賢者編・25『悪食の山』
『悪食の山』が、森を食い尽くしながら進んでいく。
青々と茂った木々が、岩や土砂ごと事も無げに飲み込まれていくその様は、まさに無差別に食らい尽くす悪食そのものだった。
『悪食』は進行方向にあるものをバリバリと音を立てて噛み砕く。
「『光弾』!」
俺はもう一度光の弾丸を撃ち込んだ。
やはり『悪食の山』には効果がない。透明だから分かりづらいが、当たった瞬間に霊素ごと吸い込まれていくような気がする。
「逃げるのじゃ!」
ミレニアは『生成想操』で森の動物たちを北へ逃がしている。
しかし『悪食の山』が吸い込んでいく範囲が桁違いだ。無情にも、多くの動物が逃げられず嚙み砕かれてしまう。逃げまどう動物たちの鳴き声が、森中に響き渡っていた。
俺たちは『悪食の山』の正面に陣取って、なんとか進行を食い止めようとしていた。
しかしどれも効果はない。
「このままじゃジリ貧ですよミレニアさん!」
「わかっておる! じゃが〝黙示録の獣〟は特性を見極めなければ何もできん! ルルクはそのまま色々と試すのじゃ!」
「それは構いませんが……」
とはいえ霊素の干渉を受け付けないのだ。ミレニアも時々振り返っては試しに魔術を放っているが、それも同じように消し去ってしまう。
それだけでも厄介なのに、さらに脅威なのは射程が見えないことだ。距離をとっているつもりでも、首を伸ばしてパクリ――なんて展開もあり得る。俺はギリギリでも転移を使って逃げられる可能性はあるが、ミレニアは接近されたら逃げられない。
焦る気持ちも芽生えてしまう。何か、ヒントはないか。
「ちなみに『律滅の翼』はどんな特性だったんですか?」
「神話級の武具を無限に複製する〝武器でできた竜〟じゃ。体の鱗ひとつひとつが超高性能の武具で、触れるだけで致命的じゃった。なんとか尻尾の一部を切り落としたところで、飽きたのか魔族領の奥地に帰っていったんじゃ」
「その時、神秘術は効きましたか?」
「『律滅』には魔術も神秘術も効いておった。じゃが無限に再生するせいで、あまり意味はなかったがのう」
「……参考になりませんね」
同じ黙示録の獣といえど、随分特性が違うようだ。
「神秘術が無効化されるなら『伝承顕現』も――転移します!」
俺はとっさにミレニアを掴んで後方に転移。
いつのまにか俺たちがいた場所が『悪食の山』の射程内になっていた。
……進行スピード上がってないか?
「こやつ、食った分速度が上昇しておるのか!」
「そりゃまずい!」
学術都市まで半日程度はかかると思っていたが、速度が上がるなら話は違ってくる。
ここは最悪のことを考えて、ミレニアに先に街に戻って市民を逃がしてもらったほうがいいかもしれない。
そう考えていたら、ミレニアはすでに動いていた。
「議院とギルドには緊急連絡を入れておる。民の誘導はすぐに始めてくれるじゃろう。妾たちはこやつを止めることだけに集中すべきじゃ」
「ありがとうございます!」
確かに、気を散らしながらどうこうできる相手ではない。
いまも『悪食の山』は、木々を粉々に噛み砕いて飲み込みながら進んでいる。どこに動物がいようが何があろうが関係ない。不可視のアゴはたいそう強いらしい。
「……ん、噛み砕く?」
ふと疑問が浮かぶ。
こいつは魔術も神秘術も無効化する。
魔素も霊素も瞬時に無効化できるのに、実際の質量を伴っている理術的要素は消滅させるのではなく、全てしっかり咀嚼して食べている。すごい速度で無尽蔵に食べているが、木々や動物も吸収できるならもっと速く進めるだろう。
つまり、こいつは――
「「理術が有効か!」」
ミレニアも気づいたようだった。
弱点といえるほどではないが、完全に物理法則に従うなら対処方法も見えてくるかもしれない。
「ルルク、おぬし『錬成』は使えるか?」
「はい! 遠隔でなければ広範囲でいけます!」
「よし、なら誘導壁を頼めるかの。固めても触れたら崩れるじゃろうから、それも計算して頼む」
「では後方に作ります」
「頼んだ。妾は少々足止めしておく――『錬成』!」
ミレニアが手を振ると『悪食の山』の足元が陥没する。
いきなり傾斜が生まれて驚いたのか、進行を一時的に止めた『悪食』。ミレニアは周囲の森にいくつも傾斜を作りながら後退していく。
俺はかなり離れた後方まで転移すると、意識を集中して術を発動した。
「『大錬成』!」
上空から『神秘之瞳』で周囲一帯を確認しながら、霊素伝達が届く範囲の土をすべて集めて壁を作る。
森がひっくり返ったように地面が動き、地響きと共に出来上がったのは巨大な防壁。
高さは『悪食』ほどではないが、幅は五キロほどはある。『悪食』が触れればただの土くれになるが、障害物としてはかなりのものだろう。南へ向かいやすいように斜めに作っておいた。
ミレニアの隣に移動して、
「できました。時間稼ぎありがとうございます」
「さすがじゃ。では妾たちは壁の後ろに」
「はい」
すぐに転移で後退する。
ミレニアは再度、動物たちを逃がしていく。俺は『悪食』の様子を防壁越しに観察する。
しばらくは速度を緩めず進行してくる『悪食』だったが、防壁前の木々が根こそぎ土に埋もれている場所までくると、ピタリと動きを止めた。
エサが見当たらなくなった牧羊のように、進む方向に迷っているようにも見えた。
よし、そのまま南側に向かうんだ。
そのまま、そのまま――
「……ルルク、風向きが変わっておる」
「はい。いま壁の向こうで『悪食』が止まってます」
「そうではない。文字通り風が動いておるのじゃ。まるで『悪食』のほうに吸い寄せられておるかのようにの」
なんだって?
