聖域編・11『女心はわけがわからん』
俺たちは騎士たちとともにサハスの屋敷まで戻ってきた。
騎士たちの言った通り、サハスの屋敷には所々焦げ跡や争った形跡があった。
正門や玄関はまったくの無傷だったが、裏口が外から蹴破られたようになっている。応接室や廊下には火魔術を使ったのか壁や天井が焼け焦げていた。
ひととおり屋敷の内部を見て回ると、騎士が俺たち――とくにサーヤを注視しながら言った。
「見ての通り内部で戦闘があり、バグラッド卿は襲撃者から逃げようとしたのだろう。だが裏口で追いつかれ、そして拉致された。本日、この屋敷の中に招かれていたのは貴公らだけだ。誰が怪しいか問うまでもない」
「お待ちをフェグルス第三団長殿。サハス様のお屋敷は警備がいないことは誰でも知っています。侵入しようとすれば誰でもできるはず。ましてや転移を使えるサハス様を襲うなど、準備も入念にしてきたはずです。その推察は当てになりません」
ラインハルトが俺たちを庇ってくれていた。
そういえば、彼はどの派閥なんだろう。騎士団の第何団かの副団長だからかなり立場的には偉いはず。
少なくともサハスが信頼していたことと、フェースブーク派やエークス派の騎士とは仲が悪そうだからそのふたつの陣営ではないだろうけど。
「ラインハルト君、バグラッド卿は魔術の腕と民衆の支持だけで枢機卿になった男だ。どの陣営の援助もなくここまで登りつめた計算高い男が、ただの襲撃者に後れを取ると? 油断していなければ考えられないことだろう」
「サハス様は本当にお優しい方です。決して貴方が思っているような冷徹な人ではない」
「どうだかな。おおかた、異端審問の件でそこの冒険者と取引して話が決裂したんだろう」
「あり得ません! サハス様もサーヤ殿もそのようなことはしていない!」
「していない証拠はあるのかね? それを提示してもらえれば、我々も素直に退こう」
「それは……」
言い負かされそうになるラインハルト。
気持ちはありがたいが、無実の証明を求められるよう誘導されていることに気づいていないので、舌戦は苦手なのだろう。
すかさずミレニアが言葉を挟んだ。
「ではフェグルスとやら、汝はこちらがサハス卿に手を出した証拠を提示できるのか?」
「これはこれはミレニウム閣下……それは確かにありませんが、この状況ならば嫌疑とするには十分ではありませんか?」
騎士がやや緊張した面持ちでミレニアに視線を変えた。
ミレニアは毅然とした態度で答える。
「推理と推察は別物だ。十分な証拠に基づいて可能性を絞っていくのが捜査の道理ではないかね。強引な論法を用いる時は気をつけたまえ。得てして足元を掬われるものだぞ、若造よ」
「……強引などと滅相もない」
若造、という言葉に奥歯を噛んだ騎士。
彼も四十くらいの年齢だったが、ミレニアが言うと言葉の重みが違うな。
「私はただ、状況に基づいて嫌疑をかけているだけです」
「……ふむ、ハッキリと言わねば解らぬか。目的が透けて見えるぞ。貴殿らフェースブーク派の失策を隠すために我らを利用するのは、些か悪手ではないかね」
「なんのことでしょう」
わずかに視線を泳がせた騎士。
ミレニアは断言した。
「貴殿の仲間が囲む屋敷から脱出した者がいたかどうかなど、如何様にもできる理由にこじつけて疑いをかけてきたことが墓穴だと言っている。貴殿らはこの屋敷でサハス卿を見失った。その結果、サハス卿が転移を使ったと勝手に決めつけたうえに、転移が使えるのが枢機卿以外に我々だけだという事実を利用した。違うかね?」
「……そ、そのようなことは……」
「ほう、これで妥協せんか? ならばもう一つ踏み込んでやろう……我は冒険者ギルドの総帥ミレニウムである。我がギルドでは他種族に『亜人』という蔑称を用いることは認めておらず、我らと同じヒト種の仲間であることを冒険者ギルドの総意としている。それを踏まえた上で貴公。貴殿は聖教国の兵団長として、我と対立を望むつもりか?」
そう宣言したミレニア。
騎士は目を見開き、すぐに悔しそうな表情を浮かべた。
「……捜査をやり直します」
「撤退する、の間違いであろう」
