賢者編・15『ベッドルームの侵入者』
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ルルクたち【王の未来】を見送ると、ミレニアもまた亡き夫の墓に祈りを捧げた。
ここに客人が来るなんて随分と久しぶりだった。
あれほど若い冒険者たちが墓参りをしてくれるなんて、きっと夫も驚いたんじゃないだろうか。挨拶してくれて、喜んでいるだろうか。
「あなたが守った未来には、ちゃーんと若い芽が育っておるよ……」
ミレニアはひとり静かにつぶやいた。
しばらくすると屋上に強い横風が吹きつけてきた。まだ春の陽気は遠く、風は凍てついている。思わず身震いしそうになりながら、ミレニアは白い息をゆっくりと吐き出した。
「……さて、ゆくか」
さきほどの伝書は、ノガナ共和国上院議会からの緊急連絡だった。
レスタミア王国ゴーレム師団がこの学術都市に向け、地下通路で進軍を開始したようだった。予想より随分早い動きだが、ノガナ国軍も山脈に向けて移動を開始したらしい。
レスタミアがトンネルを掘り進めていることは、各国でも問題になっていた。
もちろんノガナ政府は正式に抗議文を出し、周辺国とともに四ヵ国協議もおこなった。当然、ゴーレム師団の軍事行動を止めるよう協議内でも勧告している。
しかしレスタミアの言い分では、軍事行動や宣戦布告がないどころの話ではなかった。
レスタミア王家やゴーレム師団の上層部も事態を把握してすぐに、地下通路開発を止めようとしていたらしい。だがなぜか掘削現場に向かった者は口を揃えて『地下通路など存在しなかった』という。
ゴーレム師団総指揮官ザックバーグや国王すら現場を確認できずに調査から帰ってきたと報告を受けていた。
しかし、どの国の密偵も地下通路の存在を報告しているのだ。遠視スキル持ちの情報屋も地下通路を確認したため、裏付けはできている。
確認できなかったのはレスタミア側だけなのだ。
これはあきらかにおかしい。
もしレスタミア王家の策謀ならもっとうまく言い訳をするだろうし、先日、不可解な報告も上がってきた。緊急制御機能がついているはずの自動ゴーレムが街中で暴走したという。
ゴーレム師団が大慌てで事後処理をしたらしい。
となるとこの一連の出来事はレスタミアの意図とはまったく関係がなく、むしろその逆――ミレニアが思いつく最悪のシナリオの可能性があった。
「お師様がいなくなったことで派手に動き出したか。狙いはこの国か、あるいは……」
さっきの恐水症の件といい、気になることは多い。
だがいまは目の前の脅威に対応するのが先決だ。
たとえどんな相手だろうと、意義のない戦争は阻止しなければならない。
目に見えない相手はたくさんいる。もちろん今回の事件の糸を引いている者だけが脅威なのではない。ロズという抑止力が消えてから約一年、すでに世界には様々な問題が表面化し始めている。
だが大陸中央にいる〝竜の王〟は自分のナワバリにしか興味はないし、ルルクはまだ生まれて十数年の幼子のようなものだ。
たとえルルクに覚悟はあっても、それはただ師への敬愛がそうさせているだけだろう。ろくに人生を謳歌していない子どもに、世界を背負わせることなんてできない。
王位存在として世界の秩序を守るのは、ミレニアの役目だった。
「あなた、お師様……どうか妾を見守ってておくれ」
ミレニアは迷わず塔の頂上――上空二千メートルから飛び降りた。
その直後、衣服の内側から無数の鋼糸が飛び出してくる。
それはヒヒイロカネで作った魔術を通さない糸だ。それらがミレニアの意思のままにうねり、彼女の体を運んでいく。
遠目から見れば、彼女が自由飛行をしているようにしか見えないだろう。
ミレニアはお師様やルルクのように、転移術の才能はまったくなかった。
だけど霊素を繊細にいくつも同時に操作する器用さには秀でていた。操作技術に関してはお師様にも負ける気はしないという自負はあった。
まるで楽団を指揮するかのように、ミレニアは滑らかに霊素を操る。
そういえば昔、夫に言われたことがあった。「霊素に触れる時のミレニアの指は、まるでガラス細工のように滑らかで美しいね」と微笑まれた情景が浮かんでくる。
そのときは恥ずかしくてつい顔を背けてしまったが、いまとなっては大事な想い出だ。
いまはもう、愛した夫はいない。
だけどミレニアの眼下には、第二の故郷ともいえる学術都市が佇んでいる。そこに住まう民たちのためにも、秩序を乱す輩どもに好き勝手させるわけにはいかないのだ。
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冒険者ギルド総本部の酒場はもの凄く広かった。
