聖域編・14『【暗殺者ギルド】VS【暗殺教団】』
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この大陸でもっとも大きな闇ギルド――暗殺者ギルドについて、各国の歴史書にはこう記されている。
暗殺者ギルドはいまから千年前、聖教国で〝不動のファサン〟と呼ばれた女性が立ち上げた自警団が始まりとされている。
聖騎士団では手が出せない外敵から、非正規軍として独自の暗殺術を用いて国を守り続けたファサン。しかし力をつけた組織はやがて国の権力者にとって都合のいいものになっていった。
彼女は義心を失った祖国に愛想を尽かし、派閥争いのため狙われた他国の王子を連れて逃亡し、それ以降行方がわからなくなった。
ファサンが消えた組織は、内部分裂を繰り返し、やがて利益のために暗殺業を担う組織として独立していった。
それが暗殺者ギルドのはじまりと言われている。
暗殺者ギルドには本部という概念は存在しない。それぞれの地域で似たような組織が『暗殺者ギルド』を名乗り始め、横のつながりを持つことで名を広げていった。
この横型構造の運営システムは各地に伝播し、闇ギルドの雛型として受け継がれていった。潰しても潰しても誰かが『暗殺者ギルド』を立ち上げるのは、需要がある以上に、作りやすいという背景もあったのだ。
とにかく、暗殺者ギルドは独立した組織だ。
横のつながりはあるが、縦社会ではない。
所属していても自分さえ生きていれば良いという者がほとんどの組織なので、結束力は皆無で潰れるときは一瞬だ。
そして再建されるとまた何事もなく集まってくる。
「身勝手な連中め……」
その実態に悪態をついたのは、またこの聖都で新しく暗殺者ギルドを始めた男だった。
彼は〝不可視のマスクウェイ〟と呼ばれる暗殺者だった。
彼はもともとギルドの幹部だったが、数ヶ月前にアジトが何者かの襲撃を受けた日、ちょうど仕事で不在だった。彼は難を逃れたが、彼の仲間たちはみな殺されてしまった。
そして彼が再建した直後、かなりの大仕事を依頼されることになった。
それは民衆人気が高い枢機卿――サハス=バグラッドの暗殺だった。
正直、実力ある仲間はほとんど殺されてしまって人手が足りない。指定された期間も短く、調査もろくにできない案件だ。
ふだんなら断っているような内容だった。
だがこの状況では、喉から手が出るほど欲しい額の報酬だった。マスクウェイはしばらく迷ったが、同じく無事だった〝毒娘〟に命じることにした。毒娘は何を考えてるかわからない不気味な娘だが、腕だけは信頼できたからだ。
しかし、あろうことか裏切りやがった。
マスクウェイには『透視』のスキルがある。
念のため敷地の外から監視していた彼は、毒娘が寝返るところを目撃したのだ。どんな会話があったのか知らないが、あの毒娘に触れることができる人間がいるなど思いもしなかった。
呆気にとられた後、湧いてきたのは怒りだった。
ギルドを潰した襲撃者も、組織になんの忠義も持たない所属員も、裏切者の娘も、ギルドを甘く見ているであろう枢機卿も忌々しい。
いつか全員殺してやる。
彼はそう誓った。
怒りに動かされるがまま、すぐに採算度外視で動ける暗殺者を集めた。この仕事のタイムリミットは翌日の午後、つまり実質的なチャンスは今夜だけだ。
さらに枢機卿の家には、毒娘を籠絡した謎の少年や、並々ならぬ冒険者や総帥までもが滞在している。さらに腕利きの護衛たちも配備された。この警備網をかいくぐって枢機卿を殺すのは、至難の業に思えた。
自分以外すべて捨て駒にしてやろう。今後のギルド運営は相当苦しくなるだろうが、ギルドを舐めている相手はすべて滅ぼしてやる。
「目に物を見せてやる」
必ず殺す。
マスクウェイはそう決心し、夜を待つと、雇った暗殺者たちに指示を送った。
まずは十名を、外壁から侵入させる。
彼らの役目は陽動だ。
屋敷内には五名の護衛が巡回しているが、彼らを外までおびき寄せる役目だ。あの護衛たちはこのあたりで有名な護衛専門の傭兵で、たしか先日の祝祭のときに聖女を警護していたパーティだ。
その聖女を狙った暗殺者が失踪した直後、アジトが襲撃されたと情報屋に聞いた。
嫌な縁があるな、とマスクウェイは少しばかり思った。
だが些細な偶然など掃いて捨てるほど見てきた。どうでもいいことだと一蹴しておく。
忍び込んだ捨て駒たちはすぐさま察知され、駆けつけた護衛たちに捕えられていた。
やはり彼ら相手には、下級の暗殺員では抵抗する暇もない。
だがそれでいい。
