聖域編・30『なんの変哲もない一本の矢』
「現在は入域の許可はできません」
聖地〝はじまりの丘〟の麓にある講堂の前で、俺たちにハッキリと告げた門番の聖騎士。
そんなことだろうと思いつつも、俺は書類を取り出してかざした。
「サハスさんの許可証もありますよ」
「非常事態につき、代理権限は一時停止しております。それとローラン総団長様が緊急宣言を発令し、すべての騎士団が一時的に総団長の命令に従うよう申し付かっておりまして。我々もローラン様の指示を遵守する義務がありますので、ご理解ください」
おそらくエークス卿の指示でローランも動いたんだろう。
エークス卿の国盗りはとうに始まっているようだった。
ならば、悠長にしている場合じゃない。
「やっぱりダメですか。なら、押し通ります」
「何を――えっ!?」
俺たちが進むと、門を守っていた騎士たちがどんどん自ら開門していく。ミレニアが指揮するように指を振り、彼らを操っていた。
混乱する騎士たちには悪いが、エークス卿の時間稼ぎに付き合っている場合じゃない。
サーヤは優しすぎるから目に入るものすべてを救おうとしてしまう。巻き込まれたらおそらく自ら渦中に飛び込んでいってしまうだろう。いや、もう巻き込まれているかも。
「し、侵入者――うわ!」
「か、体が勝手に!」
「なんだこれ!?」
講堂内で駆けつけた騎士たちは、全員敬礼姿勢になって左右に並んでいく。
さすがミレニア。
誰も傷つけずに講堂を突破した。
だがやはり一筋縄ではいかないらしい。講堂の裏口に、第一騎士団が勢ぞろいしていた。
おおよそ三十人。しかも全員相当な高レベルだ。
しかもご丁寧に聖域の内側で待っていた。聖域の内側なら武力や術式で動かそうにも、影響を与えることはできない。
俺はしっかりと鎧を着こんだ団長ジャクリーンに話しかけた。
「ジャクリーンさん、そこを通していただけませんか?」
「できません。相手が誰であろうと聖地を守れ、との総団長の指示ですので」
「そうですか」
……困ったな。
ミレニアの『生成操想』も俺の『覇者の威光』や『言霊』も、聖域内には及ばない。ずらりと肉の壁を作られたら、力づくで突破もできない。
これは裏技を使わないといけないか――と思ったそのときだった。
俺たちの背後で、空間が揺らいだ。
聖地のすぐそばに転移してきたのは、
「困ってるです? なら、ナギの出番です」
「ん。わたしも」
エルニの『転移門』から出てきたのは、エルニとナギ。
たぶんリリスが『万里眼』で見ていたのだろう。援軍を送ってくれたようだった。
だが、いくらエルニとナギといえど結局は聖域の制限を受けてしまう。とはいえリリスがこのタイミングでふたりを送ってきた意味が必ずあるはずだが――と思っていたら、ナギが迷わず聖域内に一歩踏み入れた。
認識阻害が解けて、耳と八重歯がハッキリと視認される。
ジャクリーンが目を見開く。
「黒い肌に、尖った耳と八重歯……ハッ! まさか、すごく日焼けしたエルフ……?」
ピュアかな。
他の聖騎士たちは「魔族じゃないか?」「わからん」などと口々に言い合っていた。
ジャクリーンほどの無垢な精神は持ってなかったようだけど、さすがに魔族を見たのは初めてだろう。確信が持てないようだった。
ナギは不敵に笑いながら、ゆっくりと騎士団に近づいていく。
「クソ重妹が、ひとつ仮説を立てたです」
そして、背負った太刀をするりと抜いた。
ざわめく聖騎士たち。もちろん彼らは剣を抜こうとしても激痛で抜けない。それが聖域の秩序だからだ。
「聖域の縛りは大きく分けて三つだと言っていたです。ステータスの制限、敵意や害意の制限、そして力の制限。ステータスはスキルやレベルも解除されることから、おそらく聖域はそれぞれの魂へ干渉をしていると仮説を立てたです。そして悪意の制限は、精神への干渉と判断できるです。この二つは誰でもわかりやすいです。では力の制限は?」
一歩ずつ、聖騎士たちに近づいていくナギ。
騎士たちは少しずつ後ずさる。
「クソ重妹は、それは武具そのものへの干渉だと仮説を立てたです。食器を持つのが許されている理由は? 人間の爪が許される理由は? どちらも人を殺せるものですが、つまり武器と判別されるものに対して干渉し、それを使用可能状態にすることで痛みが襲うようになっている。そう予想したです。その三つの干渉力こそが〝聖域の制限〟だと、クソ重妹は結論づけたです」
ナギはついに聖騎士たちのそばまで接近した。
冷や汗をかいたジャクリーンが数歩前に出て、ナギと睨み合うように立った。毅然と声を張り上げる。
「だとしたらどうなのですか? うまく神々の御意思に抗っているようですが、所詮は小細工でしょう? たとえ武器が抜けても、力を振るえば代償を払わされるはずです」
