聖域編・16『偽りの聖女』
「……ルルクや」
異端審問の評議が別室でおこなわれているため、VIP席でくつろいでいた俺とセオリー。
そこにひょっこり顔を出したのはミレニアだった。
かなり申し訳なさそうにしている。
「あ、紛れ込んだ幼女だ」
「そう言うでない……妾も予想外じゃった。すまぬ」
「冗談だよ。ほら、こっちおいで」
「うむ」
遠慮がちにVIP席に入ってくる。
ミレニウムとしてサーヤの弁護役をするはずだったのに、始まる前に退室してしまったことを気に病んでるようだった。
俺はミレニアの頭を撫でておく。
「ミレニアは悪くないって。教皇の能力が予想外すぎたな。なんの力か知ってる?」
「……おそらく〝聖域の使徒〟の力じゃろう」
「やっぱ使徒だったか」
俺やミレニアのスキルどころか、追加ステータスの影響すら封じている。
この場にいるすべての人物に基礎ステータスとスキル縛りを強制するなんて、ただのスキルでは説明がつかないからな。どう考えても神域の力だ。
「ちなみに聖域って?」
「〝はじまりの丘〟を筆頭として、悪意と力を排除した場所のことよ。妾の見立てでは第2神の『秩序』の権能によるものじゃ。聖教国を侮っているつもりはなかったが、よもや聖域を創り出すことができたとはな……」
しょぼんとするミレニアだった。
いまもなんとかスキルを発動しようとしているが、どうしても不可能のようだ。
たぶん存在位が神位クラスじゃないとこの聖域内で力を振るうことは出来ないだろう。いまの俺やミレニアじゃ到底無理だ。
とはいえ、危険な力ではないのは直感的にわかる。
むしろどこか温かいような、居心地のいい空間に思えるのだ。この空間内では危ないことは起こせない――そんな確信を持てる。
だから俺もさほど慌ててはいなかった。
「ま、なんとかなったし大丈夫だよ」
「不甲斐ない」
「でもまあ、これで終わりとは思えないんだけどな」
エークス枢機卿だけでなく、この法廷内にはインスーター枢機卿、フェースブーク枢機卿もいた。おそらくサハスと同じ法衣を着ていた爺さんたちがその二人だろうが、彼らが何か仕掛けてくるかもしれない。
聖域内は武力的に安全かもしれないが、油断は禁物だ。
「それよりルルク、おぬし聖女と知り合いじゃったのか?」
「まさか。なんで?」
「ずっとおぬしのことを見ておるぞ」
ミレニアの視線を追うと、聖女が目隠し布を越えて身を乗り出してこっちを見下ろしていた。
どこか熱の籠った視線を感じる。
二十歳くらいの綺麗なお姉さん。俺の体が元に戻っていれば口説いていたかもしれない。
一応、手を振っておこう。
俺が手を振ると、聖女は口元に手を当てて跳びはねていた。
嬉しそうだな~と思ってたら、ものすごく大袈裟に手を振り返してくれた。そこはかとなくカルマーリキを感じる相手だな。
なんか思ったよりカジュアルなひとだ。
「あの反応……おぬしの熱烈なファンじゃな」
「単に〝神秘の子〟が珍しいだけじゃない?」
「妾には既視感が……まるで初めて会った時のおぬしのようじゃ」
「ならファンだな」
ミレニアの直筆サインは俺の家宝なのである。
そういうことなら俺もファンには優しくしないとな。
「あとでサインと握手でもすべきかな?」
「……妾には握手まで求めなかったくせに」
「え? そうだったっけ」
「そうじゃ。サインだけで満足しおったじゃろ」
拗ねたように言うミレニアだった。
丸いほっぺに尖がった唇。幼女は拗ねても可愛いな。
「テンション上がりすぎて細かいこと憶えてないんだよなぁ」
「……たしかにそんな感じじゃったがの」
「それに、これだけ頭撫でさせてくれるのに握手はいまさら感ない?」
「それとこれとは別なのじゃ」
ぷん、とそっぽを向くミレニアだった。
