賢者編・12『風翼』
「我々の研究に意味はなかったので御座いましょうか……」
シモングスはすっかり意気消沈していた。
「長年携わってきた属性魔術、その極致を見たいと思い老体に鞭打ってここまで来ました。しかし寄る年波には勝てず、今回の機会を人生最後の悪あがきにしようとも思っておりました。あと少し、もう少しという感触はあったのですが……やはり才能の前には、我々凡人の努力など意味はなかったので御座いましょうな」
悲し気に笑うシモングスだった。周囲にいる研究員たちも見るからに気を落としていた。
なんて声をかけたらいいのかわからず、俺たちは沈黙でしか彼らの言葉に応えることはできなかった。それくらいエルニと彼らでは魔術の素質が違いすぎる。
魔王になる者とは、そういう存在なのだと強く実感させられた。
こんなとき、どうすればいいのだろう。
絶対に敵わない才は俺も身に覚えがある。いうまでもなく師匠――ロズのことだ。どれだけレベルが上がろうとどれだけ戦う力がついても、ロズの神秘術にはいまも追いつける気がしない。
それでも俺の心が折れなかったのは、俺には前世の記憶があり、俺だけの物語があったからだ。彼らにもそういう道しるべがあれば、この迷いも振り切れるかもしれない。
だが、そうそう希望なんてものは――
「みおとし」
意外にも、声をかけたのはエルニだった。
「さっきの、ふかんぜん」
「え……エルニネール様、いまなんと?」
驚くシモングス。
エルニは淡々と、言葉数少ないままに伝えていた。
「やりたいなら、やりなおせばいい」
「そ、それは……我々の研究で、五属性魔術を成功させられる……と? 我々の術式に見落としがあったと?」
「ん」
頷いたエルニ。
仲間以外にわざわざアドバイスするのは珍しいが、エルニも不愛想なだけで冷たいわけではないのだ。特に正々堂々戦った相手にはいつも敬意を示している。
認めたのだろう。シモングスと、彼らの研究を。
「そ、そうでしたか! やり直してみれば、我々にもあの景色が見れると……!」
深く沈んでいた目に、みるみる希望が満ちていく。
シモングスや研究員たちはすぐさま動き出した。術式をチェックし、どこをどう直せばいいのか討論を始めていく。
みんなのその表情は、キラキラと輝いている。
彼らは心の底から学者なんだと実感した。
そんな彼らを眺めて、リリスがエルニに話しかける。
「……エルニネールさん、私は少し勘違いしてました。貴女はさほど他人の人生に興味がないのかと思ってました。学術的価値には興味もなく、強さだけに指標を置いている人なのだと判断しておりました。どうやら誤解していたようですね、すみません」
「ん。いい」
「ありがとうございます。そんなエルニネールさんにお聞きしたいことがありますが、よろしいですか?」
「ん」
エルニが頷くと、リリスは小さく息を吸い込んで、
「では魔術器製作に興味はございませんか? 複合属性に関する術器具はいままで縦列構造で属性を順次付与していたのですが、しかし並列術式の普及に伴い二種同時にできるようになったのです。それだけでも大きな進歩なのですけど、エルニネールさんならもしかして全種同時に付与できる理論をお持ちではないですか? 通常詠唱と違って減衰問題や魔力飽和問題もありますが、貴女なら新しい発想と構築ができると思うんです! ぜひルニー商会の開発局員として働いてみませんか!?」
「や」
「そこをなんとか!」
「むり」
あからさまに嫌がるエルニ。
そんなことはおかまいなしに、グイグイ行き始めたモノンモードのリリス。
まったく、誰に似てオタク気質になったことやら。
地下エリアの熱気は、それからしばらく冷めなかった。
「せめてものお礼と言ってはなんですが、ワタクシの研究成果をひとつ披露致しましょう」
少し時間が経って落ち着いた頃、シモングスがなぜか俺たち以外を部屋から追い出した。
どことなく悪い顔をしていたのでなんだろうと思っていたら、どうやら魔術をひとつ見せてくれるらしい。
身内を追い出したことといい、その言い方的にもしかして……
「極級魔術ですか?」
「ほっほっ。左様で御座います」
他人へ継承を禁じられている魔術――別名・禁術。
国際条約でそのルールを定めたのは、他でもない中央魔術学会だと聞いているんだけど。
シモングスは軽くウィンクして、
「なあに、これは継承では御座いません。ワタクシが使いたい気分になったゆえに使い、そこに偶然優秀な魔術士がいただけのことで御座います」
「そ、そうですか」
意外と茶目っ気のある爺さんだ。
「エルニネール様。一度だけしか行いませんので、ご準備はよろしいですかな」
「ん」
「では――『風翼』」
シモングスが唱えた瞬間、彼の背中側に風が収束した。
かなり小さく複雑な気流だった。それが見えた瞬間、シモングスが浮いた――否、飛んだ。
「ほっほ。ではしかとご覧あれ」
そう言うと、シモングスの体は自由自在に広い研究室内を飛び回った。
……自由飛行の魔術だ。スゴイ。
背中側で行われているのは重力制御ではなく、揚力制御だ。あきらかに魔術だけの知識じゃできない現象だった。対流による圧力差で上昇、下降、推力すら生んで自由自在に飛び回っている。おそらく自由度でいえば、重力制御よりもはるかに高いだろう。
慣れは必要だろうが、どの方向にも好きに動けるようだ。
衝撃だった。
いまこの世界で一番自由なのは、たぶん目の前にいる爺さんだ……!
