賢者編・33『世界でただ一人の』
長いようで短かった記憶の旅が終わった。
最後に辿り着いたのは、とある一室だった。
広々としたその部屋には豪華な天蓋付きのベッド、溢れんばかりの人形、そして煌びやかな小さなドレスがたくさん飾られていた。
王族が暮らしているような部屋だな――と率直に感じたが、どうやら正解らしい。
部屋の隅に、五歳の姿のミレニアが膝を抱えて座り込んでいたのだ。
静かに泣いている。
俺はもう自分の足で立っていた。
窓の外は真っ白な景色で何も見えないが、手も足も動く。
どこか夢の中のようなフワフワとした感覚だった。
「ミレニアさん」
話しかけてみると、膝に顔をうずめて泣いているミレニアが小さくつぶやいた。
「……死にとうない……」
掠れた声に籠っていたのは、悲痛な感情。
そこにはいつもの尊大な態度も、強者の風格もない。
肩を震わせて泣いているただの小さな女の子だった。
「怖いのじゃ……死ぬのはイヤじゃ」
「ミレニアさん」
「助けておくれ……ヘルメス、カーリナ……」
俺の声は聞こえていないようで、親しい友人たちの名を呼び続けるミレニア。
よく見れば、彼女の体が少しずつ透けていっている。
まるで彼女の生命力そのものを表しているかのようにその姿が消えていく。
「イ、イヤじゃ……死にとうない、死にとうない……」
透けていく自分の体を抱えて震えるミレニア。
……もしかしたら、と思う。
今回のことだけじゃない。ミレニアはずっと、命が削れていく感覚と戦ってきたのかもしれない。本来なら死ぬ間際に訪れるような恐怖を、ゆっくりと、じっくりと、数百年をかけてその身に刻んでいたのだ。
それに耐えるのは並大抵のことではないだろう。
正気を保ってきたほうが、異常なのかもしれなかった。
「た、助けて……スカト、メーヴ……」
震えるその体はとても小さく、とても幼かった。
記憶を見たから俺も理解できていた。ミレニアは王女として生まれ、一歩部屋を出ればどこから見られているかもわからない環境で育ってきた。
だからずっと強い自分を着飾っていた。
そのせいで、自分の部屋でしか本音を漏らすことはできなかったのだ。
「……お師様ぁ……」
縋れる相手は本当に僅かだったはずだ。
でもその僅かな相手を奪ったのは、紛れもなく俺なのだ。
俺はミレニアと仲良くなれたと思っていた。
だけどそれは独りよがりだったかもしれない。
本当は嫌われてるかもしれない。
憎まれているかもしれない。
そんな気持ちが、また生まれてくる。
俺はバカだから人の気持ちは上手く読み取れない。仲間たちのように近しい相手じゃなければ、面と向かって言葉にしてくれないと分からない。
だから俺はミレニアに本音をぶつけてきた。
だけど、いままで本音でぶつかってくれた気はしなかった。
きっとミレニアにとって、俺は信頼できる相手じゃなかったのだ。
なら俺が助けたところで、ミレニアは喜ばないかもしれない。
この先も孤独に生きるなら、生きていても辛いだけなら、いっそこのまま――
「頼む、助けておくれ……ルルク」
「――っ!」
ああ。
……俺は、本当に、単純だな。
感じていた迷いも罪悪感も、たった一言名前を呼ばれただけで吹き飛んでしまった。
助けても良いんだと分かっただけなのに。
頼ってくれることが、こんなにも嬉しいとは思わなかった。
俺はすぐ床で震える幼子の肩に、そっと手を触れた。
「かしこまりました、お姫様」
やるべき事はわかっていた。
深く繋がったいま、俺に何ができるのかハッキリと感じていた。
「受け取って下さい」
薄れていくミレニアに俺は渡していく。
生命力の容量そのものを、注ぎ込む。
不老の俺たちにとっては寿命と言えるだろう。
本来減るはずのない命の欠片を、ゆっくりとミレニアに馴染ませていく。
透けていたミレニアの体が少しずつ色を取り戻してきた。
うずくまって震えていたミレニアが、ハッとして顔を上げる。
「……ルルク?」
「はい。俺ですよミレニアさん」
返事をすると、泣き顔のまま慌てるミレニア。
「な、なにをしておる! おぬし、この力は……いかんやめるのじゃ!」
「見ての通り俺の力を分けてるんです」
「ならん! そんなことをすれば、おぬしが死んでしまう!」
慌てて離れようとするミレニア。
だが、俺はしっかりと彼女の肩を抱き留める。
「離しませんよ。それに死にません。俺の寿命はまだまだ残ってますからね」
「じゃ、じゃが妾のためにそんなことをするでない!」
「いいんです」
「ならん! いますぐ手を離して――」
「ミレニア」
俺は、彼女の名をまっすぐに呼んだ。
