聖域編・29『天破斬』
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「仕方ないわね。これはまだ使う予定じゃなかったのだけど」
膠着状態のなか、先に動いたのはエークス卿だった。
彼女は懐から腕輪型のアクセサリーを取り出した。ミスリルでできた腕輪だ。
サーヤはペルメナをかばうように一歩前に出て、顔をしかめる。
「『均衡』……それもやっぱり持ってたのね」
「ええ。これがあれば、あなたは手出しができないでしょう?」
『均衡』の効果は、装着者が受けた影響を周囲全員に等しく与える神器だ。
もし聖遺物の熱線がエークス卿を貫いたら、同じ傷がサーヤとペルメナにもできてしまう。
サーヤの判断は早かった。
すぐにペルメナの手を取って駆け出す。
「ペルメナさん走って!」
「どこへですか!?」
「教皇のところ!」
廊下を走る。
さすがに撤退必須だった。手出しができない上に牽制も封じられたら、あとは教皇を連れて逃げるしか選択肢は残らない。
問題は教皇は車椅子なことだ。いまのサーヤじゃ抱えて走ることはできないが、教皇には専属のメイドがいる。万が一のときは教皇を抱えて逃げるくらいできるよう体も鍛えているだろう。そこに期待するしかない。
「待ちなさい!」
当然、追ってくるエークス卿。
教皇がまださっきの部屋にいるかはわからないが、すでに騒ぎを聞きつけて逃げてくれていれば――
とサーヤたちがさっきの部屋に飛び込んだら、そこにいたのは教皇の専属メイド。
彼女は壁の一部――隠し扉を開いて、サーヤたちを待ち構えていた。
奥には隠し通路が見える。
「サーヤ様、ペルメナ様。こちらへ」
二人が隠し通路に飛び込むとメイドも一緒に入って扉を閉めた。壁のレバーを引くと、ロックがかかるような音が落ちた。
メイドは淡々と言う。
「これでしばらくは大丈夫でしょう。お二方ともお怪我は御座いませんか?」
「私は大丈夫。聖女さまは?」
「わたくしも問題ありませんわ」
「ではご案内します。この先で教皇様がお待ちです」
逃げたメイドに報告を受けていたのか、すでに逃げているようだ。
サーヤたちはそのまま薄暗い隠し通路を進んだ。後ろから壁を叩くような音が聞こえるが、それもだんだん遠くなっていく。
長い階段をひたすら下っていく。体感的に、かなり地下深くまで来ているのがわかる。
何度か分かれ道を進み扉をくぐり、階段を降り切った先に見えたのは鉄の扉だった。
ただの扉ではない。巨大金庫のようなハンドルがついており、その隣にタッチパネルの操作盤のようなものがあった。
明らかに時代が違う。
「これって古代文明の……?」
「はい。神代晩期の設備になります」
メイドはそう言って操作盤を触ると、扉がゆっくりと開いた。
薄暗い通路から、眩い部屋に入る。
そこは実験室のようなところだった。
壁にずらりと巨大な試験管のような水槽が並び、太い配管が天井に張り巡らされている。
「な、なんですのこれ……」
ペルメナが絶句している。
神代科学の設備だ。壁や床の材質から置いてあるものまで、見たことのないモノばかりだろう。
地球の現代科学とは違いコンピューターのような演算機はなさそうだが、この世界では明らかに異質な風景だ。
とはいえこの部屋には生きたモノがほとんどなかった。たくさん並んでいる水槽は空っぽだし、配管や配線も断線したり劣化して朽ちているものばかり。設備のカタチは当時のままだろうが、動いているものはなさそうだった。
「サーヤよ。なぜ逃げなかった」
部屋の中央には、車椅子に座る教皇がいた。
顔も隠さずサーヤたちを見つめている。
ペルメナが慌てて膝を折って頭を下げ、顔を直視しないようにしていた。
