賢者編・28『天空の塔』
「おぬし……本気か?」
ミレニアが震える声で問いかけてくる。
俺は躊躇わずに頷いた。
「本気も本気です。〝天空の塔〟を『悪食』に向かって倒しましょう。さすがにこの大きさが倒れてきたら、『悪食』も無傷とはいかないはずです」
高さ約二千メートル、直径は最大部で約百メートル。
この細さで高さ二千メートルを維持できている理由は外壁の強度にあり、壁の密度がやたらと高く頑丈で、重量は体積以上にあるはずだ。
『悪食』の全長よりサイズは小さいが、重さと硬さは折り紙付きだ。人間で例えると、座ってる状態で太いバーベルの棒が降ってくるくらいの衝撃があるはずだ。
相手は子羊を忠実に再現しているから、外皮や外殻は硬くない。当たりどころが悪ければそれだけで致命傷だ。
「それはそうじゃろうが……あんなものをどうやって」
「俺たちだけじゃムリでしょうね。『悪食』の足止めもしなければなりませんし。でも、俺の仲間たちは頼りになりますよ。それに中央魔術学会の方々もね」
「……できるのじゃな?」
「やってみせますよ」
俺は『神秘之瞳』を飛ばして各地の状況を確認しつつ、思いついた作戦を手早く説明した。
ミレニアは作戦を聞くと、意を決したように頷いた。
「わかった。では、始めるとするかの」
「はい。まずは作戦決行の準備に移りましょう」
俺たちはすぐに動き出すのだった。
■ ■ ■ ■ ■
ベルガンドは外壁の応急処置を終えると、すぐにルルクたちのもとへ戻った。
そこにミレニウム総帥の姿はなく、腕輪に何やら話しかけているルルクだけが残っていた。すぐそばまで『悪食』が迫っているというのに、何やら真剣に話し込んでいる。
焦ることなくルルクが話し終えるのを待つ。
ベルガンドもルルクの様子からピンときていた。
「何やら大規模な作戦を決行するつもりのようだな。吾輩にできることはあるか?」
「ベルガンド卿……あんたに、一番危険なことを頼みたいんだ」
「言ってみたまえ」
「準備が終えるまで、『悪食』を数分足止めしてて欲しい」
真剣な表情のルルク。
さすがのベルガンドも今回ばかりは茶化さなかった。
「先ほどと同じく、吾輩のスキルを見込んでのことだな」
「ああ。引き受けてくれる?」
「承知。もとより引く気など一切ないのでな」
「ありがとう」
「まかせよ」
キランと歯を輝かせるベルガンド。
ルルクは礼を言って、ハイポーションを両手いっぱいに手渡してから転移でどこかに消えた。
面白い。
さっきは爆発攻撃にしてやられたが、今度はそう易々とやられるつもりはない。
ベルガンドは少しばかり目を閉じ、先ほど見たルルクの上半身を思い浮かべる。
細身の体にバランスのいい筋肉。もう少し日に焼けたほうが好みだが、白い美肌も良いものだ。思い出すだけで心が疼く。
「さあ来い脅威よ! 吾輩と思う存分滾り合おうぞ!」
ベルガンドは大きく息を吸うと、息を止めて『悪食』へと飛びかかった。
■ ■ ■ ■ ■
ナギは座禅を組み、精神を研ぎ澄ませていた。
緊急発令が下り、都市全域に避難指示が出たのは少し前のこと。セオリーとプニスケを連れて大人しく避難していたところ、プニスケが誰かに召喚された。
どこかで仲間の誰かが戦っているのはわかったが、情報は入ってこない。プニスケの力が必要なんて並々ならない相手だろうが、ここで無意に焦っても仕方がない。不安で右往左往するセオリーをなだめつつ、緊急シェルターで精神統一していた時だった。
ルルクが転移してきた。
「ナギ、セオリー、力を貸してくれ!」
「あるじ!」
半泣きのセオリーが迷わず抱きついていた。
ピクリと、ナギの指も動く。
