聖域編・2『米あるところ暗殺者あり』
「ではお兄様、お気をつけていってらっしゃいませ」
「行ってくるよ。プニスケ、セオリー。リリスをよろしくな」
『はいなの!』
米の情報を教えてもらった翌日の早朝。
俺はサーヤとエルニとナギを連れて、宿を出た。
目的地はいうまでもなく辺境の山奥だ。
「あるじ~どうしてぇ」
「セオリーさん、引き留めたらお兄様が困ってしまいますよ」
「……ぐすん」
泣きべそをかいているのはセオリー。
ミレニア曰く、米がある村は凄腕の暗殺者の隠れ里だという。
かの歴代最強の魔王リーンブライトをも暗殺せしめたという話なので、自衛手段が少ないセオリーとリリスは留守番になった。
帯同する人数が多いと、万が一のとき俺も守りづらいし念のためだ。
ちなみにプニスケはふたりの護衛だ。
「毎日通話するから我慢してくれ」
「……うん」
素直にうなずいて、首から提げたアイテムボックスをギュッと握りしめるセオリーだった。
リリスがアイテムボックスを改造して、同期させた端末同士で音声通話ができるようになったのだ。いわば導話石の機能がついたアイテムボックス。ただし、魔力はほとんど溜められない。
「すみませんセオリーさん。本当なら共話石と同じものを作ってみなさんで共有できればそれでよかったのですが、システムの都合上ルニー商会のものと混線してしまいまして。ルルお兄様としかお話しできなくて申し訳ありません」
「……いい。ありがと」
昨日の今日で通話機能をアイテムボックスに付け加えられるだけでも相当凄いけどな。
それに通信距離も導話石と同じくらいあるみたいだしかなりの高性能だ。たとえ数日しかもたなくても、リリスにしか作れないだろう。
「助かったよリリス。さすがにセオリーには危険な場所みたいだし」
「お兄様のお役に立てること以上の幸福はございません」
「天使かな」
そんなこんなで、学術都市を出発した俺たち。
一応、『神秘之瞳』で目的地の様子は確認しているし転移で一気に行けるんだけど、今回の目的はあくまで米を譲ってもらうことだ。そしてできれば、定期購入の取引もしたい。
あくまで相手に不信感を持たれないよう行動しないとな。
ひとまず西門を目指して歩いていく。
「ずっと歩き?」
「いや、途中は転移してショートカットだよ。どこからが暗殺者の領域かはわからないけど、さすがに山三つ越えた場所くらいなら見張ってないだろうしな。そこから歩きだから、たぶん着くのは二日後かな?」
「めんどう」
「面倒ってもな。米はそこにしかないみたいだし」
「ん。とってくる」
「略奪やめれ」
相変わらず物騒な羊っ子だ。
しばらく雑談しながら歩いていると、前からガトリンが走ってきた。
「ルルクさーん! 待つッスよ~!」
「あれ、どうしたんですかガトリンさん」
ガトリンは小さくなった俺を見てもいつも通りだった。
それもそのはず、避難から戻ってきてすぐに俺たちの安否を確認しに宿までやってきたのだ。
俺の背が縮んだことへのリアクションは、すでに堪能している。
「お出かけになるって聞いて慌てて飛んできたッス。どちらに向かうご予定ッスか?」
「南西方向です」
「南西ッスか……あれ、そっちには海まで街も村も何もない山だけの土地ッスよ?」
「それでいいんです。ちょっと山に用事ができましてね」
「そうッスか。また一緒に出掛けられるかもって思ったんスけど、オイラの出番はないッスね」
「迷いそうな場所ならまた声をかけますね」
「はいッス! じゃあお気をつけてッス!」
手を振るガトリンと別れた。
相変わらず陽気で親切なひとだ。
それ以降は知り合いに会うこともなく、そのまま西街を抜ける。
東街が壊滅的な被害を受けたが、西街は被害はゼロ。建築技術を持っている者はみな東街に出かけているようで、街全体がバタバタしている。
そのまま都市の外に出ると、陽気な風が吹いていた。