マスクウェイは同時に、地下を土魔術で掘り進めるよう上級の暗殺員に指示を出していた。
暗殺者にも色々いる。単独でおこなう者が多いが、組んでおこなう者もいる。
今回は後者だ。
二人組の彼らは、ひとりは土魔術で地下を進み、音が漏れないように風魔術で防音壁を張りながら進んでいる。潜入にかけてはギルドでも一、二を争う腕のやつらだ。
外で捨て駒たちが捕まっている間に、屋敷の地下倉庫まで掘り進めた彼ら。
だがそんな彼らに気づいたのは、護衛のなかで最も若い、まだ五歳ほどの少年だった。
少年は違和感を憶えたのか、地面に耳を当てると周囲に静かにするように指示。そしてすぐに、仲間のひとりに庭のある一部を指さしてなにやら指示をしていた。
その直後、傭兵のひとりが土魔術で細い穴を地面に空けた。
指一本ほどの細い穴は、すぐに地下通路までつながった。その穴に少年は小さな球を取り出して落とし、耳を澄ませる。
球は地下通路に落ちて反響音を鳴らした。
だが地面を掘っていた暗殺者たちは防音壁をつくっていたため、その音も彼らに聞こえず、背後に球が落ちてきたことに気づかなかった。
反響音を聞いて考えこんでいた少年は、しばらくして他の仲間に指示を出した。
その仲間たちは、すぐに屋敷の地下倉庫に直行する。
……バレたか。
マスクウェイはそう確信して、潜入役の二人が失敗したことを悟った。
見た目は小さいが、かなり優秀な索敵要員らしい。
「ちっ。オレが直々に手を下すしかないか」
気づかれていることを知らない潜入役は、おそらく地下室で捕まるだろう。
それならその状況を利用して、マスクウェイがその隙に忍び込むしかない。
護衛たちは捕まえた者たちが分散しているためこれ以上人手を割けないだろう。
問題は――
「寝室にいる裏切者と……ガキひとりか」
透視して屋敷を覗くと、枢機卿の部屋にはまるで彼を守るように座る毒娘がいた。昨日は命を狙っていた相手を、今日は守ろうとする尻の軽い女め。
もうひとりの子どもは、五歳ほどの少女だった。おそらく斥候役だろう。
念のため他の部屋も視てみたが、あとは全員寝ている。かの有名な冒険者ギルドの総帥も睡眠中だ。
昨夜いた謎の少年は見当たらないが、いない相手を警戒しても仕方がない。
障害は毒娘だけ。
そう分析し、彼は屋敷の正面から堂々と歩いていく。
「『透明化』、『透過』」
マスクウェイの姿が闇に消えた。
そして門をすり抜ける。
彼が暗殺者として優秀なのは、そのスキル構成だった。『透視』に『透明化』に『透過』。どれも優秀なスキルを組み合わせた彼に、いままで勝てる者などいなかった。
以前のギルド襲撃も、彼がいればまた結果は違っていただろう。
問題は〝生者使い〟と呼ばれる総帥だったが、彼に見つからなければどうにでもなる。そう考えていた。
マスクウェイは、捕まった暗殺者たちに一瞥もせずに通り過ぎる。
彼らを捕えている傭兵たちが、周囲を警戒していた。
「他に侵入者は?」
「見えないな。しかしこれで終わりとは思え――そこかっ!」
突如、マスクウェイの場所に鋭い鉄の棒――クナイを投擲してきた。
とっさに『透過』を発動していなければ喉に刺さっていただろう。それくらい正確無比な攻撃だった。
クナイを投げた傭兵は怪訝な顔をした。
「……おかしいな。何かいると思ったんだが」
「警戒を解くなよ。隠れ身の術を使える相手なら厄介だ」
油断せず、周囲を索敵する傭兵たちだった。
少々驚いたが、マスクウェイのスキルは強力だが万能ではない。隠せるのは視覚的情報だけで、音や匂いは誤魔化せない。無論、足音を立てたり匂いがするようなヘマはしないが、おそらく空気の揺れか何かで気づいたのだろう。
本当に優秀な護衛たちだ。マスクウェイは余計なことをせず、足早に屋敷内に向かった。
待ち構えている毒娘と少女を警戒しながら廊下を進んだ。ゆっくり階段を上がり、二階に到達。
暗殺とは、いかに相手の領域に忍び込むかが重要だ。
油断を指すのも一つの手だが、もっとも有効なのは気づかれないことだ。
〝不可視のマスクウェイ〟は、暗殺者として誰にも負けない自信があった。
いくら毒娘が相手でも、不意を打てればナイフの一突きで殺せる。触れられる心配もない。
その自信とともに、標的の寝室に侵入した――その瞬間。
「死ね」
「っ!?」
とっさに横に跳んでいた。
頬をかすめていたのは、さっきまで椅子に座っていたはずの少女の蹴りだった。足先に仕込んだナイフが、マスクウェイの頬を裂いていた。
あまりにも速い身のこなし。
――こいつ、索敵役などではない!