少しばかり心が乱された気がしたが、座禅は崩れなかった。
ナギは平静を装ったまま刀を掴んだ。
「何を斬ればよいです?」
「天空の塔だ」
「……それはまた面白そうな話です。理由は?」
「塔を倒す」
ルルクが手短に言いながら、転移のために手を差し出してくる。
「細かく説明してる時間はない。ナギは天空の塔の一階でぐるっと一周、外壁を全部ぶった斬ってくれ。できるか?」
「誰に向かってものを言ってるです」
ナギは立ち上がり、ルルクの手を取りながらニヤリと笑った。
「ナギは斬ることにかけてなら、誰よりも最強です」
■ ■ ■ ■ ■
ルルクから連絡があった時、サーヤたちがいたのは中央魔術学会の会議室だった。
内装は質素だが機能性が高いその部屋には、サーヤとエルニネールとリリス、『時賢』ガノンドーラ、『風賢』シモングス、そして『薬賢』メデイアという若い魔女がいた。
サーヤたちが国防省に向かう最中に緊急避難発令がなされ、事情を知らされたガノンドーラはすぐに動ける幹部を集めた。
それから中央魔術学会としての対応を協議し始めてすぐに、ルルクから連絡があったのだ。
サーヤはルルクからの通信を切ったあと、すぐにその場にいた全員に情報を共有した。
「そんなわけで、私たちは天空の塔を倒すために動くわ。中央魔術学会の人たちはどうする?」
本当は、ルルクから頼まれたのはここにいる幹部たちに協力を頼むことだった。
彼らは本職が研究者だし敵は魔術が効かないバケモノだ。無理に手伝わせる道理はない。
しかし専門分野の知識はエルニネールよりも優れた者たちだ。力になるのは間違いなかったから、ルルクも頭を下げてでも助力を願って欲しいと言っていた。
だがサーヤはあえて問いかける形にした。
この街を守るのは、本来ならルルクの役目ではないからだ。
むしろ中央魔術学会の人たちがルルクに協力を求めるべき立場だろう。政府や冒険者ギルドのおかげで市民は順調に避難できているようだし、百歩譲ってもここで頭を下げて借りを作る気なんてない。もし失敗したら責任を問われるような隙にもなってしまう。
仲間の護り方にも色々ある。
サーヤはサーヤなりの戦い方を続けていた。
状況を知ってやれやれと首を振ったのはガノンドーラ。
「やるしかないだろうね。生憎、ここには貴重な資料や文献がごまんとある」
「左様で御座いますな。微力ながら助力致しましょうぞ」
シモングスも同意した。
あまり乗り気じゃなかったのは、メデイアという見た目は三十歳くらいの魔女。
中央魔術学会の幹部というだけあって、彼女もまた魔道十傑の一人で『薬賢』という二つ名をつけられている。
当然サーヤもその名を知っていたし、ハーフエルフで実年齢が200歳を超えていることも世間では周知の事実だ。見た目は若いが、中身は老練な魔女なのだ。
「塔を倒すって……どう考えてもワタシの得意分野じゃないんだけど?」
「そう言いなさんな。シモンだって似たようなもんだろうに」
「ええ、左様です。風魔術の本領は気体制御……今回役に立つのは固体制御。その土魔術とは質量干渉の観点から見ると正反対の性質に御座います」
「じゃあベルガンドは? アイツ、こんな時にどこ行ったのよ」
「話聞いてなかったんかね。あやつはすでに戦っとるよ。あやつが稼ぐ時間分だけワシらの準備ができるって話だろ。一番若いあやつが最前線におるんだから、ワシら老体が傍観してるワケにはいかんだろうに」
「ワタシはまだ若いわよ! あんたたちと一緒にしないで!」
「二百歳はもう若くないだろ。見た目弄るのも程々にしておくんだね」
「余計なお世話よ」
いつもこんな感じなんだろう。
