賢者編・23『湖の底にあるもの』
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ゴーレム師団総指揮官ザックバーグは焦燥していた。
なぜ気づかなかったのか。
レスタミア王国からノガナ共和国まで繋がる長い地下通路は、途中から下へ下へと延びる洞窟迷宮と繋がっていた。
まるで巨大なアリの巣のように分岐する道を進みながら、ザックバーグは深く息をつく。
部下たち数人が、秘密裏に地下道を掘っていたのだ。
彼らは破棄されたはずのゴーレムを流用し、人知れず地下を掘り進めていた。情報は巧みに操作され、ザックバーグや国王をはじめとする国の上層部はまるきり違う場所を探していた。
裏切った数名はみな、ザックバーグが目をかけていた者たちだ。みんな気のいいやつだったが、地下通路が開通するや否や姿を消してしまって、真意を問うことはできなかった。
なぜ地下通路を掘ったのか。協力者は誰なのか。
セレン山脈の湖のそばに出口はあったが、その出口も適当に穴をあけただけ、というような雑な造りだった。
「開通することが目的ではない、か」
少なくとも数か月でできるものではない。地盤をうまく利用した技術もさることながら範囲が想像以上だった。
おそらく二年の年月はかけて掘っていたはずだ。なんのために、それほどの時間をかけてこの地下迷路を作ったのだろう。
ザックバーグが唸っていると、前方から部下が駆けてきた。
「総長、ご報告が。この先にとてつもなく巨大な空洞を発見致しました! 調査員を向かわせて安全を確認中です。総長はこちらで待機を」
「そうか。わかった」
足を止め、ゴーレムたちを操作して周囲を警戒する。
地下空洞の最たる危険は崩落だ。土魔術に長けたゴーレム師団の精鋭たちならまだしも、後ろにいるノガナ王国の兵士たちは崩落に遭ったらひとたまりもない。
合同調査である以上、無理して危険は冒せなかった。
土の中に棲む魔物が出ないとも限らない。ザックバーグは警戒を続けていた。
話しかけてきたのはノガナ国防軍の小隊長だった。
「ザックバーグ殿、少しお休みになられては?」
「お気遣いありがとうございます隊長殿。しかし、こうなったのも私の管理不行き届きが原因。部下の失態は私に責任があります」
「しかしこの数日、ろくに寝てないではありませんか。一度お国に戻られてはいかがでしょう?」
「お言葉に甘えたいところですが、そうも言ってられません。この地下通路に何かがあるのは間違いないのです。ここまできて戻れませんよ。隊長殿こそあまり顔色が優れませんぞ」
「いえ、私は……」
「土に囲まれて慣れない空間ゆえ、休憩は多めにとったほうがよろしいかと。しばらく待機のようですし、椅子でも作りましょう――『アースフォーム』」
「……かたじけない」
椅子をつくり、小隊長と並んで腰かけた。
気を緩めるつもりはないが、確かに座るくらいは問題ないだろう。座って警戒しつつ調査員の報告を待っている時だった。
「……揺れてる? 『アースジェイル』」
振動を感じて立ち上がる。
地震だろうか。崩落の危険があるため、すぐさま周囲の土を固めておく。
だがザックバーグの予想は、悪い意味で裏切られた。
「なんだこの音は!」
「水だ! 水が来るぞー!」
後方から叫び声が聞こえた。
その束の間、振動とともに轟々という音が唸り始めた。その音はつぶさに大きくなり、やがて耳を塞ぎたくなるようなほどの音量と共に、凄まじい揺れが襲ってくる。
「逃げろおおお!」
「だ、だめだこれは――」
大量の水だ。
ザックバーグは戦慄を憶えた。
なんという水量だろう。いままで見たことのない大量の水が押し寄せてくる。
「『アースウォール』! おい、皆も壁を――」
部下たちに指示しようとしたが、時すでに遅し。
彼らは魔力を練る余裕もないほど狼狽し、逃げ出そうとしていた。
だがこの地下道を埋め尽くすような水量の前に逃げ道などなかった。
「くそ! 『アースウォ――」