そういえばミレニアは『風見鶏』というコモンスキルを持っていたな。文字通り、空気の動きが見える感知系スキルだ。
「『悪食』が息を吸ってる、と?」
「……っマズい! 壁ごと吹き飛ばすつもりじゃ!」
「『転移』!」
とっさにミレニアの手を取って、遥か上空に退避する。
その瞬間、森が広範囲にわたって文字通り吹き飛んだ。巨大な防壁は消滅し、その後ろにある森も木々が根こそぎめくられて、数キロ先まで飛ばされてゆく。
まるで風竜のブレス――その何倍もの威力もあった。
ミレニアは冷や汗を垂らしながら、眼下の様子を眺めた。
「進行方向を変える気はないようじゃの……」
「はい。力づくで追い返すしかないようです」
「……仕方あるまい」
ミレニアは、またもや進み始めた『悪食』の正面に移動する。
上空からだとすでに森の向こうに学術都市が見えていた。このままいけば、あと数時間後には都市が蹂躙されてしまうだろう。
彼女はチラリと学術都市の中央にそびえ立つ天空の塔を一瞥すると、深く息を吐き出した。
「ルルクよ。無事に学術都市を守り通すことができれば、妾の墓は夫の隣に建てておくれ」
「何言って……そんな約束するわけないじゃないですか!」
「……ふふ。そろそろおぬしのこともわかってきたぞ。おぬしは軽薄そうに見えて、義を重んじる男じゃ。では頼んだぞ――『生成想操』」
ミレニアは、破壊されて周囲に降り注いだ土や木々に向けてスキルを発動した。
その瞬間、『錬成』ではなし得なかったほどの自在な動きで森が動き、集まって、巨大な人型を形づくる。
それはメーヴの超巨大ゴーレムを彷彿とさせる、まるで山のような混成ゴーレムだった。
「何度か殴ってやれば、『悪食』も怯むじゃろう」
確かに、物理攻撃が効くならこの巨大なゴーレムが役に立つだろう。
だがミレニアの手は震えていた。
その理由は、すでに鑑定を終えた俺には分かっていた。
『生成想操』のデメリットは、操作している無機物が破壊されるとミレニアの最大生命力が減少することだ。ミレニアの姿がどんどん幼くなっているのは、いままでの世界を守る戦いのなかで少しずつ生命力を削り取られていたからだろう。
レベルがカンストしているから、もはや増えることのない生命力。
操るゴーレムが『悪食』に拳をぶつけるだけで、霊素は消し飛ぶ。攻撃すればそれだけでミレニアの生命力が削られていく。
ミレニアは、今日ここで死ぬつもりなのだ。
「……ミレニアさん」
「なんじゃ。話をしている時間はないぞ」
「はい。ですから――〝解除しろ〟」
「なっ、なにをする!?」
『言霊』で、ミレニアの『生成想操』を解除させた。
付与していた生命力はミレニアに戻り、ゴーレムは崩れ落ちた。
用意した最後の手段を強制解除されたミレニアは、慌てて俺に詰め寄ってくる。
「おぬし、何をしているのかわかっておるのか!?」
「ええ、ミレニアさんの無謀を止めました」
「無謀は承知じゃ! だが他の手段などない! 妾がやらねばならぬのじゃ!」
「ありますよ。ミレニアさんの捨て身は、最後の最後まで取っておいてください」
俺は首を振った。
『神秘之瞳』に少し前から映っていた援軍が、もうすぐそこまで迫っていたのだから。
「どこにそんな悠長にしている時間が――」
「待たせたな、少年! そして総帥よ!」
そいつは自慢の肉体で木々をへし折りながら森を一直線に突き抜け、俺たちの元に到着した。
七三分けにピシッと固めた髪型。キラリと光った白い歯、キッチリと着こなしたスーツの胸に輝くは議員バッヂ。
「吾輩、参戦である!」
魔導十傑がひとり。
土魔術の権威、ベルガンドがやってきたのだった。




