聖域編・26『神が造りし者』
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「それじゃあ行ってくるね」
サーヤは大講堂の控室で、仲間たちに手を振った。
「気をつけるのじゃぞ」
「ふっ。我が友よ、安寧あらんことを」
「気をつけて! ルルク様はうちに任せてね!」
今日は教皇に会いに〝はじまりの丘〟に来ていた。丘の麓にある大講堂で迎えの馬車を待っているあいだ仲間たちと談笑していたら、案内役に呼ばれた。
ミレニアとセオリー、カルマーリキは笑顔で手を振り返してくれたが、ルルクは心配そうにしていた。
「何かあったらすぐ逃げるんだぞ」
「わかってる。ちゃんと帰ってくるから心配しないで」
サーヤを見上げて眉尻を下げているルルクの頭を、軽く撫でておく。
本当は抱きしめたくなったけど、そこは自重しておいた。
三人と別れたサーヤは、案内役のメイドのあとをついて大講堂の裏門から出た。
小さな馬車に乗り込むと、ゆっくり坂を上って大聖堂の玄関まで向かう。
歩いて直進すれば数分の距離なのだが、通過儀礼というものなんだろう。ゆっくりつづら道を進むことで、俗世から離れていくような感覚にもなった。
坂の途中で聖域に入った。
霊素も魔素もない聖域内は、やはり少し違和感がある。
そう思うのはステータスが存在するこの世界に馴染んだからかもしれない。毎日ルルクやナギと朝の鍛錬をしているとはいえ、体はまだ十二歳。ステータスの恩恵がなければまだまだ発展途上なのを強く実感する。
「聖母様。どうぞこちらへ」
正面玄関に馬車が停まる。
大聖堂は五階建ての建物で、青い街の中央に浮かぶ純白の城のような見た目だった。
サーヤは案内されるまま、大聖堂のなかへ足を踏み入れた。
中は清潔で、そして簡素だった。
装飾品はほとんどなく、機能美ともいえるようなシンプルで洗練された内装が続いている。廊下を歩き、階段を上りさらに奥へと進んだ。
「では、こちらの部屋でお待ちください」
サーヤは小さな部屋に案内された。
ソファがひとつあるだけの部屋だ。それ以外はほとんど何もない。
窓もカーテンで閉め切られ、燭台がぼんやりと灯る薄暗い部屋だった。
しばらく静寂のなかでぽつんと待っていると、扉がゆっくりと開いて車椅子が入ってきた。
「待たせた、聖母サーヤよ。此度は呼び立ててすまなかった」
メイドが押す車椅子に乗って現れたのは、中性的な声を持つ教皇そのひとだった。
サーヤは挨拶しようとして――固まった。
「……ほう。我と似た者をどこかで見たことでもあるのか?」
教皇は、目を見開いて驚くサーヤに薄く笑いかけてきた。
サーヤはなんとか言葉を絞り出す。
「ええ、とても。とても似てるわ……」
漆のような黒髪、そして黒目。
東洋人風の顔立ちにザクロの実ような赤い唇。
歳は十五歳ほどだろう。サーヤが知ってる彼女よりも少し若いが、まるで幽霊を見たような気持ちになってしまった。
教皇は、まぎれもなく、神秘王そっくりだったのだ。
「そうか。ならば、その者も我と同じ素体から産まれたのだろう」
「……どういうこと?」
「我のこの体は、一万年以上前に造られた聖遺物そのものなのだ。当時は、我らのことを神造人間と呼んでいたらしい」
「……ホムンクルス?」
あまりにSFじみた言葉にぽかんとする。
だがサーヤは少しだけ思い当たる節があった。
ロズはいまの人類史より遥か昔から生きていた不老不死だったという。しかしよく考えたら、ヒト種が繁栄するよりも遥か昔から存在しているということは、サーヤたちと同じ種族じゃない可能性のほうが高い。
この教皇の言葉が真実なら、ロズもまた神に造られた人間なのかもしれなかった。一度記憶を失ったというロズは、それを忘れていたのかも……。
動揺するサーヤを見て、教皇は唸った。
「ふむ、この話は最後にするつもりだったが……先に話したほうが良さそうだ。我は二千年前にこの地で目覚め、それ以降体を引き継いで生き長らえている神造人間。我の肉体の寿命は約五十年ゆえ、すでに四十回ほど体を乗り換えている。見た目の変化はないがな」
「……どういうこと?」
「この地には、この我と同じ検体がいくつも保管されていたのだ。〝聖域の使徒〟は、肉体が朽ちても魂と能力を他の者へ引き継ぐことができる特性があってな……我は、同型の神造人間を使って何度も自分自身を継承している。無論、記憶もだ」
「つまり、別の体を乗っ取るってこと?」
「それは語弊があろう。魂の融合、と言った方がわかりやすいだろう。自意識を移さずに能力だけ渡すこともできるが……神造人間に本来自我はないからな。意識ごと移さねば、次の我は物言わぬ人形となってしまう」
あっけらかんと言う教皇。
「信じられぬだろうが、事実だ。常人には理解できぬシステムであろうが」