「小細工? 笑わせるなです。兄様からもらったこの太刀――『凶刀:神薙』は、あらゆる術式やスキルなどを含む干渉をいっさい断ち切る武器です。それがたとえ『秩序』に基づいた神の権能だとしても」
ナギは左手を刀の峰に添えた。
その瞬間、ナギは明確な敵意をジャクリーンに向けた。もちろん痛みを我慢しているようなそぶりはない。
……そうか。
『凶刀:神薙』の力は刀身すべてに及ぶ。柄や鞘だけなら対象外だが、峰も術式を打ち消す効果がある。聖域内においてこの武器だけは聖域の干渉を受けず抜くことができ、そして峰に触れている間はナギ自身の意思の制限も無視できるのか。
「創造神の権能を打ち消す!? あり得ません! そのような不敬な物言い、さては異端者――」
「黙ってろです」
ナギは飛び上がり、ジャクリーンの顎を蹴り上げた。
あっけなく意識を絶たれ、倒れるジャクリーン。
他の聖騎士たちが目を剝いた。
ナギは自分の動きを確かめながら、
「む、ステータスやスキルは戻ってないです? なら魂のほうは、そもそもここがステータス要素が存在できない場所に変化しているか、魂への干渉は刀を魂に触れさせなければ防げないか、です。どっちにしても、クソ重妹の仮説はひとつ外れです」
「き、貴様!」
「やる気です? おまえたちに罪はないですが……ナギたちの前に立ち塞がるなら、眠っててもらうです」
ナギが第一騎士団を全員気絶させるのに、そう時間はかからなかった。
互いにステータスが初期値なら、武術を極めたナギに勝てる相手はいない。
第一騎士団を軽く蹂躙したナギは、そのまま大聖堂を見上げる。
何かが見えたようで目を細め、すぐに叫んだ。
「まずいですルルク! サーヤが襲われてるです!」
「遅かったか!」
俺も目を凝らしてみたが、大聖堂の二階の窓に動く影のようなものが見えだけだった。
目の良いナギはハッキリと視認したようで、
「ナギは先にゆくです――『捷疾』!」
太刀を地面に当てながらどんどん加速していく。
俺はすぐに振り返った。
なりふり構ってはいられない。
「セオリー、頼む!」
「『変化』!――あるじ、つかまって!』
白竜に変化したセオリーが尻尾を差し出した。
俺とミレニアがすぐにセオリーの背中に飛び乗る。
聖域内は魔力がないから竜種は飛べないが、ふつうに走ることは出来る。
普段はぐーたら姫だが、基礎ステータスは俺たちのなかで一番高いうえに竜の体なら一歩一歩が桁違いの歩幅だ。どんどん丘を登っていく。
人間離れした加速をみせるナギと並走するセオリー。これなら一分もしないうちに大聖堂に着くだろう。
サーヤを襲っていると言うなら、おそらく相手はエークス卿だ。行方不明になっていた『不変』か『知恵』で聖域の制限を排除できるんだろう。
まともに戦えはしないが、セオリーなら逃げることも出来るだろう。
サーヤと合流さえできれば――
そう思った瞬間、二階の窓が割れてそこから人影がふたつ飛び出してきた。
「サーヤ!」
一人はサーヤ。
襲い掛かってくる相手の腕を掴んで、取っ組み合いをしていた。
そしてもう一人はエークス卿だった。
必死の形相でナイフを突き刺そうとしたまま、ふたり揃って空中に飛び出したようだった。
「まだ距離が遠いです!」
『サーヤあああ!』
ナギとセオリーが全力で踏ん張る。
しかしまだ遠い。間に合わない。
エークス卿は落下しながら、サーヤの腕を振りほどいた。
ナイフを大きく振りかぶる。
その顔に、醜悪な笑みが浮かんでいた。
そして――
「射て! カルマーリキーッッッ!!!!!」
俺は聖地の麓――講堂の屋根の上に向けて、叫んだ。
■ ■ ■ ■ ■
『この矢はかつて魔族の魔王を討ち取ったとき、勇者の仲間が使っていたものじゃ』
それはカルマーリキが幼い頃、マンニヴィの森長から聞かされた話だった。
『何の変哲もない樹から生み出されたこの矢は、他の矢と同じくたくさんあるうちの一本じゃ。綺麗に拭いてしまえば他のものとは見分けがつかんし、特別な性能はない。じゃがこの矢が魔王軍の幹部の心臓を貫き、人々を救ったのじゃ』
『そうなの? すごーい』
幼いカルマーリキは魔王軍幹部を仕留めたその矢をキラキラした瞳で見つめた。
森長は微笑みながらカルマーリキの頭を撫でた。
『すごいじゃろう。じゃがカルマーリキよ、憶えておくのじゃ。我らも同じよ、最初から特別な才能などなくとも構わん。どんなモノからどんなカタチで生まれたかではなく、何を成すかで、我らも矢もその価値が決まるのじゃ』
『ふーん。めれすーろすも?』
『……ふむ、メレスーロスは例外じゃ。あれはまさしく〝天才〟じゃからの。おぬしが気にすることはない』
