賢者編・31『賢者たち』
『三人の賢者と世界樹』
それは世界的ベストセラー小説で、誰もが一度は読むか聞いたことがあると言われているほど有名な物語だ。
舞台は約八百年前。
小さな村に生まれた魔術士の少年が、幼馴染の少女と共に旅を始める。王都で出会った王女様と仲良くなり、ひょんなことから人助けを始める。やがて三人はそれぞれ秘めた願い事があることを知り、禁書庫であらゆる願いを叶える『世界樹』の場所のヒントを見つけた。城を抜け出した王女様とともに、三人は世界樹を探す冒険を始める――というストーリーだ。
公表された直後から人気になったため、当初から多くの写本が出回っていた。詳細も写本師によって多少違っており、特に終盤の展開の違いはファンの間でいまだに議論されている。
一般的な結末は、賢者たちは願いを叶えるために旅をしていたが、世界樹を見つけられなかった。しかしそれより大事な絆を手にし、後の世のために手を取り合って暮らした――というもの。
世間ではこれが『三賢者』の物語だと認識されているが、一部のファンはこのエンディングを頑なに否定している。
賢者たちは、世界樹を見つけて願いを叶えたのだ。
だがそれは歴史の闇に葬られてしまった。
そんな説が、まことしやかに囁かれ続けていた。
その真実は原本を読まなければ誰にも分からない――はずだった。
□ □ □ □ □
めまぐるしく変わっていく景色。
ミレニアの記憶が流れていくのを、俺は眺めていた。
日常の何気ない一部分だったり、戦いの最中だったり、あるいは本人すら憶えていないような細かな風景だったり。
それは一瞬のようで、あるいは彼女が生きた人生を遡るため長い時間をかけているようで、どうにも時間の感覚が曖昧だった。とはいえ俺には何もできない。過ぎ去っていく景色を追体験していることしかできなかった。
やがてたどり着いたのは、ミレニアが生まれた時代の記憶。
八百年前のとある場所だった。
だがそこには、想像もしていなかった光景が広がっていた――
「被害状況はどうだ?」
「ダメです! 南部の街はすべて敵軍に焼かれてしまっていて、生存者の見込みはありません!」
「マタイサからの応援はどうなってる!」
「伝令! マタイサ国軍の裏切りにより東部軍も壊滅! 繰り返します、東部軍も壊滅!」
そこは戦場だった。
荒廃した野原に、城塞のような軍事拠点があった。
ミレニアは慌ただしく駆けていく兵士たちに視線を向けていた。
天蓋だけのテントで兵士たちが報告している相手は、初老の王だった。
王は低い声で唸っていた。
「……もはや白旗を上げざるを得んか」
「新たに伝令! 東部に展開中のマタイサ国軍、ならびにマグー帝国軍が大規模魔術により相討ち! これにより両軍も壊滅的被害を受けているとのことです!」
「なんと! まだ我らにも風向きがあるというか……」
「いかがしましょう?」
「北部軍の半数を東部に向けるのだ! 両軍の残兵を捕えて捕虜とし、交渉に入れ! その隙に兵糧をかきあつめろ!」
「はっ」
「お待ちください、お父様!」
我慢できずに声をかけたのはミレニアだった。
この時のミレニアの姿は二十代後半だった。
スタイルが良く生命力に満ち溢れ、そして美しい。
物語に出てきたミレニア=ダムーレンそのままの姿だった。
王は眉をひそめた。
「まだいたのか。いまさら戻って何の用だ、家出娘」
「再度申し上げます、この戦は不毛なのです! マタイサにもマグーにも、侵略の意思はありませぬ! やってくるからやり返しているだけ、そんな戦いなのです! いますぐ撤退を進言します!」
「たわけ! 意思がなければなぜ戦線を維持する? やつらもこの戦に勝つために隙を狙っておるのだ。我々が退けば、ここぞとばかりに攻めてくるぞ」
「それが誤解なのです。妾たちは双方の意思を確認して仲裁を――」
「信じられるか! まだ貴様が敵の手に落ちていると言われたほうが信じられるわ!」
一喝する国王。
ミレニアは悔しそうに拳を握りしめた。
「で、ですがお父様、妾はダムーレン王家の長女として――」