「ううん、理解はできるわ。あなたの見た目が私の知り合いと同じだから……ちょっと混乱しているだけ」
ルルクほどではないが、サーヤだって物語は好きだった。
前世から今世に至るまで、いままで色んな話を読んできた。
ホムンクルスやクローン人間なんて前世の物語ではありふれた設定だったし、古代文明といえばこの世界ではロマンそのものだ。
個人としても冒険者としても、受け入れられないワケじゃない。
ただ、それが実際に目の前に現れたから驚いてしまったのだ。
サーヤはひとつ深呼吸をしてから、うなずいた。
「……でも、うん。あなたの事情はわかったわ」
「理解が早いな。我としては助かる」
「ちなみに神造人間は他にもいるの?」
「わからぬ。この聖地の地下には古代の保管庫が残されており、我はそこにあった知識しか持たぬ。一万年前ーー神代晩期のことは詳しくは知らぬのだ」
「へえ。まだ神がこの世界で暮らしてた時代が、古代文明なのね。どうりで聖遺物の性能が凄いわけね」
「神代とはいえ上位の神々はすでに神界へと移り、残っていたのは一部の神らしいがな。おそらく本来の神代には遠く及ばぬものであろう。我のような者など、その終末期の搾りかすのようなものだ」
教皇は自嘲するようにつぶやいた。
「本来の神造人間なら、我のように簡単に劣化はしないだろう。我はおそらく廃棄された失敗作……だがなぜか自我を持ち、聖域の使徒として選ばれてしまった哀れな遺物よ。それから二千年、この聖地を護っている」
遠い目をして言うのだった。
神が造った人間……それが、教皇だったのか。
確かにそれなら、ふつうのヒト種より神に近い存在として崇められるだろう。それに加えて使徒の力も持っているならなおさらだ。
「だが我は、すでにこの肉体が最後の一体なのだ。もともと歳をとらぬよう設計はされているが、二十年ほど前に病にかかり朽ちかけている。なんとかエークス卿により永らえたものの、もう時間はあまり残されておらん。……サーヤよ。我は、今回そなたに会えたことは天啓だと思っている」
「……私に、何を見出したの?」
「我に代わり、新たな教皇になってはくれぬか?」
教皇は、澱みのない瞳でサーヤを見つめた。
よく見れば、ロズそっくりの美しい顔立ちはひどく疲れ切っているようだった。化粧で誤魔化しているが顔色も悪い。
車椅子を余儀なくされるほどの痩せ細った手足もそうだ。治ったとはいえ、病の影響で体の中はボロボロなのかもしれなかった。
普段なら即答で断るような頼みだったが、サーヤは一言だけ問いかけた。
「それは、私に使徒の力を引き継げってこと? それとも聖教会を任せるってこと?」
「どちらもだ。無論、我の自我は残すつもりはない。記憶と知識、そして使徒としての力を譲渡する。トルーズ神の加護があるおぬしなら信徒からも異議は出ぬであろう……おぬしの力で、この聖地を護ってはくれぬか?」
「聖地を護る、ね」
サーヤは小さく息を吐いた。
「つまり、この地に留まる必要があるってことよね?」
「うむ。そうなる」
「なら悪いけど、私はあなたを継ぐことはないわ」
ハッキリと言った。
もとより地位や力は求めてない。ルルクのそばにいられない名誉など、なんの意味もないのだ。
それは教皇も想定していたことだったらしい。断られたというのに、薄く笑みを浮かべてうなずいていた。
「そうか。無粋なことを申してすまぬ」
「いいのよ。ちなみにあなたが誰かに力を譲らなければどうなるの?」
「この聖教国ーーひいては教会は混迷の時代を迎えるだろうが……それ以外は想像もつかぬ。なにせ我がおらん教会はいままでなかったのだ」
「そっか。この聖域は?」
「この地は何も変わらぬ。もとよりこの星が生まれたときから聖域として機能しているのでな」
それは安心だった。
教皇失う聖教会は大変かもしれないが、すぐに国そのものが権威を失うってことはないだろう。
権力争いは激化するだろうけど、それは教会の運営側のことだから教皇が心配することではないはずだ。
サーヤが想像を巡らせていたら、教皇が控えていたメイドに小さく合図を送った。
メイドは小さな箱を教皇に手渡す。
「して、サーヤよ。今回呼びつけた本来の用件を話したい」
「本来の?」
いまのが本題じゃなかったのか。
教皇の座を譲るなんていう、かなり重要なことだったのに、それ以上の頼みでもあるんだろうか。
少し身構える。
教皇は手に持った箱を開けると、中身を取り出して見せた。
ペンだった。
一本の、ミスリルでできた青銀の万年筆だ。
「そなたに、これを預けたい」
「……これは?」
「『創造』の象徴である」
「っ!?」
サーヤは息を止める。
二千年前から教会に伝わる八つの象徴。その最初のひとつ、星誕神トルーズの権能を宿すという最高の神器だ。
まさに教皇の権威をあらわすもののはず。
……それを、預かれと?