あっという間だった。
ザックバーグもまた、なすすべもなく水に呑み込まれてしまうのだった。
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俺がセレン山脈の湖に着いた時には、水はほぼ抜けきっていた。
さほど深い湖ではなかったとはいえ、山脈の内側の半分近くを占めている巨大な湖だ。その湖の水がわずかにしか残っていないなんて、実際に見ないと誰も信じられないだろう。
湖底には大穴が開いて崩落しているから、原因は明白だった。
まだ魚や藻がいたるところにある窪地の水辺で泳いでいるが、全体からするとほんの数パーセントの水量だろう。それ以外はすべて地下に流れてしまっている。
いまも川から流れてくる水が、大穴へ注ぎこまれていた。
近くの地下道の入り口からは、全身濡れた兵士が這い出てくる。
そこに駆け寄る他の兵士たち。
「おい、どうだった!? 隊長とザックバーグ氏だけでも見つけられないか?」
「だ、ダメです。潜水では捜査範囲が狭すぎて何も……」
「そうか。そちらの送り込んだゴーレムはいかがですか?」
「自動ゴーレムも反応が途絶しました……おそらく水圧で内部が破損したかと」
地上に残っていた兵士とゴーレム師団が途方に暮れている。
近くで隠れて話を聞いていたところ、湖底が崩落して水が抜け始めたのが数時間前のことらしい。山脈の地下に無秩序に掘られたという地下空間に、湖の水がすべて流れ込んでしまったようだ。
単なる事故……には思えない。
俺はすぐに『神秘之瞳』を湖底に走らせる。
予想が正しければ、必ずいるはずだ。
この地下道は、何者かが情報を操作してまで巧みに隠していたのだ。それがこのための布石だったとしたら、この湖の水を抜くことこそが狙いだったのだろう。
なら黒幕の目的はおそらく、水のなくなった湖そのものだ。
視線を飛ばして湖周辺を精査していく。
範囲は広大だが、透視も使えば――
「見つけた」
広大な湖の底。
その一角に、古めかしく朽ちた建造物が残っていた。おそらく湖に沈む前に使われていただろう教会のような建物だ。
その水が抜けた神殿の中に人影があった。床付近を漁って、何かを探しているようだ。
俺はすぐに転移した。
教会内からも水はほとんど抜けているが、床はやたらとヌメヌメしていた。周囲で死んだ魚が腐り始めているのか、鼻につく異臭がする。
俺が一歩踏み出すと粘度の高い音が鳴り、教会の奥にいた人影が振り返った。
「おっと……まさかアンタがお出ましとはね」
俺に気付いたのは、軽薄そうな長髪の男。
そいつは床の一部を壊し、何か箱のようなものを取り出したところだった。
どうやら俺の顔を知ってるらしいが、敵意や害意は感じない。手にした箱の鍵をピンセットのようなもので開けようとしながら話しかけてくる。
「さすが〝神秘の子〟ってとこか。こんなに早くオレを見つけるなんて目敏いねぇ」
「……見つけられたらマズいことでもしてたんですか?」
「言葉の綾ってもんさ。コレを探してたんだけど、どう見ても危険なもんじゃないっしょ?」
男は難無く鍵を開けて、箱の中身を取り出した。
小さな盾だった。なんの術式もかかってないシンプルな小盾だ。
鑑定でも名前は出てこない。素材がミスリルだからかなり高価なものだが、それ以上の意味は俺にはわからなかった。
ただ、額面通りに受け取るほど俺もバカじゃないつもりだ。
「この状況で、ただの盾だと言われてはいそうですかと思うとでも? わざわざ水が抜けたタイミングで、湖の廃虚に忍び込んでる不審者さん」
「……ただの宝漁りだって言っても?」
「当然、納得できませんね」
「そうだよなぁ……あ~めんどくさ」
男は盾を懐に仕舞って、本当に気だるそうに上を仰いだ。
穴の開いた天井から水がしたたり落ちているのを眺めて、
「アンタが来なけりゃもうちょい楽な仕事だったのになぁ。オレってばいつも貧乏くじばっか引かされるんだよなあ……なあルルクさん、オレのこと見逃してくれる気はない?」
