聖域編・9『聖都サイン』
国境を越えて五日。
俺たちは予定より三日遅れて〝聖都サイン〟に到着した。
妨害はいろいろと趣向を凝らしていて、道路に迷路が出現していたり野営ポイントに毒虫がばら撒かれていたり川をせき止めて橋を水没させられていたり、挙句の果てにはサーヤのファンを名乗る市民たちが途中の村で大勢待機しており、謎のサイン会が開催されたのだった。
実害が無かったので次は何が来るのか半分楽しんでいたが、俺たちのゴーレム馬車なら半日程度の旅路に八日もかかり、少し疲れてしまった。
とはいえ、聖都を眺めるとその疲れも吹き飛んだ。
理由は単純。
森を抜けて見えた聖都サインの景観が想像以上に素晴らしかったからだ。
「すごい景色! 綺麗な青~!」
馬車の窓から歓声を上げたサーヤ。
都市の中央に近づくにつれて高くなっていく聖都の街並みは、澄んだ青色に染められていた。
なだらかな山のような形の青い都市。それが聖都サインだった。
御者台のガトリンが自慢げな顔で振り返った。
「どうッスか? これが聖教国自慢の街並み〝サインブルー〟ッス」
「ほんと素敵。わざと青色で染めてるの?」
「半々ッスね。もともとこのあたりの石灰石はちょっと青みがかってるッスから、建物が青いのは昔からッス。でも何度も塗り直して、綺麗な街並みを維持するようにしてるらしいッス」
「なるほどね~」
サーヤが感心しているあいだにも、馬車は外壁に近づいていく。
聖都は小高い〝始まりの丘〟を中心に広がっている街だ。ゆるい傾斜が街全体を覆っており、ここからなら丘の頂上にある大聖堂が見える。
大聖堂もかなり立派だ。
というか、肉眼でなら大聖堂が見えるんだな。
こうして肉眼ならハッキリと確認できるのに、『神秘之瞳』を発動して見たらやはり真っ白で何も見えなくなる。
スキルに対する結界でもかかっているのかもしれない。
そうしてるあいだにも、馬車はみるみる外壁へと近づいていく――が、最後の最後にまた妨害があった。
草原から矢が飛来したのだ。
「『トルネード』」
サーヤが冷静に対処していた。
矢はガトリンを狙ったものだったが、突風に弾かれて近くの地面に落ちる。
馬が嘶きながら急停止した。
「どうどう!」
「何事ですか!? 敵襲でしたら私が――」
「もう大丈夫ですよ」
逆側にいたラインハルトが駆けつけてくる前に、俺が転移して下手人を捕まえて戻っていた。
草原の岩陰からガトリンを狙ったのは、さほどレベルも高くない未成年の少年だった。
俺が首根っこを掴んでいると、暴れること暴れること。
「な、なんだこのガキ! くそ放せ!」
「ほい」
お望み通り放り出す。
ゴロゴロ三回ほど転がってから、起き上がって俺を睨んでくる。
年齢は十三歳。小柄な人族で、身なりは汚い。あまり良い生活はしてなさそうだ。
弓も腕もお粗末だったので、正直サーヤが守ってなくてもガトリンに当たったかも怪しい。いやそもそもガトリンを狙ったのかも疑ったほうがいいレベルだ。
その暗殺者モドキは腰に下げた錆びたナイフを抜いて、俺に飛びかかってくる。
「くっそお!」
もはや暗殺者というのも憚られるくらい素人だった。
手加減に手加減を重ねても怪我させちゃいそうだな、と思っていたらラインハルトが剣の峰で暗殺者の腕を叩いた。
鈍い音がして、ナイフが落ちる。
「ぐあっ!」
「そこまでです。それ以上の狼藉を許すほど、私は甘くありません」
ラインハルトもかなりの高レベル。さすがに油断したとしても負ける相手ではなかった。
すぐに少年に手を向けて、
「『アイスロック』」
「んんっ!」
手と足、それから口を氷で塞いでいた。
冷たそう。
ラインハルトはそのまま鞍にかけていた縄の片側を、拘束している少年の足に括りつける。しっかり結んだことを確認し、馬に跨った。
「失礼しました。では参りましょう」
「このまま引きずっていくんですか?」
「はい。このまま進んで門兵に引き渡します。目的を聞きたいところですが、おそらく先日から続く妨害工作のひとつでしょう。金に目がくらんで無謀な暗殺を引き受けただけでしょうし、大した情報も期待できないでしょうから」
冷淡にうなずくラインハルトだった。
確かに身なりを見る限りスラム街の子どものようだし、動きは素人そのものだった。確かに情報は持ってないだろう。
「拘束してますし、馬車に乗せてもいいんですよ?」
「罰になりませんからね。これも教育です」
「……そうですか」
まだ子どもだろうが、犯罪者には容赦がないようだ。
