聖域編・28『男たるもの』
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「おのれ! ちょこまかと!」
ナイフを振り回すエークス卿。
聖域の制限のせいでサーヤから攻撃はできない。一方的に襲い掛かってくる相手に、いつもより遥かに重たく感じる体で逃げることしかできなかった。
だがエークス卿はさほどレベル上げもしていないようで、なんとか躱せる速度だった。子どもとはいえ毎日鍛えている。焦るエークス卿としては予想外だったんだろう。
案内役のメイドもすでに離脱して、一対一。このまま体力を消耗させていれば、傷つけなくても取り押さえられるかも――そう思ったときだった。
「ミラナ様!? なにをなさっておいでなのです!」
通路の向こう側から聖女ペルメナが顔を出し、驚きの声をあげた。
私室が近かったのだろう。騒ぎを聞きつけてきてしまった。
エークス卿はすぐに足を止め、肩で息をしながら、
「ペルメナ……あなたはワタクシに恩がありましたね。ただの田舎娘だったあなたを見出し、聖女として育てあげた恩が。いまその恩を返すときです、そこの小娘を捕まえなさい!」
「な、何をおっしゃっているのです? サーヤ様は星誕神様の加護がある聖母様……わたくしが気軽に触れてよい御方ではありませんわ」
「その小娘は異端者……教皇様に仇なすものよ。構わないからさっさとしなさい!」
「それはあんたでしょエークス卿。ねえ聖女さま、どっちが教皇を裏切ったかこの状況を見たらすぐにわかるでしょ?」
教皇の部屋に続く通路を背にした丸腰のサーヤと、そのサーヤに襲い掛かっているナイフを持ったエークス卿。
ペルメナはすぐに頷いた。
「ミラナ様、何かご事情があるとは思いますがここは聖域内。そのような物騒なものはお収めください」
「ワタクシに命令するつもり? 誰が貴女をここまで育てたと思っているの?」
「それはミラナ様です。確かにその大恩がありますが、神々に背く免罪符にはなり得ません。いくら恩義があろうとも、いえ、あるからこそ力づくで物事を運ぼうとするような愚行はわたくしが止めなければなりません。どうかおやめになって下さい」
「チッ。ああもう、これだから宗教の国は面倒なのよ! 信仰なんてただの幻想のくせに、誰も彼もバカばっかり! 信心があれば不幸にでもならないと思ってるのかしら!」
「……ミラナ様、それは本気で言っているのですか?」
ペルメナの口から、悲しげな声が漏れる。
その言葉はサーヤにでもわかるほど震えていた。
「枢機卿でありながら信仰を否定するなんて……ミラナ様にとって教義は利用するものでしかなかったのですか? 神々の恵みは、人々を救ってきたその知恵と言葉は、あなたにとって便利な道具でしかなかったのですか?」
「それが何? その恩恵に一番あやかってるのは貴女でしょペルメナ。信仰心を食う道具にしているのは貴女のほうじゃない? 素質をもって生まれただけで、もてはやされてる聖女サマ」
ナイフの切っ先を向けて、皮肉たっぷりに言うエークス卿。
深い憎しみを隠そうとしないその目に睨まれるペルメナ。しかし毅然として首を振った。
「……確かに、わたくしはまだ恩恵に与るばかりで自分の力では何も成し遂げてはいません。ですがそれでもわたくしの力で民が救われるなら、誰かが幸せになるのなら……それなら構いません。いくら非難されようとも罵られようとも、わたくしはただ自分の信じる道を進むのみですわ。わたくしが憧れる、冒険者たちのように」
そう言って、サーヤを見て微笑んだペルメナだった。
「この恩知らずが……!」
いままで思い通りにしてきた聖女に、ハッキリと拒絶されたエークス卿。
激高しながらペルメナに斬りかかろうとして――
「止まりなさい! 死ぬわよ!」
サーヤの叫びを聞いて、ピタリと足を止める。
ゆっくりと振り返ったエークス卿は、サーヤが掲げた一本の筒を見て目を見開いた。
この聖域内では魔術も神秘術も無効化される。
さらに少しでも罪悪感情――あるいは暴力の意志があればその行為も禁止されるから、どの道『不変』の盾でもないと、その影響を免れて誰かに攻撃などできない。それがルールだ。
