賢者編・20『魔術士殺し』
「それじゃあ気をつけて行ってくるんだぞ」
「うん。行ってきます」
中央魔術学会から連絡があったのは、翌日の早朝のことだった。
リリスが申請していたガトリンの義足の責任者――クロウリー卿との面会が、どうやらセッティングできたらしい。
クロウリー側からの条件は、エルニとサーヤを連れてくること。時間は本日なるべく早くに、とのことだった。
二人は昨日、大図書館の中庭でクロウリーとひと悶着あったからその影響だろう。俺も『神秘之瞳』で視ていたし報告も聞いたから、だいたいの流れは知っている。かなり偏った思考の研究者のようだった。
相手は中央魔術学会の大幹部だし、意趣返しに何かされる可能性もなくはない。念のため俺もついて行こうと思ったが、エルニとサーヤが拒否した。自分たちで撒いたトラブルは自分たちでなんとかしたいんだとか。
エルニ、サーヤ、リリスがガトリンに連れられて中央魔術学会に出かけていくのを見送った俺は、プニスケをナギの頭に乗せながら、
「そういえばセオリーは?」
「まだ寝てるです。ルルクはどうするです?」
「図書館」
「……聞くまでもなかったです」
呆れられた。
見たことのない娯楽小説がたくさんあって、今日は時間が許す限り図書館に入り浸るつもりだった。
「ナギも図書館行くか?」
「行かないです。ナギが読みたいものはなかったです」
武術はつまるところ生体力学の一種だ。
純粋な理術分野だからか、この世界での進歩はかなり遅いようだ。魔術ありきのこの世界じゃ魔術に頼らない戦い方は珍しく、数が少ないうえに目新しい資料はなかったらしい。
もはや図書館に興味もないナギだった。
「じゃあセオリーとプニスケを頼んだ。セオリーが無駄遣いしないように気をつけてて」
「わかったです。プニスケ、何か食べたいものはあるです? 今日はナギたちと一緒です」
『わーいなの! おっきいお肉が食べたいなの~』
「まかせるです。ギルドに良い討伐依頼があれば仕留めにいくのもアリです」
『ボクもたたかうの~』
戯れながら部屋に戻っていった。
さて、俺も出発するか。
まだ朝も早いから図書館の開館時間までは時間があるが、まだ朝食を摂っていない。宿のレストランを使ってもいいけど、図書館の近くに気になる喫茶店があったから向かってみようか。
そう思って、歩き出した時だった。
真上に気配を感じて、つい顔を上げる。
その瞬間、虫のような小さな何かがすごい勢いで突っ込んできて――俺の体に当たると『領域調停』に弾かれて、ポトリと落ちた。
なんだいきなり――と思ったら、建物の向こうからミレニアが飛んできた。
俺の隣に着地する。
「そこの御仁――おお、なんじゃルルクじゃったか。いま、虫が飛んでこんかったか?」
「はい、ぶつかってきましたよ。どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたも……いや、おぬしは自動防御スキルがあったな。杞憂じゃったわ」
安心して息をついたミレニウムに扮したミレニア。
身長は五歳児サイズから元には戻っておらず、小さくなったままだ。
つい抱っこしたくなるサイズ感だぜ。父性を刺激されちまう。
俺は周囲の目がないことを確認し、目の下にクマができたミレニアを抱き上げる。
「かなりお疲れみたいですね、大丈夫ですか? ……よーし、パパが肩車しちゃうぞー」
「あまり寝ておらんだけじゃ。心配せずともよい。……お、これくらいの目線は久しぶりじゃのう」
「何かあったんですか? 手伝いますよ。……頭をしっかり持つんだぞ~落ちるなよ~」
「気にするな。すでになんとかなった。……ゆ、揺らすでないわ! およよよ」
「なら良いですけど、何かあったら言ってくださいね。……ほーら遊園地みたいだろ~」
「前にも言ったが、ヒヨッコには頼らん。……こ、これはクセになりそうじゃ……!」
肩車で遊んでいると、ふと足元に落ちているモノが視界に入った。
さっき俺の体に激突して弾かれたものだ。
なんだこれ……蜂?
