聖域編・36『凶刀』
それからの聖教国は、大きく変わっていった。
まず教皇とそれを補佐する枢機卿団の構造が変化した。
枢機卿は五人から八人となり、各個人の権限は控えめとなった。候補の選定も枢機卿や一部の司祭がおこなっていたものを、半数は信徒たちからの投票で選ぶように変わった。無論、最終的な決定権が教皇にあるのは変わらないが。
一番変わったのは聖女の立場だ。
いままで聖女という立場が権力闘争に利用されていたのは、その特殊な立場にあった。本来教皇に次ぐ地位にいるが、聖女自身にはなんの権限もなかったため政に口を出すことは出来なかった。
だが教皇は、聖女を政治の〝監査役〟に任命した。行動に問題があるとみなされた枢機卿や司祭の権限を一時的に凍結し、教皇に調査申請をおこなえるようになった。
ただのアイドル的立場から政治の重要ポストに変わったペルメナは、必死に政治の勉強を進めていくことになる。
聖女ペルメナ。
彼女は『数秘術5・素因逆行』を持ち、時間を戻すことができる稀有な才能の持ち主だ。治癒として使えば類まれない性能を発揮する。
いままではエークス卿の政治の駆け引きのために利用され、エークス卿の利になる相手や場面でしか使われてこなかった。だがペルメナは、この力は特定の誰かを助けるものではないと広く公言し、必要があれば誰でも一度だけ、無償でその力を受けられるようにすると発表。
本当は何回でも無償でと言いたかったらしいのだが、それは教皇に止められたらしい。
こうして保守的な体制だったこの聖教国も、少しずつ変わっていくことになるのだったーー
「皆様。本当にありがとうございました」
俺たちも、この国でやるべきことはすべて終わった。
最後にサハスの屋敷を出立するとき、誰よりも深く頭を下げたのはそのサハス自身だった。
「皆様がいらっしゃらなければ、この国はエークス卿の手に落ち無垢な信徒たちは彼女の傀儡となっていたことでしょう。枢機卿として、ひとりの信徒として感謝いたします」
「そんなに畏まらないで下さい。俺たちも、サハスさんがいなければ大変だったはずです。こちらこそお世話になりました」
実際、サハスがいなければどこで躓いていたかもわからない。
本当に良い縁に恵まれたものだ。
「わ、わたしも……ありがとうございました!」
サハスの隣でぺこりと頭を下げたのは、メイド服のイスカンナ。
「イスカンナさんも出会えて良かったです。これからもがんばってください」
「は、はい……あのルルクさん。最後にひとつ、お願いがございます」
「なんですか?」
「その……お手を、握ってもいいですか?」
「手を? 良いですよ」
俺がうなずくと、イスカンナは俺の前で膝をついて目線を合せた。
小さな俺の手を、優しく包み込むように握って目を閉じたイスカンナ。まるで祈りを捧げるかのようにしばらく無言で握っていた。
ちなみにイスカンナは『極毒』をガトリンに奪われたが、ガトリンが死んだからか彼女には新しいユニークスキルが生まれていた。
【『奏毒』
>等級なしのユニークスキル。
>>あらゆる毒素を取り込み、無効化、あるいは自由に組み合わせて出力することができる。また触れた対象の毒素も自由に操作できる。毒を思うがままに操る奏者。】
『極毒』の完全上位互換だ。
これにはイスカンナもサハスも驚いていた。
ミレニアが予想するには、おそらく今回の件で〝毒神〟の加護を得たのではないか、ということだった。
なんにせよ毒の体が戻り、『慈愛』の指輪がなくてもコントロールできるようになったイスカンナ。これからもサハスの役に立てることができると知って大喜びだった。
「……ありがとう、ございます」
俺の手を離したイスカンナ。
何かひとつ、踏ん切りがついたような表情をしていた。
今度はイスカンナが下がると同時に、その後ろにいた女性が俺の前にくる。
俺と目線を合せ、申し訳なさそうに謝った。
「ルルクさま……お役に立てずに申し訳ないですわ」
ペルメナだ。
俺たちが聖教国を去ることを聞いて、すぐに駆けつけてきてくれた。
