賢者編・29『チームワーク』
天空の塔の魔力回路と霊脈接続が断絶した。
そのふたつで修復や補強をしているのは、全てのダンジョンが共通している。
帯域生命と呼ばれるダンジョンにも生存本能があり、倒壊の危険があるレベルのダメージは、迷宮核の指示がなくてもある程度まで勝手に外壁部分を直そうとする。それは以前セオリーが実証済みだ。
それゆえ一発で塔をぶった斬るなら、まずダンジョンそのものを停止させなければならなかった。
魔力と霊脈の補助を失ってただの建造物になった天空の塔。
サトゥルヌの〝砂中の楼閣〟とは違ってすぐに崩壊するとは思えないが、なんにせよ時間との勝負だ。
俺は全員に合図を送る。
「『大光弾』!」
天に昇っていく一筋の光。
まずはナギが動き出すはずだが、それをゆっくり見届けている余裕はない。
「すまん! 待たせたベルガンド!」
「なに……吾輩も、ようやく温まってきたところ、よ」
左足が折れ、右腕が潰れ、髪が血で真っ赤になり熱傷で全身がボロボロになってなお、笑顔を浮かべていたベルガンド。
まだ五体満足。なんとか間に合った!
「『領域調停』!」
「ぬおっ!?」
欠損さえなければ、全ての傷を弾き飛ばして元に戻せる。
ベルガンドの傷は逆再生をするように巻き戻り、無傷の状態まで一気に回復した。
「な、なんだこれは……おぬし……」
目を見開いたベルガンドは、しかしそのまま気を失って倒れた。
体力がもたなかったようだ。
『領域調停』の治癒は、無理やり傷を拒絶して元に戻すというものだ。失った血を戻したり疲労を回復するような要素は一切なく、むしろ傷が深いほど元に戻るのにも負担がかかる。
魔力も尽きかけ、ダメージを受けながらも興奮状態を必死に保っていたベルガンドは、回復そのものに体力が耐えられなかったらしい。
でも本当に助かった。
俺は眠ったベルガンドを、転移で避難シェルターまで運んだ。
驚いている住民たちには悪いが、説明している時間はない。
すぐに街の東側正面に戻ると、街のすぐそばまで迫っている『悪食』と対峙した。
今度は俺たちの番だ。
「よし、行くぞプニスケ。次は俺たちが食い止める!」
『まかせるなの!』
再び、全身鎧モードになったプニスケを装着し、俺は動き出す。
あとは任せたぞ、仲間たち!
■ ■ ■ ■ ■
「合図だね」
「です」
塔の下。
ギルドの目印――『三賢者』の看板が据え付けられた、正面玄関前だった。
そこにいるのはナギとガノンドーラ。
ふたりは空に伸びた光の筋を眺めていた。
「直径百メートルはあるが本当にやれるのかね?」
「斬ること自体はいけるです。問題は、ナギの体力がもつかどうかです」
「そうかい。なら、ワシが少々やりやすくしてやろう――『ディクレイ』」
ガノンドーラが杖を向ける。
すると塔の外壁の一階部分が、みるみるうちに変化していく。真っ黒で強靭だった石壁が、まるで腐っていくかのように脆くなっていく。
ナギは目を丸くした。
「……時間を操れるです?」
「限度はあるがね。さあ、やっとくれ」
「わかったです。いくです」
ナギは大きく息を吸い、腰を沈ませた。
「鬼想流――『捷疾』」
抜刀。
そして、地を蹴る。
刀身を壁に吸い込ませるように差し込みながら走った。
力を入れず、かといって脱力し切らず、速度を一切緩めることなく駆け抜けて――むしろ刀が壁を斬る時間に比例して、その速度がどんどん増していく。
「こりゃ驚いたね。長生きはするもんだ」
ガノンドーラが感嘆を漏らした。
ナギの鬼想流は、魔術も神秘術も使わない純粋な武術だ。
脆くなっているとはいえ、分厚い壁を刀で斬りながら走っているだけでも達人技だが、ナギはさらに斬れば斬るほど加速していた。ステータスの最大値を明らかに超えた速度にまで到達していく。
壁を斬るときの抵抗力を、自分の加速に使っている――そうとしか思えない動きだが、ガノンドーラにはまったくその原理が理解できなかった。
学者として、彼女の好奇心が疼いていた。
「――ッ!」
無論、この技はナギにとっても気軽にできるようなものではない。
瞑想で集中力を高め、無呼吸状態で完全に全身の状態を操作して、力学的要素を完璧に制御してできる奥義のひとつだった。
ありとあらゆる筋肉、関節、神経や骨、内臓に至るまで把握して動かして操る生体力学の完成形。刀にかかる力を完璧に受け流し、下半身まで無駄なく伝え、地を蹴り力に変える――つまり受けた力を無効化するどころではなく自分の速度に加算するというまさに武術の極致だった。
これを体現できたのは、鬼想流の古い歴史のなかでも創始者だけだと言われていた。ナギも前世ではまだ使いこなせていなかったが、二度目の人生でようやく会得していた。
「鬼想流――『捷疾・転』!」
あっという間に天空の塔の外周をぐるりと一周したナギは、最後にその足を止めて、変換していた速度を今度は全て力に変えた。
ベギン!
