賢者編・22『友人として』
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「お嬢、アンタには何ができるかね?」
世界最強と名高い魔女――ガノンドーラ。
彼女は試すような視線でエルニネールを見つめた。
今回ばかりは戦いの才能は役に立たない。
理不尽ではあるが、確かに人をひとり殺めてしまっているのだ。無罪放免を主張するなら、その相手に殺意があり正当防衛だったと納得させなければならないのは道理だ。
研究者たちに自供させてもいいが、リリスの『言霊』では単純動作以外の命令はできない。嘘をつかれたら厄介だ。
人脈、財力、立場……あらゆるパターンを想定して考えていたサーヤだったが、試されているエルニネールがやったことは単純だった。
「『ファントム』」
魔術がダメなら、魔術でやればいい。
そう言わんばかりの堂々とした脳筋がそこにいた。
だが発動したのはただの魔術じゃなかった。
風景の幻を生み出す『ファントム』をアレンジし、エルニネールの記憶の投影をしたのだ。
数分前のこの部屋――クイーンが襲い掛かる風景が、周囲に展開される。
「ほう……こりゃ見事なもんだ」
片眉を吊り上げるガノンドーラ。
その言葉は、単に魔術の腕を褒めているわけではなかった。
「ここまで明細な幻術は初めてだね……お嬢、アンタ完全記憶能力者だったのかい?」
「ん」
頷くエルニネール。
魔術は、いわば魔力を使った想像の顕在化だ。
明確なイメージを抱く程より高精度で安定した魔術を発動でき、それには頭脳だけでなく視覚的な能力も問われる。
見たものを決して忘れず、完全に再現できるほどの完璧な視覚的能力。
その反面、極端なまでに感情表現が苦手で言葉もポツポツとしか話すことができない。興味のあることは恐ろしい集中力を発揮するが、それ以外にはまったくの無頓着。
この不器用さがエルニネールの性格だけの問題じゃないことは、サーヤもずっとわかっていた。
おそらく彼女は――
「サヴァン症候群……」
現代なら個性として受け入れられる特異な才能のひとつだ。
だが医療サポートや知識の少ないこの世界は、サヴァンの子たちにとってはとても生きづらいはずだった。
故郷を失ったエルニネールがその才能を最大限に活かせる環境に出会えたのは、幸運だったんだろう。
エルニネールの幻術が終わると、ガノンドーラは納得したように頷いた。
「なるほどね……いまの映像が空想の産物でなけりゃ、確かに彼女をただの研究員と仮定するのは無理があるね」
「想像じゃないわ。全部事実よ」
「だろうね。想像で記憶より詳細な幻影など生み出せん。ましてや完全記憶の域であれば特にだ」
「じゃあ、私たちの潔白はあなたも証明してくれるの?」
「……これを見せられちゃ、ワシの負けだね」
ガノンドーラはため息を吐くと、杖を振った。
「『リビジョン』」
彼女が生み出したのも、やはり幻影だった。
だがエルニネールの魔術とは範囲が違った。エルニネールが映したのは過去にエルニネールが見ていた視界範囲だけだったが、ガノンドーラが投影したのはこの部屋全体――エルニネールの背後も含めてすべての映像だった。
「なにこれ……これも記憶の投影?」
「いや。これは過去そのものだ」
ガノンドーラは、流れる映像がエルニネールの幻術と寸分たがわぬことを確認しながら説明した。
「聖と光の複合魔術……過去そのものを映し出す王級魔術『リビジョン』だよ」
「すごい……」
サーヤは感心していた。
聖魔術に適性があると言っても時間に干渉するのは並大抵のことじゃ不可能だ。エルニネールですらまだ扱えないはず。
さすが世界最強の魔術士――『時賢』の名を冠するだけはある。
しかしガノンドーラは不満を隠さなかった。
「ワシの術を見せるつもりはなかったんだがね」
「ん。おぼえた」
「ほれみろ。無償で魔王を育てるつもりなんざないってのに……クロウリーの愚か者め」
完全記憶があるからこそ、どんな魔術でも一目見れば構成をすべて憶えてしまう。あとは自分なりに使えるように手を加えるだけなんだろう。
サーヤはようやく、エルニネールの特異な才の一因を理解した。
「まあいい。ワシも国防省に顔出しにいくよ」
「ありがとう」
「ま、大馬鹿者をずっと幹部から降ろせんかったワシにも責任はあるからね。一応、謝罪しておくよ」
ガノンドーラがそう言うと、兵士たちはすぐに捕縛したクロウリーや研究者を運んでいった。
色々とトラブルはあったがなんとかなったようだ。
「それとお嬢、ワシも一応中央魔術学会の長だ。これまで散々聞かれたと思うがワシも言っておかなければなるまい」
「ん……なに」
「冒険者をやめて中央魔術学会に入らんか? 魔導の深淵を求めるなら、ここで数多の研究を見て学べばいい。お嬢ならあのリーンブライトすら足元にも及ばぬようになるだろ。魔力の扱いはまだ雑だが、ワシの教えを受ければそれもすぐに改善できるはずだ。どうだ、悪い話じゃないと思うがね?」
「ひつようない」
エルニネールは首を横に振った。
ガノンドーラは眉根を寄せる。
「冒険者としての名誉がまだ欲しいかね? それともまだ倒したい敵がいるんかね。冒険者の攻撃魔術は強さでは一級品だけど、ワシからしたら攻撃魔術なんてのは魔術研究の副産物のひとつに過ぎんよ。暴力じゃ文明は発展しないのと同じ。アンタでも魔術という学問ならどれだけ挑んでも、その道に終点はない。やればやるだけ成長し続けられる世界だよ……楽しそうじゃないかい?」
