聖域編・13『クロウさんがストレスで禿げる』
「お、おはようございます!」
朝、俺たちをリビングで出迎えたのは、メイド服の少女だった。
緊張した面持ちでペコリと頭を下げていた。
「ふぇっ!?」
「だあれ?」
セオリーが慌ててサーヤの背中に隠れていた。
ふたりとも安眠していて昨夜のことは知らなかった。
メイド少女の隣にいるサハスが促す。
「まずは自己紹介をしましょうか」
「は、はい。あの、わたし、イスカンナ……めいど、です」
「イスカンナさんね。私はサーヤで、後ろはセオリーよ。メイドなのは見てわかるけど、いつ来たの? それにどう見ても素人でしょ。またルルクがなんかしたの?」
「なんでまず俺が疑われるんだ」
「経験則ね。違うの?」
「いや……半分合ってるけど」
俺はサーヤに事情を説明しておいた。
「なるほど。じゃあ暗殺者ギルドから抜けて、サハスさんの護衛兼メイドとして働くってことね。でもそんなことしたら、他の枢機卿どころか暗殺者ギルドまで敵に回しちゃわない?」
「かもしれませんね。ですが、これも神の思し召しです」
「いいの? 大事な時期なのに」
「だからこそです。私も傍観者を辞めたことで、状況は変化しております。来るべくして来たこの艱難を乗り越えてみせよ、という試練なのでしょう」
迷いなく言ったサハス。
相当器が大きい男だな、サハス=バグラッド枢機卿。
「聖職者としてイスカンナさんを放っておくことなどできませんからね。それに、イスカンナさん曰く、暗殺者ギルドも戦力を失っているとか」
【暗殺教団】のレナがこの大陸西部の暗殺者ギルドの支部を潰して回ったんだっけ。
イスカンナもうなずいて、
「ギルドの暗殺者、ほとんど殺された。今回もわたししかいなくて指名された、です」
「そっか。そういえば、誰に依頼されたか知ってるの?」
「知らないです。名乗った名前が正しいかも、わからないです」
「だよね」
暗殺依頼は相当金はかかるけど、それゆえ匿名性は担保されている世界だ。
まあ、おおかたどれかの派閥だとは思うけど。
自分の命が狙われたというのに、サハスは気にしてないようだった。むしろ喜んですらいた。
「ルルク殿がいるときにイスカンナさんと出会えた。これが幸運でなくて何と言うでしょうか」
「ポジティブね~」
「恵まれているだけですよ。ささ、みなさまそろそろ朝食でもいかがでしょう。ミレニウム閣下もお待ちですよ」
そのまま食堂に案内される。
早起きのミレニアはすでに椅子に座っており、屋敷中に張り巡らせた糸を操って周囲の状況を確かめていた。
朝食はパンとサラダ、小さな肉の入ったスープだった。
質素だが、特に贅沢を言わなければ不満もない量と味だ。すべてサハスの手作りらしい。
サラダの中にときどき不揃いな野菜が混じっていたが、そっちはイスカンナの練習結果のようだ。料理は不得手らしい。
雑談を交えながら朝食を摂り、食後の紅茶も頂いた。
ちょうどそのタイミングで犬人族のサーベルが起きてきて、サハスに「この御恩は必ず」と礼を言ってすぐに家から出て行った。また姫様とやらを探しに行ったのだろう。
サハスも急ぐサーベルを無理に引き留めず、あっさりと見送っていた。
ひと息ついたところでサハスが言った。
「サーヤさん、審問会の件ですが先ほど伝書が届きまして、明日の正午開始と決まったようです。よろしくお願いします」
「わかったわ」
「うむ」
「それって俺たちも傍聴できるんですか?」
「もちろんです。審問会は公開されており、すべての会話は記録し開示もしております。民が納得しないようであれば、教皇様の一令により再審もあり得ます」
「なるほど。じゃあその場で無理やり罪を着せることはできないんですね」
「ええ。ですが、不慣れな方では誘導される可能性もあります。再審は確実に矛盾がある場合だけですので、油断のなさらぬようお気をつけて頂ければと」
サーヤを真っすぐに見て、真剣に言うサハスだった。
「わかったわ。でも最終決定権はサハスさんにあるのよね」