風力王に、彼はなる!
「ほっほっほ。こんなものでよろしいですかな」
戻ってきたシモングスは、静かに目を輝かせているエルニに笑顔を向けた。
「ふむ……そのご様子だと、わざわざ解説するまでもないようですな。本来は深い理術の理解が必須ですが、御身であれば現象さえ知ってしまえば細かい原理などなくても何度か調整するだけで使えましょうぞ」
「ん。ありがと」
「これは勿体ないお言葉! 御身のお役に立てるのは、研究者としてこれ以上なく名誉なことで御座います」
恭しく頭を下げたシモングスだった。
早く帰って試したい……エルニの目がそう言ってる。
ここで黙ってなかったのはサーヤだった。
「いまのって流体力学を利用した飛行術よね? 誰に教わったの?」
「な、なんと基礎理論をご存知でしたか! 実はここに、理術の天才と言われている新人研究員がおりましてな。昨年、風の魔力操作が得意なワタクシに声をかけてきたので御座います。彼女に言われるがまま魔術開発をしたところ、自由に飛べる魔術ができあがりましてな」
「あ~なるほどね。でも禁術目録に載ってないってことは、他のひとには黙ってるの?」
「ほっほっほ。単に、この老体の悪い意地でございます。施しで手にした栄誉を歴史に掲げるよりも、ひっそりと墓場に持っていく優越を取ったまででして」
そう言って無邪気に笑うシモングス。
なかなか性格の良い爺さんだな、仲良くできそうだ。
「それでもエルニネールに教えてくれたのね……優しいのねお爺さん」
「恩を返したまでで御座います」
これでエルニが憶えた極級魔術は六つ目か。
長距離移動は『ミーティア』のほうが便利だろうが、近距離移動なら圧倒的に『風翼』に軍配が上がるだろう。またエルニが強くなってしまう……。
シモングスの恩返しが終わり、俺たちは互いに礼を言い合って部屋を出た。
外で待たされていたリーセロッテと合流して地下エリアから地上へ戻る。中で何をしたのかさりげなく聞かれたけど、サーヤがうまく誤魔化していた。
これで予定していた見学がすべて終わったようで、正面ロビーまで戻ってきた俺たち。リーセロッテが最後の挨拶をしようとしたが、その前にリリスが聞いていた。
「ひとつお聞きしたいのですが、義手や義足を製作している研究者さんはご在籍してらっしゃいますか?」
「はい。数名おりますが、どのような性能のものでしょう?」
「義足で、生身よりも身体能力があがるものなのですが」
「それでしたらクロウリーさんですね。どのようなご用件で?」
「少しお話を伺いたいのですが」
そう言うと、リーセロッテは少し表情を曇らせた。
「あまりおススメはしませんが……ご希望でしたら面会希望の申請をしておきます。普段は面会や取材はすべて断るような方ですが、【王の未来】の皆さんなら問題ないでしょう」
「では、お願いできますか?」
「承りました。こちらの用紙に日時の希望などを記入してください」
リリスが申請用紙を記入して今度こそすべての用事が終わった俺たちは、ロビーから待合フロアまで戻ってきた。
かなり時間が経ったはずだが、ガトリンは最初と同じ場所で待っていた。
「お疲れさまッス! どうでしたか?」
「とても楽しかったですよ。お待たせしてすみません」
「構わないッス! 楽しめたようで何よりッスね!」
外に出たら、すでに夕方になっていた。
思ったより長く過ごしていたらしい。
「主よ! 我は贄を所望する!」
「私もお腹空いた~」
「ん」
『はらぺこなの!』
確かに早めの昼食だったから腹が減ったな。
「ガトリンさん、おススメの食事処はありますか?」
「それなら一軒、連れて行きたいところがあるッス!」
そう言って意気揚々と先導するガトリン。
またもや複雑な道をグネグネ進み、東街へと入っていく。
少しばかり小汚い道路にさしかかった時だった。
「ガゥ!」
「ひゃっ」
道の先に子犬がいた。
驚いてナギの背中に隠れたのは言うまでもなくセオリー。小犬にビビるドラゴンってどうよ。
子犬はなぜか興奮してるようで、俺たちに近づきながら吠えている。
「野良犬かしら」
「たぶんそうッスね。このあたりはよくいるッス」
物知りガトリンが頷く。
首輪もしてないので、野良犬で間違いなさそう……いや待てよ?