だが、何事にも抜け道はある。
サーヤは手にした筒をゆらゆら揺らしながら、
「エークス卿。あんたなら、この筒が何か知ってるでしょ? あんたがクイーンに持たせた聖遺物よ」
サーヤは確信していた。
湖の底から盗まれた聖遺物が『不変』なら、それを盗んだ〝ポーン〟はエークス卿の差し金だ。同じチェスの駒の名を付けられた〝ナイト〟も〝クイーン〟も、つまりはエークス卿の刺客だろうとも。
当然、サーヤが指先で揺らす筒の正体も知っているはずだ。
この聖遺物は筒の先端から熱線を放つものだ。範囲は狭いが威力は絶大。人の体くらいなら余裕で貫ける。
ただの筒にしか見えない聖遺物を見て身を固めたエークス卿は、自分がノガナ共和国にスパイを送り込んだことを白状したも同じだった。
エークス卿は、その事実に自ら気づいて顔をしかめた。
だがすぐに開き直った。
「……だからなんだっていうの? どの道、聖遺物を手にしようが貴女はワタクシを攻撃できない」
「私は、ね。でも誰の意思でもなければどう?」
サーヤはくるくると手の中で筒を回す。
これこそ、聖域の抜け道だ。
「聖域は神代科学の聖遺物を防げない。私がこの筒を適当に投げたらどこかに当たって、もしかしたらスイッチが押されて熱線が放出されるかもしれない。それが運悪くあんたの顔に当たるかもね」
「……バカバカしい。そのような偶然あり得ません。それに偶然を頼るなら貴女に当たる確率も同じじゃなくて? なら貴女も投げられないのでは?」
「忘れたの? 私は星誕神の〝確率を司る権能〟の加護をもつ女よ。この聖域ではスキルが使えなくても、加護を持っていることには変わりないわ」
サーヤは不敵に笑い、言った。
「どう? 私と運試し……してみる?」
正直、サーヤ自身もどうなるかわからない。
だがハッタリをかますときは自信満々に言うべきだってことくらいわかっている。
余裕綽々のサーヤの表情に、エークス卿も動くに動けないようだった。万が一の場合は自分が死ぬとわかっているから、少なくとも運試しは避けたい。いくら海千山千の知略家でもそう考えているのが丸わかりだった。
「……わかった。ペルメナには手を出さない。それでよくて?」
「いいわ。聖女さまはどこかに避難してて。できればこの聖域の外までね」
「いいえ、わたくしもミラナ様を止めなければなりません。教皇様を狙ってらっしゃるというのなら、それこそこの身を賭してでも」
当のペルメナは首を振り、迷いのない動きで廊下を歩いてきた。
度胸があるのか無謀なのか。いや、そんな単純なものではなく教皇への信仰心の表れだ。その信心の強さはサーヤもさすがに予想外だった……が、責められるものではない。共感できるから。
ペルメナとエークス卿がすれ違うとき、一瞬、エークス卿が手を出そうとした。
だがサーヤが筒を揺らして警告したら、思い留まっていた。
ペルメナが隣に来ると、サーヤは笑いながら言った。
「もう、なにやってんのよ。ぜっかく人が助けたのに……二度目はないわよ」
「すみません聖母様。ですがわたくしも戦いたいのです。あなた様の隣で」
サーヤとペルメナ。
二人は、教皇の部屋に向かおうとするエークス卿の前に立ち塞がる。
しばしの間、膠着状態が生まれるのだった。
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「『慈愛』が!? やはりエークス卿が八つの象徴を集めているという噂は本当だったんですね……」
サハスから一連の話を聞いたラインハルトが、開口一番そう言った。
ミレニアがすぐに怪訝な顔をする。
「待つのじゃラインハルト。その話は本当か?」
「はい。聖騎士団内で噂になってます。すでにサハス様以外の枢機卿の神器が盗まれた……あるいは取引によって渡されている、と。もちろん本人たちは頑なに否定しているようですが」
「マズいな……ルルク、妾たちもすぐに聖域にゆくぞ。集められたら厄介なことになるかもしれん」
「どうなるんだ?」
神器――つまり創造神の権能そのものが形になっているものだ。
この世界でもっとも力を持っている道具……それが八つ集まったら……願いを一つ叶えてくれるんだろうか?
