聖域編・6『聖騎士のお迎え』
異端審問。
この世界を創造した神々の意に反して、この世界を滅ぼそうと企てる思想を邪教と呼ぶ。
その邪教徒や、あるいは人類文明や教会そのものに害をなそうとする者たちを『異端者』とみなし、大罪人と同じレッテルを張るのが教会の規律だった。
これまで異端認定をされた集団や国もいくつか聞いた事があった。かつてこの地にあり魔王リーンブライトに滅ぼされたシナ帝国も、聖教会から異端認定をされていたらしい。
異端審問とは、対象の思想が神々や人類の秩序に反するものかを問うためにおこなわれる。
それくらいは理解している。
しかしその異端者疑惑がサーヤにかけられている、だと?
「……どういうことだ?」
「ひっ」
書状を運んできたレフトナは俺の顔を見て腰が砕け、震えあがった。
すぐにミレニアが俺の肩に手を置いて止めた。
「よせルルク。威圧が漏れている」
「……すみません」
「レフトナ、手紙を預かる。下がってよい」
「は、はいぃ!」
書状をテーブルに置いて、這いずるように下がっていったレフトナ。
ミレニアはため息を吐いた。
「まったく次々と問題が起こるのう。ルルク、おぬしもおぬしじゃ。レフトナは自らの仕事をしたまでじゃというのに」
「……ごめん。あとで謝っとくよ」
「うむ。しかし異端審問とはこれまた厄介じゃのう」
「無視したらダメかな?」
「やめておいた方がよい。それこそ本当に異端認定されたらどうするつもりじゃ。この大陸のほとんどはキアヌス教の信者じゃぞ?」
確かにそうだ。
だが納得は出来ない。
そもそもなぜサーヤが疑惑をかけられているんだ?
「……状況は聖教国で聞くしかないの。それより令状が届いたということはすぐに聖騎士が来るはずじゃ。ルルクはサーヤを呼んできておくれ」
「わかった」
俺はすぐに宿に戻った。
仲間たちはそれぞれ休日の午前をのんびり過ごしていた。
エルニはスヤスヤ寝ているし、セオリーとナギはカードゲーム。プニスケは料理の研究で、リリスは魔術器の組成式を設計している。
そして当のサーヤはと言うと、
「うーん。一度国ごと滅ぼしたほうが分かりやすいかしら」
机に向かって何やら物騒なセリフをつぶやいているサーヤ。
あれ? もしかして教会は正しかった……?
「あら、おかえりなさいルルク。情報は集まった?」
「あ、あのさサーヤ。いま世界を滅ぼすとかなんとか……」
「うん。最近セオリーが主人公の小説を書き始めたの。その展開をどうしよっかなって」
「なんだそういうことか」
ホッと一息。
いや安心している場合じゃないんだけどな。
俺の表情を見たサーヤは、すぐに心配そうに顔を覗き込んできた。
「どうしたの? 何かあった?」
「それがさ……」
隠せるはずもなく正直に話した。
まさか不要に教会を敵に回すメリットはないので、サーヤが聖教国に召集されるのは避けられない。
説明を聞いたサーヤは素直に頷いた。
「わかったわ。ミレニアさんと一緒に聖教国に行けばいいのね?」
「……怒らないのか?」
「なんで?」
首をかしげるサーヤ。
「異端審問だぞ。場合によっては冤罪で殺されるかもってことなんだぞ」
「大丈夫よ。悪いことは何もしてないもの」
「でも万が一ってことがあるかも」
「心配ありがと。でも、そうね」
サーヤは笑って言った。
「確かに世界平和かルルクか選べって言われたら、私は迷わずルルクを選ぶわ。これも一種の異端者かしらね。邪神ルルク教」
「……俺を邪神にするな」
「ま、冗談はともかく心配しないで。聖教国がどんな情報をもとにどんな狙いで異端審問にかけようとしてるか知らないけど、宗教や思想じゃ冒険者を縛ることはできないでしょ?」
「理屈じゃそうなんだけどさ」
体が小さくなったせいで気も小さくなったんだろうか。
まだ問題が起こると決まったわけでもないのに、臆病になってしまったのかもしれない。
なおも俺が顔を曇らせていると、サーヤはおもむろに小さな俺の体をぎゅっと抱きしめた。
「安心して。私は何があってもあなたから離れる気はないわ。でもそうね……もし無理やりにでも離そうとするなら、それこそ異端者にだってなってやるわよ。たかが教会なんて、私たち【王の未来】の敵じゃないわ」
「サーヤ……」
サーヤの温もりを感じて、少しだけ不安が取れた気がした。
前世の時からサーヤは面倒見が良かったし、この世界でも出会ってから頼りっぱなしになっていたけど、まさか体温を感じるだけでここまで安心できるようになっていたとは。
いままで俺より体が小さかったからしっかり者の妹みたいに思ってたけど、よく考えたら本当に良いお姉さんだな。そりゃお姉さん選手権も三連覇するか。
……あれ。
なんだろう、体の奥からじんわりと広がるこの熱は。
「……俺、風邪でも引いたか?」
「盛り上がってるところ悪いですが、ナギたちのこともお忘れなくです」
ナギが横からジト目で睨んできた。
リリスもセオリーも、さっきまで寝ていたエルニも起きて睨んでいた。
なぜ睨む?
