聖域編・7『もやは運命と言っても過言ではないでは?』
学術都市からハリーウッド聖教国への道のりは、途中までは順調だった。
この周辺にある国は、大陸最西部にあるハリーウッド聖教国、その東のインワンダー獣王国、そしてその南部に広がるノガナ共和国の三つだ。
どこもかなり特色の違う国だが、ノガナ共和国――学術都市とは聖教国も獣王国も交易が盛んだ。むしろその隣り合っている二国間にほとんど交流がないため、学術都市がバランスを取っているような状況と言った方が正しい。
それゆえ学術都市を中心に三国を結ぶこの道は広く整備されている。
とくに狩猟文化が残る獣王国とは違い、食料自給率の低い聖教国にとっては交易の要でもあるので、行商人の行き来も盛んだった。
質のいい馬車で快適な旅は、すでに三日目になっていた。
聖騎士ラインハルトはかなり真面目で、二度の野営でもほとんど寝ることがなかった。夜番くらい代ろうかと聞いたけど「慣れてますのでお気遣いなく」と頑として断られた。
さすがに三日目ともなれば少し眠そうだが、そろそろ国境近くの街が見えてくるはずだった。
今夜は宿に泊まる予定らしい。ラインハルトも安眠できるだろう。
「にしても何もない場所ね。ほとんど荒野じゃない」
小さく窓を開けたサーヤがつぶやいた。
その言葉通り、大陸南西部の巨大な荒野が三国の国境付近に広がっていた。空気も乾燥していて砂塵も多く、御者台に座るガトリンや馬上のラインハルトは布で顔半分を覆っている。
当然、馬車の窓もすぐに閉めなければ砂ぼこりが入ってくるので、外を確認してすぐに窓を閉める。
車内には少し熱が籠っていた。
「このあたりは雨が滅多に降らんのじゃ。砂漠とまではいかんが、生物はほとんどおらん。魔素も薄いゆえ魔物すら寄り付かん場所じゃ」
ミレニアが不満そうに解説する。
「もともとは手の入った雑木林だったらしいんじゃがのう。千年前にシナ帝国軍とリーンブライトがこの地で戦った影響で、魔素の流れが大きく変わったらしくての。過ぎたる力も考えものじゃ」
「地形どころか環境すら変えるって、どんだけ凄い魔王だったんだ……」
「いまのエルニネール嬢より強かったはずじゃ。ヘルメスの恩師も魔王じゃったが、彼女がいつも『リーンブライトの足元にも及ばないが』と言ってたからの」
さすが歴代最強の名前は伊達じゃないか。
エルニが聞いたら対抗心に火が付いて、さらに環境破壊するかもしれないな。
危ういところだったぜ。
「すごい魔王だったのね。性格も良かったんでしょ? 『リーンブライトの涙』って絵本でも優しい王様って感じで書かれてたわ」
「どうじゃろうな。あくまで童話じゃからなんとも言えんの。物語は脚色されてるものじゃ」
「そうなの? ミレニアさんだって『三人の賢者と世界樹』の性格そのままじゃない」
「現行版の『三賢者』の妾の、じゃな。原版の妾は……それはもうひどかった」
疲れたような、悲しいような表情のミレニア。
サーヤと俺にとっては意外だった。
「そうなの?」
「うむ……そうじゃ、おぬしらになら読ませてよいかの。ほれ読んでみよ」
「「やったー!」」
原版を取り出して渡してくるミレニア。
世界中の『三賢者』ファンが探し求めている原本だ。
俺とサーヤはすぐに本を広げて、二人して覗き込む。
ミレニアの言っていた意味はすぐにわかった。
「なにこのミレニアさん……高飛車な悪役令嬢みたい」
「ぷっ! 笑い方がオーホッホッホだって……腹いてぇ」
さすがに本人と違いすぎて面白すぎた。
ミレニアは丸い頬をさらにぷっくりと丸めて、
「書いたのがヘルメスの弟子キルケイと言うんじゃが、あやつはヘルメスのことをずっと慕っておったからのう……おそらくヘルメスと結婚した妾への嫌がらせじゃ」
「そうだったのか。でもなんで写本版のほうで正しい性格になってるんだ?」
