聖域編・25『聖域の支配』
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本日は〝完全と超越の数秘・6日目〟です。
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人ってのは、そう簡単には変わらないもんだな。
帝王レンヤは目の前を歩く怜悧な枢機卿――ミラナ=エークスの背中を眺めてそんなことを考えていた。
密談から三日が経ち、約束の日がやってきた。
ミラナに連れられたレンヤは、とある教会から地下通路を通って〝はじまりの丘〟に入っていた。
ルルクから聞いていたとおり聖域内部は魔素も霊素もなく、どんな術器具も使えなかった。
暴力的な思考や言動に制限がかかるらしく、試しに何かを殴ろうとしても、魂ごと握りつぶされるような感覚が襲ってきて思考が中断されてしまった。
鍛えた自分の力に頼れないのは些か不安だったが、相手も同じなら問題ないだろう。
そんな摩訶不思議な空間を、慣れた表情で歩いていくミラナ。
すでに四十歳を越えた彼女は、前世では考えられないほどの経験を積んで思考が熟成されていた。日本で学生をしていた彼女と比べたら、もはや別人と言っていいほどだ。
それでも他人を寄せ付けないような雰囲気は前世と変わらなかった。
「では、あの扉の向こうでお待ちを」
「ああ」
ミラナに言われ、地下通路の突き当たりにある扉に入る。付き添いのネフェルティも同じく部屋に入った。そこは応接室のような部屋で、中には誰もいなかった。
そのままソファに腰かける。
ネフェルティは扉のそばに立ったまま、周囲を警戒していた。
「レンヤ様。やはりすべての術が発動できないようです。そのうえステータスも基礎値だけしか発揮できないようですね」
「そうだな……まあ、俺は鍛えてるからあんま違和感はないが」
手を開いたり閉じたりするレンヤ。
加算ステータスに甘んじて鍛錬を怠る戦士も少なくはない。だがレンヤはこの世界を嫌っていたせいで、ステータスすら心からは信じられなかった。
己の肉体を鍛えておくことは、帝王になってからでも毎日欠かさなかった。
「何が起こるかわかりません。くれぐれもご注意を」
「わかってる。ネフェルティ、おまえも危なくなったら逃げろよ。俺のことは二の次でいいからな」
「そういうわけにはいきません。レンヤ様こそが我ら帝国民の希望なのです」
強い意思で言うネフェルティだった。
それからしばらくして、外出用の服からいつもの法衣に着替えたミラナがやってきた。後ろには左腕に小盾をつけた全身鎧の聖騎士もいる。
「お待たせしました。では、早速お取引をいたしましょう」
「ああ。まずはこっちの情報から出そう……だがその前にひとつ聞いていいか? なぜ七色を探す?」
「それは教えなければなりませんか?」
「七色本人が教えて欲しい、だとよ。おまえに探される心当たりはないんだとか」
「……でしょうね」
ミラナはどこか卑屈そうな声でつぶやいた。
「詳しく語る気はありませんが、ただの些細なこだわりです」
「ずっと図書委員だったのは七色に執着してたからか? 意外にモテるな、あいつ」
「……ご想像におまかせします」
軽く冗談を言っただけのつもりだが、ミラナは不快感を滲ませた。
これ以上の追及は意味がなさそうだ。
まあ一応、これでルルクへの義理は果たしたことになるだろう。
「なら教えておく。七色楽の転生先は〝ルルク=ムーテル〟だ」
「っ!?」
ミラナはすぐにイヤリング――『啓示』を触りながら、目を閉じた。
しばらくして目を開く。
「……確かに、偽りはなさそうですね。そうですか……彼が」
「あいつと連絡を取ってたのは同じ転生者だからってのもあったんだよ。どうだ、これでこっちの条件は満たしたぞ?」
「ええ。ありがとうございます」
