弟子編・8『エルニネール』
俺たちがラスクの街についたのは、空が夕焼けに染まり始めた頃だった。
ロズがいうには、ムーテランからラスクまでは馬車で三日ほどの距離らしい。
他より近いとはいえ隣の領地の街までだから当然の距離なんだけど、何度も転移を繰り返して移動したせいであまり実感がわかない。
初めての旅だ。旅も異世界の醍醐味だと思うんだけど……いや、姉弟子のためと思って文句は言わないでおこう。
ラスクはムーテランの半分ほどの大きさの街だった。
街の西側を巨大な川が流れている以外、とくに特徴のない街のようだ。
隣のテールズ公爵領とムーテル公爵領を繋ぐ役割を持った街なので行商人も多く、街の中心にある露店街が自慢なんだとか。
小さな街とはいえ、ちゃんと外壁もあれば門番もいる。
俺は冒険者カードを出し、ロズは意外にも商人ギルドの登録カードを出して身分証明を済ませた。手ぶらの少女が一介の商人を名乗るのは違和感すぎやしませんかね。
門兵はあくびをしながら対応してるし気にしてないみたいだけど。
通行料を払ってなかに入ると、少し熱気のある空気が肌を撫でた。
肉串、トウモロコシ、揚げパン、焼き菓子……様々な屋台が道の左右に並んでいた。このあたりはムーテル領と変わらない品揃えだな。
昼食を抜いていたから、よだれが溢れそうになる。
「こっちよ」
首をむんずと掴まれて、横道に入ってしまう。
「ああ、ごはんが……串焼きが……」
「たった半日のガマンでなんて声出してんのよ」
しょうがないだろ、こっちは育ち盛りの子どもなんだから。
ま、どれだけ抗議してもロズには願いが届かないことは分かっている。まだ会った初日のはずなのに、なぜかそれだけは確信できた。
そのままずるずると引きずられ、街の喧騒が聞こえなくなったところで足を止めた。
「ここよ」
住宅街のなかにある石造りの家だった。
周囲の家と大差ないから、一度来たくらいじゃつぎは見逃してしまいそうな佇まいだ。
「師匠の家ですか?」
「なにバカなこと言ってんの。借りてるだけよ」
そりゃそうか。
伝説の神秘王がこんな小さな家に住んでるなんて、冗談にすらならない。
ロズがなんの躊躇いもなく扉に手をかけると自動で鍵が開く音がして、そのまま中に入った。
外見どおりふつうの家だった。
すぐにキッチンとリビングがあり、奥に二部屋ほど別の部屋がある。トイレや洗面台が玄関のそばにあって、少人数向けのアパートのような構造だ。
他人の家の中は見たことがなかったので、もしかしたらこういう造りがこの世界のスタンダードなのかもしれない。
そう思いつつ部屋を見渡してると、ロズが奥の部屋の右側の扉をノックもせずに開けた。
「ただいま、エルニネール」
俺もロズの後ろから部屋を覗いてみる。
部屋にはベッドがぽつんと置いてあるだけだった。そのベッドの上で、彼女は寝ころんでいた。
羊だった。
小さな体格の、羊の角が生えた幼女がムクリと起き上がる。
くるりと曲がった角が、ホワイトベージュのふわふわの癖毛にちょこんと付いていた。
まるい顔にピンク色の頬。眠そうにこっちを見上げた顔立ちは人形のように整っていて、ゆったりとしたシャツを着ている。
腕は細く、手首のところにシュシュみたいなモコモコした羊毛がついていた。
足は太ももがむっちりとしていて肉感的で、足首にも同じような羊毛がついている。ショートパンツから白い玉みたいな尻尾がはみ出てる。
説明されなくてもわかる。
この獣人の子、羊人族だ。
エルニネールと呼ばれた羊人族の幼女は、とろんとした瞼を持ち上げてロズを眺めて言った。
「ん……おかえり」
「遅くなったわ。お腹すいてない?」
「ん。すいた」
コクリとうなずく幼女。
ぽつぽつと喋る感じがこの幼女のデフォルトなんだろうか。それとも種族の特徴なんだろうか。感情の起伏が少ないのもキャラが立ってていいけど、それよりも、そんなことよりも……。
「羊も悪くない……!」
ゲームでは獣人といえば犬とか猫をよく見るが、羊もふわふわしてていいじゃないか。
この世界の神よ、グッジョブ。
「ん……だれ?」
「この気持ち悪い表情してる子はルルクって言うの。あなたの弟弟子で、人族の9歳」
誰が気持ち悪い顔じゃい。
まあちょっとよだれが出てたかもしれないけどさ。
「ルルクです。これからお世話になりますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「……エルニネール」
名前だけでも、ちゃんと挨拶してくれた。
年下で不愛想っぽいけどコミュニケーションはちゃんと取れそうだ。前世から人見知りでコミュ障の俺からすれば、見知らぬ少女相手に会話とか不安だったんだけど、とりあえず大丈夫そうだ。
ぐうぅぅぅぅぅ
ちょっと安心したら腹の虫が鳴ってしまった。
くぅ~
つられてエルニネールの腹の虫も鳴った。
「ん……ロズ、ごはん」
「もらってきたわよ。ほら」
ロズがアイテムボックスから麻袋を取り出した。
リビングのテーブルに麻袋を投げるように置くと、エルニネールがテトテトと歩いてくる。そのまま椅子によじ登り、ガサゴソと麻袋の中身をあさり始めた。
ロズ自身は椅子に座り込んで、アイテムボックスから本を取り出して読み始めた。
……え? ほったらかし?