ただし、滞在している冒険者の数はストアニア王都よりもはるかに少ないらしい。
それはこのノガナ共和国が学術都市であり、周囲には魔物が生息する危険地帯もなければ活ダンジョンもないことが理由だった。
この都市のクエストは討伐より素材収集を依頼されることが多く、依頼者も学者や研究者ばかりで運搬クエストも多い。戦闘系が少ないせいか平均レベルも低く、この都市にはSランク冒険者はいないらしい。
とはいえ総本部は元ダンジョン。一階まるごと酒場なので広さは折り紙付きだ。
窓口が二階にあるからか、経営元はギルドだが普通の酒場のような扱いを受けている。冒険者だけでなく市民たちも気軽に利用しているようだった。ギルド職員や他の場所で仕事している人も、食事時になれば足を運んでくる。それゆえいつも混雑しており、厨房には十人以上の料理人が常駐しているらしい。
「じゃ、今日はお疲れ様! 乾杯!」
「「「かんぱーい!」」」
俺たちはようやく食事にありつくことができていた。
ミレニアが自信満々に言っていたとおり、食事はかなり美味しかった。この国は炭水化物をメインにした大皿料理が主流で、野菜の種類が豊富だった。
俺たちのパーティは基本肉好きばかりだが、俺はもともと野菜派。この国の食卓は色とりどりで俺好みだった。素材の切り方、火の通し方、合わせ食材による味の変化などを利用し、かなり計算された調理をしている。
都市から半日南下すると海があるからか、海藻もたくさん使われていた。しかもこの国には出汁を取る文化もあり、うま味の存在も知っているようだ。さすが学術都市。
料理は科学。そんな言葉を思い出した。
みんなが満腹になるまで色んな料理を頼み、思う存分食事を楽しんだ俺たち。
腹がぷっくりと膨れているエルニとサーヤが立てるようになるまで、食後の紅茶とデザートも頂いておいた。
ちなみにこの国の紅茶は大量の砂糖を入れるのが普通らしい。無糖で頼んだら、無糖の紅茶なんて飲む意味ある? みたいな視線を給仕係に向けられた。学者が多いからその理屈はわかるけど……ここのひとたち血糖値大丈夫かな?
たっぷり数時間使って食事を満喫した頃には、とっくに陽は暮れて空は真っ暗。
ギルド周辺には娼館や酒場もいたるところにあり、街並みどおりかなり混沌とした雰囲気だ。娼館のお姉さんにはちょっとだけ……ほんの小指の爪くらいの興味はあるものの、仲間たちがいるから覗けるはずもない。
大人しく宿屋までガトリンに案内してもらった。宿屋はギルドから徒歩十分ほどの距離だった。
「ご馳走さまでしたッス! 色々とお世話になって申し訳ないッス!」
「いえいえ。ガトリンさんがいたからスムーズに観光できました。では明日もお願いしますね」
「はいッス! ではまた明日、迎えに来るッス!」
あっという間に走っていったガトリン。
ちなみに宿は大部屋ひとつと小部屋ひとつを借りている。
もちろんそれぞれ女子部屋と、俺とプニスケの部屋だ。ちゃんと高級宿なので各部屋に風呂がついているから、今日はさすがに女子たちに邪魔されることはないだろう。
ロビーで無料のアメニティを選んでいる女性陣に声をかける。
「じゃあ先に部屋に行くから、また明日な。サーヤ、リリス、目覚まし係は頼んだぞ」
「わかったわ。おやすみ」
「はい、おやすみなさいませお兄様」
仲間たちと別れて部屋に向かった。
俺の部屋は三階、女子たちの部屋は最上階の四階だ。
改めて宿の設備を気にしてみれば、なるほど確かに小さな昇降機が奥に備わってあった。
重い荷物を四階まで上げるのは骨が折れるだろうし、足の悪い貴族も訪れるだろうから、こういう高級なところなら昇降機が必要だろう。
意外とあるもんだな。
『ご主人様はぐいーんって上にあがりたいなの~?』
「そりゃ楽だしな。場所によっては階段より早いし」
『じゃあボクが運んであげるなの~』
プニスケが俺の体をつつみ、ソファのような状態でうねうね階段を進んでいく。
こ、これはヒトをダメにするプニスケ! 何もしなくても移動できるなんて最高だぜ!
『三階ついたの! ご主人様、どっちがお部屋なの~?』
「左に曲がって、一番奥の部屋みたいだな」
『わかったの~』
リラックス状態の俺を運んでいくプニスケ。
すれ違った宿泊客がギョッとしてこっちを見る。ごめんよ、ソファ型スライムが通りまーす。
「おお、着いた着いたこの部屋だ。プニスケ鍵はポケットに――」
『だいじょうぶなの~』
そう言いながらプニスケが触手を鍵穴に突っ込んで変形させ、開錠していた。
鍵開けだと……?
