賢者編・24『〝黙示録の獣〟』
とてつもなく巨大で透明なナニカが、湖の底をぶち破って地面から這い上がってきた。
流れていく土砂のおかげでなんとなく輪郭がわかる。まだ下半身は土の中に埋まっているようだが、ずんぐりとした動物のような形に見えた。
俺もぼーっと観察しているわけにもいかない。超高ランクの魔物か何か知らないが、こんな巨体が闊歩しようものならこの国は一日で滅びるだろう。
恨みはないが躊躇う理由もなかった。
「『大裂弾』!」
巨大な空気の塊を生成し、ブチ当てる――が。
「えっ」
……無効化された?
裂弾が透明なナニカの座標に着弾したのに、何も変化はなかった。
念のためもう一度発動してみたが、またもや同じ結果になる。
攻撃がまるで効いていない。
すぐに他の術も試してみる。
「『刃転』! 『光弾』! ……〝止まれ〟!」
ダメだ。
透明で巨大すぎるから本当に効いていないのかはわからないが、少なくとも俺の術はすべてそいつに着弾しているのに消えてしまう。動きが鈍るどころか活発になっているような気すらしてくる。
「なんだこいつ……どうすりゃいいんだ」
「ルルク、おぬし来ておったのか!」
上空で手をこまねいている俺のところに、ミレニアが飛んできた。
急いだのか、かなり息が上がっている。
「一体どうなっておる!? 湖が干上がったと報告を受けて来たが……」
「わかりません。水を抜いた黒幕らしき人と対峙してたら、突然地面から透明なアレが出てきまして。ミレニアさん、この国はあんなバケモノを地下に封印してたんですか?」
「そんなものおらん。透明化のスキルがある魔物か? おぬし、アレを鑑定したか?」
「それが視えないんですよ。となると極級スキル以上で姿を隠している相手になるんですけど……」
「そんなバカな話は……いや、まて。まさか……」
ミレニアは目を見開くと、みるみる顔を青ざめていく。
何か思いついたらしい。否定したいけど否定する要素がない……そんな表情をしていた。
「アレの正体、知ってるんですか?」
「……おぬしにはまだ教えるつもりはなかったが、そうも言ってる場合ではないようじゃ。あやつはおそらく〝黙示録の獣〟の一体じゃ」
「ヤバそうな響きですね」
〝黙示録の獣〟か。
地球の神話にも同じ言葉が出てくるが、むしろ日本ではそれらを示す数字の方が有名になってたっけ。終末を現す不吉な数字――〝666〟の獣たちだ。
もちろん少し意味は違うだろうが、透明なコイツがその地球の神話レベルの相手だとすると俺たちじゃ手に負えない。
俺は生唾を飲み込みながら、恐る恐るミレニアに尋ねた。
「もしかして、神位存在ですか?」
「いや、違う」
ミレニアは首を振った。
俺は少しだけホッとする。
もし地球と同じく〝黙示録の獣〟が神域の存在なら、ロズでようやく相手ができるレベルだ。いくら強くなろうが、俺やミレニアは王位存在――存在位がふたつも違う。まるで相手にならないだろう。
俺は少し安堵したが……しかしミレニアの表情は優れなかった。
這い出てくるソレをじっと目を凝らしながら見つめて、
「そもそもアレに存在位はない。〝黙示録の獣〟とは、神々の意に反して生まれた神の秩序を滅ぼす存在の総称じゃ。おぬし、アレを攻撃したかの?」
「はい。全然効いてなさそうですけど」
「そうか……便宜上、獣と呼んでおるがアレらは獣のカタチをした〝現象〟じゃ。現象ゆえにハッキリとした法則性があるんじゃが、今回の相手は神秘術が効かんのかもしれん」
「現象、ですか?」
「うむ。三体それぞれが『厄災の島』『悪食の山』『律滅の翼』と呼ばれておる。『厄災の島』は聞いた事があるじゃろ」
「もちろんです。魔物じゃなかったんですね」
「世間では魔物ということにしておる。あのような特異な存在は、真実を伝えてもろくなことはないからのう」