「ああ。蜂じゃ」
ミレニアは、俺の肩から降りながら神妙に言った。
彼女の指につままれた蜂は、一見、ふつうの蜂のようにしか見えない。だがミレニアの言葉は真剣そのものだった。
「こやつの別名は〝魔術士殺し〟。国際条約で、一級指定の危険動物とみなされている害虫じゃよ」
「スゴイ呼び名ですね。魔物でもないのにそんなに危険なんですか?」
「厄介なのはこやつの生態でな。刺した相手の皮下に卵を産み付け、幼虫を育てるのじゃ。寄生蜂と言えばわかりやすいかのう」
「うへぇ。かなりイヤな虫ですね」
「それに刺された者は魔力がみるみる減っていくのじゃ。産み付けられた瞬間から、卵は寄生主の魔力を奪うようじゃの。当然、魔力のコントロールなぞできんから魔術が使えんくなる」
なるほど、だから魔術士殺しなのか。
「……でも、じゃあなんで俺に突撃してきたんです? 俺は魔力ないから卵産んでも育たないですよ」
「おそらく匂いじゃよ。こやつは魔力以外にも匂いに釣られる習性があるのじゃ。こやつが産まれて間もない間に、おぬしの匂いをどこかで嗅いだんじゃろう」
「いつの間に……あれ、でもそれじゃあヤバくないですか? どこかに巣があるってことですよね?」
「巣は妾が確保しておる。最後の一匹を逃がされて、探しておったところじゃった。標的がおぬしでよかったわ」
確かに、俺で良かったかもしれない。これが一般人相手なら被害が出ていたところだ。
俺は蜂をじっと見つめる。
見た目はふつうの蜂にしか見えないな。ミツバチと大差ない。
「……自然界には厄介な虫がいるんですね」
「こやつは特別じゃがの。とはいえ、魔物よりも病原体を運んでくる虫のほうが厄介というなら、確かにその通りじゃのう」
「俺も聞いた事がありますよ。人間を一番死に追いやっているのは蚊だって」
「うむ。疫病対策は妾も苦心しておるよ」
疲れたようにため息を吐いたミレニア。
見るからに疲労がたまっている様子だった。
「そろそろ休まれたほうがいいのでは?」
「そうじゃの……じゃが、いつまた動きがあるのかもわからん……そうゆっくり休んでもいられぬのじゃ。くわぁ……」
あくび混じりで伸びをするミレニア。
いくら責任感があるからって、社畜幼女なんてお父さん許しませんよ。ちゃんとご飯食べてるかい?
「ではご一緒に朝食でもどうですか? 図書館の近くにオシャレな喫茶店があったんですよね」
「もしや〝ラシーヌドカフェ〟じゃな? あそこは妾もお気に入りのひとつよ。そういうことなら共に参るのもやぶさかではないの……よし、『閾値編纂』」
ミレニアは誰も見ていないことを確認すると、グランドマスターから認識情報を変更して幼女の姿に戻っていた。
名前も〝ミレー〟になっている。
「いまから妾のことはミレーと呼ぶのじゃ」
「じゃあ俺のことはパパって呼んでください」
「たわけ。妾の幾分の一も生きとらん若造のくせに」
ジト目で睨まれる。
そんな視線じゃ俺の父性は諦めませんよ。
「大義名分です。誘拐犯だと思われないようにしないとですから」
「確かにトラブル防止にはなるが……歪んだ性癖などではないじゃろうな?」
「……そんなワケないじゃないですか」
「そうか。それならばしかたあるまい」
「はい。ではパパでお願いしますね」
「いやしかしおぬしもパパにしては若くないかのう? まだ兄のほうが――」
「パパでお願いします」
「じゃが」
「パパで」
「……う、うむ」
押し切った俺だった。
ミレニアは若干恥ずかしそうにしながら、
「では行くかの……パ、パパよ」
「よーしパパ張り切っちゃうぞ~! それ!」
「おおお!? こ、これでゆくのか?」
ミレニアを再び肩車して、歩き出した俺。
「肩車で歩くの初めてですか?」
「むしろ肩車自体されたのも初めてなのじゃ……物心ついた頃にはもう弟たちが産まれておってな、世話をしてくれたのは乳母だったからのう」
「なるほど、じゃあなおさら張り切らないとですね!」
肩車のまま軽く走ってみる。俺もさほど背は高くないが、それでもいつもより視点は高いだろう。
ミレニアは落ちないように、俺の頭を両手でぎゅっと抱えていた。
「お! 揺れる! 意外と揺れおるの! でも面白いもんじゃ!」
「ふふふ、こんなもんじゃありませんよ。俺のスピードは凄いですよ」