「そもそもナギたちがいて最悪なことなどありないです。カチコミです」
「みんなもついてくるつもりなの?」
「場合によっては聖教国と戦争です。フン、いまこそ神殺しの太刀の本領発揮です」
「それはほんとにやめて」
勇むナギをたしなめるサーヤ。
「しかしサーヤお義姉様、現実的な話ですがミレニアさんと二人だけでいくのは些か危険かと思います。少なくともお兄様もついて行ったほうがよろしいですよ」
「危険? なんで?」
「相手は宗教国家です。ミレニアさんは比類なき力を持っていますが、あの方の性格上、信徒を盾にされたら手を出せません。ですがお兄様であれば一般人を盾にされようと迷いません!」
「断言された!?」
まさか妹にそんな風に思われていたとは。
リリスはにっこり笑って、
「ではお聞きします。サーヤお義姉様と全聖教国民の命を天秤にかけたらどちらを取りますか?」
「そりゃサーヤだろ」
「ほら」
確かに仲間一人と知らない人たち数百万なら、余裕で仲間だな。普通に考えて。
「うーん……納得できないけど納得した」
「ではお兄様、随員の選定をお願いします。今回はさすがにリリは遠慮しておきますね。モノンとして聖教国に睨まれておりますし」
俺は元からパーティーリーダーとしてついていくつもりだったけど、リリスがあっさりと引き下がるのは意外だった。
「ついてく仲間も俺が選ぶのか。いつもみたいに行きたいやつが行けばいいんじゃ?」
「今回ばかりは目的が目的ですから、大々的な行動は控えたほうが良いかと思います。それにルルお兄様なら、必要な瞬間がくればすぐにみなさんを招集できますし」
「なるほどな」
ゾロゾロと聖騎士について行くのも変か。印象も悪くなるだろうしな。
連れて行けと目で訴えかけてくるメンツをぐるりと見回して、じっくり考えた結果。
「じゃあ今回はセオリーだけかな」
「あるじ!」
抱き着いてくるセオリー。
杖と蹴りが飛んできた。
「ん」
「なぜです」
「ガノンドーラさんの話では、歴代魔王はみんな聖教国と折り合いが悪かっただろ。リーンブライトは聖教国に暗殺されたって疑惑もあるくらいだし、たぶん獣人とか魔王候補ってだけでトラブルの種になる。それとナギは、万が一魔族ってバレたらそれだけで俺たち全員異端者認定されちまうかもしれん」
「なぜセオリーはいいです?」
「そりゃ竜姫だからな。いくらポンコツでも立場は俺たちの中で一番強いんだよ」
聖教国といえど、人間社会の理屈や常識などまったく通じない大陸の覇者は敵に回したくないはずだ。
こういう場面では本当に役立ってくれるお姫様だぜ。
「ふっ! 我が偽称の前ではいかなる蛮民も平伏すべし! あるじの臣下たちよ、口をつつしむがよい!」
調子に乗ってナギとエルニを煽るセオリー。
すぐに蹴られて涙目になって泣きついてきた。自業自得なのでスルーだ。
「じゃあ私とルルクとセオリーね。すぐ出発する?」
「ああ」
「これからナギたちはどうするです?」
「自由行動でいいよ。観光に飽きたら先に帰っててくれてもいいしな。エルニ、こっちは任せたぞ」
「ん」
話はまとまった。
別行動になる仲間たちと少しだけ話してから、俺はすぐにサーヤとセオリーを連れてギルド本部に戻った。
ギルドの応接室にはすでにピカピカの鎧を着こんだ騎士がいた。
俺が部屋に入ると、ミレニアと話していた騎士は振り返った。
やや黒味の深い緑髪の、真面目そうな騎士だ。
「戻ったかルルク。騎士殿、彼がルルクだ」
「お初にお目にかかります。私はラインハルトと申します。聖騎士団の副団長を務めています」
「どうも、ルルクです。見た目は小さいけど十四歳です」
先に言っておく。
とはいえラインハルトは俺の見た目を気にした様子はない。すぐに視線を横に移してまた頭を下げた。
「セオリー=バルギリア王女殿下、お初にお目にかかります。挨拶が遅れましたことお詫び申し上げます。お会いできて光栄でございます」
「わっ……え、あ、よ、よきにはからえ……」
うん、いつも通りのセオリー。
「そしてそちらはサーヤ=シュレーヌ嬢で間違いありませんね」