この年齢不詳、俺の世話はしないとは確信してたけどまさか幼女の世話すらもする気がなさそうだった。
エルニネールも気にせずに食材をあさっている。
そういえば商人に食料を貰うとき、そのまま食べられる物が欲しいって言ってたな。何千年も生きてて料理技能がないのか? いや、それとも自立した生活を促しているのか……。
どっちにしろ、袋の中で調理不要なものはクソマズイという噂の携帯食料か硬い黒パンくらいのもんだろう。
「しゃーない」
俺は腕まくりしてキッチンに立った。ガサガサゴソゴソ。
包丁はある。鍋もフライパンもある。水道やコンロはやっぱり魔術器だからちょっと協力してもらうとして、調味料は商人に貰った塩と砂糖と胡椒と、瓶に入った黒っぽい液体があるな。たしかこのマタイサ名産の甘辛いソースみたいなやつだ。これで肉を焼くとウマいんだよなぁ。あと、野菜のなかにニンニクとショウガもあるな。
よしよし、これなら大丈夫そうだ。
「エルニネール、ちょっとだけ食べるの我慢できますか?」
「ん……? りょうり、できる?」
「ええまあ」
こっちではやってなかったから、4年のブランクはあるけどね。
「ん。ルルクすごい」
「しょせんは素人なので、期待はしないでくださいよ。エルニネールは肉と野菜、どっちのほうが好きですか?」
「お肉」
迷わず答えた幼女だった。獣人って肉食草食とか関係ないのかな。まあ人型の時点で雑食なんだろうけど。
リクエスト通り、肉中心のメニューにしよう。
でも野菜が食べられないってわけじゃなさそうなので、どっちも使ってみるか。三日も食べてないと色々栄養が必要だろうからね。
とりあえず肉の塊をすこし薄めに切っていく。この世界の肉はだいたいどれも独特の臭みがある。ジビエみたいな感覚で食べられるし、みんなはそういうものだとあまり気にしてないけど、当然臭みはないほうがウマい。臭み抜きの方法は料理長から教わったから万全だ。
肉を、細かく刻んだショウガとソースに浸しておく。
臭み取りと漬け込みをしているあいだに野菜を切る。もらったキャベツが新鮮だったので、とりあえず千切りにしておこう。
調味料の種類は少ないから、素材の味を生かす方向にしようかな。
鍋に水をたっぷりいれてもらい、コンロに置く。
「エルニネール、火をつけてもらっていいですか?」
「ん、わかった」
と、エルニネールは俺の隣でコンロを指さして。
「ん」
チッと音がしたと思ったら、コンロの火がついた。
……え、なにいまの。
詠唱したわけでも直接スイッチを触ったわけでもなかったよな? なんでコンロが動いたんだ? なんの魔術使ったんだ??
俺が混乱してると、本に没頭していたはずのロズがくすくすと笑って言った。
「魔術器の仕組みはね、起動式に魔力を通すことで魔術を起動させるの。エルニネールがやったのは、魔力を魔術として放出するんじゃなく、ただの魔力として術式を通すことなくそのまま放出したのよ。ちゃんと出力と方向を制御してたら、いまみたいに遠くの魔術式を起動することだってできるのよ」
な、なんだって!?
魔力そのものの放出か。遠隔で魔術器を起動……考えようによってはものすごく便利だな。魔術士おそるべし。
「言葉では簡単だけど、実際には一握りの高位魔術士くらいにしかできない芸当よ。誰にでもできるって勘違いしないように」
「……はい、師匠」
そういえば、エルニネールは魔術の天才だって言ってたっけ。
幼女おそるべし。
「ごはん、まだ?」
当の天才児は、椅子にのぼって背もたれに顔をのせてこっちをジト目で見ている。
かなりお腹がすいているようだ。
「もうちょっと我慢しててください」
さて、お湯が沸くまでつぎの工程だ。
野菜の皮を剥き、水にさらして置いておく。胡椒は叩いて割って塩と混ぜておいて、熱したフライパンには肉の脂を切り取ってのせて、ジュウジュウと音が鳴ったら、漬け込んでいた肉を焼いていく。
肉を焼いているあいだに鍋のお湯が沸騰したので、野菜を放り込んでいく。
あとは肉を裏返したり、熱が通った野菜から上げていくだけだ。
野菜を切って肉と一緒に盛りつけたら、よし、完成っと。
「おまたせしましたエルニネール。肉のショウガ焼きと茹で野菜ですよ」
「ん。まった」
皿に盛り付けて、テーブルに置いてやる。
もちろん自分の分も。
「いただきます」
「ん、たべる」
まずはボイルした野菜から。
野菜には塩胡椒を軽く振っただけだ。新鮮な野菜だったので、素材のうまみを味わえるようにした。
どれも噛むとジワリと甘みと味が広がって、とても美味しい。焼くのもいいけど、俺はボイルするのが一番好きかもしれない。
つぎは肉のショウガ焼きだ。
独特の臭みは若干残っていたけど、気になるよりもむしろショウガと合わさっていい味を出していた。甘辛いソースと絡み合ってすばらしい味になったな。千切りキャベツにもソースがかかってウマウマだ。米があれば最高なんだけど、そこまで贅沢は言うまい。
「んふー」
エルニネールも頬いっぱいにつめこんで、口元を緩ませていた。ジト目なのは変わらないが、美味しく食べられているようでなによりだ。
「そういえば師匠は食べないんですか?」
「私はいらないわ。必要ないから」
興味がなさそうだから食欲がないのかと思ったら、必要ないときたか。
不老不死っていうのは伊達じゃなく、食事もとらなくていいのか。
ちょっと寂しい気もしたけど、ロズにはロズの事情がある。
本を読む師匠を横目に、俺たち弟子ふたりは満腹になるまでご飯を食べるのであった。