しかも外にいる傭兵たちより何倍も素早いうえに、透明化に瞬時に気づいている。マスクウェイはすぐに体勢を立て直した。
「あれ? 外しちゃったか……次は当てるから覚悟してね、透明人間」
目が合った。
間違いない。この少女は忍び込んだマスクウェイの存在を確信していた。視覚に頼ることなく、他の情報だけでマスクウェイの姿を脳内で作り上げているのだ。
……化け物か。
マスクウェイは戦慄を憶えた。
だがここまで来て退くという選択肢はない。
マスクウェイはすぐさま懐からナイフを取り出すと、少女に向かって投擲。スキル効果で手から離れて一秒までは透明のままという特性を活かし、そのまま殺す――と思ったが。
少女は首をひねるだけで避けていた。
「バレバレだよ」
「くそっ!」
つい悪態をついてしまう。
荒ぶる心を落ち着かせながら、マスクウェイは素早く移動する。一瞬遅れて、少女がマスクウェイの移動先に駆けてくる。見えないとは思えない正確性に舌打ちし、彼は自ら少女に向かって跳躍した。
当然、少女は気付いて足先のナイフでマスクウェイの喉元を狙って――
「死ね」
「『透過』!」
少女の体をすり抜ける。
そして彼女の背後でスキルを解除したマスクウェイは、振り返って少女の背中にナイフを突き立てた。
手ごたえありだ。
そう思った直後、愕然とする。
マスクウェイが刺していたのは、小さな丸太だったからだ。
絶望は、真後ろから聞こえてきた。
「『空蝉の術』だよ。ひっかかったね」
「なっ」
背後を取られたのはマスクウェイだった。その首筋に、クナイが添えられていた。
何が起こったのか分からなかった。
暗殺者は魔術に頼らないのが鉄則だ。魔力が視える相手なら察知されるし、もし視えなくともその気配を肌で感じる者はわりと多い。隠遁を基本とする暗殺者が頼るのは己のスキルがほとんどだ。スキルなら、発動時に魔力が漏れることはない。
とにかく、完全に背後を取られたマスクウェイの首筋が薄く裂ける。血が垂れ、透明化の意義も失ってしまった。
両手を上げながら透明化を解く。
「……いまのスキルはなんだ」
「教えるわけないでしょ」
「そうか。貴様、何者だ」
「答えるほどバカじゃないよ。オジサン」
「だろうな」
おそらく、この少女は護衛パーティの奥の手だ。
こんな幼い子どもが、まさかマスクウェイすら凌ぐ実力者などとは思わなかった。そんな彼女がぺらぺらと事情を喋るとは思わなかった。
「オジサンは誰なの? 答えなければ殺す」
「オレは〝不可視のマスクウェイ〟だ。聞いたことくらいはあるだろ」
「さあ。どうだったかな……あ、動くのも禁止ね」
指をかすかに動かしたマスクウェイに、少女が忠告してくる。
あと数ミリクナイが動けば、マスクウェイの動脈が切れるだろう。だからこそマスクウェイの動きを警戒しているようだったが――
それくらいじゃマスクウェイは拘束できない。
マスクウェイは、前触れもなく『透過』を使った。その瞬間、重力に惹かれて床をすり抜けた。
これは奥の手だ。あらゆる物質を透過できるそのスキルは、足の裏すら透過すると重力に従って落ちていく。その特性を利用すれば、二階なら安全に階下に向かうことができるのだ。
それに気づいた少女は、慌ててマスクウェイを追うために部屋を飛び出していた。
だが、真下の部屋にくるには時間がかかる。枢機卿の寝室は階段から離れていた。
『透視』でレナが廊下を駆けるのを見た彼は、小さく笑うと、今度は床を蹴って天井をすり抜けて枢機卿の部屋に戻った。
あの化け物じみた少女は、逃げたと騙されてくれた。
所詮は子ども。実力がいくら高かろうが、駆け引きでマスクウェイに敵う道理はなかった。
マスクウェイはベッドの前にひとり陣取る、顔見知りを睨みつけた。
「おい、裏切り者。そこのジジイを殺せ。そうすれば許してやる」
「サハス様は、わたしの恩人。殺させはしない」
毒娘はそう断言しながら、指輪を外した。
その所作に何の意味があるかは不明だったが、マスクウェイもまた『透明化』を発動して夜に溶ける。
だが、互いの手の内を知っている暗殺者同士。
決着は一瞬だった。
「ガハッ!?」
マスクウェイは血を吐きながら、床に倒れる。
……何があった?