その表情もまたプライスレスだが、そこまで言うなら握手もしてもらおう。
「ミレニア、手貸して」
「いやじゃ。言われて仕方なくするのはなんかいやじゃ」
「え~いいじゃん」
「いやじゃ!」
「じゃあ普通に手握らせてね」
「え……あ、え……?」
俺の口八丁に動揺するミレニア。すかさずその隙に手を握った。
にぎにぎ。柔らかい手だな。
「ふ、お、あ……」
顔を真っ赤にしてなすがままのミレニア。
八百年生きてるのに、誰かと手を繋ぐのがまったく不慣れな様子だった。
というか、コレ握手ではないな。
客観的に見たら俺たち、おててを繋いだ幼稚園児にしか見えない件について。
「あるじぃ」
反対側にいるセオリーが、物欲しげに見てくる。
仕方ない。
「ほら、セオリーも」
逆側の手を握って、たいそう笑顔になるセオリーだった。
遠足の姉と弟妹みたいな絵面だな。
法廷でなにやってるんだって視線を感じたが、どうせ待つのもヒマなのでしばらく手を繋いで遊んでおくのだった。
そんな俺たちを、聖女が羨ましげに見つめていたのだった。
■ ■ ■ ■ ■
少しだけ時を遡る。
聖女ペルメナには、聖堂の外ではプライベートは存在しない。
ペルメナの後ろ盾になっているミラナ=エークスは厳粛な女枢機卿だ。
聖女として擁立してくれた恩義があるし、もしペルメナに何かあれば彼女の責任になってしまう。だから細かなスケジュール管理を受け入れ、聖堂から出ることはすべて許可が必要だった。
その日のペルメナの行動もやはり予定通りの内容だった。午前は孤児院を訪れて孤児たちと交流し、午後は他の枢機卿の家族が事故で重傷を負ったため、ペルメナが治しに向かったのだ。
すべて予定が終わり、馬車で帰宅している夕方のこと。
専属のメイドが噂話を振ってきた。なにやら久しぶりに異端審問が開かれるという。
よくよく話を聞いてみれば、裁決されるのはサーヤ=シュレーヌという冒険者らしい。
それが誰か、ペルメナはよく知っていた。
「わたくしも参加したいですわ!」
「無茶なことを言わないでください。許可が出るわけないでしょう?」
「そこをなんとか! ミラナさんに聞くだけでもよいですから!」
「……はぁ、わかりました。聞くだけ聞いてみます」
そしてその夜、メイドが慌てて部屋に来た。
「聖女様、審問会への参加許可が出ました!」
「ほんとですの!? やったー!」
大はしゃぎのペルメナだった。
対してメイドは首をひねっていた。普段なら絶対に許可が出なかっただろうに、なぜ今回だけ許可が出たのだろう。
とにかく、彼女は異端審問に立ち会うことになった。
初めての経験なのでソワソワしていたが、一言も喋らなくて良いことを知って安心した。それよりも、もしかしたらサーヤとともに目的の彼――ルルクが来ているかもしれない。
ペルメナは会場につくなり、目隠しの布を少しだけズラして階下を覗き見た。
「成人くらいの美少年、美少年……ん~。いない?」
傍聴席のほとんどは枢機卿はじめ教会関係者で、それ以外の賓客は十五歳くらいのピンク髪の変な格好の少女と、その隣に座っている五歳児だけだ。なぜかそこだけ仕切りで囲われており、かなりの好待遇だった。
……もしかして、あの子って竜姫?
そう考えたらその隣にいるのはパーティリーダーのルルクだが……おかしい。確かに美少年だけどショタにしか見えない。
うーん……。
ペルメナは審問会のあいだずっと考えていた。
彼が目的のルルクだとわかったのは、弁論が終わったときだ。休憩と評議を兼ねて、枢機卿や教皇たちが別室に向かうとき、サーヤがルルクに手を振ったのだ。ルルクもまた、サーヤに手を振り返していた。
あの感じ、きっと仲間だ。
なら間違いない、彼がそうだ!