「詳しい事情を聴いて、何もなければ当然何もしません」
「……だよなぁ。でもアンタ、自白させる精神操作スキルがあるんだっけ? なら八方塞がりだなぁ」
俺の『言霊』のことはある程度掴んでいるらしい。
いままで口を割らせるために何度か使ってるから、そろそろこの情報も露見する頃だと思っていたので驚きではない。
「じゃあ話が早いですね。なぜここにいるのか、事情と経緯を正直に話して下さい。それとアナタの名前も」
「……しゃーない。オレも死ぬのはイヤだからな。諦めるかぁ」
男は濡れた地面に座り込んだ。
やはり敵意はなく、抵抗する気もなさそうだった。
「オレって幼い頃から窃盗の常習犯でねぇ、昔は捕まっては逃げ出して、いつのまにか『脱獄王リト』って呼ばれてたんだよ。あ、リトは本名ね。でもいまはその名前は使ってなくて〝ポーン〟って名乗らせてもらってるよ」
ポーンか。チェスの駒みたいな自称だな。
鑑定結果では確かに本名はリトで、魔術練度はそこそこ高いがレベルは低く、とてもじゃないが戦えるようなステータスじゃない。
「で、しがない窃盗常習犯のオレにも娘がいんの。拾ったみなしごだけど、これがまたいい子でねぇ。とはいっても父のオレが犯罪者だから教会に預けてて、時々顔を見せてるワケ。これがまた可愛いんだ」
「……そうですか」
「今度会わせてやろうか? 天使だぜぇ」
「天使は足りてるんで大丈夫です。それで、なぜここに?」
「オレのいまの雇用主がね、わりと無茶振りしてくんのよ。そんでこの湖に沈んだ教会に、組織の大事な宝が放置されたままだから水抜いて拾ってこいって命令されてね。オレってば素直で従順な部下だから逆らえなくてね~。で、ちょっとばかし任務をこなしてたってワケ」
任務か。
やはり単独ではなかったらしい。
「組織のこと、詳しく話してくれませんか?」
「まあ一旦最後まで聞いてくれよ。オレ、三年くらい前にレスタミアのゴーレム師団に入ってね、そこからゆっくり周囲のやつらと仲良くなって信頼してもらって……上司と同僚とか、みんないいやつばっかでねぇ。ほんとオレのことろくに疑いもしなかった。まあもうみんな水の底だけどね」
「……やはり、あたながやったんですね?」
「まあねぇ。色々手配していろんなゴーレム壊させて、廃棄される前にこっそり盗んで、術式書き換えて地下に空洞掘らせるまでは楽だったんだよねぇ。でもさ、やっぱ情報屋にはすぐバレるわけよ。あいつら遠視スキル持ってんのズルすぎでしょ。おかげで偽の情報ばら撒くのに面倒な奴まで使うハメになってさぁ」
「……それで?」
「二年かけてノガナまで地下道掘って、湖の水が溜められるくらい下に下に掘り進んで、そろそろいいかなってタイミングで逃げたわけよ。あ、仲間になったやつらは組織が回収してるよ。オレは責任持って目的のコレを取りに来たんだよねぇ。アンタがあと五分遅かったら、オレも逃げられたんだけどなぁ」
軽薄に言うポーン。
俺は拳を握って言った。
「……どれだけの人が死んだと?」
「さあね? でもオレだって殺そうとは思ってなかったのよ。まさか水溜めるために適当に掘ってたところをここまで念入りに調査しにいくなんて思わないじゃん? 不可抗力だよ不可抗力」
ヘラヘラ笑って言ったポーン。
俺には理解できなかった。死んだ人たちはみんな、水の中でもがいて苦しんで亡くなっただろう。
それを引き起こしたやつが、なぜ罪の意識もなく笑っていられるのだろうか。
――――――――――
>『冷静沈着』が発動しました。
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……そうだな、先輩。
確かに俺が感情的になっても話は進まない。
気に障るが口は軽そうな男だ。このまま情報を引き出したかった。
俺は声を抑えて問いかける。
「それで組織とは? その盾はなんですか?」
