聖域編・34『ロンギヌスの槍』
「伝承顕現ーー『ロンギヌスの槍』」
膨大な霊素と引き換えに、俺の手に現れたのは一本の赤い聖槍。
その槍を見たエークス卿は、全身を震わせて腰を抜かした。
「そ、それ、まさか……っ!?」
さすがに彼女も、この逸話は知っているようだ。
ロンギヌスの槍。
磔にされたキリストに刺してその死を確認したという、世界で最も有名な槍のひとつだ。
この聖槍が持つ物語には、神を殺すような効果は一切ない。だが、槍が刺さった相手に死は避けられないという事実を強制する。
ゆえにこの槍で刺されたのが誰だろうと、その不死性は否定される。ただの人間に使っても何の意味もない聖なる槍だが、不死特性を持つ相手なら構造的矛盾を生むことなく、刺された者の不死性だけを打ち砕く――それが概念武装『ロンギヌスの槍』だ。
エークス卿は顔を青ざめて、首を横に振る。
「そ、それは地球の神話でしょ!? この世界にそんな武器があるわけがないわ!」
「そうだな。でも、これは聖槍そのものじゃない。その概念を呼び出して固めたもの……まあ、概念としての力は本物より強いだろうけどな」
「概念を!? そ、そんなのおかしいわ! それって、あなたがこの世界に新しい神を創り出してるようなものじゃない!」
神を創る、か。
無論、そこまで壮大なことをしてるつもりはない。俺はただ地球の物語の力を借りているだけだからな。
たしかに師匠ですら『伝承顕現』は理解できないと言っていたけど……まあ、それはひとまず置いておこう。
「おまえが信じようが信じまいが、ここにあるのは『ロンギヌスの槍』の力だ。覚悟はできてるか?」
「な、ならワタクシだって!」
懐からペンケースを取り出すエークス卿。
透視したら、箱の中には青銀のペンが入っているのが見えた。あれが『創造』だろう。
箱を開けようともたつくエークス卿。まだ『創造』の使い方は知らないんだろう。まあなんにせよ使う隙を与える気はないけどな。
俺は槍に命じた。
「穿て、聖槍」
俺の手から飛び出したロンギヌスの槍は、瞬く間にエークス卿の脇腹に突き立った。
「ぎゃあああ!」
驚きのあまり『創造』を投げ出して絶叫するエークス卿。
深々と刺さった槍は、しかし、傷も痛みも一切与えない。
槍はすぐに光となって消えた。
血が出ていないことに気づいたエークス卿は狼狽する。
「ああぁぁ……あれ? な、なにが起こったの?」
「ロンギヌスの槍は神の不死性だけを消し去る概念武装だ。槍自体に殺傷力はない……だがまあ、これだけでおまえを許すつもりはないけどな」
「ひぃいい!」
俺が短剣を抜くと、悲鳴をあげたエークス卿。
腰が抜けたまま後ずさる彼女の首に、後ろから鋭い刃が添えられた。
「とどめはナギに任せるです。一応、遺言くらいは聞いてやるです」
ナギが冷たく言い捨てると、エークス卿はギョロリとした視線を巡らせた。
俺たちはとうに全員聖域外に出ていた。囲まれて逃げ場も手段も失ったことを理解したのか、すぐに笑顔を浮かべて俺に話しかける。
「と、取引をしましょう!」
「……取引?」
「ええ! 七色、あなたにとっておきの情報を教えてあげるわ! その代わりワタクシを見逃しなさい!」
この期に及んで取引とは。
「一応聞くけど、どんな情報?」
「あ、あなたがきっと……ううん、絶対に会いたくなる相手の情報よ!」
「俺が?」
そんな相手いるか?