街の西側は少しばかりの草原と、その向こうに林が広がっていた。この雑木林は人の手で管理されているみたいだが、その向こうにある山からは自然のままだった。
近い場所の山はかなり低いが、奥に行くほど高くなっていて遠方では山頂が白く連なっていた。
ナギが積もっている雪を眺めて、首を傾げた。
「この時期に米はあるです?」
「さあ。豊穣の神とかいるんじゃない?」
俺は農業の知識なんて皆無だ。
するとサーヤが教えてくれた。
「二期作なら春過ぎに収穫だから、ちょうどいい時期だと思うわ。時期がずれてても備蓄はあるだろうし、まったくないことはないと思うけど」
「ならいいです。ナギは久々に米の口になってるです」
「俺も俺も」
「そうね。無事に買えたら、漬物でも作ってあげるわね」
「漬物か……」
そういえばこの世界で日本風の漬物は見たことがない。
保存方法はオイルか塩漬けばかりだし、醬油も味噌もないからな。
ナギは目を輝かせた。
「サーヤ、ナギの嫁に来るです」
「イヤよ」
「わかったです。ナギが嫁に行くです」
「そうじゃない」
「毎日ナギのために漬物を仕込んでくれです」
「こんな酷いプロポーズは初めてね」
和気あいあいと話しながら街から離れる俺たち。
他人の視線がなくなって見通しがいい場所までくると、俺はすぐに『神秘之瞳』で周囲を調べる。
ナギも冗談はやめて気配を探った。
「……監視はいないです」
「だな。じゃ、行くか」
さすがにこの位置から【暗殺教団】に捕捉されていることはなかったか。
俺は三人を連れて、南西方向の森へと転移したのだった。
米ゲット大作戦の計画はかなり単純だ。
先日、土産に米を持って帰ってきてくれたケムナたちは、クエストで森の奥地にあるとある植物を採取しに行ったらしい。その途中で迷子になった結果、辺境の村の人たちに助けられたらしい。
そこで米をご馳走になり、頭を下げて少し譲ってもらったんだとか。
当然、ケムナたちは偶然村があることを知った。そこにいる村人たちのことも、ふつうの山奥に住む人たちとしか思ってなかったようだ。
そして何より、散々に迷ったおかげで村の場所はまったく憶えていなかった。
だからこそ暗殺者たちに助けてもらえたんだろう。
俺たちもその作戦に倣うことにした。
念のためミレニアにクエストを発注してもらった。正式な依頼書もあるので、ケムナと同じパターンをなぞることは可能だ。
なんとなく、同じ流れは無理なんじゃないかと思うけど。
まあどうなるかは出たとこ勝負なので、道に迷った作戦だけは徹底しようと思っていた。
そのために丸一日、本気で遭難するつもりで来たんだが。
「……ルルク」
「わかってる」
山三つ手前の場所に転移して、そこから見当違いの方向に歩いて数十分。
俺たちに監視がついた。
あまりにも早い。
まだ村まで二十キロはあるというのに、どこからか黒装束が現れて俺たちについてきたのだ。
俺たちは気配遮断スキルを誰も持ってないけど、それにしても索敵能力が高すぎるだろう。視界は数メートル先で視線が切れるほど、森は鬱蒼と茂っているのだ。
どれだけ地獄耳だろうと会話が聞こえる距離ではないが、念のため素の会話はやめておこう。
用意していたダミーの会話を使った。
「サーヤ、こっちの方角で合ってる?」
「情報によるとミグルタケの群生地はもっと先みたいよ。地図だと、たぶんまっすぐ西じゃないかしら」
「まっすぐって言っても、この森の中だからな」
「遭難しそうね」
もちろんミグルタケはクエストの採取対象だ。
俺たちが雑談のような会話をしているあいだ、黒装束は百メートル程度は離れた場所からピタリと追従していた。
このまま監視してもらいながら、警戒心を解いてもらえるように会話を進めたいところだった――が。
ほんのかすかな空気の揺れを感じた。
誰か気づくかな――と思っていたら、迷わずエルニが動く。
「『エアズロック』」
ガキン!