「まだ言うかこのバカ娘! 田舎者の魔術士にほだされて勝手に出て行ったくせに、いまさら王家の名で信頼を得られると思うたか! 恥を知れ!」
「それは、妾も国のためを想うて……」
反論しようとするも、強く睨まれて押し黙るミレニア。
その後も国王は取り付く島もなく、ミレニアの話を聞いてくれる気はなさそうだった。
ミレニアは気を落としたまま要塞を出て、ひと気のない場所で手紙を一筆したためると『転送』ですぐに送っていた。
そしてため息を吐く。
「……妾の言葉はこんなにも軽かったのか……」
「そんなことないよ。タイミングが悪いだけさ」
「ヘルメス!」
いつのまにかミレニアの隣に立っていたのは背の高い青年だった。
ヘルメス。
その名はこの世界で最も有名な英雄。
幾人の人々を助け、いくつもの国々を救い、そしてみんなから愛されていた青年。
彼こそが〝魔術の賢者〟と呼ばれる天才魔術士だった。
その大英雄は慰めるように言った。
「陛下も必死なんだよ。大勢の命がかかってるんだし、僕たちの言葉と経験則を比べたら経験を取ってしまうだけさ」
「じゃが……」
「それに陛下だけじゃないさ。マタイサ国王も、マグー帝国王も耳を貸してくれなかったよ。説得は失敗だった」
「なんと、おぬしでもダメじゃったか……」
表情を暗くするミレニア。
ヘルメスがその肩を叩いて、覚悟を決めたように言う。
「……仕方ない。ミレニア、一度拠点に戻るよ」
「うむ」
「『転移』」
二人が転移したのは、薄暗い部屋の隅だった。
蝋燭の灯りが、壁にずらりと並んだ本を照らしている。
部屋の奥には机があり、そこでペンを走らせているのは眼鏡の少女だった。
「ちがう、そうじゃない……この計算じゃ成り立たない……」
「帰ったよ、カーリナ」
「ヘルメス! ミレニアも! どうだった!?」
「ダメだったよ。どの国もいまさら退く気はないようだ。最悪の事態を考えていた方が良さそうだ」
「そんな……」
息を呑むカーリナ。
彼女が元クラスメイトの〝理術の賢者〟か。
歳の割に背が低く童顔だが、いまは眼鏡の下に分厚い隈が刻まれている。
「カーリナのほうはどうだい? 通信機は完成した?」
「ダメ、周波が安定しない……これさえできれば、国王同士で直接会話させることもできるのに。そしたら誤解も解けるのに……なんでこんなモノも作れないのよ。なにが賢者よ……」
「……自分を責めないで、カーリナ」
髪をかきむしるカーリナの手を、そっと包んで止めるヘルメス。
「前世の記憶があっても、君はふつうの女の子だ。称号を重荷に感じる必要はないよ」
「でもでも! ヘルメスもミレニアも凄いじゃない! あたしなんか二人にくっついてるだけの一般人なのに……なんであたしなの? 本物の科学の天才がいたのに、なんであたしなのよ? あの子がここにさえいれば……あの子だったらどうにかなったはずなのに!」
いまにも泣き出しそうなカーリナ。
そんな彼女の肩を、ミレニアが優しく抱いた。
「気負いすぎるでない。妾たちはおぬしじゃからこそ、今まで上手くいっておったのじゃ。それにその通信機とやらが作れても、父上が耳を貸してくれるとは思えんかった」
「そうだね。他の国王たちもかなり意固地になってたよ。あれだけ恩を売っておいたのに僕の言葉に耳も貸そうともしない。正直、望み薄だよ」
「そんな……じゃあ、どうしたら? もう止められないの?」
「……最後の手段を使うしかないかもね」
ヘルメスが小さくつぶやいた。
カーリナがハッとして、首を振った。
「ダメよ! 戦争のきっかけをあたしたちが使うつもり!? それは抑止力なの! 抑止力は使わないからこそ意味があるのよ。絶対に使っちゃダメ!」
「でもカーリナ、もはや戦争を止めるためには使うしかないよ。これさえ使えば戦争が終わるなら……」
「ダメよ! ミレニアも黙ってないで何か言って! 〝世界樹の扉〟は使っちゃダメなんだって!」
「……妾は……」
ミレニアは視線を落とした。