「教皇様! し、失礼しましたっ!」
「顔をあげよペルメナ。我もここまで来て威厳や慣習をどうこう言う気は毛頭ない。我はすでに追い込まれた獲物……せめてそなたたちだけでも逃がしたいところだが、残念ながら緊急用の昇降機がうまく動かぬようでな」
チラリと教皇が部屋の奥に視線をやると、入り口の開いたエレベーターがあった。とうの昔に動力が停止したようで、まったく使えそうにない。
他にも逃げ道はあったかもしれないが、教皇を逃がさないために念入りに準備をしてきただろう。エークス卿が知らない場所はここだけだったのかもしれない。
「いずれにせよ我はもう尽きる命だ。なんのためにそなたに託したと思っておる」
「それはそれ、これよ」
「そなたの命まで危険に晒す必要がどこにある」
「死ぬ気なんてないわよ。私も生きて、あなたも助ける。それが一番でしょ?」
当たり前に言うサーヤ。
教皇は深くため息を吐いた。
「成程。さすが星誕神だけでなく竜神にも選ばれた〝勇者〟か」
「それより、もしかしてここって……」
「いかにも。我らの体が保管されていた場所である」
やっぱりそうか。
巨大な試験管の数はおよそ五十。教皇はここで新しい体を使って、長年意識を引き継いでいたんだろう。
かつては神代科学の実験場として機能していたんだろうが、いまではこうして避難場所として使われている。そんなこと当時の神々は想像もしてなかっただろうけど。
「でもこれだけ厳重な場所なら、魔術も使わずに侵入してくるなんて不可能じゃない?」
「そう思いたいところだが、おそらく時間稼ぎ程度にしかならぬ。エークス卿の手に『知恵』の剣が渡っていればな」
「うそ。そういえば『知恵』ってどんな神器なの?」
「第0神モーマンの権能を宿す〝斬った物のあらゆる情報を理解する〟神器だ。隠し扉もそこの鉄扉も『知恵』を使えば解除方法など途端に看破されるであろう。ただし情報量が多すぎて人の脳に相応の負荷がかかるため、乱用はできぬはずだが……」
教皇がわずかに期待感を滲ませたが、次の瞬間、鉄の扉がゆっくりと開いた。
エークス卿だった。
目を充血させて、こっちを睨みながら部屋に入ってくる。左手にはミスリルの短剣が握られていた。
「地下にこんなところがあったなんて……ああ、教皇様! ようやく、ようやくそのご尊顔を仰ぐことができて光栄にございますわ!」
恍惚とした表情を浮かべたエークス卿。
もちろん敬意の笑みではない。『創造』の持ち主とようやく正面から会うことができたからだろう。
ゆっくりと、サーヤたちに歩み寄ってくる。
「このときをどれだけ待ち望んだが……さあ教皇様、あなたの象徴をワタクシに差し出して下さい!」
「不敬な」
短くつぶやいて、投げナイフを取り出した専属メイド。
凄まじい殺意が漏れている。やはりただ者じゃなかったようだ……が、やはり聖域の制限により激痛に襲われたようだ。すぐにナイフを取り落として片膝をつく。
教皇が首を振った。
「よせ。たとえそなたの身を賭したとえしても、エークス卿はすでに『均衡』を着けておる。我は道連れになっても構わぬが……おぬしらが血を流すのは本意ではない」
「……」
荒い息を吐きながら、ギリギリと歯を食いしばったメイドだった。
教皇は無感情な視線をエークス卿に投げると、
「だがエークス卿よ。そなたが望む『創造』はすでに我の手元にない」
「そんなことだろうと思いましたわ。ですがすでに七つは手元にありますからね……さて、どうやって口を割らせましょうか。まずは……そこの生意気なメイドからですかね」
「き、貴様などに――」
「おや? 教皇様が傷ついてもよいのですか? それならいくら抵抗しても構わないですが」
「くっ」