堅い重要な何かが、壊れたような音がした。
まだ塔は倒れない。
だがゆっくりと納刀したナギの視線の先には、綺麗な一文字の斬線が外壁にまっすぐ走っていたのだった。
「これでっ、ナギの、仕事は……終わった、です」
荒い息をついたナギは、満足気な表情でゆっくりと刀を納めた。
■ ■ ■ ■ ■
天空の塔、その頂上付近。
そこにいたのは二人の影だった。
ひとりはエルニネール。固めた空気を足場にして、ふんぞり返って合図を待っていた。
もうひとりは『薬賢』メデイア。透明な足場にひどく怯えながらへっぴり腰で杖を抱いていた。自分が空中に立っていることに、まったく理解が追いつかないらしい。
「ちょ、なん、これ……どうやってんの!?」
メデイアは魔術薬学を専門とする学者だった。見た目に反して二百歳は生きており、ポーションをはじめとした各魔術薬の性能を二段階も三段階も高め、医療界に多大な貢献をしてきた実績を持つ。
とはいえ幼い頃から研究漬けだったため、ハーフエルフとして生きてきたその二百年間まともな戦闘などしたことはない。そもそも風魔術に適性が無いため、空気を固めるなんて発想をしたことはなかった。
ルルクの転移で強制的に上空に放り出されたときから、エルニネールの『エアズロック』の足場に顔面を打ち付けて今に至るまで、まるで未経験の上空に足腰がガクガクし続けているのだった。
「……きた」
エルニネールがつぶやく。
その瞬間、サーヤが転移してきた。ルルクが戦闘に集中しているため作戦中の伝達はサーヤが担うことになっている。ここまでは予定通りだ。
「ナギがうまくやったわ! エルニネール出番よ!」
「ん」
頷いた瞬間、エルニネールの小さな全身から魔力が迸る。
「ひっ」
メデイアが軽くちびりかけるほどの圧力だった。
この巨大な塔を東に倒すのだ。並大抵の力じゃ到底不可能。
この行程ばかりはエルニネール一人では不可能に思えた――が。
「『爆裂』」
エルニネールは塔の手前の空間に向けて、禁術を放った。
本来はこれひとつで小さな都市が消滅するほどの魔術だ。いくら頑丈とはいえ塔そのものを壊してしまいかねない破壊力。
特定の方向へ倒すためには不適格な魔術――かと思えたが、もちろんエルニネールは準備をしていた。
彼女があらかじめ発動していた魔術は『エアズロック』だけじゃなかった。
塔そのものに『アースジェイル』をかけてさらに強度を上げ、爆発の衝撃を受け止めるために『フロストウォール』で風受け羽を無数につくり、衝撃で塔が折れないよう特大の『マッドカーペット』で壁の内側を補強していた。
「わあああああ!」
至近距離で炸裂した大爆発に、メデイアはしゃがみこんで絶叫している。
もちろん『爆裂』の爆風は、エルニネールがエアズロックで防いでいるから彼女たちは無傷だ。そよ風ひとつ影響はない。
爆風に押されてゆっくりと傾き始めた塔を眺め、エルニは頷いた。
「ん。まあまあ」
「さすがね。じゃ、私は次に行くから。もし何かあったらサポートお願いね」
「ん」
転移で去っていったサーヤ。
仁王立ちでドンと構える幼女の背中を眺めながら、腰を抜かしたメデイアはつい言葉を震わせて言った。
「……魔王って、みんなこんな無茶苦茶なの?」
目の前の少女がまだ魔王になっていないことを、少しばかり忘れているのだった。
■ ■ ■ ■ ■
「傾き始めましたね」
「その様で御座いますな」
『う、うむ!』
塔の中腹。
上空で起こった大爆発だったが、白竜モードのセオリーの背中に乗って飛んでいるリリスとシモングスには影響はない。魔力での飛行時は風の影響を受けないという竜種の特性は、爆風すらものともしない。
ゆっくりと傾き始めた塔を見上げていると、サーヤが転移してきた。
『サーヤ!』
「おっと。ありがとセオリー」
落ちる前に、セオリーが背中でキャッチした。