「妾が手を加えたからに決まっておろう。最初の写本の版元は冒険者ギルドじゃぞ。伝えなくてよい真実は隠して、物語として面白く仕上げるように写本師に頼んだのじゃ。無論、キルの許可も取っておる」
「あ、そうだったんだ」
でも考えてみれば、確かにそりゃそうか。
一冊目の写本は原版を読みながらじゃないと書けない。長期間原版を持っていたのはキルケイとミレニアだけだから、どっちかが関わっているのが当然か。
「本来の目的は、ギルドの繁栄のためだったがのう」
「それもヘルメスさんのため?」
「いや、もはや経済的理由で人を集める必要があったのじゃ。初期のギルドメンバーはヘルメスを尊敬しているからギルドに留まっていた者が多くての……妾が総帥になってから辞める者も多かったのじゃ。このままじゃと冒険者ギルドを保てなくてのう。職員を路頭に迷わせんために、苦肉の策じゃった」
だから『三賢者』を広めて、ギルドそのものに価値を置こうとしたのか。
ミレニアも苦労してきたんだな。
とはいえ、
「ミレニアの性格はそのままでもよかったのに。意外と合ってるよ悪役令嬢風ミレニア」
「そんなわけなかろう。というか妾は王女なのに、なぜ地位を下げる扱いなのじゃ」
「いいじゃん。悪役令嬢っぽく笑ってみてよ」
「や、やらん」
「え~見たいのに」
「やらんといって――」
「……だめ?」
「オ~ホッホッホ!」
五歳児らしく可愛くお願いしたらやってくれた。
しかも本気の高笑いだった。
すると御者台側の窓が開いて、ガトリンが顔を覗かせる。
「あの、いまミレニウム総帥が高笑いしなかったッスか?」
「気のせいだ」
スンってなって答えたミレニアだった。
そういえば俺たち以外にはミレニウムに見えているのを忘れてた。サーヤがガトリンに見えないところで無言で爆笑している。
「そ、そうッスか……それと、そろそろ街につくッス」
「おお、早かったですね」
俺は御者台の窓から前方を眺めた。
気づけばかなり近い場所に街の影が見える。
それほど大きくはない街だ。あくまで中継地点としての役割の街なんだろう。
魔物の少ない土地だからか外壁は低く、建物の屋根がここからでも見えている。
「一応、検問もあるので準備をお願いするッス」
「わかりました」
「通行料は騎士さんが出してくれるッスけど……あれ、ちょっと待つッス。何かトラブルがあったみたいッスよ」
ガトリンが怪訝な顔で前方を眺めた。
「寄合馬車が数台停まってるッスね。街のすぐ手前なのにどうしたんスかね」
俺は『神秘之瞳』で上空から確認してみた。
三台ほど寄合馬車が足を止めていて、その向こうには荷車が一台倒れていた。そっちは行商ではなく鉱石などの輸送用の荷車だった。
周囲にたくさんの木箱が転がっている。
後ろの車軸が折れているから、重さに耐えきれなくなって壊れたのかもしれない。
「事故みたいですね。少し時間がかかりそうですけど、街もすぐそこですし大したことではないでしょうね」
「わかったッス」
ガトリンは減速しながら、ゆっくりと寄合馬車の後ろまで近づいていく。
外にいたラインハルトもぴたりと俺たちの馬車の横についた。別に護衛ってワケじゃないけど、護衛みたいな動きをしているな。
そう思っていたら窓をコンコンと叩かれた。サーヤが開く。
「どうしたの?」
「前方の寄合馬車の護衛に、かなりの実力者と思われる人物がいます。サーヤ殿はご注意を」
「注意って言っても敵じゃないでしょ」
「しかし得体の知れない相手です。特にエルフは我々人族を見下している種族ですよ。何をされるか分かったものではありません」
真面目な顔で偏見まみれのセリフを吐くラインハルトだった。
どうやら寄合馬車の護衛はエルフらしい。
まあ、聖教国は大陸有数の人族至上主義国家らしいからな。獣人もエルフもドワーフも、すべてまとめて亜人と呼んで差別している。
サーヤは窓から首を出して、前方を眺めた。
「エルフなら知り合い何人もいるけど、そんなことない――って」
言葉を止めたサーヤ。
その瞬間、振り返った護衛のひとりがサーヤと目が合って、