「この盾? さあ、オレもよく知らないんだよねぇ。上司が取って来いって言ったから取りに来ただけで、貴重なものだってことしか聞いてない。あと組織のことだけど、喋ろうとしたら死ぬから教えられないんだよねぇ、ごめんねルルクさん」
「ふざけてるんですか? 喋らなければ、俺が強制的に喋らせますよ」
「本当なんだって! 知らない? 契約を破ったら、術を刻んだ部分が弾け飛ぶ『誓約』ってスキル。アレ、俺に掛けられてるんだよねぇ」
「そんなもの――」
聞いた事もない。
そう言おうとして、思い当たる節があった。
セオリーの世話係だった翡翠色の竜種――リセット。
彼が黒幕の魔族を売ろうとしたとき、いきなり竜核が弾けて死んだのだ。てっきり魔族の黒幕が遠隔攻撃でもしたのかと思っていたが、アレが『誓約』の効果なら納得できる。誓いを破れば死ぬ――そんなスキルもこの世界にはあるんだろう。
俺は念のため『神秘之瞳』で、ポーンの全身を細かく精査する。
……確かにあった。
術式が心臓部分に刻まれている。かなり強固に魔力が絡み合っていて、具体的な契約内容までは俺では鑑定できないが、男の話した内容はまるっきりのウソではなさそうだった。
俺はため息を吐いた。情報が手に入らないなら自白に意味はない。
「……わかりました。信じましょう」
「あんがとよ、ルルクさん」
「ですが話せる部分はすべて話して下さい。誤魔化したら死んでも喋らせます」
「わかってるよぉ。オレもアンタに抵抗する気はないって」
両手を上げて、濡れた地面で降参ポーズをとるポーン。
最初から白旗を上げてる相手だ。正直に話すというなら、俺も溜飲を下げておこう。
「では、まずはその盾を預からせて――」
そう言いかけた時だった
ズン!
地面が揺れた。
思わずよろけてしまうほどの衝撃が、真下から跳ねあがった。
地震だろうか。その揺れは止むことなく断続的に大きくなっていく。教会が崩れ、地面が傾き始める。
……いや、地震はない。
揺れなんて優しいものじゃない。俺たちがいる湖の底がせり上がっていく。
「な、なんだよこれ!」
ポーンが慌てて近くの椅子にしがみ付いたが、椅子は腐っていて崩れた。
地面がどんどん傾いて、ズルズルと滑っていくポーン。
「『アースウォール』!」
とっさに壁を作って体を止めていた。
だが、それも焼け石に水だった。
揺れと傾きは、もはや天変地異に近いレベルのものになり、ついには地面にいくつも亀裂が走り――
「何か来る!?」
地面の下に気配を感じて身構える。
その瞬間、湖底が爆ぜた。
あまりの衝撃に教会ごと吹き飛ばされた俺とポーン。
『領域調停』がその衝撃を無効化したが、地面が弾けたせいで大きく吹き飛ばされてしまう。真上に数百メートルほど打ち上げられる。
同じく宙に放り投げだされたポーンが叫んでいるが、いまは助けている余裕はなかった。
地面の下から出てきたのは、透明な何かだった。
土や水が透明な何かの表面を流れていく。
広大な湖底全域を崩壊させながら、ソレは現れたのだった。
俺は声を裏返らせる。
「ウソだろ……視えない!?」
極級スキル『神秘之瞳』を以てしても、その正体が視えなかった。当然鑑定もできない。
何か透明で巨大な――湖並みに大きな生物が這い出てきたことはわかるが、それ以上の情報はわからなかった。
叫びながら落下しているポーンに聞こうと思ったが、彼にも明らかに予想外の出来事だったようだ。
ひとまず情報源でもあるので助けようとした――その時。
「えっ」
落下中のポーンが消えた。
文字通り、消えてしまったのだ。
またもや俺の眼には何が起こったのかわからない。真下にいる透明生物が食ったのか、あるいは別の何かが助けに来たのか。
だが俺も悠長に考えている場合じゃない。
「『相対転移』!」
一度、上空まで転移して『錬成』で氷の足場を作る。
やはり遠くから見ても異常な景色だった。水の抜けた湖底が、火山が噴火したかのようにひっくり返って土の雨を周囲の森に降らせている。
「なんだこれ……」
俺はただ、上空で戸惑うことしかできなかった。