「一応忠告しておくけど、何を考えてるか知らないがルルクに手を出すのはやめておけよ。あいつの逸話は全部本当だ。個人の強さだけでも竜王と互角と言われてるし、何よりも仲間を大事にしてる。その仲間にはもう一人の王位存在ミレニウムもいる。もしあいつらに敵対したら、この国ごと滅びると思え」
「……心得てます」
うなずきつつも、その瞳をギラギラを輝かせているミラナだった。
本当にわかっているのかどうか……ま、これ以上は義理もないので首を突っ込むのはやめておく。
「では聖女との面会の約束ですね。しばらくお待ちを」
ミラナは立ち上がり、部屋を出て行った。
なぜか全身鎧の騎士は部屋に残った。そういえば、こいつは誰なんだろう。
ネフェルティが集めてきた情報によると、エークス派の騎士は第六騎士団に集まっているらしい。武力派のフェースブーク一派と比べたら一段落ちる中堅程度の騎士団というが……どう見ても、この鎧男は並大抵の雰囲気ではない。おそらく第六騎士団の者ではないだろう。
聖教国最強の第一騎士団、その団長のジャクリーンと比べても遜色ない威圧感を放っていた。
「そこの聖騎士さんよ、自己紹介でもしてくれねぇか?」
「…………」
無視された。
あくまでレンヤたちの監視役とでも言うんだろう。
武力に意味のないこの空間ではその役にどんな意味があるのかまるでわからないが、まあいいだろう。
何か情報を掴めるきっかけになるかもしれない。
別のことを質問しようとした――その瞬間だった。
聖騎士が、突然剣を抜いた。
そしてレンヤに向けて投げつけてきた。
「レンヤ様っ!」
ネフェルティがとっさに飛びついてくる。
ローテーブルに置かれた茶菓子をひっくり返しながら、レンヤを守ろうと覆いかぶさったネフェルティ。
だが聖騎士が投げた剣は、レンヤたちから逸れて後ろの壁に突き刺さっていた。
「うぐっ……」
壁の向こうからくぐもった呻き声が聞こえた。
隠し通路でもあるのだろう。
誰かがこの部屋をこっそり覗いていたようだった。
聖騎士はそのまま剣のもとへ歩いていくと、その剣を深く突き刺した。
断末魔が響いて、壁の向こうで蠢いていた物音がぷつりと途絶えた。
「……ネズミどもめ」
聖騎士は悪態をついて剣を引き抜き、血を拭ってから鞘に納めた。
しばし呆然としていたレンヤだったが、ふと冷静になる。
「……待て。おまえいま何をした? この聖域内では誰も暴力を振るえないんじゃなかったのか?」
どの情報屋から得た情報も、聖域に関する情報は同じだった。
あらゆる術が使えなかったとしても、敵も味方も暴力を振るえないから、これ以上安心して密談ができる場所は他にない。
そう思っていたが、もし相手だけがその聖域の支配を免れる方法があるというなら……。
レンヤの背筋が粟立った。
「ちっ、ミラナのやつ騙しやがったな。おいネフェルティ、すぐに帰――」
「騙したなどと言いがかりも甚だしいですね」
そう言いながら部屋に入ってきたミラナ。
その隣には、綺麗な金髪の女がいる。聖女ペルメナだ。
「何事にも抜け道が存在するのは常識ではありませんか。貴方はその確認を怠った。それだけのことでは?」
「……よく言うぜ」
敵意はないようだ。
約束通り聖女を連れてきているので、約束を反故にする気はなさそうだった。そもそも相手だけが非暴力の制限を突破できることを利用するなら、ルルクのことを教えた時点でとっくに襲われているだろう。
冷静になったレンヤは、逃げる準備をやめてソファに座り直した。
「じゃあ、その聖騎士が使った抜け道を教えてくれねぇか? このままだと安心して聖女様と話せねぇ」
「当然拒否します」
「ま、そうだよな」
そりゃ誰かに教えられるものではないだろう。
レンヤとしても冗談のつもりだったから、肩をすくめて話を変えた。