「ええ。しかし答弁内容によっては、異端判定せざるを得ない状況もあり得ます。くれぐれもお気をつけを」
「はーい」
釘を刺すサハスは、それからしばらくサーヤに想定される質問や誘導の手法など、考えられることをすべて話していた。
かなりの分量で俺はまったく憶えられなかったが、サーヤは頭に叩き込んでいるようだった。
まるで弁護士と被告人だ。
「ルルク、少しよいか」
「うん。どーした?」
ヒマをもてあましていた俺は、ミレニアに声をかけられてダイニングの隅に移動した。
「斥候がひとり、この屋敷に侵入したようじゃ。うまく糸の網をかいくぐっておる」
「へえ。ミレニアの糸を全部避けてるのか?」
「阿呆。わざと見えるように配置している囮用を、じゃ。本命の糸には引っかかっておる」
「さすがだね。それで?」
「じゃが妾の糸では追いきれぬほど恐ろしく素早い。ルルク、索敵を頼む」
「はいよ」
バトンタッチだな。
俺はすぐに『神秘之瞳』をこの屋敷内に向けた。
侵入者はすぐにわかった。
軽く頭を抱える。
「……どんな偶然だ、これ」
「どうしたのじゃ」
「侵入者が顔見知りだったんだよ。ちょっと話してくるから、セオリーの相手よろしく」
「うむ。承知した」
俺はすぐに立ち上がって、部屋を出た。
廊下をゆっくり歩く。
正面の曲がり角に、気配を殺した侵入者が身を潜めている。
このまま進めば鉢合わせするだろう――が。
俺は、角待ちしている侵入者の背後に転移した。
「なにしてんの?」
「ッ!?」
反射的に蹴りが飛んできた。片手で受ける。
考えるより先に型の動きが出ていた。きちんとナギの言いつけ通り、鍛錬を続けているらしい。
蹴りを放ったのは俺と同じ身長の凄腕暗殺者――レナだった。
「バケモノの子!? なんでここにいんの!」
「こっちのセリフだよ。今度は何の仕事?」
「な、なんで教えないと……離せ!」
片足で床を蹴り、掴まれた足を引き寄せる要領で一気に俺に近づいて膝蹴りを叩き込んできたレナ。
俺はその膝をもう片手で受け止めてから、両足を持ってぶらんとレナを吊り下げる。
レナは暴れた。
「はーなーせーっ!」
「もう一度聞くぞ。なんでここにいる?」
「……部外者に教える気はない」
「部外者ってことは、狙いはサハスさんだな。でも殺気はなかったし、まずは何かの情報収集だろ。クロウさんが斥候をレナに頼むとは思えないからまた独断で来たのか。帰ったら怒られるぞ」
「な、何も言ってないのに!」
「部外者って一言すら情報だよ。敵に捕まったら何があっても無言を貫かなきゃ。こりゃナギが知ったら怒るぞ」
「な、ナギお姉さんには言わないで!」
「なら大人しくして。いいね?」
「……わかった」
ナギの名前を出した途端にしおらしくなったレナ。
ほんと懐かれてるな。
俺が手を離すと、空中でクルリと回って綺麗に着地したレナ。
とりあえず空いてる部屋を指さして、
「じゃ、こっち来て。そっちの事情全部話して」
「変なことしないでよね! レナはセーシンのものなんだから!」
「マセガキが何言ってんだ」
まだろくに意味も知らないだろうに。
俺とレナは空き部屋に入って、隅に置いてあった椅子をふたつ並べて座る。
「で、何の目的でここに?」
「……セーシンの家が護衛任務を頼まれたから。罠じゃないか調べに来たの」
「ふうん。誰から?」
「キョーコーってひとだって。しばらくサハスっていうジジイを護衛しろって」
「なるほど。教皇の立場からしたら当然もするか」
暗殺者を送り込まれてるしな。
ギルドに依頼されたことを把握して動いてくれたのだろう。
「でもなんでレナが調査するんだ? サハスさんの情報なんか情報屋に行けば手に入るだろ」
「セーシンも参加するから……少しでも危険を下げておきたいの」
「過保護だな」
「だってレナのほうがお姉さんだもん! セーシン、他のみんなよりは強いけどナヨナヨしてるし頼りないからさあ」
「だからってなぁ」
隠れ里からこの聖都まで来るとは。
本当に過保護じゃないか?
