聖域編・22『ウサミミは素晴らしい』
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本日は〝生と死の数秘・3日目〟です。
ミラナ=エークスの屋敷は広かった。
午後も半分過ぎた時刻。
俺たちは午後の予定をすべてキャンセルしたサハスと共に、エークス卿の屋敷を訪れてた。
屋敷はサハスの邸宅の五倍ほどの広さがあり、使用人も十人以上常駐しているようだった。無論、無駄な装飾などはなかったが、周辺の建物でも一番青い塗装が新しく清潔感のある佇まいだった。
外見だけでなく、屋敷の中も同じくらいピカピカだった。
「ミラナ様は衛生環境を大事にしてらっしゃいます。シスター時代から、公衆衛生の大切さを説いて感染症や病気の予防活動などもおこなっておりました。この屋敷ほど清潔な建物は、聖都広しといえどないでしょう」
感心していた俺たちに、案内役の使用人が説明してくれた。
随分と主人に陶酔しているようで、自慢げに語る。
「そのほかにも、かつて理術の賢者様が説いていた〝細菌〟の研究や、魔術では治らない病気に対する対症療法の発案や周知、介護分野における多くの器具の開発などもおこないました。二十年前、不治の病といわれた教皇様を治したのも司祭だったミラナ様です。そういった実績を重ね、枢機卿の席を授かったのです」
医療関連で多くの実績を上げたらしい。
サハスに聞いていたとおり、かなりの理術知識を持っているようだ。
「ミラナ様のことをあまり知らないかただと、立ち振る舞いから冷淡だと評することも多いのですが……本当は民を救うことに尽力されたお優しいかたなんですよ」
「そうでしたか。尊敬できますね」
「はい、とても。それでは、こちらのお部屋です」
使用人に案内された応接室に入る。
そこには、すでにエークス卿が座っていた。
「お待ちしておりました、バグラッド卿。そしてイスカンナさん」
サハスたちに挨拶したエークス卿は、後ろにいる俺とサーヤを見てほんのわずかに眉根を寄せた。
「これはサーヤ様にルルクさん、ご機嫌麗しう。それとサーヤ様、すぐに席を用意させますのでお待ちを。ご一緒されるとは伺ってなかったものですから」
「気にしないで。私はサハスさんの護衛として来てるだけから」
サーヤがそう言いつつ、サハスの後ろに立った。
軽い牽制だ。俺たちがこの国で活動する後ろ盾がサハスであることを明言すると同時に、サハスの後ろに俺たち【王の未来】がいることを周知しているのである。
立つ位置ひとつでも、様々な思惑を伝えられるものなんだなぁと感心する。俺ひとりだったら普通にソファに座ってたよ。
「そうですか」
エークス卿も軽くうなずいていた。もとよりわかっていることらしい。
使用人がすぐに紅茶を運んでくると、
「では早速ですが本題に入らせてもらいましょう。バグラッド卿、イスカンナさんをお借りするということでよろしいでしょうか?」
「ええ」
「イスカンナさんもそれでよろしいでしょうか」
「……はい」
イスカンナが不安そうにうなずく。
するとエークス卿はイスカンナの指先を見て、やや大げさに心配した表情をつくった。
「もちろん三日後には必ずお返ししますが、『慈愛』を着けたままですがよろしかったのですか? さすがに神器まで拝借するつもりはないのですが」
「構いません。イスカンナさんには必要なものですから」
「そうでしたか。それでは遠慮なく」
その瞬間、かすかにエークス卿が笑みを浮かべた気がした。
……いや、まさかな。
「ではイスカンナさんには、心身ともに清めていただきます。専属の使用人をつけますので入浴から殺菌までひととおりおこなってきてください」
エークス卿が手を叩くと、すぐにメイド服の使用人がふたり入室してきた。
イスカンナはそのままメイドたちに連れられて退室した。風呂に入りに行ったようだ。。
「ではバグラッド卿、約束通りイスカンナさんに関しては今後一切口を挟みません。こちら宣誓書です」
「確かに」
書類を確かめたサハスだった。
エークス卿は俺とサーヤを一瞥してから、サハスをじっと見つめる。
「こちらの用件はこれで終わりですが……どうやら、話はそれだけではないようですね?」
「ええ。お分かりになりますか?」
「これだけだと、サーヤ様が同席なさる必要がありませんからね」
見抜いているようだ。さすがだな。
するとサハスは立ち上がり、サーヤと場所を入れ替える。
ソファに座ったサーヤは、いつもの調子でハッキリと告げた。