「ひつようない」
エルニネールは頑として首を振る。
ガノンドーラがもう一度何か言おうとしたとき、エルニネールは再度口開いてハッキリと告げた。
「ルルクに、ひつようない」
あまりに真っすぐで、あまりに澱みのない視線だった。
……出会った時からそうだ。
どれだけの才能があっても魔王としての素質を褒められても、彼女の目的はたったひとつだけだ。
ルルクが必要としている自分自身であること。
彼女が自分に求めているのは、昔からただそれだけだった。
魔術が使えない相棒の隣に立つために。
ルルクのためだけに。
「……そうかい。アンタたちのリーダーが女たらしってのは、どうやら本当のようだね」
どこか呆れたように言うガノンドーラだった。
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「ハ、ハ……ハックシュン!」
「おい風邪か? どれどれ熱は……」
「たぶん美人のお姉さんが噂してるんですよ。モテる男はつらいですね~」
「……よし、元気そうじゃの」
ラシーヌドカフェのテラス席で、俺とミレニアは朝食をとっていた。
評判高いドーナツに舌鼓を打ちながら、中央魔術学会の地下室で予想通りサーヤたちがクロウリーとケンカしているのを遠視ていた。そしたら研究員の女が聖遺物まで持ち出して襲い掛かってきたから、一応、援護しておいた。
声は聞こえなかったけど死なば諸共って覚悟だったので、俺も仲間を守るために遠慮はしなかった。
そのあと出てきた魔女は味方っぽかったから、俺も安心してドーナツを堪能できた。
それよりも、俺はミレニアからここ数日の話を聞いて驚いていた。
「狂犬病に、地下迷路に、デング熱に、挙句の果てに魔術士殺し……どんだけトラブルに好かれてるんですか、この国は」
レスタミアと繋がっていた地下道は、途中から地下深くまで掘られている迷路になっていたらしい。何か隠されていたら危険だということで、ノガナ国軍は駆けつけたゴーレム師団と連携して地下迷路を探査しているらしい。
地下道は誰が何のために掘ったのか、結局分からずじまいだったとか。
狂犬病の原因も突き止めたらしい。ここから西にある小さな村のそばに犬の魔物がいて、そいつがばら撒いていたようだ。駆除はできたが、魔物がどこから来たのかそこまではわからないようだった。
それからデング熱っぽい症状が流行し始めていたから、薬事ギルドと政府が協力して対応。これもどこから持ち込まれたかは不明。すでに昔流行った病気だったため、治療薬の精製技術はとうにあったので事なきを得たようだ。
そして毒蜂――魔術士殺しは、闇商人が学術都市に巣を複数持ちこんだらしい。巣は地下取引で売買されていたようで、ミレニアが買い手を抑えて回収していた。一人だけ抑えていなかった買い手がクロウリーで、さっきの魔女と兵士たちは本来クロウリーから魔術士殺しを没収するために向かったらしい。
とまあ、数日間でよくもここまでトラブルがあるもんだ。
ミレニアも疲れた表情で、テーブルに顎を乗せて足をプラプラしていた。どう見ても幼女だ。
この店に来た時も、五歳児だからと店員が子ども椅子を用意してくれたんだが、ミレニアは恥ずかしいと駄々をこねていた。
結果? もちろんパパが叱って座らせました。
「正直くたびれたわ……」
「よくがんばりましたね」
「だから撫でるで……いやどうせなら耳の裏のところを掻いてくれんかのう。少し痒くての……ああそこ、そこじゃ~」
全身を弛緩させるミレニア。
なんか猫みたいだな。
「おいルルクや、せっかくじゃから肩も揉んでくれんかのう」
「パパですよミレーちゃん」
「ぐぬぬ……か、肩を揉んでおくれやパパよ」
「よくできました。強めがお好みですか? それとも弱め?」
「適度で頼む」
「これくらいですか」
「あたたたた!」
軽くやったらかなり痛がられた。
椅子から飛び降りて逃げたミレニア。テーブルの反対側で、威嚇する猫のように俺を睨んでくる。
「妾の肩をもぎとるつもりか!?」
「そんな強くやってないですよ。カンスト勢には弱いくらいです」
「多少カンストで加算されとるとはいえ基本は五歳児のステータスじゃ!」
ミレニアは不老者だが、ステータスは外見年齢と比例しているらしい。
たしかに五歳児にはかなり痛い強さだったか。反省だな。
「お詫びに俺の肩、本気で揉んでもいいですよ」
「……ほう? 本気かの?」
「もちろんですよ。最近肩が凝ってるんですよね~」
まあ言うて五歳児ステータスだ。思い切りやっても俺の超絶ステータスには微々たるものだろう。
そう思っていたら――
「では思い切りいくぞ……ふん!」
「いてててて!」
激痛だった。
その意趣返しはすぐに止めてくれたが、そうだった忘れてた。ミレニアはステータスも防御スキルも無視してダメージ与えられるんだった。
コリどころか筋肉まで取れた気がする。
肩をさすりながら振り返った。
「この前といい今といい、どうやってるんですか?」
「なぜ教えねばならんのじゃ」
「ダメですか? 俺たちはライバルや姉弟弟子である前に、友人として切磋琢磨するのもいいかと思うんです。友人として」
「ゆ、友人か……コホン、なら仕方ないのう。妾がやったのは〝素通し〟という技術じゃ」
え、教えてくれるの?