おそらく前世関連だろうが、そもそも前世で顔を憶えている相手はほとんどいない。あとは〝三女神〟のひとり九条愛花が残っているくらいだが、会いたがっているのは俺じゃなくてむしろサーヤだ。
するとエークス卿は、取り繕った笑みで言う。
「一神。一神あずさの情報よ!」
「……ん?」
「いくら鈍感だったあなただって、一神があなたのことを好きだったことくらい気づいていたでしょ? どうせ知らないフリしてても本当はまんざらでもなかったんでしょ? もしこの世界に一神も転生してたら、会いたかった……そうよね!?」
何を言ってるんだ、こいつは。
口八丁の出まかせだと言うことはわかったが、さて、どうしよう。
とりあえず先を促してみるか。
「……だとしたら?」
「私が会わせてあげるわ! 私だけがあいつの転生先を知ってるのよ! もし私を殺したら、あなたは一生あいつには会えない! さあ、取引よ!」
自信を取り繕ってデタラメを並べ立てるエークス卿。真相を知っている身としては、ただただ滑稽だった。
本当のことをどうやって教えようか悩んでいたら、ナギが後ろからその頬に太刀をぴとりと当てた。
刃の冷たさに驚くエークス卿。
「ひっ! な、なにするのよ魔族! ワタクシはいまあなたたちのリーダーと取引を――」
「その取引は成立しないです。そうですね、サーヤ?」
「そりゃあ嘘だと分かってて取引するほど、ルルクも甘くないわよ」
サーヤがエークス卿の正面まで歩いてきた。
「う、嘘ってなによ!」
「ねえエークス卿。本当に、取引材料はそれでいいの?」
「も、もちろんよ! ワタクシは本当のことを言ってるの! あんたには関係ないから引っ込んでなさい!」
「そっか……〝ならごめんね金城さん。私はあなたの肩を持てない〟」
日本語で告げたサーヤ。
その瞬間、エークス卿の顔から血の気が完全に引いた。
唇を震わせ、声を擦れさせ、ようやくサーヤの正体に気づいたようだった。
「ま、ままま、まさか……あなた……」
「そうよ。前世は一神あずさで、いまはしがない冒険者のサーヤ=シュレーヌ。七色くん――ルルクの仲間のひとりよ」
「……っ」
口から空気を漏らしたエークス卿。
頬をピクピクと動かし、目の焦点を揺らして笑った。
「あは、あはは……そう。あんたたち、とっくに……」
「運良く再会したのよ。ごめんね金城さん、あなたのことは最近知ったから、力になれなくて……」
「なによ! 知ったかぶって同情でもするの? 星誕神の加護も、仲間も、好きな男もぜんぶ手に入れて、そのうえみじめにするつもり!? てか意味わかんない。あんた、どれだけ手に入れれば気が済むのよ。こんなのおかしいわよ……理不尽、不条理、不公平。最初からワタクシなんてただのピエロだったってこと? ははは、滑稽ね。本当に滑稽。バカみたい。努力したワタクシを見てずっと陰で笑ってたの? 無駄な努力をしても自分には勝てないって、ずっと思ってたんでしょ。最低な女ね、ひどいわ、ああなんてひどい女なのかしら!」
エークス卿は嬌声をあげながら、狂ったように言葉を紡いだ。
「すべて手にして、ワタクシから奪って、自分ひとりだけ幸せを手に入れて! 神に選ばれたからって傲慢そのものね! なにが聖母よ! なにが史上唯一の星誕神の加護よ! どうせそれだって誰かに媚売って手に入れたものなんでしょ!? 前世の頃から誰彼構わず尻尾振って、笑顔振りまいて好きにさせて! そうよ、どうせ好きな男篭絡して悦に浸ってるんでしょ! そうなんでしょ!? ワタクシのことなんて笑えばいいわ! 死ね! 死ね死ね死ね! あんたなんか性格の捻じ曲がった淫売のクソ女――」
「もう黙れ」
「黙るです」
さすがに我慢ならなかった。
俺が短剣を走らせ、ナギが太刀を振り下ろした。
前後から同時に斬られて、エークス卿の首はあっさりと飛んだ。
「何も知らないおまえが、それ以上汚い言葉でサーヤを語るな」
「……です」
怒りに満ちた俺とナギの言葉は、すでに彼女には届いていなかった。
