聖域編・35『数秘術5』
皆様、あけましておめでとうございます。
新年早々にお知らせです。
発売した一巻が好評で、続刊(二巻)の書籍での刊行が決まりました。
発売時期や書下ろしなどの詳細はまた後日お知らせいたします。
Xや活動報告で告知すると思いますので、よければそちらも覗いていってください。
それでは、本年も『神秘の子』をよろしくお願いいたします。
「そなたたちは恩人だ。礼を言う」
聖地の麓の大講堂。
その会議室のような一室で、俺たちに頭を下げたのは教皇。
エークス卿が死に反乱は鎮静化された。もとよりローランたちを利用して単独で反旗を翻しただけだから、エークス卿が死ねばすべてが解決したようなものだった。
念のため第一騎士団副団長フーリンのもと、騎士団が聖地内の安全を確認しているところだった。エークス卿の協力者などが残っていなければ、教皇も聖地に戻れるらしい。
この部屋には俺たちの他に、教皇と専属メイド、聖女ペルメナ、総騎士団長ローラン、第一団長ジャクリーンがいた。
ローランとジャクリーンは教皇の後ろに立っており、ジャクリーンがナギを不満そうに睨んでいる。さっきコテンパンにやられたからな。遺恨が残りそうだけど、いまはそっとしておこう。
「俺たちも仲間を助けるためにしたことです。頭を上げてください」
「寛大な言葉、感謝する。それとこの場で顔を隠したままでは無礼であろう。サーヤよ、この衣は返そう」
教皇は頭に被せていたマントを取った。
黒髪、黒目のあきらかな東洋風の顔立ちが、そこにはあった。
「お、お師様……!?」
ミレニアが目を見開く。
俺も驚いた。
教皇の顔はロズにとても似ていた。薄い和風美人の顔立ちに赤い唇、大きな黒い瞳。
とはいえ外見年齢はロズより五歳ほど若く、凛としていたロズよりもかなり幼く見える。少し驚いたけど、俺からすればそこまでそっくりというわけでもない。
「ふむ。我に似ているサーヤの知人というのは、もしや……」
「神秘王ロズよ。たぶんロズさんも、あなたと同じ神話時代の生き残りだったのかもね」
「なるほど。他の者たちにもそのあたりの事情を話そう。冒険者たちとペルメナは我の正体を知らんだろうからな」
教皇は、この聖地の地下にある古代文明の保管庫の話から、二千年ものあいだ体を継承して意識を引き継いできたことを話した。
神器をわざと隠した理由や、信頼していたエークス卿に裏切られた結果、病弱な肉体もあと数年もてば良いほうだとも正直に話してくれた。
話を聞き終えたミレニアが、神妙につぶやく。
「師匠は、神代末期の人間だったのか……」
「おそらく我と同じ神造人間であろう。我は失敗作ゆえ、同列に並べるのもおこがましいがな」
ロズは一万年以上も前の古代文明から生きていた。
ふつうに考えたら信じられない話だが、あの師匠なら十分あり得る。それだけ長い間生き続けていた――否、死ねなかったのなら、本心から死を望んでいたのも納得だ。
ミレニアは深呼吸をしていた。
「お師様は本当に妾の予想の上をゆくのう……」
「とはいえ我らも人族には変わらぬ。病にもかかるし、肉体も朽ちる。神秘王には生い立ちなど関係なかったのであろう」
「……そうじゃ、それなんじゃが教皇よ。おぬしの病魔は妾たちで治せると思うぞ」
「なに? 本当か賢者殿」
目を丸くする教皇。
ミレニアがうなずいて、
「妾と聖女のスキルがあれば肉体だけは万全の状態に保てるはずじゃ。やってみるかの?」
「頼む。ペルメナも協力してくれるか?」
「もちろんですわ、教皇様」
すぐにミレニアとペルメナが教皇の手を握り、スキルを発動した。
「『生成操想』」
「『素因逆行』」
ミレニアが生命力を強化しつつ、ペルメナが肉体の時間を巻き戻した。
あっという間に顔色がよくなった教皇。
さすがに立てるほどの筋力は戻らなかったが、自分の手を眺めて笑みを浮かべた。
「おお、これはすごい。活力が漲るようだ」
「教皇様……!」