メイドは歯が砕けんばかりに食いしばっていた。
八方塞がりのこの状況。逃げ込んだはいいものの、脱出口は機能しておらず時間稼ぎにしかならなかった。メイドも教皇も、ペルメナも諦めたような表情を浮かべていた。
だがサーヤだけは違った。
「ねえ、教皇さまって使徒なんでしょ? 何か使徒の力は使えないの?」
「ここが聖域内である以上、我の力は役にも立たぬ。せいぜい触れた相手を一時的に制限無効化するくらいで、満足に行動するような時間は稼げぬ」
「一時的ってどれくらい?」
「たった十秒程度だ。だが制限を解除したとて魔素も霊素も存在できないこの空間、一瞬使えてもコモンスキルやユニークスキルだけだ。いずれにせよエークス卿を攻撃するのはリスクが高すぎるであろう。転移のユニークスキルなどがあれば問題ないのだがな」
「転移は無理だけど……コモンスキルは使えるのね?」
「うむ」
「なら、私が合図したら――」
「コソコソ話をして何か企み事かしら」
エークス卿が近くまで来ていた。
サーヤは教皇たちを背にし、エークス卿の前に立ち塞がる。
「そうよ。あなたの得意な、ね」
「口の減らない小娘ね。あなたは心底痛めつけたい気持ちだけど……そうね、こういうのはどうかしら。あなたのリーダーをワタクシに差し出すと約束するのなら、あなただけは助けてあげるわ」
「ルルクを? もちろん拒否するわ」
「そう。ならあなたから死になさい。もし避けたら……後ろはどうなるかしらね?」
エークス卿が駆けてくる。
サーヤは叫んだ。
「いまよ!」
「『反域』」
サーヤの合図で教皇がその背に触れると、体に活力が戻ってくる。
ステータスとスキルが復活した。
その瞬間、サーヤは腰の小剣を抜きながらスキルを発動していた。
「『天破斬』ッ!」
サーヤが生まれながらに持っていた王級コモンスキル『天破斬』。
効果は〝刃物武器で空間を斬ることができる〟というトンデモ威力のスキルだ。使えるようになったはいいものの規格外すぎるため、『聖獣召喚』と一緒でいままで使いどころがまったくなかったが、サーヤは全力で使った。
脱出用エレベーターに向けて。
空間ごとぶった斬られたのはエレベーターの入り口の少し上。
壁が崩れると、そこには上昇するための空洞があった。
サーヤは教皇たちの服をまとめて掴むと、空洞に飛び込んだ。
一瞬のことにエークス卿は微動だにできなかった。まるで消えるような速度で動いたサーヤに、息を呑むだけ。
「しっかり掴まってて!」
昇降機能は重力制御なのか、ワイヤーは存在しなかった。がらんとした暗い空洞が遥か上まで伸び続けており、サーヤは迷わず上に跳んだ。三角飛びの要領で左右の壁を蹴って上昇していく。
ステータスに物を言わせた乱暴な移動だ。サーヤに片手を掴まれたペルメナはぐっと身を固め、教皇は力を抜いて身をまかせ、メイドは教皇が落ちないようにしっかりと抱き留めている。
教皇の制限解除がいつ切れるかわからない状態で、サーヤは焦りを抑えながら上昇し続け――
「『天破斬』!」
ついに天井が見えたので、ぶち壊して外に飛び出した。
その瞬間、制限解除の効果が切れてまた重たい体が戻ってくる。飛び出た勢いのままゴロゴロと床を転がって止まると、サーヤは息をついた。
「ふう、なんとか間に合ったわね」
「まったく教皇様になんという無茶を……」
メイドが睨んでくるが、今回ばかりは結果オーライだと認めて欲しい。教皇は感心したような呆れたようなかすかな笑みを浮かべていた。
「す、す……すごかったですわー!」
対して目をキラキラと輝かせたのは聖女だった。
なんか興奮している。
「地下遺跡からの脱出……冒険……ロマン……わたくしも冒険者になった気分ですわ!」
