賢者編・27『タイムリミット』
「ソォォイ!」
ベルガンドが腕を振るう。
地響きと地割れが起こり、数キロある巨体が何度も転がされていた。
あまりの光景に俺とミレニアは開いた口が塞がらない。
「フハハハ! 我が肉体に敵う者なし!」
「〝黙示録の獣〟をこうもアッサリと……」
ミレニアは夢でも見ているかのように呆然としていた。
しばらく観察していたが、『悪食の山』は魔素と霊素を完全に防ぐ特性を持っていて、理術要素やコモンスキル・ユニークスキルなどは防げないようだ。不可視の体も本来なら射程管理が厄介すぎるが、ベルガンドのように触れる前提のスキルならそれも問題ない。
このまま転がして、湖の底に押し戻せるのでは――そう思った矢先。
「ガハッ!」
唐突に、ベルガンドが吐血した。
鼻と口からヤバイ量の血が漏れている。膝をついて全身が震えていた。ベルガンドのスキルに副作用はないはずだから、何かで体の内側を攻撃されたんだろう。
俺はすぐにハイポーションを飲ませた。
フラフラと立ち上がったベルガンド。
「す、すまない。体内で何かが弾けたようだ……」
「頼りっぱなしでこっちこそごめん。色々と分析してるんだけど……」
『悪食』が何をしているのかそもそも見えない。
毒なら俺やミレニアが気づくはずだが。
「グッ!?」
今度はミレニアが血を吐いた。
「総帥殿!」
「問題ない――『生成想操』!」
一瞬で回復したミレニア。『生成想操』の再生力はかなり高い。俺の『領域調停』は防御と回復に特化しているが、『生成想操』は操作と回復に特化しており、スキルの等級的に回復性能はおそらく同等だろう。
ミレニアは口元をぬぐいながら、
「ルルクにベルガンド卿、気をつけたまえ。『悪食』のやつめ、爆発する何かを生成しているぞ」
「ふむ、胞子か?」
ベルガンドはすぐに口元を布で覆った。
羊が胞子を放出するとは思えないが、想定外の攻撃方法があるのは確実だった。
ベルガンドのスキルも外肌に触れなければ効果はない。さすがに呼吸を防がれたら何もできなくなる。
「なかなかやるようだな、脅威よ」
「ベルガンド卿は下がって。俺が食い止める!」
直接触れられたらアウトだが、遠隔攻撃なら俺の『領域調停』なら無効化できるはず。
『悪食』はこれまで本物の羊と同じように未知の現象に驚いたり、身を守るような反応をしていた。生物としての防衛反応まで模倣するというなら、足止め方法はいくつか思いついた。
「『錬成』!」
ベルガンドの真似をして、土の中から金属元素を引っ張り出す。
そううまくはいかなかったので、土混じりの金属の塊ができあがった。ドワーフ族に見せたら激怒しそうな精製度合いだ。
だが、それでいい。大事なのは純度じゃない。
「『錬金』!」
アイテムボックスから〝賢者の石〟を取り出して触媒にし、元素を書き換えた。
土が混ざってしまっているが、金属の球を作り、それを『悪食』に投げつける。
「総帥、アレに水を!」
「『ウォータースナイプ』!」
水が金属球に直撃すると、次の瞬間、爆発するかのように燃え上がった。
そのまま火球となった金属が『悪食』に直撃する。だが炎は消えず、金属も消えなかった。それもそのはず『錬金』は他にふたつとない完全置換術式だ。元素そのものを変換してしまうので、いくら術式を消されても変化後の物質は戻らない。そして燃えているのは化学反応によるものだ。
激しく燃え上がった火は『悪食』の体毛に燃え移った。やはり羊の姿だけあって、毛も再現されているらしい。
体表を広がっていく炎を眺め、レミニアが素の声を出した。
「なんじゃ!?」
「化学反応ですよ。セシウムでコーティングしたマグネシウム球に変化させたんです」