もちろん国が違えば文化も違うから、そこに文句を言う気はない。処刑されるってことはないだろうから、任せておこう。
狙われたガトリンは御者台でほっとしていただけだった。
馬車は暗殺少年を引きずったまま外壁に到着する。
衛兵はラインハルトを見ると最敬礼をして少年の身柄を受け取っていた。
俺たちの身分証明はいらないらしく、そのまま門をくぐる。
さすがにもう妨害はないだろう。
そう思いながら門の真下を通過している時だった。
唐突に大きな音が聞こえた。
「ガトリン殿、伏せて下さい!」
ラインハルトが叫びながら、馬上から飛び上がった。
門は吊り下げ式の分厚い柵門だった。外壁の上部に滑車で引き上げられ、固定されている。
その門が、大きな音を立てて滑り落ちてきた。
「ふんッ!」
御者台に飛び乗ったラインハルトは、落ちてきた門を両手で受け止めた。
あまりの重さに車体が軋む。
「ラインハルト様!」
「ぐっ……つ、土魔術を使える者はいるか! 土台を作って補強しろ!」
「は、はい!」
すぐさま衛兵たちが集まって、土魔術で地面を持ち上げてストッパーを作っていた。
ミレニアも『生成操想』を発動しようとしていたが、ラインハルトの好判断により出番はなかったようだ。
俺は御者台の窓から顔を出して、青ざめているガトリンに声をかける。
「大丈夫ですか?」
「は、はいッス。さすがに驚いたッスよ」
真上を眺めるガトリン。
どうやら門を止めておく縄の片方が劣化して切れたようだった。逆側も重みに耐えきれず、無残に千切れている。
「運が悪かったですね」
「そ、そうなんス……ここ数年、事故に巻き込まれることが多くて……」
そう言いながら義足をさするガトリン。もしかしたら、足を失ったのも不運な事故だったのかもしれないな。
そういえば、出会ったときからガトリンばかり危ない目に遭ってたっけ。木箱が落ちてきたり、狂犬病の犬に嚙まれそうになったり、さっきも矢が飛んできたり。
「ガトリンさん、ステータスの運は低いんですか?」
「どうだったッスかね。憶えてないッス」
「よければ見てみましょうか?」
「……ええと、じゃあ、頼むッス」
少し緊張した様子でうなずいたガトリン。
すぐにステータスをチェックする。
「あれ? 運は217ありますね。不運ってわけでもないですね」
「そ、そうなんスか?」
「これならそんなに運勢が悪いとは思えないんですが……あっ」
スキル欄に原因を見つけてしまった。
【『不運』
>等級なしのユニークスキル。
>>健康状態が良ければ良いほど不幸を吸い寄せる。汝、隣人のために。 】
すぐにガトリンに説明しておいた。
まさかこんなスキルまで存在するとは。
さすがユニークスキル。キワモノ中のキワモノだな。
「こんな自己主張の強いスキルがあるとは……昔は持ってなかったんですか?」
「そ、そうッスね……いつの間に……」
歯に物が挟まったような顔をしたガトリンだった。
とにかく、このスキルのせいでこの先ずっと不運に見舞われるのは間違いないだろう。こればかりはどうにもならない。
「こんなことしか言えませんが……くれぐれも気をつけて下さいね」
「ありがとッス」
そうやってガトリンと話していると、ラインハルトが戻ってきた。
「お待たせしました。ガトリン殿、申し訳ございません。責任はしっかりと追及しておきましたので、管理者にはしかるべき処罰が与えられるかと思います」
「い、いえ……どうやらオイラのスキルが原因みたいッスから、気にしてないッス」
「そうなのですか?」
「はいッス」
ガトリンは知ったばかりの情報をラインハルトにも教えていた。
ラインハルトはそれを聞いた直後、首をひねる。
「『不運』ですか……ユニークスキルでも、同じものが発現する場合があるんですね」
「どういうことッスか?」
「いえ、そのユニークスキルは私の知人が持っておりましてね。彼女も大変な幼少期を過ごしていましたから印象深いのです」
「それは偶然ッスね」
「ええ、本当に」
どこか打ち解け合った様子のガトリンたちだった。
馬車はそのまま進み、ようやく聖都の中に入った。
そんな俺たちを、十人ほどの聖騎士たちが待ち受けていた。
ラインハルトと同じ鎧を着ている騎士だが、肩に刻印されているロゴが少し違う。
「ラインハルト様、ここからは我々にお任せください」
所属が違うのだろうか。
睨み合うように、視線をぶつけてくる迎えの聖騎士。
ラインハルトは微笑をたたえたまま首を振った。