「……よ、よし。やってみるのじゃ」
「ではまずは半分ほどの力で……そりゃ!」
「おっほおおおお!?」
わざと大袈裟に揺らしながら走る俺と、肩の上でキャッキャと楽しむミレニア。
俺たちはさながら普通の親子のように、街を駆け抜けるのだった。
ちなみにラシーヌドカフェは、ドーナツとエッグタルトがもの凄く美味しい店だった。
■ ■ ■ ■ ■
中央魔術学会、地下エリア。
複数ある研究室のなかでも最も奥の部屋に、サーヤたちは案内されていた。
研究室というには天井は高く、広い。まるで戦闘訓練でもできそうな大部屋だった。四方は壁に囲まれているだけで、実験道具も資料も見当たらない。
義足の話をするにしてはいささか殺風景すぎる部屋だった。
だから目的は容易に想像できた。
何より待ち構えていたクロウリーが、敵意を隠そうともしていない。
「よく来たな小娘。その度胸だけは認めてやってもよいかね」
クロウリーの周囲には、同じくこちらを睨む研究者たち。
その誰とも面識はなかったが、何かクロウリーに吹き込まれたのかサーヤたちを親の仇のように見てくる。
案内役のリーセロッテは部屋の外に締めだされている。クロウリーが何かしかけてくるのは明白だったが、その前にやることはやらないといけない。礼儀としても建前としても。
リリスが失望を隠さない表情で一歩前に出た。
「お初にお目にかかりますクロウリー卿。この度は面会を受けて頂きありがとうございます。リリス=ムーテルと申します」
「ふん、貴様か。親と魔王の看板を使ってまでこの私に会おうとした図々しい女は。これだから貴族は嫌いなのだよ」
「……差し出がましい真似をしました。ガトリンさんの義足に関することをお聞きしたかったものですから」
「聞いてどうする? 貴族の道楽に付き合っているヒマはないんだがねぇ」
「駆動術式の連結部分にとても興味深い演算式が組まれておりましたので、どの年代のどの論文を参考にしたのか気になりまして」
「ほおう?」
眉を片側だけ上げて、リリスを睨みつけたクロウリー。
「貴様、ただの愚昧な女というわけでもないのかね。駆動術式はどこの学府で教わった?」
「独学です」
「構築論は誰から?」
「独学です」
「演算基礎法則は?」
「独学です」
そりゃあ淑女学院では術器具製作に必要な魔術理論なんて教えてくれないだろう。
誰かに師事することもなく全て自分の力だけで〝女帝〟と呼ばれるまで成り上がった。それが、リリスという術士だ。
だがクロウリーは信じる気はなさそうだった。
「虚言癖か。これだから女は……」
「お教えいただくことはできませんか?」
「くだらん! もとより貴様に協力するメリットなどない」
「そうですか」
食い下がることなくため息を吐いたリリス。
予想通りと言えば予想通りの結果だった。
「それでクロウリーさん。私たちに用があるんでしょ? 何がしたいの?」
「貴様になど用はない。あるのは魔王ただひとりだ」
「ん。うけてたつ」
エルニネールが杖を床に打ち付けた。
その瞬間、膨大な量の魔力の圧が放たれる。エルニは敵意や害意を明確に察知できるスキルがあり、悪感情を向けられたら戦闘準備に迷うことはないのだ。
エルニネールに明らかな戦闘行動を向けられた研究者たちは、顔を青ざめさせて怯んだ。
ただしクロウリー以外は。
「さすが魔王、精練されているにも関わらず圧倒的な魔力量だ。私はいち研究者として名を残しているが、正直戦いは不得手でね……だが、私も愚かではないのでねぇ」
クロウリーが何かの装置を取り出して、押した。
その瞬間、この一帯の空気が揺れたように感じた。
物理的な揺れではない。魔力の乱れだ。
エルニネールから自然と漏れている魔力も例外ではなく、その乱れに伴って霧散していく。
サーヤは息を呑んだ。
「まさか、対魔術結界!?」
「左様。いくら魔王といえどこれは防げまい。この地下に踏み入れた時点で貴様らに未来はなかったのだよ」
クロウリーが嘲笑すると、エルニがゆっくりと杖を下げて目を細めた。
メラメラと闘志を燃やしているが、さすがに魔術を放てないので言い返すことはできなさそうだ。
サーヤは冷静に聞く。
「それで、魔術を封じてどうするの?」
「私の研究のひとつが、種族因子の魔術的素養の解析でねぇ」