サーヤは倒れていく方角を観察しながら、
「……セオリー、塔の背後に回れる?」
『御意!』
ぐるりと旋回して塔を回り込んだセオリー。倒れていく塔を後ろ側から見る立ち位置になった。
サーヤはセオリーの首を抱えるようにして身を乗り出し、全体を俯瞰する。
「……ちょっとズレてるかな。それにルルクの想定通り少し距離があるわね。まだ引きつけないとダメか」
「やはり東街を犠牲にしないとなりませんか」
「そうね」
「左様で御座いますか」
少し複雑そうなシモングス。
この作戦を立てた時、どこまで『悪食』を引き付けるかという話になった。
位置が遠すぎれば当たらないし、引きつけ過ぎても塔の接触面の勢いが足りなくなる。適切な距離感を量りながら当てなければならないため、おそらく東街の中央近くまで接近させるのが最も効果的だとミレニアが計算したのだ。
都市全体を守るために、東街を半分犠牲にする。
それが導き出した結論だった。
すでにルルクは『悪食』を引きつけながら、東の外壁を越えていた。
最悪の想定はメタンガスの爆発を街中で使われることだが、過度に攻撃しなければ発動しないだろうと予想していた。いまもルルクはチクチクと嫌がらせのような攻撃をしながら、ゆっくり後退している。
「サーヤさん、そろそろ一時止めますか?」
「もう少し角度が付いたらでお願い。動かしたとき、後ろに戻らない場所までは傾けたいの」
「わかりました。合図をお願いします」
リリスが指輪を構え、いつでも発動可能にする。
「ではワタクシは前もって塔に移りましょう」
「うん、よろしくね。指示があれば出しに行くから」
「かしこまりました。『風翼』」
シモングスが離脱し、百メートルほど上方の壁に張り付いていた。
やや傾きが大きくなり始め、重力が塔を加速させようかというタイミングで、
「リリスさん、いま!」
「『ファランクス』」
塔を次元結界で止めたリリス。
片面だけでなく、周囲をぐるりと囲むようにして発動しているためピタリと止まった塔。重さが重さだから長時間の停止は塔にも魔術器にも負担がかかるから、時間との勝負でもあるのだが、数十秒もしないうちにルルクから通信が入った。
『そのまま倒してくれ!』
「もういいの!? リリスさん、結界解いてって!」
「はい!」
すぐに次元結界を解除する。
再び倒れ始める塔。ところどころにヒビが入っているが、崩壊の心配は無さそうだ。
すぐにシモングスが魔力を練るのを肌で感じて、サーヤは指示を出す。
「セオリー、このまま上昇! シモングスさんの近くでフォローして!」
『御意!』
翼に魔力を流し、上昇するセオリー。
窓の縁に杖を挟み込み、器用に立っているシモングスが見えた。
サーヤは叫ぶ。
「南に二度修正お願い!」
「承知いたしましたぞ――『エアハンズ』!」
シモングスが魔術を発動すると、彼の両手から巨大な風の腕が生えた。暴風を無理やり腕のカタチにしたような気流を、シモングスは慎重に塔に触れさせる。
円筒型の塔が、ゆっくりと回転するかのように動いて角度が変わっていく。
「ぬ、ぐ、ぐぐぐ」
顔を真っ赤にして風車のように回転させるシモングス。
回転速度自体はかなり緩慢だった。ほんのわずかな動きだったが、倒れる先のことを考えたらあまり大きくは動かせない。
塔の上に立って、全神経を集中させて塔を微調整していくシモングス。かなりの魔力を消費しているのか、額に脂汗がにじみ出ていく。
「ストップ! その角度で!」
サーヤが叫び、転移ですぐにシモングスを連れて戻った。
セオリーの背中に戻ってきたシモングスは、疲労感を隠さずに息をついた。
「ふぅ……魔力が尽きるところでしたぞ」
「出力が桁違いだったもんね。お疲れ様。おかげさまで良い角度になったわ」
