賢者編・14『この世界は残酷だけど』
「それはそうとルルク=ムーテル。妾はおぬしを一度殴っておかねばならぬ」
ミレニアは至極真剣な表情で言った。
いきなりの殴るぞ宣言に、仲間たちがすぐに動いた。
ナギが武器を抜き、エルニが杖を構え、サーヤが小剣に手をかけ、リリスが魔術器の発動の準備を終えた。
セオリーはプニスケを抱えて右往左往している。
「安心せよ、儀礼的なものじゃ。おぬしらは見ておるがよい」
ミレニアが軽く手を振った。
その瞬間、全員が武器を下ろした。そのまま数歩後退して俺とミレニアの間の道を開ける。
またもや勝手に体が動いたようで、四人とも驚いていた。エルニすら抵抗できないとは。
『ご主人様~このひと敵なの~?』
「大丈夫だよ。これは俺にとっても必要なことだから」
この短い時間で十分に理解していた。
三賢者の物語でも描かれていたように、ミレニアもまたロズのことを深く愛しており、その命を奪った俺が許せないのだ。
いままで他の弟子たちが優しすぎただけで、本来、彼らからすれば俺は憎い存在のはずだ。
「……一発でいいんですか?」
「調子に乗るでない。妾の一撃は重いぞ」
俺にできるのは、その怒りを受け止めることだけだ。言い訳も口答えもするつもりはない。
ミレニアは俺のすぐ目の前に立った。
小さな拳を握りしめ、どこか悲しそうな目で見上げてくる。
「覚悟はよいか?」
「はい。あ、でも俺には自動防御スキルがありまして、並大抵の攻撃は――」
「妾のことを舐めるでない。しかと踏ん張るのじゃ」
ミレニアが拳を握り、軽く俺の腹に当てる。
その瞬間、衝撃が体を貫いた。
「がはッ!?」
吹き飛ばされた。
ステータスも『領域調停』も無視して、俺の体は屋上の端まで跳ねて転がっていく。落ちないギリギリの場所でなんとか止まった俺は、久しぶりに感じた激痛に驚いていた。
油断なんかしてなかった。全力で身を固めたつもりだったのに。
竜王のパンチをそのまま受けたような衝撃だった。
内臓が焼けるように熱い。
とはいえその傷は『領域調停』が瞬時に修復してしまった。
なおも体の芯に残った痛みを感じながら、俺は起き上がる。
なんだいまのは。
極級スキルの防御をぶち抜くってことは、ミレニアの攻撃もまた同等以上のスキルによるものだろうか。それとも他の手段で攻撃ができるのか。
俺が腹を押さえながら戻ってくると、ミレニアが言う。
「確かに防御スキルはあるようじゃが、スキルやステータスを越える攻撃方法はいくらでもある。おぬしがそれではお師様も悲しかろう」
「うぐ」
そりゃロズに比べたら俺なんてまだまだ足元にも及ばない。
しかし神秘術の賢者もまた、遥か想像以上のバケモノだったようだ。
兎に角。
「……師匠の件、本当にいまの一発でいいんですか?」
「お師様の? なんのことじゃ」
「え? いまの、師匠の命をもらった俺に対する鉄拳制裁だったのでは?」
「……そんなわけなかろう。お師様はもとより死を望んでおった。感謝こそしても憎む理由など……」
違ったのか。
でもじゃあなんで殴られたの? 俺、いまめっちゃカッコつけて「これはロズの分!」って殴られたよ。まったくの殴られ損だったってこと?