「な、何を言ってるのかさっぱりわからぬ」
『悪食』の毛は燃えやすいのか、あっというまに炎が体表面を駆け巡っていく。おかげで輪郭が明確に分かった。背後の街からもハッキリと視えただろう。
もっとも毛の一部を燃やしただけで大したダメージにはならないだろうが、驚かせてやることはできるはず。
予想通り、その場でじっとする『悪食』だった。
「いまのうちに後退しましょう! 距離を取ります」
「わかった」
ミレニアが素直に頷いたが、ベルガンドは眉根を寄せた。
「吾輩の肉体はまだまだ輝けるぞ?」
「いや、下がるべきだと思う」
「ほう。なぜだね?」
「さっきの体内攻撃、おそらくあれが本命じゃないからだ」
「……根拠はなんだね?」
「あの巨体にしては攻撃範囲が小さすぎる。本来はもっと広範囲のものだと思うんだよ」
「なるほど、胞子か何かはわからんが、大規模攻撃を想定していると?」
「そういうこと。もし大爆発なんか起こったら俺はともかく総帥が耐えられないし……もしそれが炎熱を伴ったらベルガンド卿、あんたも熱は防げないんじゃ?」
「よくわかったな。その通りだ」
無敵に思えるベルガンドの肉体も、あくまで質量攻撃を防ぐだけ。
爆発に巻き込まれたら全身大やけどだ。無事では済まない。
「では吾輩はサポートに回ろう! ちなみに距離を取ってどうやって戦うのだね?」
「それは……」
まだ考えている最中だ。
魔術や神秘術に頼らない物理攻撃。理術かスキルだけで完結している、巨体に対抗できるような頑丈で巨大な攻撃方法は――
「そうだ!」
ハッとした。
散々、ナギと話していた相性問題。
ナギのようなタイプでは、圧倒的な物量で殴ってくる攻撃はかなり厄介だ。それを体現できるのは、我がパーティーにひとりいる。
俺はミレニアとベルガンドが下がっていくのを確認すると、すぐに術式を発動した。
「『眷属召喚』!」
『わっなの!?』
腕のなかに現れたのは、言わずもがなコック帽がトレードマークのプニスケだった。
避難誘導が始まった学術都市で、さっきまで素直に誘導に従っていたナギとセオリー。
その彼女たちの頭の上を跳ねて遊んでいたマイペースなプニスケは、俺が呼び出すと頬にすり寄ってきた。
『わ~! ご主人様! どうかしたの?』
「説明は後だ! いま超デカい敵と戦ってるから、力を貸してくれ!」
『もっちろんなの~!』
プニスケは返事するや否や、俺の体を包み込んだ。
色彩操作で色も戻し、青銀に輝くミスリルアーマーとなって全身包み込んだプニスケ。
頭の先から足の先までバトルスーツのようなデザインになる『モード:全身鎧』だ。もちろん目の部分は透明にしており、視界も良好。
「二人は離れてて!」
「なんと!」
「ルルクの裸体が隠れてしまった!?」
驚くミレニアに、嘆くベルガンド。ちょっと黙ってろ変態。
ロマン溢れるバトルスタイルに変化した俺の手に、プニスケ武器が生成される。
今回はミスリル銃ではない。
俺とプニスケが選んだのは、
「『モード:鞭』! 最大出力で頼む!」
『はいなの! 『巨大化』全開なの~!』
鍛えに鍛えているプニスケのスキルたち。
その効果も、かつてとは比べ物にならない位に上達していた。
俺の手から伸びる鞭は、まるで鉄塔のようなサイズにまで太く長く伸びていた。
『ついでに〝灼熱〟なの!』
赤白く輝き出す巨大鞭。
俺は上空に飛び上がり、進行してくる『悪食』に向かって叩きつけた。
「『大灼鞭天』!」
大気が弾けた。
俺が全力で叩きつけた鞭は、雷が落ちたような音を立てて『悪食』の体表に直撃した。
鞭ゆえに感触のフィードバックは少ない。だが、かなりの手ごたえはあったはず。
その予想は、『悪食』の反応で確信に変わった。
オ˝オ˝オ˝オォ!