専属メイドが教皇の後ろで涙を流して喜んでいた。
それにしてもすごいな、ペルメナのスキル。
ペルメナもエークス卿の派閥だから、念のため警戒して『鑑定』していたのだ。
【『数秘術5・素因逆行』
>第5神キアヌスの権能を宿した王級スキル。
>>触れた物の状態を任意の時間まで戻すことができる。対象物に制限はないが、巻き戻すのは『状態』だけ。遡及する時間にも制限はないが、触れられない状態までは戻すことはできない。また巻き戻したものを再び未来に返すことはできない。不可逆的な可逆。】
かねてから噂されていた通り、時間を巻き戻すスキルだ。
いまみたいに治癒として使えばあっという間に健康な状態にできるだろう。もとより肉体が弱っていた教皇も、ミレニアのスキルを組み合わせたら過去以上に元気になったらしい。
「礼を言う。これでまだしばらくは教皇として活動できそうだ」
「また必要になれば言うがよい。妾と聖女がいれば、不老に近しい状態を維持できるだろう。無論、魂の摩耗は防げんがな」
「不老か……皮肉なものだ。これ以上生きるつもりなどなかったのだがな。賢者殿にも我の心情は理解できるのではないか? 八百年を生きる心労は相当なものであろう」
「……いや、いまの妾にはわからぬ」
ちらっとこっちを見て、なぜか頬を染める幼女ミレニア。
なんだろう。俺はまだ十四歳だけど。
するとペルメナが少し困ったような表情を浮かべた。
「教皇様が不老でも、わたくしが先に死んでしまいますわね」
「そなたは遡及者であろう? 不老ではないのか?」
「わたくしが戻せるのはあくまで『状態』のみですわ。見た目は若いまま保つことはできますが、生命力そのものまでは戻せませんの」
「そうか。ならばペルメナよ、我が生きるのもおぬしの寿命が尽きるまでにしておこう。これからは、この教皇と共に人生を歩もうではないか」
「まあ!」
笑いかけた教皇に、ペルメナは感無量と言うほど感動していた。
エークス卿の暗躍でどうなることかと思ったが、聖教国も大きく崩れることもなさそうで安心だな。
教皇はひとつ咳払いすると、
「だが何も万々歳ということではない。エークス卿が起こしたこととはいえ、責任は取らねばならぬ」
「猊下、此度の責は私にあります。どうか処罰を下すなら私を」
ローランが跪いて、初めて鎧兜を取った。
そこにあったのは精悍な顔立ちの初老の男性だった。髭が半分白くなっており掘りが深く、大きな傷が額から唇にかけて走っていた。
渋いオッサンだな。
教皇はしばらく黙って考えていたが、やがてうなずいた。
「ふむ……では沙汰を下す。ローランよ、貴公を総団長から解任する」
「お待ちください教皇様! ローラン殿は騙されていただけなのです! 責があるというのなら私たち騎士団全員が同じこと! 私たちにも等しく処罰を!」
「焦るなジャクリーン。貴公のまっすぐでまばゆい正義感は誰もが好むところだが、やや焦り過ぎる節がある。そもそも騎士団全員を処分すればこの国は機能停止するであろう」
「しかし!」
「それに何もローランを追放するとは言っておらん。多くの者に迷惑をかけたが……だからこそ、この国の未来をより正しい方向に導くのも我の務めよ。それゆえジャクリーンよ、貴公を第一騎士団長から総団長へと昇任を命じよう」
「っ!?」
「そしてローランよ。貴公を聖女の専属護衛のための傭兵として雇いたい。条件は兜を捨て、真名を変えることだ。無論断ってくれても構わぬがな」
「断るなどとは恐れ多い。謹んでお受けいたします」
平伏するローラン。
いままでの名を捨てて、傭兵として聖女を守る。それがローランへの罰か。
「処罰の話はこれで良いだろう。残りは調査が終わってからだが……さて、枢機卿団の再編も急がねばな」
「そういえば神器はどうするの? ほとんど壊れたけど」
サーヤが首をひねる。
ギクッ!
大事な神器壊したのだーれだ。
はい俺です。弁償とか言われないよ……ね?
