが……。
『ゲコッ』
「……いや、デカくないです?」
「おっきいね」
ナギとカルマーリキが素直な感想を漏らした。
確かに、想像よりもデカかった。
一軒家並みに大きい。グレイトボアと同じサイズ感だった。
セオリーがビビッてサーヤの後ろにコソコソ隠れるくらいには、大きくて獰猛そうなカエルだ。
これにはさすがにサーヤも苦笑する。
「変異種になって大きくなったのかしら」
「そのようですね。ですが、原種のマッドフロッグとは違って生きている間は毒はありませんので、皆様ならさほど危険ではないかと思います」
「ま、それもそうね。早速捕まえるわ」
冷却縄を片手に、チョコレートフロッグに歩み寄るサーヤ。
チョコレートフロッグは穏やかな性格なのか、さして警戒している様子もない。
『ゲコッ?』
「悪いわね。ちょっと大人しくしててね~」
『ゲコゲコ!』
触れられそうな距離まで近づくと、さすがに逃げようとジャンプしたチョコレートフロッグ。
さすが巨大カエル。
その跳躍力も凄まじいものがあった……が、サーヤの素早さには勝てなかった。
あっという間にチョコレートフロッグの行き先に先回りしたサーヤは、傷つけることなく縄をその大きな体に巻き付けていく。周りをビュンビュン走り回るサーヤの動きについていけず、チョコレートフロッグは戸惑っているうちに、全身を縄でぐるぐる巻きにされた。
「じゃあ起動っと」
装置を発動させたら、縄がみるみる冷えていく。
チョコレートフロッグは冷気で身をブルリと震わせたと思ったら、腹の中の毒袋からカチカチに固まっていく。中身がチョコなら体温を大きく下回ると固まるのが当然だが、死ぬほどの低温ではないので、チョコレートフロッグは『ゲコ!? ゲコ!?』と鳴き声を上げながら丸い体を揺らす。
まったく身動きが取れなくなったらしい。
「よし、捕獲は完了ね。これからどうするの?」
「このまま毒袋を取り出します。死んでしまうとチョコレートが毒に変化するようですので、ここは私が慎重に――」
と、リリスがチョコレートフロッグに近づこうとしたその時だった。
モコリ、と近くの地面が隆起したと思ったら――
『ゲコ』『ゲコッ』『ゲッ』『ゲコゲ』『ゲコゲコ』『ゲッコ』『ゲゲッ』『ゲココ』『ゲッコゲ』『ゲコゲッ』『コゲコ』『コーン』『ゲコゲッコ』『コゲッコ』『ゲゲゲ』『ゲコ!』
数えきれないほどのカエル――マッドフロッグが飛び出してきた。
足の踏み場もないくらいの数のカエルが、うじゃうじゃと。
「ひゃぁっ!?」
セオリーが悲鳴を上げて、近くにいたカルマーリキに飛びつく。
見渡す限りの草原を埋め尽くすほどのマッドフロッグが湧いてきた。
さすがにこの数は、生理的に嫌悪感を憶えてしまう。というか一匹狐の鳴き声が混ざってなかった?
「ちょっ、こっち来るなです!」
身をブルっと震わせたナギが、すぐさま近くのマッドフロッグを斬り捨てて、
「キモいです! エルニネール、なんとかするです!」
「『ウィンドボム』」
周囲を吹き飛ばしたエルニネール。
だが思ったよりマッドフロッグの耐久力が低くて、毒袋ごとはじけ飛んでしまった。
カルマーリキとセオリーに体液と毒液がかかる。
「ひぃ! やだあ!」
「うわわ!? 『キュア』!」
すぐにカルマーリキが解毒魔術を唱えた。もとよりそこまで毒性が強くないから、高レベルのサーヤたちなら大した影響はないはずだ。
まあ、体液が体にかかったら普通に不快だけど。
「『ウィンドボム』『ウィンドボム』」
エルニネールは魔物を破裂させる感覚が気に入ったのか、わざと毒液をまき散らせて退治していた。
そこら中、爆発したカエルまみれになっていく。
「なにしてるですエルニネール! ナギたちは毒無効だからって、汚いものには変わりない――」
「『クリーン』。『ウィンドボム』」
「なっ!? 自分だけ綺麗にするとかズルいです!?」
ナギが目くじらを立てるが、エルニネールの『ウィンドボム』は止まらない。
まるでボールプールで遊んでいるかのように、毒カエルがそこら中を舞う。
さすがに目や鼻に毒が入れば危険なので、サーヤもリリスを守りながら無限に湧いてくる周囲のマッドフロッグに対処していた。
頭のネジが外れた脳筋羊娘に説教するヒマがない――そう思っていた最中、
「もうヤあああ! あるじぃ~!」
カルマーリキに守れて実害はないはずだが、無限湧きするマッドフロッグに、飛び散る毒液、怒鳴るナギの声についに我慢できなくなったセオリーが、わんわん大泣きを始めた。
『ゲコ』『ゲコッ』『ゲッ』『ウィンドボム』『ゲコゲ!』『魔物で遊ぶなです!』『ゲコゲコ』『ゲッコ』『ゲゲッ』『ゲココ』『うわ~~んあるじ~~!』『ゲッコゲ』『ウィンドボム』『ゲコゲッ』『コゲコ』『もうやだ~!』『コーン』『ゲコゲッコ』『ウィンドボム』『コゲッコ』『ゲゲゲ』『ゲコ!』『やめるですエルニネール!』『ウィンドボム』
なんだこれ。
カオスすぎる状況に、サーヤもどうしようか悩んでいたら。
「もう、や! みんなどっか行って~!」
目をぐるぐると回したセオリーが、カルマーリキの背中に隠れながら、腕を前に突き出した。
……まさか。
嫌な予感が脳裏を走った。
「ちょっと待ってセオ――」
「『滅竜破弾』!」
ブレススキルが発動した。
セオリーの手のひらに光が収束し、そして一気に解き放たれる。
チュド――――ン!