「なんのことですか」
「フン。まあよい、これ以上騒ぎ立てぬ限りは我もことを荒立てるつもりはない。このまま大人しく帰るがよい」
そう言うと騎士は目も合わせずに踵を返し、仲間たちを連れて屋敷から出て行った。
あっというまに敷地内に騎士たちがいなくなる。
彼らの姿が完全に消えると、サーヤが首を傾げた。
「いまの何? なんで諦めて帰ったの?」
「見ればわかる。ついてくるがよい」
ミレニアの先導で、俺たちは一階にある書斎に移動した。
本棚の前で、すぐに声を発する。
「サハス卿よ。フェースブークの一派は帰った。安心して出てくるがよい」
その直後、重い音がして本棚が回転した。
隠し部屋だ。
そこから出てきたのはサハスと、血まみれの犬人族の青年だった。
犬人族の青年は気絶しており、背中に火傷、額は割れて血塗れで、腕は変な方向に曲がっている。呼吸も浅く危ない状態だった。
「ど、どなたか治癒魔術を使える方がいたらお助け下さい! 私の治癒だけでは間に合いません!」
「わかった! 『ハイヒール』!」
まだ敵か味方か分からないのに、サーヤはすぐに魔術をかけていた。
サハスの魔術と相まって、みるみる傷が塞がっていく。
すぐに出血は止まりなんとか命を繋ぎとめることができていた。
サハスは息をつく。
「助かりました。仕掛けを塞ぐのに魔術を使っていたため、ずっと治療ができなくて……」
「いいのよ。それより何があったの?」
「実は――」
サハスは俺たちが屋敷を出て行った後のことを話し始めた。
俺たちが出て行ったすぐ後、怪我を負った犬人族の青年がいきなり敷地内に飛び込んできた。
サハスが彼を保護したら、どうやら騎士に追われているという。ひとまず屋敷の中で事情を聞こうとしたら、騎士の数人が裏口から侵入。青年に問答無用に攻撃魔術を叩き込んだ。
サハスは大怪我を負った青年を連れて別の部屋に転移。すぐに隠し部屋に入り、土魔術で入り口を固定した。それから息を潜めて騎士たちがいなくなるのを待っていたという。
青年とまともに話す時間がなかったので、詳しい事情はサハスも知らないらしい。
ただ思い当たる節はあるようで、
「フェースブーク派は定期的に『亜人狩り』をすることで有名です。聖騎士の名の元、無理やりにでも罪を押し付けて好き放題することがありまして……」
「なにそれ、最悪な習慣ね!」
「ですがこの国では、それを咎める者はほとんどおりません。私の権限でもどうすることもできず……申し訳ございません」
「ごめん、サハスさんに怒ることじゃないわよね……」
そう言いつつも、不満そうに頬を膨らますサーヤだった。
「でもサハスさんの家にまで押し入るのはさすがにやり過ぎじゃない?」
「いえ、たとえ冤罪だとしても、罪人を庇う者は同じ扱いをされても文句は言えないのです。この身が枢機卿といえど、より大きなルールを盾にする騎士相手には免罪符にはならないのです。派閥などで政治的な牽制ができれば手を出して来なかったとは思いますが……」
派閥を作らなかったことが今回ばかりは裏目に出た、というところか。
「つまり、あいつらサハスさんに逃げられた腹いせに私に冤罪をなすりつけようとしたってこと?」
「そんなことになっていたのですか?」
目を丸くするサハスだった。
サーヤはぷりぷり怒っていた。
「そうなの。サハスさんが消えたから私が誘拐犯だーって。あそこで論破されてたらもしかしたら連行されてたかも」
「なんと……ご迷惑をおかけしてすみません」
「サハスさんのせいじゃないわ。でも、なんで私を狙ったのかしら?」
「昔から『フェースブーク派』は『エークス派』とは利害関係にあります。サーヤさんを異端者にしやすいよう、恩を売るつもりだったのでしょう」
「また派閥争い? ほんと、何かにつけて陰謀ばっかりねこの国って」
「ええ。これくらいは日常茶飯事です」
疲れたように息をつくサハスだった。
「しかし閣下、よく私が隠れている場所がおわかりになりましたね。空気穴くらいしか開いておりませんでしたのに」
「我には空気穴さえあれば充分だ」
「さすが閣下。ありがとうございました」