さすがに冗談だったんだが、それを口に出したら一生教えてくれなさそうなので黙っていよう。
「生物は基本細胞で構成されておるじゃろ? その一つ一つが役割を担っているわけじゃが、実はステータスやスキルは細胞単位に付与されているわけではない。おおむね動作に必要な部位単位じゃ。腕、足、頭……おぬしの防御スキルも衝撃に対しては部位に対して複数の面で構成しておるじゃろ? それゆえ、体細胞にかかる負荷や揺れまでは弾かぬはずじゃ」
「そうですね。それも弾いたら自分でも動けなくなります」
「基本的に、常時効果があるステータスやスキルの干渉は部位を囲むように外部への指向性型構築になるのじゃ。それゆえ弱点があり、それが細胞単位で干渉を受けたときじゃ。素通しという技法では、霊素を最小単位の配列にして体表面から内部に力を伝えるのじゃ。妾はそれを使って相手の体内で術式を構築することができる。置換法を使えば、己の力をそのまま入れ込むことができるわけじゃ。それゆえ加算ステータスを無視して元々の肉体強度に直接干渉し、おぬしでも吹き飛ばせるというわけじゃ。本気でやれば一撃で爆散させることもできるぞ」
怖っ!
しかしなるほど。最小単位の干渉か。
確かにステータスはあくまで発揮できる最大値を可視化したもの。いくらマッチョでも力んでない状態で殴られたら、どんな筋肉があっても痛いのと同じことか。
ミレニアは常に相手の素の肉体を殴れるのか。しかも爆破まで……恐ろしい。
だがそれは超繊細な霊素操作ができるからこその技法だ。俺には不可能だろう。
さすが賢者で姉弟子だ、まだまだ勝てる気がしない。
「ど、どうじゃルルク。おぬしも友人として鼻が高いであろう? あろう?」
「友人? パパと呼びなさい」
「いまそれ言うかの!?」
そんな冗談を交わしている時だった。
ミレニアの周囲の霊素が輝き、手紙が一通転送されてきた。
曰く、ノガナ議会からの緊急連絡。
ミレニアはこの国を中心に世界を守護している。ノガナ国内では、国防省長と同じくらいの権限があるらしい。
すぐに手紙を開いたミレニアは、
「……すまぬ。すぐにゆかねばならんようじゃ」
「また何かあったんですか? よければ手伝いますよ」
「いや、おぬしに頼ることではない」
「友人の俺にも、ですか?」
そう言うと、ミレニアはかすかに躊躇した。
だがやはり首を振った。
「……友人だとしても、じゃ」
「そうですか」
「すまぬ。また茶でも誘っておくれ」
そう言うや否や、金貨をテーブルに置いてすぐにミレニウムに認識変化したミレニア。
そのまま糸を使って飛んでいく。近くを歩いていたカップルが飛んでいくミレニアに気づき、指さして興奮していた。
「……さてと」
俺は店員を呼んで会計をしてもらった。金貨は大事に仕舞っておく。
ミレニアとは姉弟弟子であり、ライバルであり、そして友人だ。
友人なら、困ってる友人を助けるのは当然だ。
たとえそれが押しかけのお節介だとしても。
「俺も行くか――『転移』」
ミレニアの行き先はすぐにわかった。
なんせ、彼女の飛んでいった方角を遠視したら大事件が起こっていたからだ。
セレン山脈のすぐ傍にある大きな湖。
そこの水が、綺麗さっぱり無くなっていたのだ。