ミレニアは呆れた。
「なんじゃおぬし気付いておらんかったのか。下で英雄像の展示は見んかったか?」
「えっと、ダンジョン攻略の英雄像ですか? まだ見てなかったですけど」
「そうか。ならば教えてやろう」
ミレニアは遠くに想いを馳せるような声で言った。
「三百年前、ミレニウムに扮した妾とともにこのダンジョンを攻略したのは、ふたりの魔術士じゃった。彼らの名は〝スカト〟と〝メーヴ〟じゃ」
「え……スカトと、メーヴ!?」
知ってるなんてものじゃない。
俺たちが戦った〝影王スカト〟と、魔族領の荒野にいた〝ゴーレムマスターのメーヴ〟の名前だった。
ミレニアは、どこか懐かしくも悲しい表情を浮かべながら続ける。
「おぬしらなら知っておろう。確かに彼らは魔族じゃったが、とあることがきっかけで妾と意気投合してのう……妾の『閾値編纂』で人族としてしばらくの間、共に暮らしておった。そこにいるナギと同じ立場と言えばわかりやすいかのう」
「そ、そうだったんですね……」
「このダンジョンを三人で攻略していたあの日々は、妾にとって最後の良い思い出じゃ。スカトとメーヴは妾の親友で、彼らはとても気の良い夫婦でのう……魔族にしては妾のこともヒト種のことも、とても好いておった」
……知らなかった。
そういえばメーヴが言ってたっけ。夫は、ルネーラ大森林を越えていけるスキルがあったと。それがスカトの影移動スキルだったのか。
「だから、スカトを倒した私たちが憎いの?」
サーヤがさりげなく俺の前に立ちながら、冷静にミレニアに問う。
ミレニアは沈黙を挟んでから、首を横に振った。
「……そのような感傷ではない。確かに思う所もあるが、さっきも言った通りこれは儀礼的なものじゃ。妾にとってのケジメのようなものゆえ、本気で殴ってはおらんよ。親友をおぬしらに殺されたことは事実じゃがの」
「でも、あれはスカトが襲ってきたからよ。それを非難される覚えはないし、あんな冷酷なひとのためにいくら親友だからって――」
「だが同時に、妾はおぬしらに感謝しておるのじゃ」
サーヤの言葉を遮ったミレニア。
「スカトが冷酷、か。そう思われるのも仕方あるまい……じゃがあやつも、何も最初から冷たい男だったわけではないのじゃ。むしろ愛情深く誰にでも優しい男じゃった」
「ウソよ。私たちが会ったスカトは、部下をモノ扱いしたり命を踏みにじったり、ナギのお兄さんだって……」
「そうじゃな。じゃがそれはサトゥルヌのせいじゃ」
その名を呼んだミレニアの瞳には、ハッキリと怒りの感情が浮かんでいた。
「スカトが魔族領に戻った頃の話じゃ。些細なきっかけで争うことになったサトゥルヌに、スカトは感情のひとつ――『愛』を奪われての。それきりメーヴのことも、妾のことも、他の者と変わらぬ道具扱いをするようになってしまったのじゃ。それからやつはサトゥルヌの手先となり……あとは、おぬしらの知っての通りじゃよ」
「そんな……」
言葉を失うサーヤ。
憎むべき相手ともいえたスカトの過去を知ってしまったことで、どう言えばいいか迷っているようだった。俺もその事実は、すぐには飲み込めそうになかった。
ある意味では、スカトも被害者だったのだ。
「……あれは、そういうことだったのか」
それと、いくつか腑に落ちた。
メーヴが話していたことだ。彼女がサトゥルヌの『簒奪』に気をつけろと忠告した言葉の真意を、ようやく理解できたのだ。
それとメーヴが〝荒れ地の魔女〟としてあの地に留まっていた本当の理由もようやく気付いた。
わざわざ戦いやすいからという理由だけで、あんなサトゥルヌの領土のすぐそばに居続ける必要はなかったはずだ。荒れ地なら巨大ゴーレムで戦いやすいことは間違いなかったんだろうが……おそらくメーヴはずっと狙っていたのだ。
サトゥルヌの近くで、愛する夫――スカトを失った恨みを晴らすチャンスを待っていた。虎視眈々と復讐の機会が来るのを待っていたのだ。
温和なマダムの仮面の下に、復讐者の顔を隠して。
「妾は感謝しておるのじゃよ。サトゥルヌを討ってくれたおぬしらに」
「……それでもナギは、スカトが憎いです」
ぽつりと言葉を挟んだのは、愛する兄をスカトに殺されたナギだった。
ミレニアは視線を伏せた。
「……そうじゃの。おぬしの兄のことは誰かが謝って許されるとも思わぬが、せめてスカトの親友として妾が謝罪せねばならぬの。本当にすまんかった、この通りじゃ。スカトの代わりに、妾を殴りたければ殴るのじゃ」
「そんなの……意味ないです。兄様はもう戻ってこない、です……」