ミレニアは屋敷について早々、糸をそこら中に張り巡らせて情報を集めていたからな。
透視できる俺はもちろんのこと、ミレニアもすぐに隠し部屋に気づいていた。騎士たちが家の周りを取り囲んでいたことと、踏み荒らされた屋敷内を見たら事情はわからずとも状況は察する。
あとは騎士たちを言い負かして、撤退に追い込むだけだったのだ。さすがミレニア。
「このような騒動に巻き込んでしまい、本当に申し訳ございません。今日は使用人も来ないでしょうし、すぐに私が夕飯の支度をしますのでお待ちください」
「サハスさんはお疲れでしょうし休んでいてください。厨房を借りていいなら俺が作りますよ」
「なんと。ルルク殿は料理もできるのですか?」
「ええまあ。それなりにですけど」
最近はプニスケに任せっきりだけど、料理自体は好きだからな。
それに今日は俺なにもしてないし、少しは働かねば。
「ではお言葉に甘えさせていただきます。厨房の設備をご案内しましょう」
「はい。みんなは適当に休んで待ってて」
「うむ」
「わかったわ」
「御意」
というわけで俺は厨房を借りた。
時間も時間だったので、夕飯はささっと野菜炒めを作ったのだった。
犬人族の青年が目を覚ましたのは、夜も更けた頃だった。
サハスはすでに自室で寝ており、ラインハルトもとっくに帰宅している。
俺たちの隣の部屋も余っていたため、そこに寝かせていたら無事に目が覚めたようだ。俺が部屋に入ると、看病していたサーヤが起きようとする青年を押しとどめていた。
「ダメよ、怪我は治っても体力は戻ってないんだから」
「し、しかしここにいては迷惑を……」
「大丈夫。安心して、騎士はみんな追い払ったから。何か食べるもの用意するわね」
サーヤが微笑みかけると、とたんに頬を赤くしてうなずいた犬耳の青年。いくらサーヤが美少女だからって色目を使いやがって。
青年は俺に気づいていないようだったので、開けた扉をもう一度ノックした。
「食べるものなら持ってきたぞ。夕飯の残りだし消化に良いとは言えないけど」
「ありがと。犬人族のお兄さん、これは食べられそう?」
「あ、ああ」
炒め物を見たとたんに腹が鳴っていた。
すぐにパンと炒め物をかき込んで食べる青年。かなり腹が減っていたようだ。
彼が食べ終わるのを待ってから、サーヤが聞いた。
「お兄さん、お名前は? この国のひと?」
「某はサーベルだ。獣王国の兵士で、ここには用事があって参ったんだが……酒場で情報を集めていたら尻尾がバレてこのザマだ。迷惑をかけて済まない」
「私たちはいいのよ。でも、あとでサハスさん――この屋敷のひとにはお礼を言っててね」
「もちろん。しかし、某を匿ってくれるとは……いささか変わり者のようだな」
「サハスさんはこの国出身じゃないみたいだからね。私たちもだけど」
「そうだったか。某は幸運だったようだ」
ほっと息をつくサーベル。
それから少々熱の籠った視線でサーヤをまっすぐ見つめて、
「そちらの名を伺っても? 麗しの少女よ」
「私はサーヤよ。隣にいるのはルルク。よろしくね」
「サーヤ殿に、ルルク殿か…………んん!? ルルク!?」
とっさにベッド上で後退し、壁にごつんと後頭部をぶつけたサーベルだった。
「まさかカルマーリキ殿が言っていた、大陸随一という実力者の冒険者か!?」
「あ、はい。そのカルマーリキの仲間です」
「そうか……これはまた、とんだ大物に助けられたものだ……」
なぜか興奮するように息を荒くしていた。
というか、やっぱりカルマーリキたちとこの国に潜り込んでいた犬人族だったのか。顔を憶えるのが苦手だから、あまり自信はなかったんだけど。
「カルマーリキから聞きましたよ。攫われた王女様を追ってこの国に来たんですってね」
「そうだ。改めて名乗らせて頂く。某はインワンダー獣王国兵団、特殊部隊〝スペード〟のサーベルだ。行方不明の姫様がこの国にいるという情報を、バルギア竜都でナニガシ商会という仮面のエルフから買ってな。情報を集めに来たのだ」
「ルニー商会ですか?」
「ああ、確かそんな名前の者たちだった」
なるほど、ルニー商会の客だったか。
なら俺も邪険にするわけにはいかないな。名ばかりだけど、最高責任者だし。