「そうよ。初めましてラインハルトさん」
「初めまして。早速ですがサーヤ嬢、今回の厳令についてご説明させていただきます。ミレニウム総帥、一度彼らにもおかけ頂いても?」
「うむ。ルルクたちよ、かけたまえ」
俺たちはソファに座る。
鎧を着こんでるラインハルトは立ったまま、手元に出した書状を読み上げた。
「では正式に通達します。
冒険者ギルド総帥ミレニウム、ならびに所属パーティ【王の未来】の構成員サーヤ=シュレーヌに命じる。複数の報告と調査結果により、サーヤ=シュレーヌには現在異端者の疑惑がかけられており、ついてはサーヤ=シュレーヌに審問会への出席を命じる。なお冒険者ギルド総帥ミレニウムについても、管理者責任と説明義務により同じく審問会への出席を命じる。随伴は聖騎士団副団長のラインハルトがおこなうが、万が一招集に従わない場合、ならびに逃走・随伴員への反抗などが認められた場合、厳重な処置をおこなう。署名・聖キアヌス教会枢機卿サハス=バグラッド……以上です」
書状をしまったラインハルト。
聞いていたとおりだな。
「何か質問はございますか? なければすぐにでも出立します」
「なんで私に異端者疑惑が出てるの?」
サーヤが当然の質問を投げた。
「その質問に回答する権限はございません」
「そう、じゃあいいわ。向こうで直接聞くから」
「……では他の質問はございますか?」
「我からもひとつ。聖教国に向かうのはよいが手段と経路はどうする? 我らだけならものの半日で聖都までたどり着けるが?」
「正式な招集である以上はこちらの指定した馬車で移動を願います。馬車、案内員などはすでに手配しております。経路や日程も計画から逸れないよう、ご協力を」
「……ふむ」
面倒だ、といわんばかりに眉をしかめたミレニアだったが、文句は言わなかった。
「では我からは最後だ。そこにいるルルクたちも同席して構わんな? 馬車に空きがないとは言わせんぞ」
「……本来なら許可は出せませんが、自主的な護衛の名目であればこちらも黙認するほかありません。もっともセオリー殿下につきましては、行動を縛るような不敬な振舞は私の立場ではできませんので」
「ふむ。それは安心……コホン、理解した」
こっそり息をつくミレニア。
いくらギルド総帥とはいえ、サーヤと二人は不安だったんだろう。
「ルルク殿、セオリー殿下も何かご懸念はございますでしょうか」
「俺は大丈夫ですよ。セオリーは?」
「わ、我も……」
「では参りましょう」
ラインハルトがそう言って、俺たちはゾロゾロと部屋から出る。
ギルドの正面にはすでに馬車が停まっていた。セオリーが来ることを想定していたのか、サスペンションつきの最高級品だ。馬も毛並みが黒光りして逞しい。
だが俺は、御者に気づいて驚いた。
「……あれ? ガトリンさん?」
「どうもッス! ルルクさん、今回はよろしくッス」
御者台に座り、手綱を握っているのは紛れもなく義足の走り屋ガトリンだった。
「なんで御者してるんですか?」
「仕事の依頼ッス! オイラ、ここから聖都なら何度も行き来してるッスからね。こんどの道案内もオイラに任せるッス!」
ニカっと笑うガトリンだった。
これは頼もしい。
ガトリンなら雑談相手にもなるし、道中も退屈しなくて済みそうだ。
「じゃあみなさん乗るッスよ! 騎士さん、予定通りでいいッスね?」
「はい。よろしくお願いします」
意外なメンバーになったが、騎士以外は気を許せる相手なのは安心だ。
ちなみにラインハルトの馬は巨大な体躯の白馬で、馬上戦も強そうだった。
しかも賢そうで、俺たちが馬車に乗るまでラインハルトとともにじっと俺たちを見つめて待っている。あまりに真っすぐ俺を見ているので、言葉すら通じそうだ。
もしや中身が人間かもしれない……口パクで「こんにちは」と言ってみた。
何も反応がなかった。さすがに正真正銘の馬か。
「ルルクなにしてるの。乗るわよ」
「あ、はい」
こうして俺たちは馬車に乗り込み、一路聖教国を目指して出発したのだった。