「そんで、お嬢ちゃんが聖女様だな? 俺はレンヤ。マグー帝国の現国王だ」
「ペルメナと申します。レンヤ様、お初にお目にかかれて光栄ですわ」
随分と所作が綺麗だった。
ペルメナはレンヤの正面に座り、ミラナがその隣に腰かける。
保護者同伴なのは想定内なのでそのまま話を進める。
「聖女様は時間を司るスキル――『数秘術5』を持ってるってことで間違ってないか?」
「はい。その通りでございます」
「なら安心した。ここまで来て無駄足は避けたいところだったからな」
「つかぬことを伺いますが、レンヤ様はなぜわたくしのスキルをお求めになっているのでしょう?」
首をかしげる聖女。
事前に話は聞いてなかったようだ。
「俺は転生者だ。俺には前世――元の世界で生きていた記憶がある。あんたは、いまこの世界に俺と同じ転生者が何人かいることを知っているか?」
「いえ、初耳です」
驚いた表情をする聖女だった。
ミラナも自分のことは話してないらしい。
「俺たち転生者のなかには、元の世界に帰りたい者もいてな。俺はそいつらと一緒に前世に戻りたいんだ。そしてそのために必要なのは、おそらく創造神の権能……そのひとつが時間を遡るスキルだと踏んでいる」
「なるほど……そういうご事情があったのですね」
「もちろん、時間を遡るだけじゃ不可能だろう。他にもいくつか必要な権能があると俺は考えている。俺の仲間にはすでに寿命が近いやつもいるから、早急に探してるんだが……もしそれを揃えられたら、聖女様、あんたに元の世界に戻る協力を願いたい。頼めるか?」
レンヤがまっすぐ聖女の目を見て問いかけると、聖女はうなずいた。
「わたくしの力で救われる者がいるとするなら、喜んで協力いたしましょう」
「そうか! それは何よりの返事だ」
「ミラナ様もそれでよろしいですか?」
「ええ。構わないわ」
保護者の許可も出て、ほっと息をついたレンヤだった。
これでルルクに次いで、二人目の協力者を得たことになる。ハッキリと確認したわけじゃないがルルクの創造神スキルはおそらく〝境界を司る権能〟の『数秘術7』だろう。
〝境界〟と〝時間〟あとはおそらく〝超越〟の権能があれば、逆転生ができるとレンヤは見立てている。時を遡って安全に世界を超えるために必要なのは、その三つの要素だろうと。
「なら、こっちの準備ができたらまた連絡を取る。そのときはよろしく頼む」
「かしこまりましたわ」
「おっと。その前にそっちの要求はなんだ? できる限り要望に応えるつもりだ」
「要求ですか? この力は神に授かったもの。施しに対価は求めておりませんわ」
当然のように言い、にっこりと笑う聖女だった。
……なるほど、こいつは確かに〝聖女〟だ。
レンヤは久々に純粋な善意を感じて、感銘を受けたのだった。
「ではお話が以上であれば、わたくしは退室いたします。本来はお会いになるべきではないと伺っておりますので」
「悪いな。また連絡を入れるから、そのときは頼む」
「はい。失礼いたします」
用件は終わったので、聖女は退室していった。
本当に善意でできている人間だ。いままで人の黒い部分をしこたま見てきたレンヤでも、聖女に悪意などの感情はいっさい見えなかった。
……そういえば、前聖女のあいつも、似たようなやつだったな。
聖騎士に追われている身だというのに、悲しむことはあっても恨み言を言ったことはなかった。そして何より困った人たちを見捨てられなかった。最後は怪我人のフリをした騎士に騙されて殺されたほどのお人好しだった。
レンヤは聖女が出て行った扉を見つめ、感傷にしばらく浸っていた。
「ではレンヤ。貴方もお引き取りを」
「ああ……その前にひとつ聞かせてくれ」
「なんでしょう?」
「どうして前聖女が獣人だと知った?」
レンヤはとうに調べていた。
当時、まだ司祭だったミラナが前聖女を獣人として告発し、教皇が直々に異端審問を開いたことも、それが枢機卿の席を授かる決定打になったことも。