倒れていく方向を見ると、まっすぐ下にルルクがいて、その向こうでひとりでに街が潰れ建物が何かに吸いこまれて消えていく。透明な魔物という話だったが、ただの魔物じゃないだろう。
サーヤはすぐに腕輪に話しかけた。
「ルルク、調整は済んだわ。あとは勢いつけて倒すだけ!」
「――助かった!」
返事の前に転移してきたルルク。
鎧モードを解いて、プニスケをサーヤの腕に預けると、
「みんなはここで待機してくれ。もし変な気流を感じたら、サーヤはなるべく遠くの上空まで全員を頼む。大爆発の前兆らしいからな」
「了解。ルルクは?」
「最後の仕上げにいく」
指を指したのは塔の頂上付近。
遠くて見えないが、倒れていく屋上にミレニアがひとり残っているはずだ。
ぶつかる瞬間まで塔を守り抜く。それがミレニアの役割だ。
「気をつけてね」
「そっちもな」
転移したルルク。
サーヤたちも油断することなく、倒れていく塔を見つめていた。
□ □ □ □ □
塔が倒れる。
言葉にすれば短いが、これだけ巨大な塔だと倒れるのにも時間がかかる。
不確定要素はなるべく排除して確実に『悪食』に当てたいが、いかんせん、相手が不確定要素の塊みたいなやつだ。ちゃんと当たるまでは油断はできない。
屋上に転移してきた俺は、縁に立って眼下を見下ろすミレニアに声をかける。
「そろそろ傾斜もキツくなってきたので、空中待機に切り替えませんか?」
「ならん。内部に詰め込んだ荷物が落ちて気づかれてはシャレにならんからな」
ミレニアはさっきまで私物や資料など大量の荷物を最上階に転送して回っていた。
少しでも衝撃が大きくなるよう、塔最上部を重くする作戦だった。
「しかしルルクや、なぜ少し早めに離脱したのじゃ」
「あいつ、戦闘中は首を引っ込めるみたいなんですよね」
さっき気づいたことだ。
防衛本能か知らないが、俺と戦っていると巨大な頭が胴体のなかに引っ込んでしまうようなのだ。何回もプニスケの鞭が空振ったので、おそらく間違いはない。
ギリギリまで戦っていたら、塔を頭にぶつけることがほぼ不可能になる。
「警戒を緩めてもらって、そこにドカンといきたいんです」
「なるほど、それは良い判断じゃ」
あとはこのまままっすぐ進んでくれれば、タイミング的にはドンピシャだ。
気付けば傾斜もかなりついており、ますます重力が塔を加速させてきた。塔の先端だからその速度もかなり速くなっている。油断してたら塔に弾き出されてしまいそうだ。
どんどん増していくスピード。
さっきとはまったく違う速度上昇だった。
「きた、きたぞ、ルルクよ!」
「はい! 落ちてますよミレニアさん!」
風が耳元で唸っている。
俺とミレニアはようやく塔から飛び降りて、空中で滞空する。
もう半分以上は傾いていたから、ここまできたらもう止められない。あとはこのまままっすぐ落ちてくれるだけで――
ヴェエェェェ!
「気づかれた!?」
見えないが、これだけ戦っていればイヤでも分かる『悪食』の顔の向き。
それが真上を向いていた。
その瞬間、ドンという大きな振動が学術都市全体を襲った。
『悪食』がとっさに横に動いたのだ。
東街を真っすぐ食べながら進んできたのに、塔に気づいて一歩南に方角を変えた。
ダメだ、避けられる。
当たりはするだろうが、おそらく肩か足に当たるだけだ。体の中心に当てられなければ、大きなダメージは見込めない。それは失敗だ。
だがいまさらこの塔の動きは変えられない――
希望が砕けかけた、その時だった。
「『生成想操』!」
ミレニアの叫びと共に、塔が不自然な動きで倒れる方角を変えた。まるで『悪食』を追うように、決して逃がさないぞと言わんばかりに。
ハッとした俺は、隣で数秘術を発動するミレニアと目が合った。
残された時間はほんのわずか。
その時ミレニアは微笑んだ。
本を一冊、俺の胸に押し付けながら。
「これを頼んだ、未来の神秘王」
その瞬間。
天空の塔は、『悪食』に直撃した――




