賢者編・19『クロウリー卿』
ノガナ共和国国立図書館。
そこは、めくるめく素晴らしき空間だった。
この国が学術都市と呼ばれる理由はいくつかあるが、そのひとつがこの宮殿書庫と呼ばれる世界最大の図書館だ。
世界一の蔵書量とは聞いていたが、大陸中のありとあらゆる書物を写して展示しているという。
その大言壮語も伊達じゃなく、改造した元王宮には入り口から所狭しと書棚が並んでいた。まだ入場前のロビーだが受付の奥には天井までの書架に、びっしりと本が詰め込まれているのがここからでも見える。
「うおおお! ここが、まさに俺の理想郷!」
想像していたよりもはるかに荘厳な図書館に、つい興奮を抑えられなくなって叫んでしまった俺。
通りがかった職員に睨まれる。
「そこの方々、ロビーとはいえ図書館です。お静かに」
「すみません。こらルルク、いくらなんでも大声で叫ばないの」
「まずは文芸書……いや神話……絵本コーナーで童話から読み進めるのアリか……」
「まったくもう」
ブツブツつぶやきながら館内図を眺める俺に、サーヤが呆れながらも微笑ましい笑みを向けていた。
「ルルクは当分こんな感じよね。みんなはどうする?」
「ナギは武術関連の書物を探すです」
「ふっ、我は封印されし闇の経典を求めし者……」
「私は術器具関連の資料を探します」
「ま、そんな感じよね。エルニネールは?」
サーヤが問いかけると、エルニは静かに一言。
「ん。のんびり」
相変わらずのマイペースぶりだった。
サーヤは軽く手を叩いて、
「じゃあ閉館時間までは自由行動ね。閉館したらここに集合で」
「「「はーい」」」
みんなロビーから入場口に向かい、入館チケットを見せて中に入る。
通過するとき、俺とナギ以外の女性陣が立ち止まった。
「あ、魔術制限の結界があるのね。そりゃこれだけ重要施設ならあるか」
各国の王宮にも備わっている、魔力を乱す装置があるらしい。
空気中の魔力を乱すことによって、攻撃魔術や魔術系スキルを無効化している結界装置だ。たしかこの前あったマタイサ王城の襲撃では、その装置を内通者に壊されたとか言ってたっけ。
ちなみにその装置は魔樹の原理を参考に〝賢者たち〟が作ったらしい。
本人に直接干渉するタイプではなく範囲内の魔力を乱す効果なので、状態異常扱いではない。そのためエルニでもこの影響は受ける。
防げるのは外に放出する魔術だけだが、この結界内では魔王ですら弱体化するとのことだ。
「エルニネールも気をつけてね。ここじゃいつもみたいに魔術は使えないんだから、余計なトラブル起こさないでよ」
「ん。よゆー」
「……心配だし私が一緒にいるわ」
フラグを感じたのか、サーヤがエルニについていった。今日はプニスケも留守番だしな。
まあ魔術が使えないとはいえ国の重要施設だ。危険な目に合うなんてことはないだろう。
そんなわけで仲間たちと別れた俺は、ウキウキステップを踏みながらひとり館内を進むのだった。
■ ■ ■ ■ ■
ルルクたちが去ったあと、サーヤはエルニネールと二人きりになっていた。
そういえば二人だけになるのは随分と久しぶりな気がする。
かなり仲間も増えたし、休みの日は別行動だから顔を合わせるのは朝と夜くらい。エルニネールが地下室に籠っている日は会わないこともある。
とはいえ、サーヤにとってルルクと同じ一番付き合いが長い相手だ。変に気を遣ったりはしない。
それはエルニネールも同じ。
「ねえ、読みたい本とかないの?」
「ん」
「じゃあ閉館時間まで何する?」
「さんぽ」
気ままに歩き出すエルニネール。書架を眺めながら、ゆっくり奥へと進んでいく。
サーヤもエルニネールの後ろで背表紙を眺め、気になったタイトルがあれば手に取って目次だけでも目を通す。
この図書館には貸出制度はないので、その場で読むか、あるいは写本するかに限られる。もちろん写本禁止の本もあるから、気になったものがあればタイトルと書架の番号を司書に伝えると、写本用の紙とペンを貸し出される――という仕組みらしい。
それと高額にはなるが写し師という写本専用のスタッフも常駐しており、彼らに頼むこともできるようだ。さすがにそこまで利用する気はないが。
「ねえコレ見てエルニネール。珍味図鑑だって」
「ん。かして」
書架から薄い本を取り出し、近くの椅子に座ってパラパラとめくる。
「うわ、この植物食べられるんだ。コケみたいなのに美味しいんだって」
「ん……おにくは?」
