聖域編・10『善良なる信徒のために』
サハス=バグラッドの屋敷はこぢんまりとしていた。
屋敷の正面玄関前に転移してきた俺たちは、想像していたよりも小さな建物を見上げた。
枢機卿といえば、キアヌス教会では教皇に次いで高位な立場なのに、屋敷はサーヤの実家より小さかった。
「これでも私としては広いくらいですよ」
温和な表情で微笑みながら、自ら扉を開けて俺たちを案内するサハスだった。
家のなかは静かだった。出迎える使用人もなく、気配もない。
サーヤが首を傾げる。
「一人暮らしなの?」
「妻には先立たれまして、いまは私ひとりです。家屋の維持には数名使用人を雇っておりますが、週に二度ほど来てもらうようにしているだけですね」
「そうなんだ。大変そう」
「慣れたものです。身の回りのことは自分でもできますし、無理に贅をつくす必要もありますまい。皆様には少々ご不便をおかけすることになりそうで恐縮ですが……」
申し訳なさそうにするサハスに案内され、応接室に通された。
俺たちがソファに座るとサハスは自ら厨房に向かい、茶を煎れて戻ってきた。
本当にすべて自分でやっているらしい。枢機卿なのに驚きだ。
「改めまして、サハス=バグラッドと申します。聖教国では枢機卿団の一席を預からせて頂いております。皆様にはお会いできて光栄でございます」
「バグラッド卿。我らを招いた本当の理由は説明して頂けるのかね?」
「もちろんでございますミレニウム閣下。ですがその前に、ひとつ確認させていただきたいことがございます……サーヤ殿」
「なあに?」
「もし、聖女になれるとしたらどうしますか?」
目を細めたサハス。
聖女になる。
その言葉の真意は不明だが、サーヤは即答した。
「お断りね」
「理由を伺っても?」
「私はいまの生き方がとっても好きなの。貴族に戻るのすらイヤだし、聖女として生きるなんてもっとゴメンよ」
「なるほど。理解しました」
サハスは安心したようにうなずいていた。
「どうやら私がサーヤ殿をお呼びして正解だったようです」
「いまの質問、そんなに大事なことだったの?」
「はい。ご返答によっては退任も覚悟していたものですから」
「……どういうこと?」
「それを説明するには、本国の事情を簡単に説明していたほうがよさそうですね」
サハスは俺たち全員の顔を一度眺めてから説明を始めた。
「現在、教皇様を補佐する我々枢機卿団には大きく分けて三つの派閥がございます。ひとつは十五年前に現聖女を見出した実績で教皇様からの信頼が厚いミラナ=エークス枢機卿率いる『エークス派』。ひとつはそれまで長年枢機卿団を纏めてきた歴史があり最大規模を誇るナポル=インスーター枢機卿率いる『インスーター派』。そしてもうひとつは聖騎士を多く輩出している武闘派のローム=フェースブーク枢機卿率いる『フェースブーク派』です」
「サハスさんはどこに所属してるの?」
「私はどこにも所属しておりません。どうにも派閥争いは肌に合わなくて……」
苦笑するサハスだった。
その三つの派閥『エークス派』『インスーター派』『フェースブーク派』については憶えていたほうが良さそうだ。
サハスは軽く咳払いをして、
「今回、私がサーヤ殿をお呼びできたのは、どこの派閥にも所属しておらず身軽だったからです。正直、派閥争いのなかにこの身一つで飛び込むなどとは思ってもいませんでしたが……」
「どういうこと?」
「本来、サーヤ殿を召致しようとしていたのは『インスーター派』なのです。目的は単純、異端審問の名目で呼び出して、なにかと理由をつけて新しい聖女に擁立しようとしていたのです」
「私を聖女に? なんで?」
「『インスーター派』は二十年ほど前、『エークス派』と『フェースブーク派』の政略によって旗印となっていた聖女を失ってしまいました。そこから五年後に『エークス派』が新たな聖女を擁立して以来、国内の影響力は落ちる一方でしてね。なんとかして復権を目指したいのでしょう」
「ふうん。というか、そもそも聖女って具体的になに? 地位?」
「教皇様と同じく、教会の象徴ともいえる立場です。上位神の加護を持ち、他者を癒せる女性であることが選定の条件なのですが、神に愛された娘だけが授かる称号のため『姫巫女』とも呼ばれております。それゆえ聖女を抱える派閥は、教会内で影響力が増すのです。ですから彼らは聖女の資格がある者を擁立しその席を奪い合ったり、あるいは蹴落とそうとしているのです」
そう言いつつも、どこか納得していない様子のサハス。
サーヤもつい正直な感想が漏れたようだった。