「八つの権能がひとつに集うことは、実質的な創世期の疑似再現じゃ。少なくとも空間そのもの、あるいは神器の所有者が神格化するじゃろう。人であれば亜神に、空間であれば神界に繋がるかもしれぬ。いずれにせよ碌なことにはならぬ」
「亜神って……そりゃヤバイ」
師匠と同じレベルの存在になるってことだ。
神器を持っている限り不死特性があるだろうし、俺たちでもそう簡単に勝てる相手ではない。
「もしそうなっても、なりたての極位存在を打ち破れるとしたら格がひとつしか違わぬ妾たち王位存在だけじゃろう。傍観しているヒマはなさそうじゃ」
「よし、俺たちも聖地に行こう」
聖域内で何ができるのかはわからないが、指をくわえて見ているわけにもいかない。サーヤも聖地にいるから巻き込まれる可能性もある。
というかすでに動いていると言うなら、レンヤは無事だろうか。あいつ、エークス卿と密会していただろうに。
最悪の場合も考えていたほうがよさそうだ。
俺が仲間たちを連れてすぐに転移しようとすると。
「大変ッス! ルルクさんたち、大変ッス~!」
屋敷の外から叫び声が聞こえた。
ガトリンだ。
何やら血相を変えて門を叩いている。
俺たちは顔を見合わせて玄関に降りた。門を開けて招き入れながら、
「どうしたんですか? 何か問題でもありましたか」
「枢機卿が殺害されました! フェースブーク卿が自宅で発見されたんです!」
「そうですか。犯人はエークス卿ですか?」
「それはなんとも……とにかく来てくださいッス! ほら、セオリー殿下も一緒に!」
ガトリンは慌てて言いながら、セオリーの腕を掴もうとした。
その瞬間、確信する。
俺はガトリンの腕をガッシリと捕まえた。
「……やはり、あなたでしたかガトリンさん」
「なんのことッスか?」
「とぼけなくていいですよ。俺の眼は魔術とは違うんですよ。詠唱や準備がなくてもステータスを見れるんです」
俺の眼には、ガトリンのスキルがしっかりと視えている。
ガトリンは大きく息を吸って、吐き出した。
「……はぁ。やっぱりダメでしたか。さすがルルクさんには敵わないッス」
セオリーに触れようとしていたガトリン。
そのステータスには、この前まで無かったものがあったのだった。
『極毒』。
イスカンナから奪われた、最強の暗殺スキルだ。
この手でセオリーに触れていれば、まず間違いなくセオリーは猛毒に侵されていただろう。
「やはりあなたがエークス卿のスパイだったんですね?」
「……いつからわかってたんスか?」
「少し前です。俺の仲間は優秀なんですよ」
ミレニアが予想していたことだった。
学術都市で起きた事件の数々は誰かが糸を引いていた。
まずひとつは裏取引されていた『魔術士殺し』だ。これを裏市場で流通させたのが見知らぬ人だとしても、俺の匂いをハチに憶えさせたのは身近にいる誰か、という話になる。
あのとき俺たちと行動を共にしていて俺の所持品や衣服の匂いを何かに移すことができたのは、仲間以外ではガトリンだけだった。
さらに言えば、クロウリー卿の義体技術は教会に流れていた。教会のツテで義体の実験体になっていたガトリンを、ミレニアは最初から疑っていたのだ。さらに教会に恩義があるのはガトリンだけでなく、俺が出会ったポーンも教会に娘を預けているという。
この段階で、ミレニアはすでに予想はできていたらしい。
疑いが確信に変わったのは、サーヤの『数秘術1』がエークス卿に知られていたからだ。『不運』のスキルにガトリン自身は気付いてなかったが、だからこそガトリンがトラブルに巻き込まれることが多く、その近くにいたサーヤがスキルを何度も使うハメになった。
おそらくエークス卿は、ガトリンをエサに俺たちの情報を探っていたのだろう。
そしていま、ガトリンはイスカンナから奪った『極毒』を使って、セオリーに害を成そうとした。
それは俺たちへの敵対宣言と同じだ。
「……覚悟はできてるんでしょうね?」