「こっちのページね。うえ、スケルトンの骨についた腐肉だって……こっちは毒性貝の食べ方……これじゃ珍味っていうより悪食じゃない」
「……。」
「あ、待ってよ。本戻さなきゃ」
興味を失ったエルニネールがさっさと歩いていく。
選別せずに集められているからか、さっきの図鑑のようにタイトル詐欺っぽい本も中身が微妙な本もたくさんあった。
とはいえ興味は尽きないので、時々足を止めては読んでみて、エルニネールが飽きたら次に進むを繰り返した。
そろそろ座って休みたいなと思っていた頃に、ちょうど中庭のようなところに差し掛かった。
元は宮殿だからか庭も広く、たくさん花壇が並んでいた。
中央に小さな噴水があり、脇にベンチも置かれている。いまは誰もいなかった。
「ちょっと休もっか。おやつの時間にしましょ」
「ん」
ベンチに並んで座り、アイテムボックスからクッキーと水筒を取り出す。
差し出したクッキーを足をプラプラさせて食べるエルニネール。ほんと、こうしているとただの子どもにしか見えないんだけどなぁ。
ゆったりとしたティータイムを過ごしていた時、逆の出入り口から男がひとり入ってきた。
歳は四十代ほどで背が高く、頬がこけた瘦身のメガネの男だった。すこし猫背で姿勢が悪いが、レンズの奥の瞳はギラギラと鈍く光っている。
くだびれた服の上に、やたら汚れた白衣を羽織っている。おそらくどこかの研究員だろう。
そのまま通り過ぎるかと思ったら、彼はふとサーヤたちの前で足を止めた。
興味深そうにこっちを見てくる。
「……おや。おやおやおや」
まじまじとエルニネールを見つめる。
「こんなところで会えるとは奇遇ですねぇ。やはりアナタも禁書庫に? 禁書庫内に閲覧になりたい書物がありましたら私に前もってお知らせを。通常の閲覧申請が受諾されるのは早くても二週間ほど先になりますので私の権限で優先させてもらいますよぉ」
早口でまくしたてた痩身の男。
エルニネールは首をかしげた。
「だれ?」
「おっと名乗るのを忘れておりました失敬失敬。私の名はクロウリー。中央魔術学会の最高幹部にして、この知識の令堂を管理する文部省の省長です。ようこそ我らが宮殿書庫へ」
大袈裟にお辞儀をしてみせるクロウリー。
その名前は知っている。サーヤはすぐに問いかけた。
「もしかして〝魔導十傑〟のクロウリー卿?」
「……誰だね、キミは」
エルニネールの時とは温度差の激しい目で睨まれる。
無論、それくらいは想定内だ。
「サーヤ=シュレーヌよ。エルニネールとは冒険者仲間なの。初めまして」
「一般人が魔王と対等のつもりとは片腹痛い。下僕とでも名乗るべきではないかね」
「うーん……エルニネールの手下なんて、何されるかわかったもんじゃないからイヤよ」
「ん。はだかおどりして」
「いやよ」
「ものまね」
「しないってば」
そんな軽口を言い合ったら、あからさまに不快な表情を見せたクロウリー。
「……魔王よ、付き合う相手は考えたほうがよろしいかと思いますよぉ? この少女からはまるっきり知性を感じませんので」
「ちせい……んふ」
「あ、笑ったでしょ? あとで憶えてなさいよ」
「わらってない。どうじょう」
「それもっとひどいやつ!」
バカにされても気にせず、すぐに冗談に切り替えるサーヤとエルニネールに、クロウリーは忌々しそうに舌を打った。
「小娘どもめ」
「……何か言ったかしらオジサマ?」
「身の程をわきまえたほうがよいぞ、と言ったんだがね」
軽口を返すと、クロウリーは額に青筋を浮かべた。
「どれだけ実績を積もうが所詮は仮初の地位しか持たぬ冒険者風情が。厚顔無恥なその態度でこれ以上我が城の中を歩こうものなら後悔することになる」
「あら、下手な脅しね? 魔導十傑ともあろうひとが子ども相手にムキになっちゃって、恥ずかしくない? それにいまの絵面自覚してない? あなた、幼い少女ふたりに迫ってる中年男性よ」
「……口の減らないガキめ。理屈も理論もわからぬ野蛮人が、大人を舐めてどうなるかわかっているのかね」
「さあ? あなたのように理屈を並べるのが得意な学者先生と違って、冒険者っていうのは屁理屈こね回して自由に生きるのが得意なのよ。憶えておいてね」
挑発には挑発で返すサーヤ。
ルルクを守るためにと、裏で貴族や大人たちを相手に立ち回っていたら、いつのまにか舌戦も得意になっていたなぁ。
そんなことを考えていたら、クロウリーが矛先をエルニネールに変えた。