「なにそれ、象徴的な立場を道具みたいに扱うのね」
「……返す言葉もございません」
「それで、この国のひとは私が加護持ちだってどうして知ってるの?」
当然の疑問を口にするサーヤ。
むしろサハスが驚いていた。
「おや? 知らなかったのですか。近頃、かの竜王殿がそこら中で喧伝しておりますよ。上位神の中でも力ある竜神様の加護を、竜姫様のお仲間のサーヤ殿が授かっていると、それはもう自慢げに」
「あの親バカめ……」
「ご、ごめんサーヤ……」
セオリーが申し訳なさそうにしていた。
サハスは苦笑して、
「今回私が『インスーター派』に先んじてサーヤ殿をお呼びしたのは、その情報を聞きつけた彼らを出し抜くためです」
決意の灯ったような目になったサハス。
「異端審問は召致した枢機卿に最終的な裁量権があります。そして一度でも異端審問を受けて問題なしと放免された場合、五年間は再招致ができません。教会の信用に関わりますからね」
「じゃあ、サハスさんが私を呼んだのって……」
「異端審問を理由に『インスーター派』に利用されるのを防ぐためです。私自身はどの派閥にも所属しておりませんが、それゆえ先んじて動けたのです」
意外だった。
何か裏があるとは思っていたが、まさか、サーヤに異端審問をクリアさせるために異端審問に召集したのか。
俺は素直に驚いていたが、ミレニアが声色を精一杯低くして言った。
「……なぜサーヤを助ける? 貴殿にその理由があるとは思えんが」
「じつは私は十五年ほど前、マタイサ王国のとある教会で神父をやっていたのですが、当時その地域をまとめる上官がひどい種族差別主義者でしてね。孤児院では獣人の孤児を身請けすることができませんでした。私には幼少期から仲の良い犬人族がいたので、獣人の子を引き取れず奴隷商に連れて行かれることに我慢できなかったのですが……その獣人の孤児らを、若かりし頃のカール=シュレーヌ子爵が救ってくださっていたのです」
「お父様が?」
「はい。その頃からシュレーヌ子爵は獣人の子らをすべて身請けし、立派に育ててくれました。実は、そのなかに幼馴染の娘もいたのです。後から知ったことですがね」
「そうなんだ。お父様が……」
「ええ。それ以来、私は彼を尊敬しております」
なるほどな。
もしかして使用人を雇わないのも、シュレーヌ子爵を真似ているのかもしれないな。
サハスは涙ぐんで、とても嬉しそうにサーヤを見つめていた。
「ですから今度は私が恩を返す番だと思いましてね。この凡骨、派閥争いは初めてですが、善良なる信徒のためにはひと肌脱ぐ所存でございます」
「そう……ありがとう」
「こちらの言葉でございます」
深く頭を下げたサハス。
さすがのミレニアも納得していた。
「そうだったか。不躾なことを聞いたようだ」
「いえいえ、当然の疑問でしょう。ただ、話はそれだけじゃありません」
「というと?」
「サーヤ殿を巡っては『エークス派』も動いていたのです。先ほどラインハルトと睨み合っていた騎士はエークス派の小隊です。彼らは異端審問そのものを邪魔しようとしています。それこそ力づくでも止めようとしているようですね」
「どうして?」
「インスーター派とは逆に、サーヤ殿を異端者に仕立てあげたいのがエークス派なのです。冤罪でもなんでもなすりつけてから異端認定してしまえば、新しい聖女になることはありません。けれど今回の異端審問は私の名義で発令してしまいました。これが取り消されるまで、異端審問を先延ばしにしたいのです」
つまりインスーター派はサーヤを聖女に、エークス派はサーヤを異端者にしたいというわけか。
で、異端審問は呼びつけた枢機卿に最終決定権があるから、サハスが抜け駆けしてサーヤを助けている、と。
本当に派閥争いに巻き込まれてるな。
「面倒なことになったわね……ねえルルク、どうすればいいと思う?」
「サハスさんの狙い通り、異端審問をクリアしてとっとと帰るのが良いんじゃないか? インスーター派の聖女の神輿なんてどうでもいんだし」
「それもそうね。付き合う必要もないもんね」
そういうことならサハスが心配するのも納得だった。
もしサーヤが聖女になれば今の聖女が地位を失うことになったろうし、派閥争いも激化するだろう。
「じゃ、サハスさんの異端審問を受けましょ。サハスさん、よろしくね」
「ありがとうございます。それでは審問会の日程が決まるまで、みなさまにはこの屋敷に逗留していただきます。もちろん皆様のお世話をする使用人は別途呼んでおりますので、夜までお待ちください。それまでは私が案内します」