毒娘はその場から一歩も動いていなかった。触れることさえなければ、彼女の毒に侵されることなどあり得ない――
そう思った瞬間、彼女がつぶやいた。
「いくら〝不可視〟でも、呼吸はしている」
「ま、まさか貴様……!」
毒により孤独を強いられていた少女は、そのスキルのコントロールができないゆえに暗殺者として生きるしか道はなかった。それは長い付き合いがあるマスクウェイも知っていた。
だがあくまで皮膚に触らなければ、という条件だったはずだ。
まさか吐息まで猛毒にできるようになるとは、思いもよらなかった。
だが、そんなことをすればサハスも道連れに――と思ったが、後ろで寝ていたサハスはサハスではないことに気づいた。
姿が見えなかったはずの、謎の少年だった。いつの間に入れ替わっていたのか……。
マスクウェイは、完全に失敗したことを悟った。
「ぐ、そ……こんな、ところで……オレは……」
「……わたし、もっと強くなりたい。サハス様を守るために」
毒娘は、かつてでは考えられないような強い意思でそう言うと、また指輪を嵌めた。
そのつぶやきは、すでにこと切れたマスクウェイには届くことはなかったのだった。
あとがきTips~〝不動のファサン〟について~
※本編に出てきた歴史で記録されているものはあくまで伝承で、当時の真実はこちら。
【〝不動〟のファサン
>本名アサン。人族の女性で、転生者。前世の名前はネスタリア=リーン。
>>ニンジャへの憧れから、幼い頃から様々な武具と忍術(自称)を多く開発して周囲をドン引かせていたが、本人はいたって真面目だった(※忍者でなはくニンジャ。ここ重要)。
>>>暗殺者として一流の技術を持っていたが、有名なのは浮いている四本の剣を操る〝自在剣〟の使い手だということ。彼女はこれを『百花繚乱の術』と名付けて忍術扱いにしていたが、じつのところ伝説級装備である(現在は某Sランク冒険者が所有)。価値観の違いにより祖国の権力者とケンカした翌日、『真の主を探す!』と書置きを残して逃亡。本人は〝ヌケニンだ!〟と楽しんでいたそうな。その際、護衛対象だったシナ帝国第五王子(十歳)を誘拐。好みのショタだったという。
>>>>その直後、シナ帝国が魔王リーンブライトに滅ぼされ、王子は帰る場所を失う。たどり着いた大陸南西端の秘境に村を作ったファサンは、王子を振り回しつつ『ニンジャの里を作る』というライフワークを開始。のちの【暗殺教団】の創始者となる。
>>>>>その後、王子と結婚して子どもをたくさん残したファサン。体力が落ちてきた彼女は、現役最後の暗殺対象をリーンブライトと定める(夫の家族や祖国を殺害した仇敵だったため)。ちょうど教会が暗殺者を差し向けていたがその暗殺者を殺し、ファサンが〝天空の塔〟内でリーンブライトを暗殺した。それゆえリーンブライトの暗殺は『教会が口封じのためにした』と『【暗殺教団】の手によるもの』という情報が残ることとなったのだった。
……自由気ままに生きたファサンは、それからも余生を幸せに過ごした。
以上が、〝不動のファサン(ネスタリア=リーン)〟にまつわる物語。
暗殺者ギルドも暗殺教団も、どちらも彼女のニンジャへの憧れが生んだもの。彼女の波乱万丈な自由な人生は、後世に大きな影響を与えていたのだった。
もちろんこの真実は闇に埋もれ、千年後に転生したルルクたちには知るよしもないのだった……。




