聖域編・19『〝八つの象徴〟』
聖都サインは広い。
中央には不可侵領域である聖地〝はじまりの丘〟がそびえ、その周りをなだらかな坂の青い街が覆っている。
無論バルギアほどの壮大な都市ではないが、少なくとも各国の王都並みの広さはあった。
人口は、おおよそ五十万人。
広さのわりには少ないが、教会関係者を筆頭に質素倹約がお国柄でもあるので、それも仕方ないことだろう。
国の大幹部でもある枢機卿の家ですら、祝い事でもなければ贅沢はしない。そう考えたら昨夜の夕飯はかなりのものだったんだろう。
異端審問を終えたサーヤに対しての最大限のもてなしだったに違いない。
とにかく、そんなサインでたった一人の獣人を見つけ出すのは相当苦労するはずだ。
しかも誘拐されて聖都のどこにいるかもわかっていないらしい。
「待っていたサーヤ殿。某では満足に動けぬところであった」
獣王国の特殊部隊〝スペード〟、その隊員である犬人族サーベルは、南街の小さな宿屋を拠点としていた。
俺たちが拠点にしている宿の部屋を訪れると、サーベルがフードを被って扉を開いた。
招き入れてすぐに扉の鍵を閉め、フードを取ってサーヤに頭を下げた。ちょうど俺の目線に茶色い髪に犬耳が垂れていてめっちゃ可愛い。
サーベルのような武骨な青年でも、やっぱり獣人はいいなぁ。
「こらルルク、勝手にもふもふしようとしないの」
「ハッ!? ……無意識って怖いな」
耳に伸ばしていた手をひっこめる。
サーベルは頭を上げると、少しだけ俺から遠ざかった気がした。
「念のため確認するが、来てくれたということは正式に依頼を受けてくれるのだな?」
「もちろん。見つけられる保証はできないけど、精一杯努力するわ」
「助かる。では前金を納めさせてくれ。それと足りないかもしれないが必要経費だ。残りは本国に戻ってから清算させてくれ」
そう言って袋をふたつ渡してくるサーベル。
金貨が十枚、もうひとつが銀貨が三十枚ほどかな。
「ありがと。もらった分はしっかり働くから安心して。それで、状況は?」
「ルニー商会曰く、十日ほど前に姫様はこの聖都に連れて来られたらしい。カルマーリキ殿の報告によると、五日前に兎人族の子どもの目撃証言が南街の外壁近くであったようだ。いまは南街を中心に聞き込みをしているところだが……某では思うように聞き出せず困っていたところだ」
「フード、被ってないとだもんね」
犬耳がバレたら聖騎士に通報される都市だ。情報がフェースブーク派にいけば『亜人狩り』の対象にされる可能性がある。
ちなみに、カルマーリキとメレスーロスには俺が入国前に『閾値編纂』をかけて、人族にしか見えないようにしている。だから二人は自由に動けているのだ。
……手伝い? 違います。これは仲間の安全を確保しているだけです。
「じゃあひとまず私も情報屋ギルドに行って最新情報もらってみるわ。サーベルさんはここにいて」
「だが、こうしているうちにも姫様が危険な目に遭っているかもしれないのだ……」
「焦っちゃダメ。また前みたいになるわよ」
腰に手を当てて、ピシッと言いつけるサーヤ。
真っすぐに見つめられると、かすかに頬が上気するサーベルだった。
「わ、わかった。某はここで情報を待つ。カルマーリキ殿たちも待たねばならぬしな」
「そうそう。サーベルさんは司令塔役ね」
「かしこまった」
素直にうなずくサーベル。犬耳がピンと立っていた。
まるで飼い主と忠犬……いや、深くは考えないようにしておこう。
サーヤはすぐに宿を出た。目下やることがない俺も、もちろんついて行く。
さすがに大人数は目立つので、セオリーとミレニアは留守番だ。堕落させたら世界一の竜種であるセオリーはとくに世話の焼き甲斐があるだろう。いまごろ新人メイドの良い練習相手になっているはずだ。
「相変わらず出歩いてる人が少ないわね。えっと、情報屋は……」
サハスにもらった地図を見ながら歩くサーヤ。
後ろをのんびりついて歩くのは俺。
その俺の後ろを口笛を吹きながら歩いているのはレナ。
……ん?