話が脱線したから、サーヤが口を挟む。
「じゃあ共闘するってことでいいわね? チームを三つに分けるみたいだから、みんなそれぞれ自分ができると思ったチームに入って欲しいんだけど。いいかしら」
「あいよ。この作戦の責任者は?」
「ミレニウム総帥で、補佐に連絡係のルルクよ。それで一つ目のチームなんだけど、塔を切断する役割ね。これはメインをうちの剣士ナギがおこなうわ。欲しいのは補助ね」
「剣士が塔を斬る? しかもダンジョンを? バカも休み休み言ったらどうなの」
懐疑的な目を向けるメデイア。
サーヤは肩をすくめた。
「そう思うのも分かるわ。でも、うちのナギならできる。範囲が広いから助けは必要だけどね。それで二つ目のチームは斬った塔を倒す役割よ。いくら地面と切り離したとはいっても、勝手に倒れられても、まったく倒れなくても困る。タイミングが来たら、かなり強い力で東に傾ける必要があるわね。これはもの凄くパワフルな作業になるわ。
最後のチームは倒れる塔を誘導する役割になるわね。ただ倒れるだけじゃダメで、細かな角度とタイミングの調整が必要らしいわ。さらに迫ってくる超巨大魔物を潰すために、倒れる力をより強くしないといけないかも。バランスのいるチームね」
「それだけでいいのかい? 魔物を誘導する役目はどうする?」
「うちのルルクがやるわ」
そこが最も危険な役割だ。
セレン山脈からこの街まで手を尽くしても止められなかった相手だから、かなり心配だった。だけどいまのルルクなら大丈夫。サーヤはそう信じていた。
「じゃあチーム分けね。リリスさんはどこがいい?」
「バランス重視の誘導チームが最適かと思います」
「おっけ。エルニネールは?」
「ん、たおす」
「でしょうね。学会の人たちは?」
「ワシは塔を斬る補助かね。力より技術が得意なんでね」
「ワタクシの風魔術なら誘導が最適かと。メデイア殿はいかがですかな?」
「……なら倒す役にするわ。先に言っとくけど、期待しないでよ?」
よし、話は纏まった。
時間も限られているので、そうと決まればゆっくりする必要もない。
サーヤはすぐに腕輪に話しかけた。
「ルルク、こっちはチーム分け終わったわ。迎えに来て」
『了解』
返事が来るや否や、会議室の中に現れたルルク。
メデイアが目を見開いた。
「なっ!? 易々とこの幹部室に……」
「ほう。アンタが”女たらし“のルルクかね」
「なんのこと!?」
声を裏返したルルク。
ガノンドーラは恨みつらみでも言いたそうな表情だったが、ちゃんと名乗っていた。
「ワシは中央魔術学会の学会長をしてるガノンドーラだ。頼りにさせてもらうよ」
「ルルクです。こちらこそ、今回はよろしくお願いします。では順番に転移しますので、まずは塔を倒すチームはこちらへーー」
こうして移動を開始したサーヤたちだった。
■ ■ ■ ■ ■
ミレニアは、塔の頂上に戻っていた。
ゆっくりしている時間はない。だが最後に、ここにだけは来なければならなかった。
「……あなた。お別れが来たようじゃ」
魔術の賢者の墓から、本を一冊拾い上げながらミレニアは息をついた。
彼の体も魂も、すでにここにはないのは分かっている。灰ひとつ残らずに逝ってしまったから、墓はカタチだけでしかない。
そう、わかっていたけれど。
それでも寂しかった。
「まさかこの塔を倒そうなんて考える日が来るとは思わんかったわ……あなたは怒るかのう?」
そう聞きながらも、浮かべたのは笑みだった。
彼はそんな人ではない。
むしろ両手を叩いて笑うだろう。いつも明るく、優しく、気遣いができるそんな人だった。真面目でまっすぐで、こんなトンデモ作戦を思いついたりするような人ではない。