呻き声だった。
音圧だけで大地が揺れる。星そのものが叫んでいるかのような、地響きのような声が学園都市――いやこの国に響き渡った。
俺は耳を塞ぎながら、
「効いてるぞプニスケ!」
『なの? でもすっごく固いの!』
「そりゃサイズが桁違いだからな。続けるぞ!」
『はいなの!』
俺たちは何度も巨大鞭を叩きつける。
もちろん、これで『悪食』を倒せるなんて思ってはいない。いくら巨大化しているとはいえ『悪食』からすれば輪ゴムくらいのサイズ感だ。
だがそもそも鞭は、ダメージより痛みを与えるものだ。俺も小さい頃に幼馴染と輪ゴムを腕に叩きつけ合って遊んで、よくミミズ腫れを作ったもんだ。
『悪食』にとってはミスリルの輪ゴムで体中を叩きまくられるようなもんだから、出血があるかは知らないが、激しく痛むはずだ。
痛覚がまともで退散してくれれば御の字だが――
「マズいぞルルク! また息を吸っておる!」
ミレニアの声がすぐ後ろから聞こえた。
ベルガンドと共に退避していたはずだったが、戻ってきたのか。
責任感ここに極まれり、だな。
だがその報せは助かった。俺はまだ気づいてなかったからな。
「プニスケ、『モード:狙撃銃』!」
『はいなの!』
次に変化したのは、銃身が二メートルを超える超長射程の狙撃銃。
その照準を覗き込みながら、
「ミレニアさん、空気の収束場所を教えてください!」
「な、何じゃその武器は」
「いいから早く! 収束点に武器の先端が向くように誘導を!」
「右に六度、下に十二度修正じゃ! 少しずれても幅がデカいから問題ない!」
「ありがとうございます!」
照準を絞り、引鉄を引いた。
その瞬間、軽い衝撃波を起こしながら飛び出した一筋の閃光。
いままでプニスケの銃モードの弱点は、発射後一秒でスキル効果が消えて弾丸の結合が解ける事だった。そのせいで長距離狙撃はできないと思っていたが、ミスリルになったおかげで弾速が遥かに伸びた。いまなら三キロ先にも弾丸を届けることができる。
『悪食』の巨大な気道に飛び込んだ銃弾。
小さな骨でも、喉に刺さると痛いだろ。それが銃弾なら猶更だ。
ボォオ˝オ˝オ˝!
悲鳴の質が変わった。
ただ痛みに叫んだだけなく、感情のようなものを伴った気がした。
しかし。
「……これでも向かってくるか」
「そのようじゃのう」
プニスケの攻撃はまず間違いなく効いているが、『悪食』はその進行を止める気配はなさそうだった。むしろ怒りを憶えたのか、さっきより深く地面に足跡を穿ちながら前進を始めた。
吸い込み攻撃はしてこない。さすがに憶えたか。
また鞭モードに切り替えて迎撃しようとした時、『悪食』から腹が鳴っているような音が大きく聞こえてきた。
「なんの音じゃ?」
同時に、ぬるい空気が一帯に吹き付けてくる。
瞬間、背筋に悪寒が走った。
「ミレニアさん!」
視界には何も映らないが、ゾッとする寒気を感じてとっさにミレニアを抱えて転移していた。
ベルガンドが後退していた場所よりさらに遠く、学術都市の外壁近くまで。
次の瞬間、さっきまで俺たちがいた場所が大爆発を起こした。
キノコ雲ができるくらいの爆発だった。
「嘘だろ!?」
『ボクの後ろにかくれるの!』
衝撃波と熱風がすぐにここまで届く。
プニスケが盾を出し、ミレニアを包んだ。
木々が吹き飛び、地面がめくりあがり土煙となって通り過ぎていく。
エルニの『爆裂』と同じくらいの威力だ。街ひとつ吹き飛びかねない規模の爆発だった。
俺とミレニアはとっさに口を押さえ、空気を吸い込まないように息を止めた。さすがにこの空気まで爆発するとは思えないが、もし爆発したら即死だろう。
学術都市の外壁は衝撃や飛んできた岩や木々が突き刺さり、ところどころ崩れてしまう。
「な、何が起こったんじゃ」
「……おそらく『悪食』のゲップかオナラですね」
「冗談じゃろ?」
疑いの目を向けられる。
残念だが俺も茶化している余裕はなかった。おそらく本当だ。
「羊は牛と同じく反芻動物と言って、食べたものを胃から口に戻して再咀嚼する生態があるんです。その反芻動物の体内ではメタンガスという気体が発生し、オナラやゲップで大量に放出すると言われてます。メタンガスは一定の濃度を越えると爆発を起こすんですよ」