「なんでついてきてんの?」
「だってヒマだったから」
「いや里に帰れよ。クロウさんがストレスで禿げるぞ」
「大丈夫! レナの分のミルク毎朝飲んでもらってるから、イライラしないはずだよ!」
「カルシウム信用しすぎ」
まあいいか。これでもレナは暗殺者として超一流。気配遮断のスキルを使わなくてもほとんど気配がしないやつだ。
俺とサーヤとはきょうだいってことにしておこう。
「サーヤの邪魔すんなよ」
「わかってるって。でも敵はレナに任せてね」
「戦わねえから」
「情報収集は得意だよ」
物騒なルビを振るな。
サーヤはくすりと笑うとレナの頭を軽く撫でて「良い子にしてるのよ」とお姉さんパワーを見せつけていた。さすが包容力の塊。
刮目せよ世界、これが母性だ!
口に出したらまたお仕置きされるから、心の中で思ってるだけにしておいたが。
三人組になった俺たちは、しばらく歩いて情報屋ギルドに着いた。
ちなみに情報屋ギルドの看板はリンゴのような形の丸いマークだった。そこはかとなく電子機器の電源ボタンみたいなマークな気がするが、まあたぶん気のせいだろう。
「ごめんくださーい」
扉をくぐって挨拶するサーヤ。
狭い店内にはカウンターに男がひとり座っていて、男の後ろに扉がいつくかある。
男がギョロリとした大きな目をサーヤに向け、しばらく沈黙してから。
「……後ろの真ん中の扉に入んな」
「あれ? まだ何も言ってないのにいいの?」
「聖教国始まって以来の賓客だ。あんたの情報なら言い値で買う」
「売りに来たんじゃないわ。買いに来たのよ」
「ならなんでも聞いてくれ。ギルドはあんたを最上顧客リストにぶち込んだから、どんな秘匿情報でも売ることに決まった……その代わり贔屓にしてくれよ?」
親指で真後ろの扉を指した男。
教皇が緘口令を敷いたとはいえ、さすがにその道のプロにはバレているらしい。
まさかの顔パスにより、VIP待遇で貴賓室に案内された俺たちだった。防音はもちろんあらゆる守りで固められた部屋に入る。
「へ~面白い部屋~。うちの隠し部屋より厳重だね~」
「隠し部屋まであるのか」
「うん。パパのママに内緒のお宝とか隠してるの。ま、レナが潜り込んで全部ママに報告してるけど」
「クロウさん……こんど美味しいもの差し入れしてあげよ」
里長なのに家族の尻に敷かれている姿が想像に容易い。
可哀想だけど、そうはなりたくないもんだな。反面教師にしとこ。
レナとどうでもいい雑談をして待つ。
俺は情報屋を利用するのは初めてだったが、サーヤは何度も利用しているようで慣れたものだった。
しばらく待っていると、背の高い女性が別の扉から入ってきた。
「お待たせしましたサーヤ様。情報屋ギルドの聖教国支部ギルドマスターのシルニアです」
「よろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします、サーヤ様。それでお知りになりたい情報とは?」
「獣王国のお姫様が、この聖都にいるらしいんだけど。知ってる?」
「はい。先ほどちょうど最新情報が入りまして、どうやら闇市で商人から買い上げたミラナ=エークス枢機卿のもとで保護されているようです」
「えっ。助けられてるの?」
「助かる、とは物の見方によりますが、エークス卿は人種差別者ではないのでひとまずはご安全かと」
それは意外だった。
てっきりサハスだけが平等主義なのかと思ったら、エークス卿も種族には囚われない価値観を持っているとは。
まあ、だからといって安心はできないが。
「ちなみに、なんのためにエークス卿がお姫様を助けたか知ってる?」
「……本来なら推測を申し上げるのは職業柄出来かねますが、個人的な意見でよろしければ」
「構わないわ」
「では僭越ながら。おそらく交渉の手札にしようとしているのかと存じます」
「……交渉?」
首をひねるサーヤ。
たしか、隣国の獣王国とはほとんど国交がないんじゃなかったっけ。交渉もなにも国交がなければ連絡の取りようもないだろうに。
だがギルドマスターは首を縦に振った。
「エークス卿は智謀に長けた御方です。それに彼女が貸与されている〝教会の象徴〟が『啓示』であることも踏まえ、ある程度の情報は握っているのだと思われます。サーヤ様は〝象徴〟についてはご存知ですか?」