前聖女から話を聞いたレンヤは帝王になってから何年も調べ、人族だった彼女を獣人族にしたのは【悪逆者】と呼ばれる集団だということを突き止めた。
そいつらは神の加護を強く受ける身でありながら、神の秩序に背く異端者の集団らしい。具体的な活動内容は知らないが〝個性を司る権能〟があれば、種族変更も可能だろう。
レンヤの怒りや恨みは、それからずっと【悪逆者】に向いている。
前聖女を告発したミラナに対しては、そこまで大きな悪感情は抱いてはいない。
だがなぜ彼女が獣人に変えられたことを知ったのか、それは確かめたいことだった。もしミラナに【悪逆者】との繋がりがあるとするなら話は変わってくるし、それは彼女にとって致命的な秘密になる――そう確信していた。
ミラナは表情をひとつも変えなかった。
「会合のときに犬耳が見えました。ただそれだけです」
「……本当か?」
「ええ。それが何か?」
とくに隠している様子はなかった。
偶然知ったと言われてしまえばそれまでだし、ミラナの言葉を信じるしかなくなる。顔色を注視していたが、特段不自然なところもなかった。
「そうか。ちなみに【悪逆者】って言葉は知ってるか?」
「いえ、初耳ですね」
「……わかった。なら、これ以上は追及しないでおこう」
どうせ知ってたとしても、はぐらかされてしまうだけだろう。
そのあとはミラナの案内に付き添って部屋を出た。
また地下通路を戻って聖域の外に出る――その途中のことだった。
「レンヤ。少しお待ちください」
「なんだ?」
「人族が獣人に変わったなど、貴方は、彼女の言葉を本気で信じているのですか?」
足を止めたミラナ。
レンヤは素直にうなずいた。
「俺はあいつの出身の村も教えてもらったから、そこに通ってたっていう行商人を調べて話を聞いたんだよ。集落の者たちはいつのまにか全員跡形もなく失踪したらしいが、その商人曰く、昔から村に獣人はひとりもいなかったらしい。だから元聖女が元から獣人だったなんて、世迷言にも程があるんだよ。あいつは嵌められたんだ」
「……出身の村、ですか……」
「知らなかったか? 国の北にあった小さな村らしい。なんでも小さな農村で、魔物もよく出る場所だったんだとよ。商人の話じゃ、彼女が聖女として出発した日に村の子が猪の魔物に突き飛ばされたこともあるってくらいかなり田舎だったらしいんだが、聖女が追放される前にいつのまにか全員消えてて――」
そんななんでもない雑談の情報を思い出して話していたらミラナの目の色が突然変わったことに、レンヤは気付けなかった。
彼女はこっそり護衛の全身鎧の聖騎士の肩を叩き、一言つぶやいた。
「遊戯はここまでです。彼を捕らえなさい」
「……『スリープ』」
「っ!?」
ぐらり、と眩暈が襲う。
魔素も霊素もないはずなのに、聖騎士は魔術をレンヤに放った。
襲ってきた眠気に耐えながら、膝をついたレンヤ。
すぐにネフェルティがレンヤを庇うように駆け寄った。
「レンヤ様! 貴様、何を――」
「黙らせなさい」
「はっ」
ミラナがそう言うと、聖騎士は剣を抜いてネフェルティを斬った。
血が舞い、崩れ落ちるネフェルティ。
レンヤはなんとか言葉を絞り出した。
「て……てめぇら……なにしや、がる……!」
ミラナは、徐々に目が閉じていくレンヤに冷たい双眸を向け、すぐに聖騎士に命令を下していた。
「二人を地下牢に。それとソレは返しなさい」
「よいのか。旧知の仲ではないのか?」
「捨てた過去です。口答えをするなら……わかってますね?」
「……御意」
聖騎士は、腕につけていた青銀の小盾をミラナに渡すと、レンヤとネフェルティを担いで歩き出した。
――裏切られた。
そう確信したものの、もはや挽回はできなかった。
すぐにレンヤの意識は闇に沈んでいった。