そのメタンガスは一匹でもバカにならないくらいの量で、地球では、どこかの国が牛や羊に『ゲップ税』を導入するとかなんとか言ってたっけ。
まさか『悪食』がそこまで再現するとは思わなかった。あの巨体でメタンガスを放出したら、なるほど濃度が桁違いだ。気流次第で爆発も起こってしまう。
「厄介すぎるじゃろ……あやつの体内にそのガスがまだあると思うか? 利用できればよいのじゃが」
「おそらくないでしょう。あくまで〝メタンを吐く〟という現象を再現しているだけかと」
「そうか。では利用することはできなさそうじゃの」
顔をしかめるミレニア。
確かに体内に溜めているなら着火すれば一撃爆殺も可能だが。
「……しかし『悪食』はどうなった? いまので撤退してくれればよいのじゃが」
「そしたら祝勝会しましょう」
もっとも、そんな楽観的なことなんて考えちゃいない。
俺たちの予想通り、『悪食』は健在だった。
まっさらになった爆心地の地面を、こちらに向かって進んでくる巨大な足跡。
その速度はさっきよりも上がっている。
「……タイムリミットもそろそろですね」
「ここが最終防衛線じゃな。何かよい案はあるか?」
「現状、俺とプニスケが一番効果的な攻撃ができてますけど……正直、痛みで後退しないなら難しいですね」
「そうじゃのう」
作戦会議をしていると、すぐ近くの地面がもっこりと盛り上がった。
「ぷおっ! 死ぬかと思ったぞ」
土の中から飛び出したのはベルガンド。
ほぼ全裸だから、吹き飛ばされても死なないとは思っていたけども。
「しぶといな」
「味方にかける言葉かね? だがまあ、それもまたカ・イ・カ・ン!」
「冗談は後にせよ。果たして、どう撃退するか……」
ミレニアが腕を組んで思案する。
「吾輩も何か役に立てることが――むむ! いかん、街の防護壁が!」
ベルガンドは外壁が崩れていることに気づいて、すぐに修復に向かった。
確かに近くに魔物もいるかもしれないので、穴は塞ぐに越したことはない。どちらにせよ俺たちが足止めできなければ意味はなくなるのだが……。
「大規模質量か……不甲斐ない。まるで思いつかぬ」
「俺もです。何かデカいものをぶつけるのが一番なんですが……」
そんな都合の良いモノあるわけない――と、守るべき学術都市を振り返った。
「あっ」
悪魔の思いつきが、頭を駆け巡る。
ミレニアも俺の視線を追って、絶句した。
「まさか、おぬし……」
「そのまさかですよミレニアさん」
「ダメじゃ! というか、できるはずがない!」
慌てるミレニア。
確かに常識外れの考えかもしれない。
だけど現状、それしか方法が思いつかなかった。
俺はミレニアの肩を掴んで説得する。
「どうせ止められなければ滅んでしまうんです。やれるかどうかじゃない。やるんですよ、俺たちで」
「し、しかしあそこは世界的に見ても価値が――」
「また滅んでも良いんですか。故郷が」
俺がそう言うと、ミレニアは目を見開いた。
バルギア竜公国ができる前のこと。
そこには三千年以上の歴史を持ち、かつて世界最大の国家だったダムーレン王国があった。しかし竜王ヴァスキー=バルギリアの出現により、国家として終わりを迎えてしまった。
名も国境も変わり、国の人々は竜王の庇護下のもとバルギア国民として暮らし始めた。住んでいる人々に大きな変わりはなかったが、そこにはもうダムーレンとしての矜持はなかった。かつて王女だったミレニアもまた、国民たちと同じく故郷を失ってしまったのだ。
ダムーレンのその〝静かなる滅び〟は、いまでも各地で語り継がれている。
それとは意味は大きく違うが、誰だって滅んでしまう故郷を二度も見たくなどないだろう。
学術都市の民たちに犠牲がなくても、みな心に深い傷を負うはずだ。
そんなこと俺は認めない。
この無秩序な街並みも、そこに根差した文化も、貴重な文献も全てに価値がある。
できることならなるべく守りたかった。
だから俺は、躊躇いなくソレを指さして言った。
「あいつにぶつけましょう。『天空の塔』を」
それは上空二千メートルまで伸びている、世界最高度のダンジョンだった。