エークス卿の体は大きく痙攣してから倒れる。
断面から光が噴き出す――が、今度は禍々しさは感じなかった。エークス卿の死を迎えて、その神性も力を失っていくようだった。
血と共に、彼女の体も光となって溶けていく。
亜神となったエークス卿は、この人の世界に肉体を残しておくこともできないらしい。
「……終わったな」
「ごめんね、金城さん」
あれほど酷い言葉を投げつけられたのに、サーヤは涙を浮かべながら黙祷を捧げていた。
まるで儚い幻のように、空に消えていく光。
それが彼女の成れの果てだった。
同じ転生者として、もう少し違った形で出会っていればこの結末も違ったのかもしれない。殺し合わなくても済んだのかもしれない。
だけど、そんな未来は来なかった。
これは俺が、俺たちが選んだ道なのだ。
彼女が転生後のこの世界で抱いた未来を、夢想を、俺たちの手で終わらせることを選んだのだ。
ミラナ=エークス――金城美咲はこうして、二度目の人生に終わりを迎えたのだった。
■ ■ ■ ■ ■
「やっぱりダメだったか」
聖地〝はじまりの丘〟から西に数十キロ。
断崖絶壁の海沿いにはぽつんと小屋が建っていた。周囲は魔物がゴロゴロと生息する荒野で、当然街も集落もない。
そんな場所で、まるで魔物から見えないかのように建っている小屋のなかで、のんびりとベッドに寝転がっているのは二十歳程度の青年だった。
つい先ほどまで片目を閉じて何かを覗いていたようだったが、目を開いて肩をすくめていた。
「あのオンナ、神器集め失敗しちゃったノ?」
そんな青年の腕を抱きながら首を傾げたのは、全裸の少女。
少女は十五歳程度の見た目で、四肢はすべて宝石のような魔鉱石でできた義体だった。とはいえ胴体と顔は生身のままで、弾力のある胸を青年の体にぎゅっと押しつけている。
青年は乾いた笑い声をあげながら、
「神器集めは成功したみたいだよ。今朝、僕も協力したからね。けど神器を集めても神座は手に入れられなかったみたいだね。亜神が限度だったよ」
「なーんダ。じゃあ結局はギルの予想通りってことネ。せっかくギルがお兄様を貸してアゲタのニ、お兄様も無駄死にだったってことなのネ」
「そうだね。ごめんねミナ、僕の実験のために寂しい思いをさせちゃったかな」
「いいのヨ。それよりあのオンナはどうなったノ?」
「死んだよ。首を真っ二つに斬られてね」
「……死ぬノ? 神になったのニ?」
きょとんとした少女。
青年はうなずいた。
「神も死ぬときは死ぬさ。それに今回は仮初の神性でしかなかったし、人の手でも滅ぼすのは不可能ではなかったんだけど……いやはや、それにしても面白いものを見たよ」
「何があったノ?」
「神殺しの武具さ。神話級の武器を、まさか、ただの下位種族が使いこなしているとは思わなかったけど……なんにせよあれは危険だね。僕の力も及ばないよ、おお怖い怖い」
そう言いつつも、どこか嬉しそうな笑みを浮かべていた青年。
「そんなモノがあるなら奪えばよかったのニ」
「敵に回したくない相手がたくさんいてね。僕たちの仇敵〝賢者〟がいたし、なにより竜王の姫がいたんだよ。さすがに僕たち【悪逆者】も、竜王を敵に回したら終わりだからね」
「……竜王ってそんなに強いノ? ギルでも勝てないノ?」
「竜神は血肉と破壊を司る上位神の最高峰。竜王は、その血を持つ真祖竜――つまりは神の直系だからね。いくら同じ使徒でも、僕たちはただのヒト種。彼が全力を出したら、たぶんこの大陸まるごと支配できるんじゃないかな~」
あっけらかんと言う青年。
少女は少し不満そうだった。
「嘘ヨ。ギルがいちばん強いノ……」
「ははは、ありがとう。じゃあ僕ももっとがんばらないとね」
青年は少女の頭を撫でて笑った。
「とはいえ、僕たちの計画にとって最大の障害は確認できた。神秘術の賢者ミレニアと、冒険者ルルク……悪いけど、『世界樹の扉』は僕たちが先に手に入れるよ」
彼は瞳につかみどころない意思を揺らして、つぶやいた。
「邪魔するなら容赦はしないよ、僕の半身」