言うまでもなく。
セオリー必殺の環境破壊ブレスによって、草原が、一瞬にして荒野になったのだった。
「ひっぐ……えっぐ……あるじぃ……」
雨が降っていた。
茶色い、チョコレートの雨が。
セオリーのブレススキルで爆発四散した魔物たちはそのほとんどが消失した。当然、捕まえていたチョコレートフロッグもその余波で爆散し、溶けたチョコが空に吹きあがって、体液と混じって落ちてきているのである。
爆発からはとっさにエルニネールとリリスが守ってくれたが、被害は甚大。
念願のチョコすら失ったが、泣いているセオリーを責める者は誰もいなかった。
「……帰ろっか」
「……そうですね」
まあ、あのカエルの大群はサーヤですらまともな判断力を保つのが難しかった。
魔物と見れば嬉々として狩り始めるエルニネールの性格も、パニックになったら最強のブレススキルを発動するセオリーの悪癖も、最初から知っていたはずなのだ。
止められなかったのは連れて来たサーヤの責任でもある。誰かを責める気にはなれない。
サーヤは手をパンパンと叩いて、
「残念だけど今回は失敗ね。大人しく帰りましょ。ただ、収穫がゼロだったわけじゃないわ……ほら見て」
サーヤが手に乗せていたのは、ひとかけらのチョコ。
毒袋の中心部分にあったのか、爆発の熱を免れて固形のまま残ったチョコだった。
「一口サイズだけど……それでも、この世界にたったひとつの綺麗なチョコレートよ。ルルクにはみんなでこれをあげましょ」
「ん、のこった」
「良かったねセオリーちゃん」
「……うん」
みんなでサーヤの手の中のチョコを覗き込む。
その瞬間、誰かのお腹が鳴った。
甘い匂いにつられて鳴ったんだろうけど……誰だろう。
みんなで顔を見合わせる。
と、サーヤは笑い声を漏らした。
「ぷっ……あはは! みんな顔中チョコでベトベトじゃない!」
「そういうサーヤお義姉様も、ツインテールが固まってますよ」
「あはは! ほんとだ! すごーい!」
くるくる回るサーヤ。チョコにコーティングされた髪が、変な角度で固まっている。
エルニネールの白いフワフワの髪も、茶色でくしゃくしゃに。
リリスの茶色い髪は、より一層茶色に。
セオリーのピンク髪は、イチゴチョコみたいなまだら模様に。
カルマーリキの金髪ボブカットは、隙間なく完全な茶色に染められ。
そしてナギの銀髪も、チョコにまみれてぐちゃぐちゃに。
なんだか可笑しくなって、サーヤたちはお互いにその容姿を見て腹を抱えて笑った。
ひとしきり笑ったあと、小さなチョコのカケラを大事に袋にしまって、
「せっかくだし、このまま屋敷でみんなでお風呂に入りましょ!」
「ん」
「賛成です。サーヤお義姉様の髪、洗ってあげますね」
「我もお風呂を所望する……」
「いいね! うち、お風呂だいすき!」
「仕方ないです。付き合うです」
「じゃあエルニネール、お願い」
「ん。『転移門』」
こうしてサーヤたちは屋敷に戻り、すぐにベトベトになった体を綺麗サッパリ洗い流したのだった。
風呂から上がって綺麗になったサーヤたちは、チョコのカケラを綺麗にラッピングして、ルルクに渡すためにリビングに向かった。
そこで彼女たちが見たのは、
『ご主人様! あーんなの!』
「あーん」
プニスケとイチャイチャしながら、茶色い一口サイズの塊を食べるルルクの姿。
紅茶を飲みながら美味しそうにその塊を食べているルルクは、
「あれ? どうしたんだみんな。揃いも揃って」
「……ルルク、それ、なに」
「これか? プニスケが作ってくれたチョコだ」
「「「え」」」
固まる女子一同。
ルルクは感心したように言った。
「前にプニスケにチョコの話をしたら、色々試してくれてな。カカオは見つけられなかったけど、なんと麦からチョコを作ってくれたんだよ。みんなも食べてみるか? カカオのチョコとはちょっと違うけど、これはこれでウマいぞ」
『ボクがんばったなの~! お姉ちゃんたちもどうぞなの~!』
天真爛漫にポヨポヨ跳ねるプニスケ。
サーヤたちは恐る恐るそのチョコを食べ、あまりの美味しさに膝から崩れ落ちた。
「しかも手作りのチョコ……負けた。プニスケおそるべし……」
色んな意味で惨敗したことを知ったサーヤたちだった。
とはいえ、サーヤたちが持ち帰ったチョコレートはその後ルルクが美味しく食べたのだった。
バレンタインデー編でした。
第Ⅴ幕開始まで、もう少々お待ちください。