『厄災の島』は何千年も前からマタイサ王国の東の海にいる、巨大な魔物と伝えられていた。近寄ればどんなモノも正気を保てなくなる、と噂されている。
まるで島のように動かないが、あまりの巨大さに討伐はできないと放置されていた。あのロズですら戦う選択肢はないと言っていたっけ。
ミレニアは冷や汗を浮かべながら、眼下の〝黙示録の獣〟を眺める。
「……ということは、こやつは『悪食の山』じゃな。海に眠る『島』、空に棲む『翼』、そして地底に泳ぐ『山』とお師様から聞いた事がある。妾も『山』は初めて見たが……なるほど元から不可視の特性があるとはな」
「じゃあ地下深くを進んでいるところに湖の水が流れてきて、浮上してきたと?」
「おそらくのう」
不運すぎる。
あの慌てようを見るに、ポーンにしてもこんなバケモノが地下深くにいるなんて予想外だったんだろう。
「まずは、向かう先を見届けるのじゃ。南の海に向かってくれるなら放置でよかろう。だが西の学術都市に向かうようなら、どうにかして止めるしかないの」
「ミレニアさんなら倒せそうですか?」
「到底無理じゃ。誘導するのが限度じゃろう。前の時も、妾とスカトたちで協力して、魔族領の北端に追い返すのがやっとじゃった。それだけでも半分持っていかれたがのう……」
見れば、ミレニアは手を震わせていた。
ミレニアともあろう者があきらかに怯えている。恐れている。
おそらく残りの一体『律滅の翼』と戦ったことがあるんだろうが、それくらいの相手なのだ。
「ミレニアさん、俺は何をすればいいですか?」
攻撃が効かなくても、他にやりようはあるだろう。
全長が数キロを超える相手だ。超巨体相手なら俺も経験がある。
しかしミレニアは首を振った。
「おぬしが危険を晒す必要はない。妾に任せよ」
「……またですか」
さすがに不満が漏れた。
ミレニアが責任感が人一倍強いのは理解していた。俺のことを子ども扱いするのも、まあ実年齢を考えたら道理だ。
だが納得はできない。
「いい加減、俺のことも認めて下さい。友人の役に立ちたいんです」
「友人の前に守るべき弟弟子なのじゃ。それにおぬしはまだ十四じゃろ? 子どもに世界を背負って戦わせるなどできん。それは大人失格じゃ!」
「前世を合わせたらもう立派な大人ですよ」
「し、しかし……これは妾の仕事じゃ。いままでもそうやってきたし、これからもそうやっていくのじゃ」
「たった一人で戦うつもりですか? そんな簡単な相手なんですか?」
「う、うるさい! 妾はもうひとりに慣れておる! 死ぬことも怖くない!」
「意地ばっか張るんじゃない!」
俺は怒鳴った。
ミレニアは体をびくりと震わせる。
幼児にしか見えないその体は、いつもよりさらに小さく見えた。
「手の震えも誤魔化せないで、何が怖くないだ! 嘘つくならもっとうまくつけ!」
「じゃ、じゃが……」
「死にたくないなら頼ればいいだろ! 意地張ってカッコつけて、一人で何もかも背負おうとするんじゃねえ!」
「……しかし相手は〝黙示録の獣〟なのじゃ! 共闘したところでおぬしを無事に帰せる保証がない!」
「保証なんて、いままで誰が相手でもなかったよ!」
人攫いの時から、マルコシアスにスカト、サトゥルヌ、そして竜王まで。
いままで強敵とはたくさん戦ってきた。死にかけたこともあれば、負けて命からがら逃げたこともある。数秘術やロズや仲間がいなければ、俺はとっくに死んでいた。
だから俺はミレニアの肩を掴んで、彼女の目をまっすぐ見つめて言った。
「……自分に正直になってください」
俺はミレニアの手を、ゆっくりと俺の胸に触れさせた。
心臓の鼓動を感じたミレニアは、ハッとして目を潤ませた。
「……お師様……」
「正直に言ってください。本当は俺のことが憎いんでしょう? 師匠を奪った俺が、親友を奪った俺が。ケジメって言葉でその感情に蓋をして、一発殴るだけで手打ちにしたとしても、失ったものが戻るわけじゃない。言葉で誤魔化せても俺にはわかりますよ」