「エークス卿。あなたにひとつ聞きたいことがあるんだけど、いいかしら」
「なんなりとお申し付けを、聖母様」
「捕虜と保護の違いってなに?」
「……質問の意図がわかりかねますね。どういう意味でしょう?」
目をスッと細めたエークス卿だった。
おそらく、いまの質問でサーヤが獣王国の姫を取り戻しにきたことに勘付いただろう。
だからこっちの思惑を探るように聞き返しているのだ。
「そのままの意味よ。私は、保護は返還することが前提だから必要以上の対価を求めない。けど捕虜は対価をもって返還するかを決める……そう思ってるわ」
「……そうですね。ワタクシも同意見です」
「だから保護は、正当な対価を差し出されたら返還拒否できない。でしょ?」
「それは同意しかねます。保護された者の利益になる相手かどうか、見極めなければなりませんから」
「なるほどね。でもその言葉が聞ければ充分だわ」
サーヤは満足そうにうなずく。
すると次の瞬間、エークス卿のうしろに突然気配が現れた。
「やっほ。お届けものだよー」
レナだった。手には書類を一枚持っている。
エークス卿は目を見開いて振り返った。もちろん、彼女の護衛は最初から部屋の外にも中にもいる。だが誰一人、レナの侵入に気づけなかったのだ。
とっさに剣を抜こうとした護衛の騎士だったが、
「ありがとレナ。でも、入ってくるときはちゃんと入り口を使うのよ」
「わかったー。じゃ、ばいばい」
そして入口へ足を向けた瞬間、消えた。
あまりにも速い身のこなし、気配の消し方、そしてさりげなく入り口に視線を誘導させてから反転し、小さく開いていた窓からスルリと抜けただけなのだが、その巧みすぎる技術に騎士すらも気づかなかった。
スキルも魔術も使わない、道具と身体技術だけ――それがレナたちが使う忍術だ。
レナが持ってきたのは、ミレニアに頼んで探ってもらっていた闇市の取引情報だ。
早急に必要だったし、裏社会の情報なので闇市の開催元からこっそり盗む必要があったんだけど、そこは裏稼業のレナに任せておいたのだ。
サーヤが書類を眺めながら、小さくつぶやく。
「金貨百枚か。お姫様の値段にしたら随分安いのね」
「っ!」
情報屋ギルドいわく、エークス卿は昨日の夜に姫様を買い取ったらしい。
ミラナ=エークスという人間は、普段から数々の策謀を張り巡らし、入念に準備を揃え、そして望むものを手中に収めてきた。
あくどい手段を使うこともあることは、サハスが知っている情報からも判別できた。
もちろん闇市で取引したときには偽名を使っているだろう。
一瞬動揺したエークス卿だったが、すぐに取り繕う。
「その帳簿がなんだと? ワタクシの名前でも書いていたのですか?」
「いいえ。でもここで取引された獣人の子が、この屋敷にいれば話は別よね?」
「……なんのことでしょう。この屋敷に、亜人など――」
「『神秘の子』、読んだことないの?」
サーヤはサラリと言った。
エークス卿はすぐに俺に視線を向けて、目を見開いた。
俺にまつわる噂は色々あるが、能力に関してバレているのは基本的に三つ。
『転移が使え』『真実を喋らせるスキルを持ち』『透視もできる遠視スキルを持っている』こと。
当然、この屋敷の地下室に獣人がひとり閉じ込められていることも、とっくに視えている。
「それは……」
初めて顔を青ざめさせたエークス卿だった。
サーヤは間髪入れずに念を押す。
「お姫様を買ったのは、捕虜じゃなくて保護。そうなのよね?」
「……そうです」
ここで捕虜と認めてしまえば、獣王国に宣戦布告するのと同じことになる。
もしかしたら、ゆくゆくはそうするつもりだったのかもしれないし、また別の目的があったのかもしれない。だがまだ何をするにも準備段階の状態で、エークス卿が正直に言えるはずもなかった。
保護した、と言えば誰にも咎められることはないのだから。
「なら経費に使った金額を渡すわ。そしたら返してくれるわね?」
「……しかし、サーヤ様が姫君にとって味方である証拠はありません」
「獣王国からの依頼書。これが証拠よ」
なおも粘ろうとしたエークス卿に、サーヤがさらに書類を提示する。
もとよりカルマーリキが受けたのは、冒険者ギルドが仲介した正式な依頼だ。
そのあとサーヤが個人的な受注をしたわけだが、今回の交渉にあたってミレニアに書類を作成してもらっていた。
そもそもミレニウム総帥が俺たちに帯同している手前、悪あがきに過ぎないとエークス卿もわかっていたようだが。
エークス卿はさすがに観念したようだ。
「失礼しました。確かに、姫君を保護しております」