「なんで、そんな大事なものを」
「我は遠からず死ぬ。そのとき、この神器がよからぬ者の手に渡ることだけは避けねばならぬ。この神器の力は知っておるか?」
「ううん。知らないわ」
「千年に一度だけ、このペンで書いたことを必ず起こすことができる――それが『創造』だ。これは星の在り方を書き換えるという〝存在を司るトルーズ神の権能〟そのものなのだ」
「このペンが……? まるで世界樹の恩恵みたい」
「言い得て妙だが、本質はペンそのものではない。ミスリルのペンはただの容器であり『創造』の力を持つのはオリハルコンの溶液である」
「オリハルコン!?」
誰も見たことがない最高の魔金属。それがこのペンの中に入っているのか。
売れば国をまるごと買えるとも言われる金属だ。伝説上にしか存在しなかったものが、ここにあるのか。
「……ルルクに見せたら喜ぶかしら」
「できれば内密に頼む。この存在ひとつで人類史が終わる可能性もある」
「冗談よ。でも、本当にいいの? 私が悪用しない保証はないのよ」
「歴史上唯一の星誕神の加護を持つそなたを疑うことはせぬ。それにもし私欲に負けて使ったとしても、それもまたトルーズ神のお導きであろう」
預けることは決めているようだった。何を言っても無駄だろう。
サーヤは恐る恐るペンを手に取った。
ずっしりと重みを感じる。
羽のように軽いミスリルのなかに、濃密な存在感があった。思い通りに世界を変えられるという凄まじい力が、この中に凝縮されているのか。
しばらく手の中のペンを眺めていたサーヤは、ふと疑問を抱く。
「……ねえ。このペンで、あなたの体を不老不死にすることはできないの?」
「できるであろう。だが、我の寿命ひとつ伸ばす程度で、世界を変える釣り合いは取れぬ。……いや、正直に言うと、我はもはやそこまでして生き永らえたいわけではないのだ」
そう言ったときの教皇は、どこかで見たことのある表情をしていた。
教皇は生に執着しているわけではなかった。むしろ自らの終焉を待っていたような表情を見せた。
もしかしたら、それが長い時を生きてきた者の辿るべき道なのかもしれない。
「サーヤよ。そなたがその力を使いたくなったときは、遠慮なく使うがよい」
「……でも、この国はどうなるの? 権威が部外者の手に渡ることにならない?」
「そうなるな」
「それってマズいんじゃないの? 教皇がいなくなるならまだしも、最大の象徴がただの冒険者の手にあるなんて……」
「よく聞くがよい、サーヤよ」
教皇はさらに真剣な表情で、声を低くした。
「八つの神器はそれぞれが教会の権威の象徴とされている。我はそれを分散することで、権威を集めることを防いでいる……つもりだった。だが、我の寿命が迫ったことを知っているある者が、その神器を集め始めたのだ。我が隠しておいた『不変の盾』と『知恵の剣』も、その者に見つけられてすでに回収されたと調査結果が出ている。何名かの枢機卿も、すでに取引や脅迫で象徴を奪われているようだ」
「えっ……それ、ヤバくない?」
「正直に言おう。部外者であるそなたに『創造』を預けるのは、象徴を一点に集めることを防ぐためなのだ。象徴が八つ集まると神に等しい権威となり……おそらく、所有者が仮初の神性を宿すことになる。端的に言うと、象徴を集めた者が亜神となるのだ」
「神に……なる?」
絵空事のようにしか聞こえないが、冗談ではないだろう。
教皇は迷いなく言い放った。
「気をつけたまえサーヤよ。神の権威を求めこの聖教国を――ひいては聖キアヌス教会を手中に収めようとしている者の名は、ミラナ=エークス。悲しきことに、我がいままで信頼していた臣下である」
次回の更新日は12/3(火)です