ちゃんと本音だと伝えるために。
これが俺が望んだことだと、伝えるために。
「これは俺のエゴなんだ。頼れる姉弟子を失いたくない、大事な友人を失いたくないからやってるだけなんだ。恩に感じる必要もない、俺のためなんだよ」
「しかし……」
「そりゃあミレニアにとっちゃ俺はただのガキかもしれない。ヘルメスさんやカーリナさん、スカトやメーヴさんのように頼りにはならないかもしれない。師匠のように強くもなければ心から信じられないかもしれない」
「そ、そんなことは……」
「だけど、ここにいるのは俺だ」
師匠のことを水に流して欲しいとは思わない。
後悔も罪悪感もあるし、謝って許されるとは思わない。
でも、いまミレニアの隣にいるのは俺なのだ。
「だから俺が生きている限り、ミレニアを死なせるつもりはない。もしまたミレニアの命が削れたら、俺が分けてやる。そもそも師匠に……ロズに貰ったこの命を、俺ひとりで享受するつもりは毛頭ないんだ」
命を分け与えるなんて、本来は無茶なことかもしれない。
でもそれが姉弟子相手ならロズも認めてくれるだろう。
「じゃがそうなれば、おぬしの生命力はどうなる? 与え続ければおぬしが死んでしまう。今回だけでも相当な量のはずじゃ」
「確かにな。でも大丈夫。忘れてたらもう一度言うけど、俺は超越者なんだ。つまり、この先もずっとレベルが上がり続ける。この世界で俺だけは、減ったステータスが戻るんだよ」
「――っ!」
俺は、ミレニアに命を与える手段と容量を持っている。
たぶん、ロズだけではダメだった。
俺だけでもダメだった。
ロズとひとつになったからこそ、こう言えるはずだ。
俺は世界でただ一人、ミレニアを救える人間なのだと。
ミレニアもその事実に気づいたようだった。
震える声を、小さく漏らした。
「……妾は、生きててよいのか?」
「ああ」
「この先も、戦い続けられるのか?」
「ああ」
「おぬしは、妾と共に戦ってくれるのか?」
「最初からそう言ってるだろ」
俺は手を差し出した。
ロズの魂と力を継いだのが俺なら、心を継いでいるのはミレニアだ。
その俺たちが揃っていれば、何でもできる。
そんな気がするのだ。
ミレニアは大粒の涙をポロポロこぼしながら、俺の手を取って立ち上がった。
「良いのか? 妾は死ぬのが怖くて震えるし、一人は寂しいから構って欲しくなる……本当は、そんな面倒な女なのじゃぞ」
「それくらい普通だよ」
「……そうか。おぬしにとっては妾の性格など重荷ではないのじゃな」
どこか安心したように言うミレニア。
いつものふんぞり返った態度からはわからない、臆病で怖がりな部分が垣間見えた。
俺もようやく肩の力が抜けた。
「じゃあ、もう少し力を受け取ってくれ」
「……うむ。このままじゃと赤子の体で目が覚めてしまうようじゃしのう」
「それはそれでアリだな。これからはパパって呼んでね」
「それ本当は性癖じゃろ!?」
引きつった顔で下がろうとするミレニア。
だが、その手は俺と繋いだまま離そうとはしなかった。
生命力を渡し、体が目を覚ますまではもうしばらく時間がかかるだろう。
その間、俺たちはしっかりと本音で語り合ったのだった。
■ ■ ■ ■ ■
天空の塔が、完全に崩壊した。
学術都市の東街はボロボロだった。
瓦礫に溢れており、家の大半は跡形もない。
それでも結果としては上々だっただろう。サーヤはそう感じていた。
「今回は助かったよ。アンタたちがいなけりゃ、こんなもんじゃ済まなかっただろうからね」
塔の残骸を眺めていたサーヤに声をかけたのはガノンドーラ。
彼女はそう言いながら、金色の腕輪を投げてきた。
「……これは?」
「魔王の嬢ちゃんに詫びといておくれ。それ、匂い因子が付着しやすい金属なんだよ」
そういえば、最初に来た時にVIP待遇の腕輪だと言って渡されていたな。
「中央魔術協会の防衛機能には、匂い因子によって発動する魔術陣が隠されててね。逆に個人の匂い因子を登録しておくと防衛機能が作動しない場所もあるのさ。普段は王族や国賓を誤作動から守るために、それを使って登録してるんだがね」
「それがどうかしたの?」
「クロウリーのやつに〝魔術士殺し〟の標的として使われただろ。ほんと悪かったね」
「そういえばそうね。でもとくに問題なかったから構わないわ」
「そうかい……『デフォーム』」
ガノンドーラが魔術を発動すると、腕輪は金属のインゴットに変化した。
いや、戻ったというほうが正しいか。
時間を巻き戻す魔術をこうも簡単におこなうとは。
やはりこの老婆、本当に凄まじい魔女だ。