「夜通し走れば二日だよ。こんなの大したことないよ」
あっけらかんというレナだった。
さすがというか、なんというか。
「まあそういうことなら安心しろ。俺たちも警護するから、セーシンも見ててやるよ」
「あんたがいるなら大丈夫だと思うけど……いや、でもあんたがセーシンに変なこと吹き込まないようにレナも見張ってる」
「帰れよ。クロウさんがストレスで禿げるぞ」
「大丈夫、この前の誕生日に海藻たくさんあげたから!」
「海藻で髪が生えるのは俗説だぞ……」
とにかく、レナがいる理由はわかった。
サハスに危害を加えに来たんじゃないなら安心だが、さすがに驚いたな。
教皇が色々と手を回してくれているらしいが、護衛にセーシンの家を指名するとはなんという偶然だろう。
もしかしたら、暗殺業は内密にやっているはずだが、護衛業のほうは表の仕事だしセーシンの家のほうはしっかりとしたコネクションがあるのかもしれない。
「そういえばレナ、暗殺者ギルドのやつら潰した話、詳しく聞いても良い?」
「なんで。あんたに教える理由ないんだけど」
「サハスさんが暗殺者ギルドに狙われたって聞いても?」
「はぁ!? またあいつらセーシンの邪魔すんの? 今度こそ全部ぶっ潰してやる!」
「落ち着いて」
「あんな雑魚レナがぜんぶ殺してあげる! ほんとキライ!」
レナは椅子を蹴飛ばして息巻いていた。
話を聞いてくれなさそうなので、少々威圧を放った。
「おすわり」
「ひゃいっ」
床に正座するレナ。
「で、詳しく話を聞いても?」
「……セーシンが護衛してたセイジョってのを襲おうとしてたから、レナが殺したの。ゴーモンしてアジトを聞き出して、そこに行って全員ゴーモンして他のアジトを聞いて、出来る限り潰したのに……害虫みたいにまた増えやがってぇ」
「あのな、暗殺者ギルドってのは組織だけど組織じゃないの。潰してもいくらでも出てくるから意味ないぞ」
「全員殺しても!?」
「ああ。需要がある限り、そういうのはなくならないもんだ」
イタチごっこだ。
まあ、だから潰さなくていいとは言わない。俺も直接邪魔して来たら容赦する気はないしな。
「ちなみにこの街のアジトも潰したのか?」
「うん。南の外壁の近くにあったよ。もっかい潰しに行く?」
「……いや、さすがに別の場所にあるみたいだ」
昨夜、イスカンナには拠点場所を聞いておいたが、彼女が知っていた場所はどこも無人だった。
そりゃ場所がバレて使い続けるなんて闇ギルドじゃあり得ないだろうからな。
「っとその前に。レナ、間違っても俺の仲間に手を出さないようにしてくれよ。もし出そうものなら……な?」
「わ、わかってるよ! ええとナギお姉さんに、サーヤ、エルネーニール……だっけ?」
「エルニネールな。あとここにいるセオリーに、ここにはいないけどリリスとカルマーリキってのもいる。あとミレニウム総帥も俺の仲間だから手を出すなよ」
「名前言われても憶えらんない!」
「じゃあセオリーだけでも紹介するからこっち来て。ついでにサハスさんの人柄も確認しとけ」
「え、いいの?」
「ああ。護衛チームの斥候って言っとけば良いだろ」
「やった! パパにはあんたから許可もらったって言っとくね!」
本当はダメなんだろうが、面倒になってきたしな。クロウさんごめんね。
俺はレナを連れてダイニングに戻った。
みんなは俺が見知らぬ少女を連れて戻ってきたことに驚いていたが、
「レナだよ! 明日、レナたちのチームがサハスってひとを護衛するから、よろしくね!」
「そうでしたか。教皇様から連絡を受け、お待ちしておりました。明日はよろしくお願いいたします。他の護衛のみなさまは?」
「みんなは午後に着くと思うよ! レナは速いから先に来ちゃったんだ」
「そうですか。ではレナ殿、みなさまのご到着までゆっくりとお過ごしください。すぐにお茶を煎れて来ますね」
「ありがと! おじいちゃん、良い人だね!」
レナはサハスのことを気に入ったようだった。
「お、お茶ならわたしが」
「ではイスカンナさん、一緒に練習しましょう」
「はい!」
イスカンナとサハスが厨房に向かったので、
「で、こっちがセオリー。こっちがミレニウム総帥。憶えておいて」
「わかった! セオリーって子は弱そうだね。ソースイってひとは……んんん? なんかへん」
さすが【暗殺教団】の神童だな。『閾値編纂』も素で見破りそうな慧眼を持っているらしい。
でもまあ、説明してやる義理もない。正直に言ってもデメリットしかないしな。
「あと二人はここにいないけど、天使っぽい子がリリスで、小柄な犬っぽいエルフがカルマーリキだから憶えてて。それとエルフの中でも至高の美人がいたら、その人も手を出したらダメだからな」
「う~……憶えらんない。でもわかった。リリスとカルマーリキ、それと超美人なエルフね」
「そうだ。大陸の東側には俺も知り合いいっぱいいるけど、さすがにそこまで遠くの仕事は受けてないだろ?」
「うん。ここが一番遠いよ」
なら暴走しても安心かな。
レナの暗殺技術は伊達じゃないからな。おそらく死神の肌を持つイスカンナでも敵対したら瞬殺されていただろうし。
「レナさん、お茶をお持ちしましたよ。ほらイスカンナさん、さっき言ったとおりに」
「お、お茶をお持ちしました。ど、どうぞ」
「ありがとおじいちゃん! あと死の匂いがするお姉さん!」
笑顔で言って、紅茶を受け取って飲んでいたレナ。
イスカンナは少しショックを受けたらしく、落ち込んでいた。
すかさずサハスが慰めていた。
こうしてレナが滞在し、やや騒がしくなるサハスの屋敷だった。
セーシンたちが到着したのは夕方頃だった。
これで護衛は総勢五名。レナを含めれば六名になった。サハスの身の回りを固め、いよいよ異端審問が迫った前日の夜。
また、屋敷に近づく影があるのだった――