と俺の首元で固めた空気を叩く音がした。
「……へぇ。つよつよの魔術士がいるね」
そいつは小柄だった。
俺たちを監視していた黒装束とは違い、あきらかな子どもサイズ。
それもいまの俺と同じくらいの背丈の暗殺者が、小ぶりのナイフで俺を斬ろうとしていた。
恐ろしく速い接近からの不意打ちだったが、エルニなら問題ない。
暗殺者はすぐに離れ、狙いを変える。
「なら最初はそこの羊で――」
「させないです」
小さな暗殺者の前に、ナギが立ち塞がる。
その瞬間、暗殺者が消えた。
と思ったらナギがいつの間にか暗殺者の手首を掴んでひねり上げていた。
「素晴らしい〝縮地〟です。ですが、ナギには通じないです」
「ちっ」
暗殺者は舌打ちすると、アクロバティックな動きで両足をナギの腕に巻き付けて体をひねった。
腕を折るつもりだ。
ナギも即座に地を蹴ってその動きに逆らわず空中回転すると、そのまま暗殺者の顔面に踵を叩き込む。
だが暗殺者も腕を放してギリギリ回避すると、ほぼ同時に着地したナギの軸足を狩ろうとする。足先にナイフが仕込んでいた。
「甘いです」
ナギは冷静だった。
片足だけで軽く跳んで避けると、暗殺者のこめかみめがけて回し蹴りを叩き込む。
暗殺者も片足でバク転して避けた。
お互い、ものすごい体術だ。
ナギが素手でもここまで動けるのは知っていたが、武術の極まったナギについていけるだけでもこの暗殺者の技量がわかる。
とはいえナギの蹴りが覆面にかすっていたのか、布地が裂けた。
「へえ、やるね褐色お姉さん」
垂れた覆面の下にあったのは、身長通りの幼い顔。
わずか五歳程度の少女だった。
少女は楽しそうに笑っていた。
「すごい、すごいよ。レナと互角に動ける人なんて初めて見たよ。セーシンですらやっと付いてこれるかどうかなのに。すごいお姉さん、名前なんて言うの?」
「ナギです。レナとやらもなかなかやるです。そこまで洗練された動きを見たのはナギも随分と久々です」
「ねえもっと本気でやってよ! レナも本気だすからさ!」
「わかったです。ナギが稽古をつけてやるで――」
「おいレナ!」
怒鳴り声が森に響いた。
武術マニアふたりが何か通じ合って盛りあがろうとしていたところを止めたのは、農民のような恰好をした男だった。
彼の隣に、さっきまで俺たちを監視していた大人の黒装束もいる。
農民男はクワを肩に軽々とかついでいるが、やたらと線は細い。
「何しておる! また勝手なことをしくさって……来訪者の意図も見抜かぬうちに接触するなと何度言えばわかる!」
「え~別にレナ勝手なことしてないし。強そうな人がいたから遊んでもらってただけだし~」
頭の後ろで手を組んで、悪びれる様子もないレナ。
遊ぶにしては物騒だったが、命のやりとりそのものを楽しんでいる節があった。
たぶん本気で言っているんだろう。
農民男は額に青筋を浮かべながら、
「それがご法度といつも言っておろうが! 村にいたけりゃ掟は守れ!」
「はいはーい。じゃあ掟守って帰りますよーだ。じゃあねナギお姉さん、村に来れたらまた遊ぼうね~」
そう言って姿を消したレナ。
本当に速いな。
ナギ曰く、縮地法は体重が軽いほど効果が高いらしい。
レナが去って行くと、農民男は深いため息を吐いた。
「……我が娘が失礼した旅の者よ。しかし先ほどの様子を見るに、お仲間がた含めて並大抵ではない実力者たちとお見受けする。そのような方々が、なぜこの秘境の地に?」
咳ばらいをひとつして睨んでくる農民男。
さすがにこの状況でしらばっくれるつもりもない。迷ったフリはやめだ。
俺は一歩前に出て名乗った。
「初めまして。俺たちは冒険者でして、この先の村にホンマイという穀物があると聞いて旅をしてきました。あなた方がその村の方々ですか?」
「……ほう。ホンマイが目当てですか」
スッと目を細めた農民男。
「いかにも、我々がホンマイを栽培している村の者です。しかしおいそれと案内するわけにもいきません。ホンマイは我らが里の創設者が心血注いで開発した独自の穀物。それを狙う者もおりますゆえな」
「では諦めろと?」
「ふむ……本来ならそうして頂くのですが、娘の無礼の詫びも必要なようですしな。それゆえひとつだけ質問させて頂きます。これに答えることができれば、喜んで案内しましょう。ですが答えられない場合はお帰り頂きましょう」
「構いませんが、勝手にそんな約束して村のひとに怒られません?」
「無論。こう見えても我は里の長ゆえ、二言はありませぬ」
里長だったか。
なら約束は守ってくれそうだ。
「ならお受けします」
「では参りましょう。いまから我が申す言葉の対になる言葉を答えよ」
農民姿の里長は静かに言った。
「『ヤマ』」
「『カワ』」
俺も反射的に答えた。
……薄々感じていたことだった。
異世界で開発されている日本米。
明らかに忍者風の装束。
日本人風の名前。
それらを作ったと言う創設者は、まず間違いなく元日本人だ。
忍者が好きなクラスメイトに思い当たる人はいないが、とにかく。
『山』と『川』は、合言葉の定番中の定番だ。
答えられないはずがない。
里長はかなり驚いた表情を見せたが、それも一瞬のことだった。
すぐに冷静な態度を取り戻すと静かに言った。
「ご案内しましょう。我らが里に」
こうして俺たちは、暗殺者の里に足を踏み入れたのだった。