「……魔王。御身は至高の才の持ち主であろう。このような生意気な娘を友人として傍に置くのはどうかと思いますがねぇ」
「なまいき。わかる」
「こら乗っからないの」
「……魔王よ、御身には御身に合った相手を侍らせるのが良いかと思いますがね。下賤な者がそばにいると御身の価値まで下がってしまいます。それは我々のような優れた魔術士にとって不本意なことではないですかねぇ?」
イライラし始めたクロウリーだった。
選民思想の強いひとだな。
たしかリリスがこのクロウリーに面会希望を申請していたが、なるほどリーセロッテが渋い顔で忠告していたわけだ。
そんなクロウリーに向かって、エルニネールは首を傾げた。
「さいのう?」
「左様。御身の才があれば、ただ戦いに優れただけの冒険者などよりも、我々のような知性ある上位の魔術士と共に生きることが宿命ではないですかね? 聞けば御身のリーダーは魔素欠乏症というではありませんか。いくら神秘術に優れていたとしても、魔術が使えないのでは欠落者も同然。現に、魔族種の社会ではそのような者を〝欠陥品〟と呼ぶらしいではないですか。御身にもっともふさわしくない相手の下に付くなど、それこそ魔王として示しが――」
「さいのうないの、そっち」
あ、地雷踏んだ。
エルニネールはルルクをバカにされた途端、冷たい視線をクロウリーに向けた。いつも通り表情には出てないがあきらかに怒っている。
「……私に才能がない、と?」
「ん。コレのほうが、まだある」
「コレって言わないでよ」
杖でサーヤを小突いてきたエルニネール。
頬を引きつらせたのはクロウリー。ぴくぴくと眉間を動かしながら、
「冗談もほどほどにしてくれませんかねぇ? 御身ならまだしも、冒険者の小娘ごときに私の才能が劣っているとでも?」
「ん」
「そうですか、そうですか……では御身がそう言うのなら証明してみせましょうかねぇ。もしその小娘が私より優れているというのなら、この程度の魔術くらいは易々と防いでくれるでしょうからねぇ!」
クロウリーはおもむろに手をサーヤに向けて、
「潰れろ――『グラビティパージ』!」
突然、攻撃魔術を発動した。
「……。」
「……。」
「……。」
……いや、待って?
クロウリーは〝魔導十傑〟のひとりだ。中央魔術学会の幹部で、政府の高官でもある。駆動術式を始め多くの研究で実績を残し、その腕は紛れもなく世界トップクラス。当然、強力な魔術はいくつも習得しているだろう。狙ったところにピンポイントで攻撃できるのは言うまでもない。
一応、相手が少女であろうとも、怒りに任せて不意打ちするのも、まあ性格の問題だから理解はできる。
でもここで攻撃魔術使えないの忘れるのは、大図書館の責任者としてどうかと思うんだけど。
「……バカなの?」
「小娘ぇ!!!」
顔を真っ赤にしたクロウリーが掴みかかってきた。
どれだけ魔術士として腕があろうが、ろくに鍛えてもない細腕だ。サーヤのステータスに比べたら雲泥の差。ベンチに座るサーヤが片手で軽く押しただけで、地面を転がっていった。
もともと汚れていた白衣をさらに汚して、腕をぷるぷるさせて起き上がるクロウリー。
「わ、私を吹き飛ばしたな……暴力に頼るクズめ!」
「いや、先に暴力ふるおうとしたのそっちでしょ」
もはや呆れて挑発すら出てこなかった。
クロウリーは立ち上がると、サーヤを睨みつけて踵を返した。
「貴様の顔、しかと憶えたぞ小娘。そして魔王よ……いくら隔絶した才を持っているとはいえ御身もまだまだ子ども。その立場にふさわしい言動を見せるまで、私は御身を幼子として扱うことにしましょう。そうだ幼子には教育が必要だ……厳しい教育が……」
ブツブツつぶやいて中庭を去っていったクロウリー。
その姿が見えなくなった途端、エルニネールがつぶやいた。
「さっきの、おもしろかった」
それには同意する。
とはいえ面倒な相手に睨まれたものだ。
中央魔術学会の幹部で、この国のトップのひとり。思想や言動は少しアレだったが、実力と実績があるからこそあの言動も許されているんだろう。
変態議員とはまた違った意味でヤバイ魔導十傑に出会ってしまったな。
そう考えたら、シモングスはかなりまともな魔導十傑なのかもしれない……。
「ん。おかし」
「はいはい。紅茶のおかわりは?」
「いる」
気を取り直してティータイムの続きをするサーヤたち。
厄介なことにならなければいいんだけどなぁ。