サハスはそう言って立ち上がり、俺たちを客間まで案内してくれた。
客間はそれぞれ一部屋ずつあったが、もちろんサーヤとセオリーは俺と同じ部屋にしていた。
部屋の設備を説明したあと、サハスは窓の外を眺めて言った。
「本来なら外出は推奨しておりませんが、セオリー殿下がいらっしゃれば下手なことにはならないでしょう。夕飯を準備しておきますので、それまでご自由にお出かけになってください」
「観光スポットみたいな、どこかおススメの場所はありますか? ここでしか見れないものとか、体験できないものとか」
「それでしたら〝はじまりの丘〟の西にある『白の教会』をお訪ねになってください。きっとご満足いただけると思いますよ。夕陽が沈む頃だとなおよろしいかと」
「わかりました。ゆっくり行ってみます」
一応、観光スポットもあるようだ。
部屋を出て行くとき、サハスは何か思う所があったのかサーヤに尋ねていた。
「それといまさらですが、サーヤ殿は私を信じてくださるのですか?」
「もちろんよ。なんで?」
「……恥ずかしい話ですが、この地に身を置いておりますと、気軽に他人を信じることができなくなっておりましてな。言葉だけで信じていただけるとは思いませんでしたから」
「そっか。でも安心して。私、ひとを見る目だけには自信あるのよ」
サーヤはそう答えて、にっこりと笑ったのだった。
『白の教会』は、柱以外のあらゆる壁がすりガラスのような素材でできている教会だった。
その名の通りの真っ白な建物で、青い街にぽつんと浮かぶ結晶のようだった。
しかも夕陽に当たると朱く染まり、青い街に燃える教会とも見える幻想的な風景になっている。
ここは信徒たちにもかなり人気なスポットのようで、全体的に静かな街でもここだけは大勢の信徒や観光者が教会前にいて、かなりの喧騒で溢れていた。
あまりの美しさについ完全に日が沈むまで魅入ってしまったが、護衛としてついてきたラインハルトはサハスが心配なのか、少し帰りたそうにしていた。
しょうがない。たっぷり堪能したしな。
「じゃあ帰るか」
「そうね。夕飯作って待ってくれてるみたいだし」
サハスの屋敷からはそう遠くないので、そのまま帰ろうとした――その時だった。
俺たちの前に、正装の聖騎士がゾロゾロと立ち塞がった。
昼間に見た騎士たちとはまた違う騎士だ。なんだろう。
ラインハルトが前に出て牽制する。
「フェグルス第三団長殿。『フェースブーク派』筆頭騎士のあなたが、私たちの客人にどのようなご用件です?」
「貴殿に用はない、下がりたまえラインハルト君。……サーヤ=シュレーヌだな」
「そうよ。何か用?」
「我々と共に来てもらおう」
「なんで? 私、何かした記憶はないんだけど」
サーヤを狙っているのはエークス派かインスーター派らしい。
武闘派というフェースブーク派とは何もないはず。
だが騎士は淡々と言った。
「貴殿にはバグラッド卿誘拐の嫌疑がかけられいる。無論、同行者もすべて重要参考人として同行してもらおう」
「……え、誘拐?」
サーヤが目を丸くしたら、騎士はうなずいた。
「先ほど、バグラッド卿の自宅が何者かに襲撃された。我々が調査したところバグラッド卿の姿がなく、いたるところに争った形跡があったため誘拐事件と認定した」
「そんな……でも、なんで私たちが疑われるのよ」
「バグラッド卿の邸宅は、常に警備が多く巡回している区画だ。騒ぎを聞いてすぐに我々騎士団が駆けつけたが、家屋から出てくる人影は一人も見ていない。だが念入りに調べても建物の中には誰もいなかった」
「そんなの、転移かなにか使って逃げたんでしょ?」
「バグラッド卿が犯人を連れて? もしそうだとしたら、卿も耄碌したものだ」
騎士はハッキリと言った。
「この聖都といえど、転移を使える聖魔術士は教皇様を除けば魔術の腕で枢機卿にまで登り詰めたバグラッド卿のみ。それ以外に転移を使え、警備に囲まれた建物から逃げられるのは貴殿ら【王の未来】しかいないだろう。そして貴殿らは、事件の直前まで屋敷にいたことがわかっている」
「それはそうだけど、でも私たちはここにいたんだし。アリバイはあるわよ」
「転移を使えるなら、そんなものあってないようなものだ」
「……それは、そうかもだけど」
そう言われて言葉に詰まるサーヤ。
騎士は淡々と告げた。
「無論、我々も嫌疑だけで拘束をするつもりはない。まずは現場に一緒に来てもらおう」
これも派閥争いの影響だろうか。
かなり厄介なことになっているようだった。