「最初から無謀ってことはわかってたッス。オイラの組織でのコードネームは〝ルーク〟。戦場の走り屋として、盤面をかき乱すことしかできないッスからね。恩義も返せないようじゃただの捨て駒ッスけどね」
「捨て駒ですか」
「そうッス。オイラにはピッタリな役だったッスね」
「……エークス卿に、何か借りでも?」
あまりに素直で悪びれもしないガトリンに、つい質問をしてしまう。
ガトリンは義足をぽんと叩きながら、
「命の借りッス。男たるもの命をもって返すのが礼儀ってもんじゃないッスか」
「そうですか。その心意気だけは、称賛に値します」
「ま、こうなることはわかってたッスよ。ルルクさんは仲間を一番大事にしてるし、オイラは『誓約』によって自供することも禁じられてるッスからね。どの道、オイラはここで死ぬ運命だったんスよ」
明るく笑って言うガトリンだった。
ガトリンは、俺に殺されに来たのだ。
最後に命を賭けて、俺と敵対することを選んだのだ。
……友達だと思ってた。
俺は、心の底からガトリンと仲良くなれたと思っていたんだ。
でも最初からガトリンにとっては任務でしかなかったんだろう。少しでも情報を手に入れるために、俺たちに近づいてきたんだろう。
友達ではなかった。
俺も、そう割り切るしかない。
仲間を殺そうとした相手は、誰であろうと許すつもりはないから。
「もとより、そのつもりです」
手に力を籠める。
ガトリンの細い腕なんて、本気で握ったら小枝のように折れてしまいそうだ。
相当、痛いはずだ。
だけどガトリンは、笑顔を崩さなかった。
「でも、そうッスね……どうせ死ぬならルルクさん、最後にひとつ聞いて下さいッス」
「なんですか?」
「――エークス卿は利用されてるッス」
その瞬間。
ガトリンが言葉にならない悲鳴を上げて、胸を押さえつけて膝をつく。『誓約』が発動したんだろう。
顔を真っ青にしたガトリンは、口から泡を吹きながも、まだ笑っていた。
絞り出すように、声を漏らしながら。
「き、気をつけるッスよ……エークス卿の歪んだ欲を……利用してる、やつが……気をつけ、ガハッ!」
「ガトリンさん! もう喋るな! そんな情報なんて……っ!」
「【悪逆者】……そいつらが、エークス卿を……スキルを奪う力を……」
激痛が心臓を貫いているんだろう。
目は充血し、全身から汗を流し、それでもなおガトリンは俺に向かって情報を渡していた。
標的のはずの、俺に向かって。
「やめろ! どうして喋るんだよ!」
「へへ……男、たるもの……恩、は…………」
「ガトリンさん……!」
笑ったまま絶命したガトリン。
俺たちを騙し、裏切った男の最後はあっけなかった。
四肢から力が抜け、まるで人形のように体温を失っていくガトリンの抜け殻。
俺はつい、ガトリンの手を握って膝をついてしまう。
「どうして……そこまでするなら、最初から……」
「ルルク……」
「あるじ」
「ルルク様」
仲間たちが、俺の肩に触れる。
ガトリンは裏切者だった。
最初から俺たちを騙そうと近づいてきて、俺たちの情報を送っていた男だ。
友達だと思っていたのは俺だけだったのかもしれない。
……でも、悪い人ではなかったはずだ。
別の形で出会っていたら、きっと、親友になれたかもしれない。
少しでも状況が違っていたら。
きっと、俺たちは……。
「ルルク。おぬしは悪くない……」
ミレニアが俺の頭を優しく撫でる。
……わかってる。
この喪失感は、ただの感傷だってことくらい。
ガトリンは恩義を何より大事にしていただけなんだろう。それは教会に対しても、俺たちに対しても。
自らの命よりも、大事に。
「……ごめん」
俺は涙を拭いて、立ち上がった。
いまは泣いている場合じゃない。そんな悠長な時間は、もうなかった。
転移をするために仲間たちの手をしっかりと握りしめる。
「あるじ」
「ルルク様」
「ルルクや。ゆこう」
みんな、しっかりと握り返してくれた。
彼女たちの手はとても……とても、暖かかった。