「いえ、私が責任をもって最後まで見送ります」
「……かしこまりました。ではせめて先導いたします」
騎士たちは俺たちの前を歩いていく。
街は外から眺めていたままの青色だった。地面は白い石畳で、ところどころ壁と同じく青く染められている。
ゆるやかな傾斜が続いており、道の先には階段も見える。
近くに厩舎があり、その前で馬を降りたラインハルト。どうやら馬はここまでのようだ。
俺たちもガトリンに促されて馬車から出る。
「それでは皆様はこちらへ」
「じゃあルルクさん、みなさん、また帰りにお会いしましょうッス!」
「はい。ガトリンさんもお気をつけて」
ガトリンと別れて、俺たちは騎士たちについて街を歩く。
サーヤとセオリーが興味深そうに周囲を見渡している。ゴミもほとんど落ちてない清潔な街だった。
立地的に観光客は多くはいなそうだが、そのおかげか街は静かだった。それに他の街とは違って露店などの呼び込みの声がまったく聞こえない。
「このあたりはお店が少ないんですか?」
「いえ、区画当たりの商店は同じ数です。そもそも聖教国での商売はすべて認可制で、教会が認めた者しか商店を開けませんし、価格も統制されています」
「へ~自由商売じゃないんですね」
「はい。他の都市の方からすると品揃えが乏しいようなのですが、普通に生活するうえで困ったことはありませんので不便ではありませんよ」
質素倹約な国といえばいいのかな。
あまり経済的には発展してないだろうが、そもそも寄付金で成り立っている教会が運営している国だから、経済の回し方が他の都市とはまったく違うんだろう。
そりゃリリスも聖教国には出店しようとしないわけだ。
「土産の店もないかな」
「礼拝者向けのお店が中央区にあります。信徒には装飾品が人気ですので、そこならある程度は楽しめるかと思います」
そんな会話を続けつつ中心街に向けて歩いていく。
なだらかな坂を少し登ったあたりで、先導していた騎士たちが立ち止まった。
「では審問会が開かれるまで、皆さまにはこちらの屋敷にて待機して頂きます」
「待って下さい。今回はセオリー=バルギリア王女殿下が同行なされています。賓客として迎えねばならないと伝書を送ったはずですが?」
「……しかし、異端審問を待つ場合はこの屋敷に逗留して頂くことが決まりになっております」
「外壁にほどちかいこのような場所に王女殿下をお招きするなど、聖教国の沽券に関わるのでは? それとも、貴方がたが外交問題に発展した時の責任を負って下さるのですか?」
口論をするラインハルトと騎士たち。
……たぶん、派閥が違うんだろうな。
しかしここではラインハルトに分があるようだった。相手は竜姫、背後にいる竜王の陰がチラホラ見えたら外交問題も現実的なものとして考えてしまうのは必須。
「……少々お待ちください」
騎士たちは数名、急いで走って行った。
しばらく待っていると、騎士たちが帰ってくる前に一人の神父が歩いてきた。
ラインハルト含む騎士たちが、慌てて敬礼姿勢を取る。
「バグラッド枢機卿! なぜこのようなところまで!?」
「大事な客人を迎えに来ました。おおかた、ここで揉めていると思いましたので」
サハス=バグラッド枢機卿か。
少し太っている優しそうな初老の男性だった。サーヤを異端審問で呼び出した張本人だ。
枢機卿というからには教皇に次ぐ立場のはず。
護衛もつけずにこんな街の入り口付近まで来るのは意外だった。
サハスは俺たちを一瞥すると、軽く頭を下げた。
「セオリー=バルギリア王女殿下。お会いできて何よりです。並びにミレニウム閣下、サーヤ=シュレーヌ嬢、ルルク殿もお初にお目にかかります。とはいえここで挨拶するのも失礼というもの。すぐに我が屋敷に招待致しましょう――『転移門』」
サラリと禁術を使ったサハス。
さすが聖教会の大幹部。魔術の腕も驚くべきものだった。
呆気にとられる騎士たちをしり目に、さっさと転移門に入っていったサハス。ラインハルトが俺たちを促す。
「サハス様がこのようにお招きをするとは思いませんでしたが……歩く手間も省けると思ってどうぞお入りください。ご安心を、我々について来て頂ければ悪いようには致しません」
断言するラインハルトだった。
異端審問というからにはてっきり敵意を向けられると思っていたが、ラインハルトの口ぶりからするとむしろ好待遇になりそうだった。
何がどうなっているのか分からなかったが、ひとまず俺たちはサハスの屋敷に転移するのだった。