「あれ? サーヤ? ってことは……ルルクさまあああああ!」
馬から飛び降りて、こっちの馬車に突っ込んでくる小柄なエルフ。
言うまでもなくカルマーリキだった。
カルマーリキは『天眼』のスキルで透視もできるので、馬車内にいる俺たちのことはバッチリ視えていた。
いきなり突撃してきたカルマーリキに、ラインハルトが慌てて抜剣して迎撃しようとしたから、
「カルマーリキ、ステイ」
「わん!」
御者台から声をかけると、ピタリと止まるカルマーリキだった。
相変わらずの忠犬だな。
仕方ないから俺も馬車の外に出る。
「よっ。奇遇だな」
「ルルクさまぁああああああ!」
俺が近づくと、我慢できなくなったのか飛びついてくるカルマーリキ。
俺に抱き着き、頬をスリスリしてくる。
大型犬のようなカルマーリキが落ち着くまでしばらく撫でていると、
「カルマーリキ! 持ち場を離れてなにしてるのさ……って本当に何してるの!?」
慌てて駆けてきたのはエルフおぶエルフの美人エルフ。
エルフと言う言葉は彼女のために生まれてきたんじゃないかと言うほど美しく強い完璧なエルフ、メレスーロスだった。
メレスーロスは俺に抱き着いてスリスリするカルマーリキを見て顔面蒼白になりながら、
「す、すみません! いますぐひっぺがしますから!」
「大丈夫ですよメレスーロスさん。いつものことですから」
「いやこの子は体が小さくてもステータスは高いのでこんなことしたら君の体が折れちゃう……え、いまあたしの名前……って、え、え、もしかしてルルクくん!?」
俺のことをマジマジと見つめて、声を裏返したメレスーロスだった。
さすがに初見じゃ気づけなかったか。
「お久しぶりです。こんなところで偶然ですね。いえ、これはもはや運命と言っても過言ではないのでは? 挙式はいつにしましょう」
「この軟派な言葉……間違いなくルルクくんだ」
唖然とするメレスーロス。
「ルルクくん、その体どうしたの?」
「事情により少し縮んでしまいまして。カルマーリキ、そろそろ離れて」
「うん! ……あれ? ルルク様、いつもよりちっちゃくない?」
「遅くない?」
なぜすぐ気づかない。
いやむしろ俺だと気づくのが早すぎたのか。
まあ、どっちでも一緒か。
「カルマーリキは長期クエストの途中? どこに向かってたんだ?」
「聖教国だよ! いまは護衛中! ルルク様はどこにいくの?」
「俺たちも聖教国だよ。ちょっとサーヤが呼び出されててな」
「じゃあ一緒だね! ねえねえルルク様も一緒に護衛しようよ~」
「俺たちは俺たちで客だから無理だよ」
「え~」
「こらカルマーリキ、ルルクくんたちにまで迷惑かけないで。てか、そろそろ戻るよ。怒られちゃう」
「あーんルルクさまぁ……」
ズルズルとメレスーロスに引きずられていくカルマーリキだった。
長期クエストで遠出するとは聞いていたが、まさか目的地が聖教国だったとは。
護衛しているのは普通の寄合馬車だが、中にひとりだけフードで耳を隠した獣人が混じっている。メレスーロスがその獣人に謝っているので、おそらくその獣人が護衛の対象なんだろう。
かなり大事なクエストっぽいし、邪魔しないでおこう。
俺が馬車に戻ろうとすると、表情を固くしたラインハルトが問いかけてくる。
「ルルク殿、いまのは?」
「友人のメレスーロスさんに、仲間のカルマーリキです」
「……仲間、ですか? 【王の未来】には亜人は魔王候補ひとりだと聞いておりますが……」
「同じパーティではないです。カルマーリキはまだBランクなので」
驚いているラインハルトに、俺はニッコリと笑って言った。
「でも俺にとっては、半年ほど一緒に住んでる大事な仲間です。得体の知れない相手ではないですからご安心を」
「――ッ! し、失礼しました」
ほんの少しだけ威圧を漏らしたら、顔を蒼白にしたラインハルトだった。
仲間のことになるとすぐ大人げなくなるルルクくん。