「そう。じゃあ返還手続きお願いね」
サーヤがそう言うと、エークス卿は仕方ないとばかりに淡々と使用人に指示を出していた。
その陰で、ほっと息をつくサーヤ。
エークス卿はかなりの理論派で、感情より理屈を優先する人間だ。
その情報を得たサーヤは、すぐにミレニアに頼んで正式な依頼書を作成してもらったのだ。
取引が正式なものであり理屈が通っているのなら、無理に隠したりせず素直に返還申請に応じてくれる、と判断したのである。
その予想通りエークス卿は義がこちら側にあることですぐに諦めてくれたのだ。
「では、こちらにサインをお願いします」
「対応ありがとう」
「いえ……しかし貴方、便利な能力をお持ちですね」
エークス卿が皮肉を込めて俺に話しかけてきた。
「確かに便利ですけど、俺は頭が悪いので十分に使いこなせてる自信はないです」
「ご謙遜を」
「本音ですよ。自覚がある分、あなたのような高度な知性と美しさを備えたひとには本当に憧れてますよ、マダム」
「……お口が上手ですね」
にっこりと笑いかけると、エークス卿も呆れたのか少し表情を緩めていた。
少しすると、使用人に連れられた姫君がやってきた。
不安そうな表情を浮かべる六歳のウサミミの少女だった。
兎人族。
実際にこの目で見るのは初めてだったが……うん、素晴らしすぎるな兎人族。
不安そうに半分から垂れているウサミミ。保護欲をそそるその見た目は、獣人の中でも比較的穏やかな種族だという。こんな幼いウサミミ姫様を誘拐するとか、ふつうなら考えられないだろう。
ウサミミ、最高だな。
俺が心の中で拍手喝采していると、すぐにサーヤとエークス卿は書類をやりとりして、返還の手続きを完了していた。
エークス卿の調印が終わると、サーヤはすぐにウサミミ姫様のもとに駆け寄った。
「こんにちは。私、サーヤよ。サーベルさんから依頼されて姫様を迎えに来たの。サーベルさんは知ってる?」
「う、うん……ママの部下のひと……」
オドオドしながらも、ちゃんと受け答えはしていた。
怪我はしていないようで、丁重に扱われていたらしい。サーヤは確認してほっと息をついていた。
その様子を眺めていたエークス卿は、今度は俺に問いかけた。
「そちらの用件はこれですべてでしょうか」
「そうです。お手数をかけました」
「いえ。では、こちらもあなたにひとつお願いがあります」
「なんでしょう?」
「帝王レンヤから連絡を受けておりますか? 仲介役として、あなたを指定されていたようですが……どういう繋がりでしょう?」
探るような視線を向けてきた。
レンヤの言った通りだ。エークス卿からレンヤにコンタクトを取るつもりらしい。
「実は帝王はルニー商会の上客なんですよ。知ってますか? ルニー商会」
「もちろん存じております。近年、大陸東側の経済の要になっている新興商会ですね」
「そのルニー商会のトップが俺の妹ってことは?」
「……そういえば〝女帝モノン〟はあなたの妹君でしたか」
「なので帝王は、転移が使える俺によく依頼するんですよ」
嘘ではない。
ただ、もちろん誰にも彼にも前世のことを正直に話すつもりはないから、当たり障りのない説明をしておいた。
「なるほど。ではお願いがあります。帝王と会談をおこないたいのですが、仲介をお任せしてよろしいでしょうか? 機密性の高い会合にしたいのですが」
「わかりました。帝王からも依頼されてるので、いつでも大丈夫です。エークス卿のご予定は?」
「本日の夜でいかがでしょう」
「たぶん大丈夫です。場所はこちらで指定しても?」
「はい。ただ、護衛はつけさせていただきます」
「もちろんです。ならまたあとで迎えに来ますね」
「よろしくお願いします」
よし、話は纏まったな。
それにしても、取引や探り合いは肩がこるなあ。
これを長年続けてきたエークス卿は本当にすごい。そりゃ智謀にも長けるようになるだろう。
俺が素直に感心していると、隣からそんな堅苦しい雰囲気をものともしない声が。
「ねえお姫さま、お名前はなんていうの?」
「……ミ、ミンミレーニン……」
「可愛い名前ね! いままでひとりでよくがんばったわね~」
ウサミミ姫様をなんとか和ませようとするサーヤの底抜けに明るい声が、部屋に響く。
ミンミレーニン姫は戸惑いながらも、サーヤと打ち解けて、少しずつ笑顔になっていくようだった。
取引もできて、怖がる幼子を安心させることもできる。
俺には難しいそのふたつを軽くしてのけるサーヤを眺めて、俺は仲間に恵まれたなぁと、心から思うのだった。