両手で顔を覆い、うずくまってしまったナギ。サーヤがすぐにナギを抱きしめていた。
スカトにはスカトの人生があったのだ。
そんな当たり前のことを、いまさら思い知ってしまった。
だが、どれほど正当性があろうと理由があろうと失ったものは戻りはしない。
俺たちだっていままで戦うことで誰かを助け、そして誰かの仇にもなってきた。あのサトゥルヌすらロズのために全てを犠牲にする生き方を選んでいただけで、純粋な悪ではなかったのだ。
誰もがただ目の前の願いを叶えるために戦ってきたのだ。メーヴから見れば俺たちだってスカトの仇になってしまうだろう。
運命は無慈悲なくらいに複雑に絡み合っている。
そうやって世界は動いているのだ。俺たちの知らない所でも、知っているところでも。
「世界は不条理じゃ」
ミレニアは地平線を眺めて言った。
「ルルク=ムーテルよ……お師様が守ろうとしていたのは、こういう悲しい出来事に満ちた世界だったのじゃろうか。妾が守ろうとしているのは、こういう世界なのであろうか。この虚しさが、お師様が守りたかったものなんじゃろうか……」
「世界はそうかもしれません。でも、違います」
確かにロズは嘆いていたのかもしれない。こんな世界を守ることに疲れてしまったこともあるかもしれない。死にたかった理由のひとつが、この世界の残酷な表情のせいだったのかもしれない。
でも。
「俺、師匠に聞かれたんですよ。最期の最期で、俺に向かって師匠が聞いてきたんです。この世界をどう思うのか、って」
「おぬしは何と答えたのじゃ?」
「『とても厳しくて残酷な世界だけど、俺にとっては最高の世界です』って答えました」
「……それで、お師様は?」
「笑ってました。とても魅力的で、最高の表情で笑ったんです。いまも目を閉じたら師匠のその顔が浮かんできます。この世界を認めてくれてありがとう、守ってきてよかった、って……師匠はそう伝えたかったんだと思います」
だから俺はどんな悲しい物語があっても。
例え残酷さを見せつけられようとも。
「たとえ厳しくても、暖かい世界だと思いますよ。師匠が愛し、守り続けてきたこの世界は」
「……そうか」
ミレニアは俺の顔を真っすぐに見て、どこか嬉しそうに――そして悲しそうに微笑んだのだった。
「ナギよ、気分は落ち着いたかの?」
「……はいです。取り乱して申し訳ないです」
「気にするでない。得てして感情は意思には従わんものよ」
しばらく経ってナギが泣き止むと、ミレニアは気を取り直したように言う。
「では本題に入るとするかの」
「その前にミレニアさん、先に挨拶だけしてきても良いですか?」
「む? 誰にじゃ?」
「彼に」
俺は奥にある白い墓を指した。
ミレニアが顔をほころばせて頷いていたので、俺たちは墓石――〝魔術の賢者〟の墓前に移動して、祈りを捧げた。
墓石には魔術の賢者の名前と〝我、大罪と共にここに眠れり〟という一文が刻まれてあった。そして『三人の賢者と世界樹』が一冊、花とともに供えられていた。
……おそらく原本だろう。
世界中のマニアが必死になって探している、最初の一冊だ。
俺も内心バク転するくらいにテンションが上がっ。読んでみたい読んでみたい読んでみたい……くっ、耐えるんだ俺!
理性と欲望の激しい戦いは――理性のギリギリ勝利で終わった。偉い。
「お待たせしました」
黙とうを終えて元の場所に戻ってくると、ミレニアは腕を組んで不遜な態度で言った。
「では始めるとしようかの。これよりSSSランク昇格の推薦を受けた【王の未来】に対し、妾から質問をする。その答え如何で判断を下す。よいな?」
「質問で、ですか?」
「うむ。全員正直に答えるように」
意外だった。
てっきり実力試験的なものもあると思ってたが、ただの質疑応答だけとは。
身構えた俺たちに、ミレニアが投げた質問はたったのひとこと。
「〝ユグドール〟……この言葉についての知識はどれほどあるかの?」
……初めて聞く言葉だった。
俺だけじゃなく、エルニも、サーヤも、セオリーも、プニスケも、ナギもそして情報通のリリスまでも首を横に振った。
その時のミレニアの表情はとても印象深いものだった。
安心したような絶望したような――そんな悲喜交々が見て取れる顔を一瞬浮かべたのだ。
「……では沙汰を下す。おぬしら【王の未来】のSSSランク昇格推薦は棄却し、試験結果を否認とする」
やはりダメだったか。
そのユグドールなる言葉にどんな意味があるのか知らないが、どうやらSSSランクという立場は、ただ強かったり有名だったりするだけじゃ認められないようだ。