「その合金は好きに使っておくれ。じゃあ、ワシは行くよ。これから忙しくなるからね」
「うん。何かあったらギルドによろしくね」
「ところでアンタ、中央魔術学会に入る気は――」
「ルルクから離れるつもりはないわよ」
「……ったく、本当に女たらしなリーダーだねぇ」
ブツブツと文句を言いながら去って行ったガノンドーラだった。
サーヤは合金をアイテムボックスに仕舞って、すぐに腕輪に話しかける。
「ルルク聞こえる? 私だけど」
だが、腕輪は沈黙していた。
塔が倒れる様子を固唾をのんで見守っていたから、最後にルルクがどこにいったのか見てなかった。たぶんどこかに転移したんだと思うが――
そう思っていたら、大きな影が降りてきた。
「サーヤ!」
竜形態で降りてきて、人形態に戻ったのはセオリー。
リリスも一緒だった。
「お疲れ様ですサーヤお義姉様」
「リリスさんこそ。それにセオリーもお疲れ様。よくやったわね」
「ふっ! 混沌たる闇の眷属にはしょせん児戯なり!」
「えらいえらい」
褒めて欲しそうなセオリーを撫でておく。
すると背後に転移門が現れ、そこからエルニネールとナギが出てきた。
「一番の功労者はナギです」
「ん。ちがう」
「ナギです」
「わたし」
「ふたりとも凄かったわよ。みんながいたから成功したの。チームワークの勝利ってやつね」
自分が一番だと言い張るナギとエルニネールを、サーヤが諭す。
それでも睨み合うふたりだったが、そんなことよりも。
「セオリー、ルルクの場所わかる?」
「我が主はさきほど光のオーラに包まれて姿を消し、安寧の仮地で身を休めている……」
「あ、見てたのね」
「我にとって主以外はすべて些事」
まさか倒れる塔にも魔物の行方にも目もくれず、ルルクだけを見ていたとは。
まあ、それもセオリーらしいか。
「じゃあ私たちも一旦宿に戻りましょう。街の人たちが戻ってきたら復旧作業だろうし、部外者は邪魔だしね。エルニネール、頼める?」
「ん。『転移門』」
全員揃って宿に戻ったサーヤたち。
しかしそこで、信じられない光景を目にするのだった。
□ □ □ □ □
「――ルク! ルルクってば!」
耳元で叫ばれて起きた。
かなり長い間眠っていたような気もするが、やけに体が疲れていた。
いつの間にか宿に戻っていたらしく、ふかふかのベッドの感触に本能が仕事をする。
むにゃむにゃ。あと十分。
「二度寝しないの!」
サーヤに頬をつねられて阻止された。
仕方ない。
「おはようママ」
「ママはやめて!?」
寝ぼけながら身を起こす。
ベッドの周りには仲間たちが全員揃っていた。
その視線が、なぜか興味深そうなものをみるようにギラギラしている。
なんだろう。まるで動物園のパンダの気分だ。
「……ん?」
何か自分の体に違和感が――と思った瞬間、もぞりとすぐ傍で動く気配。
「んっ……」
ミレニアだった。
隣で五歳の姿のミレニアが寝ていた。
俺は安堵する。
どうやら生命力の譲渡は上手くいったようだ。これで失敗しましたじゃ目も当てられないからな。
しかしやっぱり幼児のミレニアには父性が刺激されてしまう。
どれどれ、パパが頭でも撫でてやろう――そう思って手を伸ばした時だった。
「……え?」
腕が、思ったより短かった。
というより視線が低い。
服もブカブカ。
手のひらもぷにぷにだ。
この感覚、どこかで覚えがある。
……そうだ。すぐに思い出した。
この世界に転生した直後のことだ。
はじめてルルクの体に乗り移ったときに感じたものとそっくりだった。
俺は震える声を絞り出す。
「あ、あのさサーヤ……俺、どうなってる?」
聞くまでもないかもしれない。
さっきは寝ぼけて気づかなかったが、明らかに甲高いソプラノボイスが喉から出ていた。
そしてなぜか俺を見て、目をキラキラさせている仲間たち。
サーヤは優しく微笑みながら、手鏡を取り出した。
嫌な予感に高鳴る心臓。
震える手で握った手鏡に映っていたのは、紛れもなく俺。
だがその姿は、
「え……ええぇぇぇぇええええ!?」
師匠、大事件です。
俺ことルルク=ムーテルは、転生直後と同じ五歳児に戻っていたのだった。
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賢者編おしまいです。
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聖域編の開始は一週間後を予定しております。
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ショタになったルルクの行く末はいかに。