『うち、めれすーろすにはまけないよ!』
『ほほほ、そうじゃその意気じゃ。おぬしは確かに普通の木の矢じゃが……将来メレスーロスの良いライバルになるかもしれんのう。エルフにとっても特別な矢にの』
『うちもまおうのかんぶ、たおせる?』
『それはこれからのおぬし次第じゃ。矢のように鋭く生きれば、もしかしたらできるかもしれんのう』
ふと、脳裏に昔の想い出が浮かんだ。
カルマーリキは凡才だった。
優れた才などひとつもなく、幼い頃からあらゆる面でメレスーロスに負け続けた。意地を張って生意気ばかりなのに、実力は底辺だった。みんなの中心だったセンターベツにはずっとバカにされ、勝手にライバル意識をもっていたメレスーロスには必要以上に優しくされていた。
そのたびに悔しくなって、ひたすら弓を引く練習を重ねた。
天才と褒めそやされ、まだ同世代の他の子たちがろくに歩けもしない頃から弓の腕が里一番になったメレスーロスの背中を、ずっと追い続けた。
「うちは、なんの変哲もない樹から生まれた、ただの一本の矢」
風を感じる。
ささやかでも、確かにそこにある風たちを。
〝はじまりの丘〟の麓にある講堂――その屋根の頂上に立ち、カルマーリキは五感を研ぎ澄ませた。
矢は繊細だ。
かすかな風や重力、気温、湿度、ありとあらゆる要素に左右されながら飛んでいく。矢も同じしなりをする矢など存在しない。同じように見えながらも、それぞれに個性があった。
それはカルマーリキたちにも言えること。
〝天才〟メレスーロスも、〝凡才〟カルマーリキも、誰一人として同じ人はいない。
そんなの当たり前のことだ。誰かと比べる必要なんて、最初からなかった。森長は幼い頃、カルマーリキにそう教えたかったんだろう。
それに気づいたのは、弓がかなりうまくなってからだった。
思い出して苦笑しながら、カルマーリキは弓を構える。
最初は弓を引くだけでも苦労した。
カルマーリキは未成熟児で生まれ、他のエルフのように背は伸びなかった。
森とともに生きるエルフにとって、小柄な体格はそれだけで不利だ。力は弱いし、木は登りづらいし、高い木の実は取れない。弦だって引くだけでも難しい。
幼い頃は、弓の扱いはダントツで一番下手だった。
それでも諦めずただひたすら弓の練習をした。
そしてカルマーリキはいつしか、メレスーロスを抜いていた。
里一番の弓手として守護部隊の副隊長にまでのぼりつめたのだ。
ひょんなことから里は追い出されちゃったけど、それも良い経験だった。冒険者になって経験を積み、弓以外の実力も上がり、いまではメレスーロスとパーティを組んでいる。
そんな未来なんて、エルフの里にいた頃にはまったく考えられなかった。
喧嘩することも多いけど、ライバル意識が強かったカルマーリキだからこそ、メレスーロスの実力は認めている。このところは近くで観察することも多く、あらゆる面で抜きんでた技術と、それを裏付ける彼女の成熟した精神には感服している。それに、努力家としての一面を知ったいまはもうメレスーロスの才能に嫉妬することはなくなった。そんなことを感じているヒマがあったら、鍛錬するほうがよほど良い。
努力する天才。それがカルマーリキが追いかけるメレスーロスの背中なのだから。
そしてカルマーリキの弓の腕を見たメレスーロスもまた、弓の練習を増やしていた。
あの天才から、追われる立場になったのだ。
そう自覚した瞬間、カルマーリキはハッキリと価値観が変わった。
うちは、何の変哲もない一本の矢。
最高級の素材でできた矢がいつも隣にいる。
だけどその価値は、何でできているかで決まるわけじゃない。
何を成すか――それが矢の価値を決めるのだ。
矢は一点を射抜くもの。
目的を遂げることこそが、矢の本懐だ。
カルマーリキは静かに弓を構え、何の変哲もない木の矢をつがえた。
心穏やかに、静かに、その時がくるのを待った。
そして。
「射て! カルマーリキ!」
合図が来たその瞬間、迷わず矢を放った。
講堂の頂上――聖域の外から放たれた矢は、はるか先の丘の上まで飛んでいく。目視するのもギリギリの距離まで、一直線に。
風を裂いて空を突き抜ける。
ルルクたちの頭上を飛び越えた矢は、エークス卿の腕に吸い込まれるように向かっていく。
そしてサーヤに向けて振り下ろされたナイフを――弾き飛ばした。
誰かが彼女の価値を決めるのが、何を成したかという結果だとするならば。
彼女にとっては、誰のために成すのかが自分の価値を決めること。
カルマーリキは強い意思を籠めて、つぶやいた。
「うちはまだ、なんの変哲もないただの矢だけど……いつか、ルルク様が誇れる矢になるんだ」