「そ、そんなことは……」
「俺だって、俺のことをまだ許せてないんです。わからないはずがないでしょう?」
「ルルク……」
うつむいたまま、俺の胸元をギュッと握りしめるミレニア。
ミレニアにとって、たった三人しかいなかった敬愛する相手。
そのうちの二人を同時に俺が奪ったのだ。
その意味も彼女の孤独も、俺には……俺だからこそ、よくわかった。
だからこそ、俺が彼女に手を伸ばす意味があるはずだ。
「ミレニアさんから大切な人たちを奪った俺が言えることじゃないかもしれません。でも、言わせてください。一人になっちゃダメですミレニアさん。一人になってしまったら、一人を選んでしまったら、きっと後悔します。死にたくないならなおさらです」
「二百年前、スカトとメーヴと離別したときから妾はずっと一人じゃ」
「はい。そうでしたね」
「……それに本当は、お師様にも八百年前に見限られてしまってたのじゃ。いまさらなのじゃ……」
「だから俺が変えるんですよ」
彼女は冒険者ギルドの頂点で、神秘術の賢者で、いままでは雲の上の存在だと思っていた。
だけど等身大のミレニアは、俺にとって身近にも感じられる姉弟子だった。大人ぶって偉ぶって、全部自分で背負おうとする少女だった。
「世界を背負わせてくれとは言いません。だけどあの『悪食の山』くらいは、共に戦わせて下さい」
「……じゃが万が一おぬしに何かあれば、妾は今度こそお師様に顔向けできぬ」
ミレニアは俺の胸をじっと見つめ、切ない表情を浮かべた。
八百年前、ロズとミレニアに何があったのかは俺は知らない。見限られたという言葉から、おそらくロズは八百年前からミレニアに接触することはなかったんだろう。
それでもミレニアはずっとロズを慕っていた。なら俺は迷うことはない。
「俺が決めた覚悟に師匠がケチをつけると思いますか? 神秘王はそんな人でしたか?」
「それは……」
「むしろ逆ですよ」
俺は笑って言った。
あの無茶振り大好きなロズが、危険だからと戦わせない?
そんなことあり得ないだろう。
「師匠なら嬉々として言いますよ。いつもの脳筋な笑顔で『ほら、腕試しにやってみなさい』ってね。ミレニアさんにはスパルタな師匠は想像できませんか?」
「……く、くくく! ははははは!」
ミレニアは笑った。
やっぱり、彼女もロズの脳筋特訓を受けてきたんだろう。当時のことを思い出して腹を抱えて笑っていた。
ひとしきり笑ったミレニアは目じりの涙を拭きながら、
「そうじゃの。お師様はそういう人じゃった」
「でしょ? 世界はともかく、目の前の脅威にチャレンジするのは良しとする人ですから」
「……やはり、おぬしのほうがお師様のことをよく分かっておるのかのう」
どこか寂しそうに言うミレニア。
「よし、では共闘しようとするかの。もっともあやつが南に向かってくれれば、それが一番じゃがのう」
「はい。いまの恥ずかしい会話が無意味になることが一番です」
「おい恥ずかしいとはなんじゃ」
「自分の胸に聞けばわかりますよ。それとさっきは怒鳴ってすみませんでした。ごめんねミレーちゃん」
「だから頭を撫でるでないわ……しかしおぬし、噂通りのひとたらしじゃのう」
なぜかため息を吐かれた。
ミレニアとの口論が終わったところで、ちょうど『悪食の山』の全長がすべて地表に這い出てきたようだった。湖底の泥が踏み固められ始めている。
「どれ、全貌を拝んでおくかのう――『アクアドリズリー』」
ミレニアが水魔術を発動した。
魔力が空に舞い上がり、霧雨となって周囲一帯に漂う。霧雨は『悪食の山』の体に当たると消えてしまうが、そのおかげで輪郭をハッキリと浮かび上がらせていた。
予想よりもデカい。