「それでカルマーリキたちに依頼を?」
「本来ならこの国までの護衛のつもりだったんだが……カルマーリキ殿の目を見込んで、追加依頼として潜入して情報収集も手伝ってくれることになった。私は鼻は利くが、姫様の匂いは近づかなければわからん。しばらく別行動をしていたんだが、彼女たちは無事だろうか」
「ええ。宿でぐっすり寝てますよ」
さすがにこの国でカルマーリキとメレスーロスから目を離すわけにはいかないから、『神秘之瞳』はずっと二人を追っている。
二人とも、うまく種族を隠して行動していた。
「それなら安心か。しかしルルク殿、不躾な頼みだが姫様を探すのを手伝ってはもらえないだろうか。手持ちは心もとないが、王国に戻れば必ず多大な報酬を約束する」
「すみませんけど、俺たちはいま異端審問に呼ばれてまして。それが解決するまではちょっと難しいかと」
「……そうだったか。いまのは忘れてくれ」
肩を落とすサーベル。
広大な聖都のなかで一人の獣人を探す、なんて報酬があっても即答し兼ねるような高難度依頼を、まさかこの状況で受けるわけにはいかない。
そう思っていたら、
「ねえルルク。サーベルさんの依頼、受けていい?」
まさかのサーヤがそう言った。
「エルニを呼ぶのか? 確かにあいつなら人探しは誰より得意だろうけど」
「ううん。私が個人で受けるの」
「……サーヤが?」
首をひねると、サーヤは少し恥ずかしそうにツインテールの毛先をくるくるといじりながら言った。
「あのね、お父様って昔から獣人の子たちの面倒見てたでしょ? そのおかげでサハスさんがこうして助けてくれてるじゃない。私もね、ずっとお父様のこと尊敬してたから、お父様みたいに困ってる獣人のひとを助けるのにちょっと憧れててね……こんな動機はだめ?」
「受けよう」
俺は即答した。
珍しくサーヤが意欲を見せたのだ。そんな大事なことを、状況が悪いからって断るのは言語同断だ。
断じて、髪をくるくるして頬を染めるサーヤが可愛かったからではない。
断じて。
「いいの?」
「もちろん。でも、サーヤが個人でやりたいんだよな」
「うん。ほんとはエルニネールに手伝ってもらうのが早いんだろうけど……それでも私、自分の力だけで誰かを助けたことってあんまりないから」
そう言ったサーヤは恥ずかしそうに、でも誇らしげに言った。
「そういわけでサーベルさん、その依頼、私が手伝うわ。ルルクほどなんでもできるワケじゃないから頼りにはならないかもだけど、これでも交渉事には慣れてるから」
「恩に着る」
ベッドの上で手を組んで頭を下げたサーベル。
「だがその前に、ひとつ良いだろうか」
「なあに?」
「サーヤ殿の匂いを憶えても良いだろうか。憶えさえすれば、多少の距離なら離れていても見つけられるようになる」
「わかったわ」
「では失礼する」
サーベルはサーヤの正面に座って、首筋に鼻を近づけてクンクンと匂いを嗅いだ。
さすが犬人族、匂いで追跡できるほどの嗅覚を持っているのは噂じゃなかったんだな。
確かに捜査には役に立つだろうが……しかし。
「もういいですよね」
さすがにちょっと長かったので、俺はサーヤの腕を引いて引き離した。
サーベルはうなずいた。
「うむ。憶えた」
「そうですか。じゃあクエストはサーヤが手が空いたときにするって感じで、今日はゆっくりとお休みになって下さいね。俺たちもそろそろ寝ます。サーヤ、行くぞ」
「あ、うん」
そのまま手を引いて部屋を出る。なんとなくモヤモヤするから、早く自室に戻りたかった。
扉が閉まった途端、サーヤが俺の体を持ち上げて後ろから抱えた。
「ちょっ、何だ?」
「えへへ」
俺の体を抱きかかえながら、廊下を歩くサーヤ。
なぜかニヤニヤと頬を緩めていた。
「なんでもないよ」
「ならなんで抱っこするんだよ」
「したかったから」
「降ろせって。自分で歩けるから!」
「やだもん。それにほら、私の方がいまはお姉さんだし」
「子ども扱いするな!」
「だーめ」
上機嫌なサーヤは、それから寝るまでいつも以上にスキンシップが多かったのだった。
ほんと、女心はわけがわからん。