身長が縮んでいる理由は謎だが、そうと分かればペルメナも全力だった。
目隠し布を乗り越え、柵から身を乗り出して彼を見つめる。すぐにこっちを見て手を振ってくれた。
「(うひゃ~~~!)」
心の中で大絶叫をしながら、ペルメナは飛び跳ねる。
もちろんすぐに大きく振り返しておく。
ルルクに認知された。きっと彼も自分が聖女だとわかったはず。
ペルメナだって聖女になってからずっと自分を磨いてきた。見た目は美しいと自信を持って言えるし、立場だってすごい……はず。
ここから始まる大恋愛が、わたくしたちを待っているのよ!
そんな妄想を始めたペルメナだったが、意外にも審問会がすぐに再開されてしまった。
評議がこれほど早く終わるとは思わなかったが、続々と法廷に戻ってくる枢機卿たち。もちろん教皇も最上階の席に戻ってきた。
内容を聞いていた限り、サーヤの審議は否決されるだろう。派閥争いに疎いペルメナでさえ、サハスがわざと異端審問を開いたことはわかっている。虚偽申請にならないギリギリで、サーヤを呼び出して無罪放免にする――その狙いを知らない者なんてこの法廷にはいなかった。
「では最終評議を下します。サハス=バグラッド枢機卿、お願いいたします」
「はい。サーヤ=シュレーヌの潔白は証明されました。異端者ではありません」
溜める間もなく断言したサハス。
わかり切っていた展開だが、ルルクたち冒険者一行はほっと息をついていた。ところでルルクの隣にいるあの仲の良さそうな幼女は誰だろう。
審問会の始まる前に証言席に紛れ込んでいた子だ。ま、まさか隠し子!?
いや、そんなはずはない。ルルクがいくら女たらしだと言っても、もう五歳くらいになる隠し子がいるなんて……で、でももしそうならパパって呼ばれてるってことで……五歳の娘がいる五歳のパパ……!? わたくしも頭撫でられたい……ああ、想像だけで鼻血が、鼻血が出ちゃう~!
ペルメナが妄想で悶絶しているあいだに、進行役が終了の合図を告げた。
「では以上を持ちまして、審問会を閉廷とさせていただきます」
「少し、よろしいでしょうか」
空気も弛緩しつつあった法廷に、凛と響いたのは聞き馴染のある声。
ミラナ=エークス枢機卿だった。
「エークス卿、すでに判決が言い渡されました。これ以降の異議は認めません」
「異議ではありません。この場を借りて、新たな告発をおこないます」
「……それは……」
ざわざわとしだす聴衆。
予想外の申し出に、どう対応すべきか迷っている進行役。もちろんペルメナも初めてのことに困惑しながら、様子をうかがう。
「……ええと、教皇様。いかがいたしましょう」
「よい。申せ」
許可が下りた。
エークス卿は教皇に頭を下げてから、ハッキリと言った。
「ここにミラナ=エークスの名をもって宣言します。サーヤ=シュレーヌは異端者などではなく、真の聖女であることを」
誰もが、息を呑んだ。
しんと静まり返った法廷で、エークス卿は粛々と言葉を続けた。
「聖女とは、上位神の加護を持ち、治癒魔術を使える女性を指します。これは聖教会の経典にハッキリと定められていることです。サーヤ=シュレーヌは己の意思に関わらず、聖女たる資格があります」
「ちょっと待ってよ。私、さっき聖女を騙ったってあなたに疑われたばっかりよ?」
「ワタクシは疑ってなどいません。聖女と呼ばれたことがあるか確認したまでです。そしてあなたは肯定しました」
「だからそれは吟遊書のせいだってば」
「たとえ俗世の書物の影響でも、貴女がそう成り得る資格と評価を受けていることは間違いありません。そしてその資格こそが、大事なのです。そうですねペルメナ?」
さらにエークス卿は、上階のペルメナに首を上げて視線を送った。
呆然としていたペルメナは、彼女と視線が合ってようやく息を思い出した。
「ええと……エークス様、どういうことでしょう……?」
「ペルメナ。貴女は本当は聖魔術が使えないことを黙秘し、十五年ものあいだ我々を騙してその席に座っていました。よってワタクシは彼女を偽りの聖女として告発いたします」
……え?
何を言われたのか、しばらく理解できなかった。
ペルメナは頭の中が真っ白になったまま、呆然と佇むのだった。