全長は三キロほどで、上背は六百メートルはあるだろう。体の先に角の生えた顔のようなものがついており、牧草を食べる子羊のようなフォルムだ。
その『悪食の山』は歩き始めた。
方角は――
「……悪い予感は当たるものじゃのう」
学術都市にまっすぐ向かっていた。
ミレニアは深く息を吸い、俺は頷いた。
「俺たちで止めましょう」
「うむ。じゃがその前に」
ミレニアは俺に手を向けて、スキルを発動した。
「『憤怒の鍵』」
俺の体の中に、熱い何かが宿った。
「……何をしたんですか?」
「百聞は一見にしかずじゃ。妾のステータスを鑑定してみよ」
「わかりました」
俺は『神秘之瞳』でミレニアを鑑定した。
――――――――――
【名前】ミレニア=ダムーレン
【種族】人族
【レベル】99
【体力】110(+2840)
【魔力】970(+1980)
【筋力】120(+1340)
【耐久】160(+2130)
【敏捷】170(+2010)
【知力】4180(+4840)
【幸運】721
【理術練度】2010
【魔術練度】1870
【神秘術練度】9999
【所持スキル】
≪自動型≫
『製作者』
『教育者』
『水中活動』
『風見鶏』
『憤怒の檻』
『火魔術適性』
『水魔術適性』
『闇魔術適性』
『数秘術3・生成想操』
≪発動型≫
『憤怒の鍵』
『威圧』
『激情家』
『精霊召喚』
『眷属召喚』
『雪雲召喚』
『占星術』
『転写』
『転送』
『錬成』
『閾値編纂』
『変色』
『逆撃』
『連鎖裂衝』
『冥界顕現』
――――――――――
【『憤怒の鍵』
>怒りの感情を解放する『鍵』の権限を他者に授けるユニークスキル。『憤怒の檻』と対になっている。】
【『憤怒の檻』
>怒りを溜めるユニークスキル。『憤怒の鍵』で解放した後の三分間、溜めた怒りの量によりすべてのステータス・魔術と神秘術の威力が大幅に上昇し、その総量と同等分の幸運値が一時減少する。減少した幸運値がマイナスになることはない。運より力。】
【『激情家』
>発動後数分間、感情が大幅に動きやすくなるユニークスキル。多感なお年頃。】
なるほど、俺は『憤怒の鍵』を使う権限を与えられたのか。
「危うくなった時、おぬしがその『鍵』を発動してくれ。『激情家』と同時にいままで溜めた怒りを全て解放すれば、いまのおぬしにも引けを取らぬステータスになるじゃろう」
「それはすごいですね。では、これは奥の手ですね」
「うむ、頼んだぞ」
しっかり預かっておく。
その他にも気になるスキルがたくさんあったが、それを聞いている場合じゃない。
「ではやるぞ」
「はい」
俺たちのことなんて一切無視をして、森を飲み込みながら東に進み始めている『悪食の山』。
その脅威に、俺とミレニアが立ち向かう――
あとがきTips ~『悪食の山』~
〇黙示録の獣とは
古来より世界の秩序を滅ぼすとされているモノ。
神々が管理しているこの世界にあって、その管轄外から生まれた世界の〝歪み〟。
獣のようなカタチをとっているが〝現象〟であり、生命ではない。滅ぼしてもいずれ復活する。
三体の存在が確認されていて、それぞれの呼び名は下記のとおり。
・『厄災の島』
・『悪食の山』
・『律滅の翼』
〇『悪食の山』
巨大な子羊を形どっている第二の〝黙示録の獣〟。もとから色を持たない無色透明の脅威。
地下深くをゆっくりと眠りながら移動している。目が覚めると地表に出てきて、その周囲にある生命を全て食らい尽くしては帰っていく。
ちなみに千年前のストアニア戦争のときにカテドラ山脈で浮上し、進軍していたマグー帝国軍数万を一晩で滅ぼしている。通称〝カテドラ山脈の変〟の正体。
(〝カテドラ山脈の変〟については【第40部・弟子編27『ストアニア王国』あとがきTips】【第214部・ 救国編18『ごめん、追放されちゃった』】にて言及。今回ようやく伏線回収です)