だからこそルルクのような発想を、彼もきっと気に入るだろう。
ミレニアはそう確信していた。
「もし妾が死んだら、そうじゃの……この本はルルクに託そうか」
『三人の賢者と世界樹』の原本。
八百年前に起こった戦いを、彼女たちの冒険の真実を、この世界で唯一憶えている本だ。
これを渡すなら、いまでももう、ルルク以外に思い当たらなかった。
お師様を奪った少年。
だが、それでも共に戦おうと言ってくれた新しい友人。
孫の孫のそのまた孫よりも子孫の世代の彼に、こんなことを言うのは気恥ずかしいから絶対に言えないけれど。
ミレニアは本を抱きしめたまま、空を仰いだ。
「妾はようやく、少し救われた気がしたのじゃ」
たった一人で世界を守ろうとしてきた。
命を削りながら戦い、どんどん小さく、弱くなっていく体。
永い年月をかけながら死の恐怖がゆっくりと迫ってくる。
昨日勝てた相手に、今日は勝てない。
今日勝てた相手に、明日は勝てなくなる。
未来に進めば進むほど弱くなっていく。それがミレニアの戦いだった。
それはどんどん狭くなっていく暗闇の道を、ひたすら同じペースで歩き続けるようなものだった。生きれば生きるほど恐怖は増し、暗闇は深くなっていく。
そんな闇に、横から手を伸ばしてきたのがルルクだった。
こっちはもっと広い道があるぞ。
こっちなら一緒に歩けるぞ。
そう言われたのだ。
それだけでもミレニアは救われた気がした。どの道を進んでも、近い未来に断絶すると分かっていても、確かにその瞬間は救われたのだ。
「あなたも、それでよいかの?」
ルルクなら見つけてくれるかもしれない。
自分の代わりに、世界を救ってくれるかもしれない。
そう期待するだけのものは、確かに彼に感じたのだ。
墓は何も言わなかった。
でも、ミレニアは夫の言うことは簡単に想像できた。
「……ありがとう」
ミレニアは本を開く。
数多の封印と術式を施されていたその本から、ミレニアは巨大な宝玉をひとつ取り出した。
それは紛れもなくこのダンジョン――天空の塔の『迷宮核』だった。
特殊な術式により、この本を迷宮主として設定していたが、もはやその必要もなくなった。
ミレニアは全ての術式を解いて、迷宮核を解放する。
ドクン!
長年、休眠状態だったダンジョンが眠りから覚めていく。
霊素が活発に動き、魔力が塔に行き渡る。
最後の最後に活力を取り戻した世界最高峰のダンジョン『天空の塔』。
この塔を攻略していた日々が懐かしく、つい動き始めるのを眺めておきたいものだったが――
「すまんの。随分世話になったが、最後まで頼むぞ」
ミレニアは迷宮核に触れると、霊素を内部に浸透させた。
素通し。
そう称する技術は、物質の抵抗力を避けて直接衝撃を与えることができる。
宝玉のように堅い迷宮核でもミレニアの一撃に耐えることはできず、ピシリと音を立てて大きなヒビが入った。
古来からこの地に建ち、ダンジョンとして名を馳せ、いまではこの国のランドマークとして最も有名な場所になっている『天空の塔』。
その塔から、魔力と霊素がみるみる抜け落ちていく。
力を失っていく。
その時なぜか、ミレニアはまるで我が子を失ったような喪失感に苛まれた。
想像以上にこの塔に思い入れがあったらしい。
しかしそんな感傷を憶えているヒマはなかった。
すべては眼下に蠢く人類最大の敵――〝黙示録の獣〟を倒すため。
ここで、躊躇うわけにはいかないのだ。
自分でも気づかぬうちに、涙を一筋頬に落としながら、ミレニアは叫んだ。
「さあ『悪食』よ! この塔を、貴様の墓標にしてやろうではないか!」