すると教皇は笑った。
「此度の件で教えられた。エークス卿のように上辺の信仰だけで神器が使えるならば、神器は道具と同じであろう。いくら権能が宿るとはいえ道具を後生大事にする理由などはない。であれば枢機卿団も神器の数にこだわる必要もなかろう。今後は本当に聖教国を想う者だけで構成したいものだ……まずはバグラッド卿に相談してみるとしようか」
サハスの名を挙げた教皇だった。
たしかにサハスほどこれからの枢機卿団に相応しい人物はいないだろう。
損害賠償請求はされないようで俺も一安心だ。
するとサーヤが懐からペンケースを取り出した。『創造』の神器だ。
「これ、返すわね」
「いや……そなたが持っていてくれぬか?」
「え?」
目を丸くしたサーヤ。
教皇は静かにうなずいた。
「我にはわかる。その神器は、そなたが持つべきものだとな」
「でも、これは教皇さまの権威みたいなものでしょ? 他の神器とはワケが違うと思うんだけど」
「だからこそだ。サーヤよ。それは、そなたが本心からその力を使いたくなったときに使うがよい。それが星誕神の加護を受けたそなたの宿命だと思ってくれたまえ」
「……わかったわ」
サーヤはうなずいて『創造』をアイテムボックスに収納していた。
意外なものを貰ったが、まあ、サーヤのことだから使いはしないだろう。私利私欲で神の力を使うのなら『確率操作』をもっと使うだろうし。
「あ、あの……すみません」
話が一区切りついたとき、ペルメナが躊躇いがちに手を挙げた。
いつの間にか本を一冊抱えている。
全員が視線を動かすと、ペルメナは恥ずかしそうに本を俺に差し出した。
「ルルクさま! サ、サインして頂けませんか!」
「え、俺?」
本は『神秘の子』だった。
初めて手に取ったが、予想通り著者はスイモク。俺の親友が俺の詩を書いてのか……へへ、照れる。
じゃなくて。
ミレニアが肘で小突いてくる。
「ほれみよ。おぬしのファンであろう」
苦笑した。
断る理由もないので、俺はサインしながら聞いてみる。
「そうだペルメナさん、俺からもお願いがありまして」
「なんでしょうか! わたくし、ルルクさまのためならば煮え湯も飲みますわ!」
「煮え湯はいいです。俺とミレニアの体を元に戻せるか試して欲しいんですよ」
もともとこの聖教国にはこの用件で来るつもりだったのだ。
異端審問とかいろいろあって忘れてたけど、さっき思い出した。
「……もとに、ですの?」
「はい。俺たちとある事情で縮んでしまいまして」
俺はもともと十四歳。
ミレニアは複雑な推移をしているが、一応全盛期の二十七歳くらいの肉体に戻れるか試して欲しいとお願いしてみた。
ペルメナは拳をぎゅっと握って意気込んだ。
「もちろんやってみますわ!」
「教皇様、ご報告いたします」
ちょうどそのとき、伝令が部屋にやってきた。
部屋には入らず、扉の下から手紙を一枚差し出した。ジャクリーンがそれを受け取って、専属メイドに一度手渡す。
メイドが文面を教皇に小声で伝えた。
「ふむ……そうか。サーヤよ、伝えておこう」
「なあに?」
「聖地の地下牢にマグー帝国の王レンヤが捕えられていた。従者もいたが、どちらも命は無事のようだ」
「そうなのね。でもなんで私に?」
「そなたと冒険者ルルクに報告して欲しいと本人からの言伝があったようだ。すでに解放してある」
「解放して良いの? 彼、この国じゃお尋ね者でしょ?」
「その件も再調査になった。エークス卿の暗躍があったと情報部から聞いているのでな」
「そ」
レンヤも無事だったか。
それはなによりだ。
「では我は聖地に戻ろう。此度の件、貴公らへの正式な褒賞は協議の上追って通達する。ペルメナ、彼らの力になるように」
「はい!」
「では失礼する」
専属メイドが教皇の車椅子を押して、部屋を出て行った。ジャクリーンがその後についていき、ローランは残っている。
「ではさっそくお力になりますわ」
「お願いします」
「頼むのじゃ」
ペルメナはまず俺の手を握った。
やや緊張していたのか、しっとりとした手汗が……いや、かなりの手汗だ……汗っかきなのかな。まあ美女の汗なら何も不快ではない。むしろその清流は湧き出す泉のようだぜ。
そう思っていたら、ペルメナはなぜか頬を緩めて恍惚としていた。
「ふわあ~」
「ペルメナさん、いかがしました?」
「ハッ!? い、いえなんでもありませんわ! ではまいります!」
目を閉じて集中するペルメナ。
「『素因逆行』!」
その瞬間、俺の体に何か強い力が働きかけてきて――
「きゃあっ!」
「うわっ!」
俺とペルメナの手が弾き飛ばされた。
なんだいまの。
ペルメナのスキルが俺に干渉した瞬間、強烈なイメージが脳裏に浮かびあがってきた。
脳内に焼き付いた形は、まるで。
「五芒星……?」
「大樹……?」
ペルメナも何かを視たようだった。
互いが互いを拒絶した。そんな感覚だった。
「ご、ごめんなさい。もう一度やってみますわ!」
「……はい」
慌ててもう一度試すペルメナ。
だがなんとなく、俺にはわかってしまった。
おそらくペルメナのスキルでは、俺の体は元に戻せない。
「だ、だめですわ……干渉すらできなくなりました」
「ですね」
五芒星のイメージが湧く前に互いの力が反発してしまう。
もしかして、数秘術同士ってすこぶる相性が悪いのか……?