嬉しそうで何よりだ。
サーヤは起き上がりながら周囲を見渡す。
やたらと物がある部屋だった。掃除は行き届いているのでホコリはほとんどないが、普段から使われている形跡もなさそうだ。まるで倉庫のような部屋だった。
「ここはどこなの?」
「我の寝室である」
「えっ……本当に?」
「冗談だ」
真面目な顔で言ったので、信じてしまいそうだった。
というか教皇も冗談とか言うんだ。
「ここは二階の備品倉庫だ。本来の脱出口は真下の隠し部屋だったのだが……」
「床壊しちゃってごめん!」
「かまわぬ。緊急時である」
「じゃあ急いで外に向かうわよ。メイドさん、教皇さま背負える?」
「無論です。急ぎましょう」
サーヤたちはすぐに部屋を出ると、廊下を走って中央階段へ向かう。
エークス卿が戻ってくる前になんとしてでも聖地の外に出ないと。
廊下を走って階段にさしかかった。急いで下に向かおうとしたら、ふと鎧の動く音が聞こえた。
「止まって!」
サーヤが声を張り上げて足を止めたと同時に、階下から姿を現したのは全身鎧の騎士だった。
ペルメナがほっと息をついた。
「ローラン総団長様! 来てくださったのですね!」
「待って」
とっさに階段を駆け下りようとするペルメナの腕をサーヤが掴む。
聖騎士団総団長ローラン。
本来ならこの国を――ひいては教皇を守るための騎士の長のはずだが、サーヤはルルクから聞いて知っていた。
彼を大事な局面で護衛につけていたのは、エークス卿。
おそらくエークス卿にとっては、この国の軍事を掌握している最強の手駒だ。
となると、おのずと彼の立ち位置が想像ついた。
「あなた、もしかして〝キング〟ってコードネームじゃない?」
「……」
ローランは答える代わりに、剣の柄に手を添えた。
サーヤたちと対立しているというあからさまな意思表示だ。ペルメナがびくりとして身を固める。
とはいえ『不変』はエークス卿の手元にあるから、聖域の制限で抜剣はできないはずだ。このまま通っても力づくで止められるとは思えないが……万が一もあり得る。
「ローランよ。そなたは我の敵か、あるいは味方か?」
教皇が問いかけるが、ローランは剣に添える手を動かさなかった。
鎧の下から、じっと教皇と見つめ合う。
さすがに付き合いも長いのか、視線だけで何かを解り合っていたようだった。
「……そうか。ならばサーヤよ、別の道を探そう」
「わかったわ」
手は出せないはずだが、教皇はローランの横を通っていくのは不可能だと確信しているようだった。彼のことを知らないサーヤは、教皇の判断に従った。
サーヤたちは踵を返して別の階段へと向かう。
ローランはまるで門番のように中央の階段を守り、追ってくる気はなさそうだった。
「……ローラン様まで、どうして……」
「聖女さま、いまは逃げることを考えましょ」
かなり不安そうな聖女の手を握り、先を急ぐサーヤ。
ペルメナが一番頼りにしていた聖騎士が、まさかの敵陣営だと知ったんだ。不安になるのも当然。
ただペルメナもすぐに気を取り直して、
「そうですね、すべては逃げ切ってからですわね。それに聖地の外には他の騎士団のみなさまも――えっ」
ぱたりと足を止めたペルメナ。
その視線は、廊下の窓の向こう側に注がれていた。
「そんな……第一騎士団のみなさまが……」
大聖堂は丘の頂上に建っており、周囲すべてを見渡せる。当然二階の窓からも丘の下までハッキリと見えていた。
その丘の麓にある講堂の裏口。
大聖堂に続くつづら道の始まる場所に、驚くべき光景が広がっていた。
団長のジャクリーンをはじめ副団長のフーリンやその他の聖騎士たちが全員、地面に倒れていた。
聖地を守るハズの教皇専属の第一騎士団が、壊滅していたのだった。