「ええ、サハスさんから聞いているわ。エークス卿は『啓示』をもらってるのね。どんな効果か教えてもらえる?」
「はい。『啓示』の効果は〝一日一度、疑念ひとつに対する真実をひとつ神が教えてくれる〟とのことです」
「えっ……なんでもわかるってこと? すごすぎない?」
「はい。事象と真実を司る第4神レオリオ様の権能ですから」
あっさりと教えてくれたギルドマスターだった。
さすが長年聖教国で情報を集めてきたギルドだな。
「じゃあ、私のスキルもそれで知ったのかも……」
「そうですね。ただ、あくまで詳細な疑念に対して真実を教えてくれる、という限定的な効果です。まず疑いを持たなければサーヤ様に対して使用はされなかったでしょう。身辺の警戒と、興味を引きすぎないようくれぐれもお気をつけください」
「ありがと。一応、他の〝八つの象徴〟のことも教えてくれない?」
「かしこまりました。ただ『創造』は使われたという情報がないため不明で、『不変』と『知恵』は長らく行方不明になっていること以外は把握しておりません。それはご念頭に置いていただければと」
二つ紛失している、と。
やはり教皇プラス枢機卿五人で、象徴を持っているのがトータル六人なのか。サハスの言ってた通りだ。
ギルドマスターはひとつ咳ばらいをしてから、説明を始めた。
「〝教会の象徴〟は教会の創始期から存在する神器です。『創造』をはじめとして、『均衡』『慈愛』『啓示』『安寧』『不変』『守護』『知恵』の八つがございます。
『均衡』は腕輪型の神器です。効果は〝装着者が受けた影響を周囲すべての者にも与える〟です。例えば装着者が傷を負えば、周囲すべての者に同じ傷がつきます。逆に治癒も同様です。こちらは秩序と混沌を司る第2神アーノルガー様の権能です。ちなみにこれと対になっているのは『不変』だと言われておりますが、詳細は不明です。ご承知を」
「わかったわ」
「『慈愛』はご存知のとおり〝装着者はいかなる相手にも傷をつけることができなくなる〟指輪型の神器です。ただし、魂のある生物のみが対象になります。こちらは生と死を司る第3神ブラット様の権能です。対になるのは『守護』です。『守護』は後ほど説明します。
『安寧』は首飾り型の神器で、効果は〝装着しているあいだあらゆる事象から切り離された空間に移動する〟というもので、時間と空間を司る第5神キアヌス様の権能です。対になるのは『啓示』となっています。『啓示』は耳飾り型の神器で、効果は先ほど申し上げたとおりです。
『守護』は耳飾り型の神器で、効果は〝装着者は自分以外の周囲の者すべてをどんな傷からも守る〟というものです。こちらは個性と境界を司る第7神エフィ様の権能になっております。
……我々が把握している情報は、以上になります」
一気に説明してくれた。
かなり重要な情報だと思うのだが、本当に隠す気はなさそうだ。
そう思っていたら、ギルドマスターは苦笑していた。
「〝象徴〟自体は長年引き継がれてきたものですし、知っている人は少なくありません。それよりもこの国で判定が難しいのは、虚実入り混じった情報なのです。特に枢機卿団内の細かな事情は我々でもほとんど確証を得ません……最近は、その象徴すら隠している枢機卿もいるようなのです」
「枢機卿たちも慎重ね。でもありがと、かなり役に立つ情報だったと思うわ。とにかくお姫様がエークス卿のところにいるなら、あとは交渉次第ってことね」
「そうですね。ですが、くれぐれもお気を付けを」
神妙な表情で言うギルドマスター。
「エークス卿の周囲がにわかに騒がしくなっております。聖騎士団が、指名手配している超重要人物を見つけたらしく、現在捜索中のようですので」
「超重要人物? 誰なの?」
「マグー帝国帝王レンヤです」
「えっ? 帝王がここに来てるの?」
サーヤが目を丸くした。
確かレンヤといえば、二十年ほど前に聖騎士団をひとつ壊滅させて指名手配になったという、互いに因縁のある関係らしい。
「目撃証言があるので間違いないかと。かなり巧妙に姿を隠しており、我々も見失っております」
「そう……でも、なんで帝王が来ててエークス卿の周囲が殺気立ってるの?」
「彼が守ろうとした前聖女を追放したのが、彼女だからです」
ギルドマスターは語気を強くして言った。
「帝王はエークス卿を狙っている、という噂も流れているほどです。彼女に近づく際はくれぐれもお気を付けを」