もはや誰かの庇護下に入ることをやめたペルメナは、自由にその手足を動かすことに決めたらしい。
後ろには、彼女を見守る護衛のローランがいる。
俺は首を振った。
「気にしないで下さい。ペルメナさんの暖かい心は十分届いていますから」
「ですが、これではわたくしのヒロイン参入計画が……」
「計画?」
「ななな、なんでもございませんわ!」
慌てて首をブンブンと振るペルメナ。
「それにペルメナさんの『数秘術5』はまだ王級スキルですが、これからまだ進化すると思います。それが俺たちの持っている『数秘術』の特異性ですからね」
「進化……そうですわね。ですが、どうすればよりキアヌス神に認められるというのでしょう……」
不安げな表情のペルメナ。
進化の条件は俺もよくは知らない。俺の『自律調整』が『領域調停』に変化したのは死にかけたときだったし、サーヤの『運命操作』もまだ進化はしたことがない。
俺は振り返って聞いてみる。
「ミレニア、知ってる?」
「ふむ……進化の条件か。おそらく与えられている権能を、より深く体感することにあると思うのじゃ。聖女よ、おぬしの権能であれば〝時間〟じゃな。いまできるのは過去に戻すだけのようじゃが、未来という時の流れを意識すればひょっとしたらスキルにも変化が起こるかもしれぬ」
「未来、ですの?」
「うむ。妾のスキルも進化がおこったのは、八百年前の戦争で数え切れぬほど多くのの〝生と死〟に触れたときじゃ。ひょっとしたら、時間だけでなく〝空間〟という概念に触れることにも進化の可能性があるのかもしれぬ。同じ神の権能じゃから、その可能性もあるじゃろう」
「なるほど……わかりました。ありがとうございますですわ」
なるほどな。
『数秘術』の進化の条件なんていままで考えたことはなかったけど、俺のスキルが進化したのもロズと俺の領域が重なったからかもしれない。
俺の『領域調停』も充分強力なスキルだが、まだまだ進化の余地はありそうだ。
「それじゃあ俺たちは行きますね」
「またいつでもおいでください」
「お待ちして、ます」
「ルルクさま! 聖母さま! みなさま! またお会いしましょう!」
全員で手を振り合う。
俺は仲間たちを連れて『空間転移』を発動した。
こうして、聖教国での冒険は幕を閉じたのだった。
「お兄様~っ!」
「うわっ!」
帰ってきたのはもちろんバルギアの屋敷。
中庭にワープしてきたら、その瞬間に突撃を食らった。
もちろん抱き着いてきたのはリリスだ。『万里眼』で様子を見ていたんだろう。
頬をスリスリされる。
「えへへ。久々のお兄様の匂いです。えへへへ」
「ちょ、リリス離して。みんな見てるし」
そう言って首に巻かれた腕を叩くが、話を聞いている気配はなくスリスリされ続ける。
もっとも俺の仲間たち(+メレスーロス)は慣れたもので、完全にスルーして中庭から出て行く。出迎えたメイド長のジャクリーヌとそれぞれ挨拶をして部屋に向かっていた。
唯一、困惑していたのはミレニアだ。
「ルルクや……前々から聞こうと思っておったのじゃが、この娘はおぬしの実の妹なのか?」
「そうだよ。妹のリリス。紹介してなかったっけ?」
「そ、そうか……実の妹がそのような目を……」
「あら、何か言いたいことでもありますかミレニアさん」
すくっと立ち上がったリリス。
その顔にそとゆきの笑顔を張り付けていた。
「こうしてお話しするのは初めてですね。今回の件ではお兄様が大変お世話になりました」
「学術都市で世話になったのはこっちのほうじゃ。改めて礼を言おう」
「いえいえ。それで、私とお兄様の関係に何かご不満でも? 言っておきますが兄と妹でも母は違いますので、マタイサ王国の法律では結婚ができます!」
「お、おう……そうかの。何も問題はないのなら良いのじゃ……がんばるのじゃよ」
「応援して下さるのですか!? うふふ、では、ようこそお兄様のお屋敷へ! さあさあ、どうぞこちらへ!」
とたんに心からの笑顔になって歓迎するリリスだった。
ミレニアがこっそり耳打ちしてくる。
「……個性的な妹君じゃの」
「俺もそう思う」
ただの天使じゃないところも可愛いだろ?