「妾にはわからぬ。何が正しくて、何が間違っておるのか。みなが戦争を始めた最初の理由がユグドール欲しさだということしか知らぬ。犠牲を食い止めるのが正しいのか、それとも世界の歴史を見届けるのが正しいのか……妾には、決められぬ」
「世界樹の力は大きすぎるのよ! 世界を望むままに変えるなんて……そんなの、人が手にしていい力じゃないわ! ヘルメス、どうか思いとどまって!」
「僕は、君がどうしてそこまで否定するのか理解できないよカーリナ」
ヘルメスは悲しそうだった。
「世界樹に祈るだけで歴史が変わるんだ。僕らは祈りで誰かの命を奪うんじゃなく、救うんだよ。私欲で使うわけじゃない」
「だけど……だけど」
「前世の記憶がある君には、こういう力は納得できないかもしれない。だからカーリナ、君は第三者として見届けて欲しいんだ。この責任は僕が背負う。僕だけが背負うから」
「そう言う問題じゃないの。ねえ、わかってよヘルメス」
「君の方こそわかってくれ。僕はきっとうまくやる。それで、もしこの戦争を無事に終わらせることができたらさ、今度こそ三人でどこかでゆっくり暮らそうよ。自然が豊かな場所に小さな家を買ってさ。三人の賢者としてじゃなく、ただのヘルメスとカーリナとミレニアでゆっくりと――」
その時だった。
けたたましい音とともに、衝撃が降ってきた。
ミレニアも、ヘルメスも、カーリナも事前に気づくことはできなかった。呆然とする間もなく、天井が崩れて落ちてくる。
「――ッ!?」
とっさに『生成想操』で天井を止めようとしたミレニア。
だがスキルの発動は間に合わず、ただ頭を守ることしかできなかった。
一瞬、気を失っていた。
だがミレニアは崩壊した天井の隙間になんとか体を収めており、激痛に身を悶えた。
「ぐっ……『生成想操』」
幸運にも即死は免れた。すぐに治癒で回復する。
そのまま『生成想操』を使って周囲の瓦礫すべてを操り、持ち上げる。
「ゲホッ……ミレニア、ありがとう」
ヘルメスもなんとか無事だった。ミレニア同様数か所は骨折しているものの、ハイポーションを飲んで回復させる。
それからすぐに視界を巡らせて――
「……カーリナ? カーリナ!?」
近くで倒れているカーリナに駆け寄った。
「しっかりしろカーリナ! くそっ『エクストラヒール』! 『エクストラヒール』!」
治癒魔術をかけるヘルメス。
だが、カーリナはぴくりとも動かなかった。
それもそのはず、彼女の頭は潰れており顔すらまともに判別できなかったのだ。
あきらかに、即死だった。
「カーリナ! うわあああ!」
「……嘘、じゃろ……」
慟哭するヘルメス。
ミレニアは呆然としたまま、持ち上げていた瓦礫を放り出した。
そこは、森の中の隠れ家だった。
周囲にはすでに誰の姿もない。何者かに攻撃されたのは間違いなかったが、すでに森に隠れたのか逃げたのか、生き残ったふたりに襲い掛かってくるような気配はなかった。
「カーリナぁあああ!」
「カーリナ……」
ふたりは息絶えた大事な仲間を抱えて、ただ悲嘆に暮れるのだった。
そしてその日。
魔術の賢者ヘルメスは、深い悲しみと共に世界樹の扉を使った――
あとがきTips~カーリナ~
〇カーリナ
『理術の賢者』と呼ばれた女性。元・二十重岬。童顔で眼鏡が特徴。
高校では書道部。勉学は優秀だったが運動は苦手だった。物理と歴史が得意で、科学部の桜木メイとは幼馴染だったため人並み以上の科学知識は聞きかじっていた。
ダムーレン王国の僻地の村に生まれ、ヘルメスと共に育った。幼い頃は理術の神童として言われて育った。村を出てミレニアと出会い、そして三人で一緒に暮らすことを夢見て冒険を続けていた。
賢者の称号を得たが桜木メイの才能を知っているため、いつも分不相応だと否定していた。桜木メイから学んだ知識を繋ぎ合わせてなんとか人々の役に立っていたが、挫折も多かった。
三人の中ではもっとも思慮深く、慎重で、二人の相談役になることが多かった。戦いは苦手なのでレベルは低く、ずっとサポート役。
ヘルメスは手のかからない弟のようなもので、ミレニアは手のかかる姉のようなものだと思っていた。
本編で出ているとおり、森の中で何者かに殺される。
享年二十七歳。