いつのまにそんな技を覚えたんだ。ああ、プニスケが悪い子になっちゃったよ。
「プニスケくん、それ誰に教わったの」
『いもうとのお姉ちゃんなの! これがあれば、ご主人様がどこにいても一緒にいられるって言ってたの!』
「そうかリリスか。なら仕方ないな」
まったくリリスったら、愛が重いぜ。
他のやつだったら説教案件だったところだ。
プニスケの新技を知ったところで、部屋に入る。
一人用の部屋なのになぜかベッドはクイーンサイズで、さらに三人掛けのソファも置いてある。シングルルームなのに誰かを呼ぶためにも使えそうだな……俺の知らない部屋の使い方があるんだろうか。
そんなことを考えていたら、ふと違和感を覚えた。
「……ん?」
ベッドがこんもりしていたのだ。
中に抱き枕でも入れてるのかと思って軽い気持ちで透視したら――
「んん!?」
慌てて布団をめくる。
そこで寝ていたのは、数時間前に別れたばかりのグランドマスター――ミレニア=ダムーレンだった。
体を丸めて眠る幼女。
念のため鑑定してみたが、やはりミレニア本人で間違いない。
なぜこんなところで――と疑問に思ったのも束の間、彼女の息がかなり荒いことに気づいた。
額に脂汗が浮かんでおり、苦しそうな表情で眠っている。
かなりの高熱を出しているようだ。
『ご主人様~さっきのわらわのお姉ちゃんなの~?』
「ああ。なんでこんなとこに……」
疑問だったが、ひとまず応急処置をしておこう。
状態異常も外傷もないから、熱の原因はもしかしたら病気かもしれない。
俺の頭にはさっきの狂犬病のことがよぎる。まさかミレニアほどの者が感染して気づかないとは思わないしこんな早く発症するとは思えないが、念のため。
「『領域調停』」
ミレニアという存在から、傷や病気という〝干渉物〟を弾く。
だが。
「……変わらないな」
熱が下がっていく様子も、苦しみが取れる様子もない。
勿論、このスキルも万能じゃないことくらい知っている。あくまで外的要因からの影響をダイレクトに取り除くだけで、例えば原因を除いた後の免疫反応だったりアレルギー反応は止められない。そういう場合は当然、治癒魔術もポーションも効かない。
しっかり医者にかかって、適切な治療を受けたほうがいい。
「この街の医者ってどこにいるんだ? 道中に見た記憶もない……」
『ひとまずボクが冷やしてあげるなの~』
プニスケがミレニアの額に触手を伸ばしていた。心なしかミレニアの表情が和らぐ。
とりあえず俺だけで対処するより仲間に相談すべきだろう。
そう考えて導話石に手を伸ばしかけたとき、
「ま、待つのじゃ……」
俺の腕を掴み、目を開いたミレニア。
意識が戻ったらしい。
「大丈夫ですか? 何があったんです?」
「そ、それは言えん……それに、少しすればもとに戻る……はずじゃ」
「誰かに知らせないほうがいいんですか?」
「うむ……」
「わかりました」
よく見れば、ミレニアの認識阻害がすべて解けていた。
これではミレニウムとしても、ミリィとしても振舞うことはできない。もし誰かに鑑定でもされたらミレニア=ダムーレンが生きていることもバレるだろう。
俺はミレニウムやミリィの詳細な外見やステータスは把握してないから、俺が代わりにかけてやることもできない。しばらく匿ってやったほうがいいだろう。
「ではミレニアさんは休んでて下さい」
「すまぬ……助かる……」
「いいんですよ。俺がここにいますから、安心して下さい」
「……うむ……」
そう言うと、静かに寝息を立て始めたミレニア。
俺は念のため周囲を警戒しておく。
『神秘之瞳』で周囲を監視し、不審者がいないことを確認。何者かに追われている線はなさそうだ。
仲間たちの部屋ではベッドの位置争いで騒いでいるようだが、やはりリリスだけは俺の部屋の異変に気付いていた。
チラチラと透視してこっちを見ていたので、俺は「しーっ」としておいた。リリスは素直に頷いて、窓際ベッド争奪戦に参加していた。
俺たちが飯を食べている数時間のあいだに、彼女に何が起こったのか。
気になることは多々あったが、いまは大人しくミレニアの看病をしておくのだった。
あとがきTips ~プニスケのお姉ちゃん呼び~
プニスケがルルク以外をなんて呼んでいるか資料
〇メンバー編
・エルニ → 羊のお姉ちゃん
・サーヤ → お姉ちゃん
・セオリー → 竜のお姉ちゃん
・ナギ → 刀のお姉ちゃん
・リリス → いもうとのお姉ちゃん
・カルマーリキ → えるふのお姉ちゃん
〇番外編
・ラキララ → 腹黒のお姉ちゃん
・ミレニア → わらわのお姉ちゃん ←NEW!