ちなみにミレニアがバルギア竜公国について来たのは、この国のギルドマスターのカムロックに会うためだった。
これからギルド総帥のミレニウムの正体が実は〝賢者ミレニア〟だと告知するから、その協力を仰ごうということらしい。
それも急ぎの用事ではないので、しばらく俺たちの屋敷でゆっくりするつもりらしいけど。
久々の我が家のリビングに戻ると、みんなはすでにくつろいでいた。
『ご主人様~! おかえりなさいなの~!』
「おおプニスケ! ただいま」
飛んできたのは我が愛しのプニスケ。
胸に抱えて撫でまわす。可愛いなぁ。
「ごめんなプニスケ。聖教国には従魔は連れていけなかったからさ」
『いいの! ボク、ごはん作って待ってたの! もうすぐできるなの!』
「おお、そうか。それは楽しみだな」
そういえば腹が減ったな。
もうそろそろ夜にもなるし、ちょうどいい。
結局、五歳の見た目も戻らなかったし目的としては達成できなかったから、なんだかいつもより疲れを感じていた。
今回手に入れたものといえば、サーヤがもらった『創造』の神器くらいだろう。まあ、あれは気軽に使えるようなもんじゃないし、サーヤも使う気は一切なさそうだ。
『お姉ちゃんたちも、そろそろごはんのなの~!』
「「「はーい」」」
料理長に呼ばれて、俺たちはぞろぞろとダイニングに移動した。
プニスケの料理は相変わらず美味しかった。
この味を食べると、なんだか家に帰ってきた感じがするなぁと思うようになったのは、俺たちがプニスケに胃袋を掴まれてしまったからだろう。
満足ゆくまでプニスケの料理を堪能した俺たちは、風呂に入って早めに就寝するのだった。
「ルルク、ねえ、ルルク!」
夜中。
ぐっすり寝ていた俺は、サーヤの声に起こされた。
いつのまにか部屋には灯りがついていて、逆隣でリリスも一緒に起きた。
俺は目をこすりながら身を起こす。
「どうした?」
「ナギの様子がおかしいの! ちょっと見て!」
見れば、サーヤの向こう側で寝ているナギが体を丸めていた。
苦しそうに胸を押さえていて、額には汗が滲んでいる。声をかけても返事はなく、おそらく意識はない。
俺とリリスはすぐにスキルを発動させた。
「『神秘之瞳』」
「『解析之瞳』」
俺は現在情報を、リリスは過去情報を。
俺たちの眼で視れない情報は、経験上、神の権能そのものか上位のスキル、あるいは病気などの理術的要素だ。魔術やスキルなど何かに干渉を受けているならだいたいはわかる。
俺の眼には何も映らなかったが、リリスは読み取ったらしい。
「お兄様! ナギさんが呪いに汚染されています! すぐ治療を!」
「『領域調停』!」
すぐにスキルを発動した。
ナギは一瞬表情を和らげたが、またすぐに痛みに呻き始めた。
ダメか。
「でも、一瞬俺にも視えたぞ」
俺が弾いた直後、呪いが発動した瞬間が見えた。
ナギの身を蝕んでいるのは『凶刀・神薙』だった。ベッドに立てかけてあるその太刀とナギが、毒々しいオーラのようなもので繋がったのがチラッと見えた。
すぐに原因の『神薙』を鑑定する。
その瞬間、俺は目を疑った。
「……なんだ、これ……」
【『蜃カ蛻・繝サ逾槫眠』 : 邉ァ繧偵h縺薙○縲よ?縺ヨ騾イ蛹悶↓蠢?ヲ√↑邉ア繧偵?ゅ&縺吶l縺ー謌代′逾槭r蝟ー繧峨>縲√≠繧峨f繧区ィゥ閭ス繧堤┌縺ォ蟶ー縺励※繧?m縺??ょ眠繧上○繧阪?ょ眠繧上○繧阪?ょ眠繧上○繧榊眠繧上○繧榊眠繧上○繧榊眠繧上○繧榊眠繧上○繧……】
文字化け、だと……?
俺たちは、このときはまだ知らなかった。
ナギのこの太刀が『凶刀』と呼ばれる、本当の意味を。
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第Ⅳ幕【夢想の終点】はこれにて終幕です。
ここまで読んで頂いてありがとうございます。
次回から第Ⅴ幕【彼岸の郷土】(仮)がスタートしますが
本編の書き溜めと2巻書籍化に向けての作業のため、本編更新はしばらく休載します。
その代わり、番外編(※WEB連載用の書き下ろし)をときどき投稿していく予定です。また感想などの返信はいつもどおり週二回おこないますので、考察や質問があれば投げていただければ返事をいたします。
第Ⅴ幕開始は約一ヶ月後の予定です
よろしくお願いします!