「妾にも試してみよ」
「わ、わかりましたわ」
チラチラと俺を気にしながら、今度はミレニアと手を繋ぐ。
もし俺の『領域調停』と相性が悪いだけなら、ミレニアとはうまくいく可能性はある。
そう思ったが――
「きゃっ!」
「むっ!」
ミレニアとも弾かれてしまった。
「なんじゃいまのは。五芒星が視えた気がしたが」
「天秤のようなものが視えましたわ……」
ミレニアは天秤か。
おそらく俺たちが宿している権能に関わりがあるんだろう。
そのあと何度か試してみたものの、やはりミレニアの体も戻せないようだった。
ミレニアが唸る。
「『数秘術』同士がダメというわけではないじゃろう。妾とルルクは互いに干渉できるからのう」
「相性の問題かな」
「……そ、そうかもしれぬの」
なぜかニマニマ頬を緩めるミレニア。
元に戻れないのにふざけてる場合じゃないぞ?
対して、見るからに落ち込んでしまったのはペルメナだった。
「申し訳ございません……わたくしはなんの役にも立たないクズですわ……」
「そ、そんなことないですよ。今回はたまたまダメだっただけかもしれませんし」
「ルルクさまの役に立てないなんて……こんな仕打ちはありませんわ……これではまるで悲劇のヒロイン……ヒロイン? ハッ!? ヒ、ヒロインなどとおこがましいですわ~! すみませんですわ~!」
顔を真っ赤にして部屋から出て行ったペルメナだった。
前も思ったけど、かなり面白い人だよなぁ。
とにかく、残念ながら俺とミレニアは五歳児のまま変わらなかった。
まあ落ち込んでばかりもいられないか。
「しゃーない。別の方法を探すか」
「時間操作でどうこうするのは難しいようじゃの。他にも何か肉体年齢を戻す方法があればのう……」
「賢者殿、ルルク殿」
俺たちが悩んでいると、ローランが声をかけてきた。
「肉体年齢を戻すことをお望みであれば、もしかすれば、私に心当たりがあるかもしれません」
「本当ですか!」
「はい。この顔の傷を受けたときのことなのでハッキリと憶えているのですが……あれは、まだ私が教皇様に拾われる前のこと。十年ほど前の傭兵時代のことです」
ローランは顔の傷を触りながら、どこか懐かしい表情で言った。
もともと傭兵だったのか。どうりで聖騎士っぽい雰囲気じゃないわけだ。
「獣王国に仕事で訪れていた際、とある獣人の傭兵相手に戦ったのですが……その相手が、二度目に会ったときには若い姿になっていたのです。十歳ほど若返っていました」
「若返った?」
「はい。戦いの後に酒を飲みかわしながら聞いたところによると、どうやら獣王国のダンジョンの奥ににもうひとつ隠しダンジョンがあるらしく、その場所で秘薬のようなものを手に入れたらしいのです。『鑑定』したところ〝変身薬〟という珍しいものだったそうで、それを飲めば望みの姿に変化できるというものらしいのです。彼女はそれを飲んで、全盛期の肉体に戻ったと言っていました」
変身薬か。
なかなかストレートな名前だな。
肉体を望みのものに変える。それが本当なら、俺やミレニアも元に戻れる可能性があるかもしれない。
「ちなみに、その傭兵はご存命でしょうか?」
「無論。彼女なら探せばすぐに見つかるでしょう。なぜなら彼女は獣王国でも最強の一角。歴代でもトップクラスの実力と謳われる今代の女王と、互角の腕を持つ傭兵ですから」
ローランは静かに告げた。
「私の好敵手であり、友人でもある彼女の名はクリムゾン。〝紅蓮の災禍〟クリムゾンです」