とはいえ俺たちは昇格したかったわけじゃないから、不合格だったところで誰も悔しがってはない。
「ねえミレニアさん。私たちランクなんてどっちでもいいんだけど、いまので逆に気になっちゃった。そのユグドールってなんなの?」
「それを妾が教えてどうするサーヤ=シュレーヌよ。おぬしらがそれを知る機に立ち会い、経験を積み、見聞を広めてからまたここに来るがよい」
「わかったわ」
素直に引き下がるサーヤ。
どうやら俺たちじゃ経験不足ってことは分かった。ま、それならカムロックたちギルドマスターも文句は言わないだろう。そもそも総帥の決定に異議を唱えられるはずもないけど。
「じゃが、おぬしらをSランクのままにしておくにはちと収まりが悪いのも事実。ゆえにこうしておこう」
ミレニアは俺たちに指先を向けて、スッと動かした。
霊素が一瞬で書き換わる。全員分同時に遠隔操作しやがった。
俺はすぐにギルドカードを取り出して確認する。
「……もっとこう、手順とかあるんじゃないですか?」
「なんじゃ不満か? 盛大に式典でもひらいてやればよいのか?」
「いえ、遠慮しておきます」
ミレニアがやったのは、俺たちのギルドカードの書き換え。
金色だったカードが、キラキラ輝く白金色になっている。もちろんそれだけじゃなく。
「SSランク! わあ、すごーい!」
「ふっ、世界が我を崇めている……」
とまあ、そういうことだった。
各国に百年に一組いればスゴイといわれるSSランク冒険者になったことで興奮する仲間たち。
俺とリリスは、ひそかに戦慄していた。
「お兄様、いまのご覧になりましたか? 『閾値編纂』と『変色』を全員分同時に遠隔でおこなってましたね……さすが賢者様、操作力が桁違いです」
「ああ。悔しいが一番弟子レースは一歩リードされてるようだ……」
「ふん、たかだか十数年しか生きておらんヒヨッコに技術精度で負ける気などせんわ」
当然、ミレニアの練度はカンストしているだろう。
俺は超越者特権でカンストをオーバーしているが、ミレニアほどの精密な技術は無理だ。俺の神秘術はどちらかといえば出力の規模が売りだからな。そっちなら負ける気はしないんだが。
とはいえここまで技術に差があるとは。配列繋げずに遠隔操作するのだけでも難しいのに……。
「まだまだじゃのう。ちなみに練度が止まっても技術力が向上せんわけではないぞ。そのあたりも学んでから出直してこい小僧」
「こ、小僧……」
もうすぐ成人なのに! く、悔しい。
ミレニアは弟弟子の俺に差を見せつけることができて、たいそうご満悦のようだった。かくいう俺も神秘術の賢者の実力の一端を見れて、テンション爆上げだから文句は言えない。
というかここで言ったら負け犬の遠吠えになるし。ワオン。
「ふむ。では此度の謁見はしまいじゃ。そろそろ厨房の準備も整ったじゃろうし、おぬしらは飯に――」
と、ミレニアが言いかけた時だった。
唐突に霊素が輝き、ミレニアの手元に紙が一枚転送されてきた。
ミレニアはすぐさまその手紙を手に取って読んだ。
「……動き出しおったか」
くしゃり、と手の中で握りつぶしたミレニア。
「何かあったんですか?」
「……おぬしらが気にすることではない。さて、なんじゃったかの。ああそうじゃ、夕餉の支度を始めるよう伝えねばならんかったな。おぬしらも腹が減っておるじゃろうし、そろそろ下に向かいたまえ。ここからの景色も十分に楽しんだじゃろ」
そう言って、あからさまに急がせるミレニア。
手紙のことは気になったが俺が首を突っ込むことじゃないだろう。
背中を押されて、半ば追い出されるように昇降機に乗り込んだ。
「おぬしらとはまたいずれ会うことにもなろう。慌てずに経験を積み、世界を知るがよい」
「はい。ありがとうございました」
俺たちが一礼すると、すぐに昇降機が動き始めた。ミレニアの姿は見えなくなる。
雲の上から一気に下っていく景色を眺めながら、俺は少しだけ考えた。
総帥のミレニウムもお付きのメイドのミリィも、どっちもミレニアの別の姿なのだとしたら、彼女はずっと一人でこの塔の頂上に住んでいるってことになるのか。
最愛の夫を亡くし、師匠を失い、そして親友たちとも離れてしまって。
それでもミレニアは総帥として、世界の秩序を守っている。
……師匠と、少し似てるな。
「どうしたのルルク?」
「いや」
俺は空をぼんやりと眺めて、少しだけ手に力を込めた。
いまはまだ彼女たちに遠く及ばないとしても。
「ちょっとばかし、やる気が出ただけだ」
俺も、もっと強くならないとな。