クロウリーが語り始めながら、部下たちに指で合図を送った。
研究員たちはゆっくりと広がりながら、サーヤたちを囲んでいく。
「予てからから気になっていたのだよ。魔王の素質を持つ者が、なぜ全属性を使えるのかをね。種族因子のどの部分に起因するのか、その因子を複製する方法はないのか、他の個体がその因子を受け継ぐことはできないのか」
「それでエルニネールを調べたいわけ? 髪の毛でもよこせって?」
「……ふん、素人が。種族因子は生体反応を失って一定時間を経過すると、途端に鮮度を損ねてしまうのだよ。因子の形骸化された殻の部分だけが残り、研究に必要な生きた部分は失われてしまう。髪の毛数本ではなんの役にも立たないのだよ」
「じゃあ、エルニネールを監禁でもしようっていうの? 魔術を封じたぐらいで、私たちに勝てるとでも?」
「無論、私は愚かではないのでねぇ。だからこんなものを使わせてもらおう」
クロウリーが取り出したのは、小さな瓶だった。
中に入っていたのは虫。
小さな蜂だった。
隣のリリスが目を細めた。
「〝魔術士殺し〟ですか。なるほど、その蜂で魔力を奪い続けてようと?」
「知っていたかね。定期的にこの蜂に卵を産みつけておけば、常に魔力枯渇状態を維持することができるのだよ。まさに魔術士の天敵。魔王すら飼えるのだよ」
「確かに危険な虫ね。でも、私たちが黙ってみるワケないじゃない」
サーヤは小剣を抜いた。
リリスもさりげなく臨戦態勢を整えている。
だがクロウリーは嗤っていた。
「さて、魔術を使えない状態で防げるかねぇ」
「蜂の一匹くらいなんてことないわ」
「一匹だと誰が言ったのかねぇ?」
瞬間、周囲の研究員全員が瓶を取り出した。
しかもひとつに数匹入っている。合計すると数十匹はくだらない。
「いくら強くとも、この数を同時に防げるかね?」
瓶が一斉に開けられた。
中から飛び出した蜂は、匂いにでも釣られているのかすべてエルニネールに向かって飛んでくる。
「サーヤお義姉様、ここはリリが――」
「大丈夫。私に任せて」
サーヤは集中する。
確かに小さな蜂相手じゃ、小剣一本で全てを守ることはできないだろう。
範囲防御に使える『確率操作』はあるが、生物相手じゃ直接干渉はできない。それにルルクじゃあるまいし神秘術で飛び回る相手に攻撃なんて不可能。
打つ手はない――が、サーヤは冷静だった。
そもそも対魔術結界は、空気中の魔力を乱して魔術を封じている。
魔力が乱れてしまえばどんな魔術も消えてしまう。その原理には魔王ですら逆らえない。
ならば。
「情報強化」
神秘術ならルルク。
魔術ならエルニネール。
サーヤはずっと、ふたりの背中を見てきた。
天才たちの才能を。
しかしサーヤも負けるつもりはなかった。二人にどれだけの才能を見せつけられても、焦らず慌てず愚直なまでに基礎をしっかりと反復練習していたのがサーヤだった。
だからその二つを同時に使うとき、サーヤは誰よりも上手に――そして常識の外の結果を生み出すことができる。
サーヤは、術式を発動した。
「『フレアストーム』」
炎の嵐が生まれ、周囲を包んだ。
飛びかかってきた蜂たちがすべて焼けかれていく。
「なにっ!? バカな! 魔術は封じているはず!」
クロウリーをはじめ、研究者たちが絶句する。
たしかに魔術は封じられている。
ただしそれが魔術だけなら、だ。
サーヤはシンプルに霊素で魔力を情報強化したのだ。
置換法の基礎である情報強化は、存在情報の強度を一段階上げる手段。ルルクのように空気を武器にできるほどは使いこなせないが、魔力を乱されない強度くらいまでは上げられた。
つまりいまのは、秘化魔術だ。
リリスとクロウリーのふたりが、真逆の表情で驚いていた。
「さすがサーヤお義姉様です!」
「な、なぜだ! なぜ魔術が使えるのだ!?」
霊素が見えなければ、サーヤがしたことにも気づけない。
当然、クロウリーにサーヤの技を理解できるはずもなく、ただ不様に喚き散らしているだけだ。
「……さて、クロウリーさん。散々私たちのことをバカにしてきたけど、何か言うことはある? 一方的な暴力行為に、監禁未遂。いくら権力があるからって、冒険者相手にここまでやってさすがに無事で済むと思ってないわよね?」
サーヤはニッコリと笑った。