いくら興奮してると言っても、人間の集団相手にこうも敵意剥き出しで吠えるか普通。子を守る母親どころか守られる子犬なのに。
……もしかして臭いとか? 俺か、俺なのか?
「なあナギ、ちょっと俺の匂い嗅いでみてくれない?」
「変態汚物野郎です」
そんな冗談を交わしていた時だった。
子犬が涎を撒き散らしながら、ガトリンに飛びかかった。
「うわっ!」
「下がって!」
サーヤがとっさにガトリンの服を引いて前に出た。
子犬の牙が、ガトリンを庇ったサーヤの腕に突き刺さる――とはいえ野良犬とサーヤではステータス差が歴然なので子犬の犬歯くらいほぼダメージはゼロ。肌にほんの少し血が滲む程度だ。
サーヤはすぐに首の後ろを掴んで、片手で持ち上げた。
「よしよーし。暴れないでね」
「ギャウギャウ!」
涎を垂らしたまま、無我夢中で暴れまわる子犬。
その様子を見たリリスが、慌てて声を荒げた。
「お兄様! すぐにサーヤお義姉様を治療してください!」
「わかった。『領域調停』」
よくわからないが、リリスの言葉を疑う必要はない。ひとまずサーヤを俺と同調させてから〝傷〟を弾き出しておく。
これなら大半のダメージは無効化できる。
傷、状態異常だけじゃなく病気にも対応できるからな。
一瞬だけど俺と意識が同化したサーヤは驚いていた。
「ど、どうしたの? 私なにかした?」
「いえ……念のためでした」
リリスはそう言うと、唐突に『ウォーターボール』の魔術を唱えた。
その瞬間だった。
「ギャウゥゥゥ……」
まるで水を怖がるかのように震え始めた子犬。
よく見ると子犬の瞳孔が開いている。口元もうまく制御できないのか、舌が伸びたまま涎が絶え間なく垂れている。
リリスは神妙な顔つきで頷いた。
「間違いありません。この子犬、恐水症です」
「恐水……まさか狂犬病か!」
狂犬病。
いうまでもなく、極めて恐ろしい病気のひとつだ。
なるほど、すぐに治療を求めるわけだ。
リリスはすぐにマルチボックスから布を取り出すと、子犬の口が開かないように器用に縛っていく。
子犬は震えながらも逃げようとしているが、サーヤがぎゅっと抱いて逃がさないようにしていた。
「リリスさんありがと。よく気づいたわね」
「危険な病はひととおり勉強しましたから。それに状態異常にかかった記録がないのにここまで暴れるのは不自然すぎます」
「たしかにね」
だから病気を疑った、か。
ちなみに俺の『神秘之瞳』でも原因不明なので、視認できないサイズの病原菌が原因の可能性は非常に高い。この能力、理術的要素を鑑定するときは俺の通常視力に依存するからな。
「サンキュなリリス。サーヤもよくやった」
「オイラからも礼を言うッス! 恐水症っていえば、かかったら必ず死ぬおそろしい病気ッスよ……」
ガトリンが顔を真っ青にしていた。
まあ俺やエルニなら病気でもすぐに治療できるから、今回は不幸中の幸いだっただろう。
「それにしても狂犬病ね……ねえルルク、通報したほうがよくない?」
「確かにな。確か狂犬病ってネズミとかコウモリが運んでくるんだっけ。広がる前に対処しないと、大流行した日には目も当てられないな」
「じゃあすぐに知らせに行こ。ガトリンさん、この近くに兵舎とかって――」
と、俺たちが動き出そうとした時だった。
「その必要はない」
偉そうな声が、上から降ってきた。
「その犬はこちらで預かろう」
「え、誰……エルフ?」
サーヤは訝し気につぶやいた。
そいつは空中からこちらを見下ろしていた。よく見れば、細い糸のようなものがいつの間にかそこら中に張り巡らされていて、その上に器用に立ってこっちを見下ろしている。
黒いロングコートで身を包み、長い襟で口元まで隠したエルフの壮年男性。
そんな外見で身を包んだそいつは、いかにも不遜な態度でこう言った。
「恐水症の対応は我に任せよ。すぐに調査を始めよう」
「えっと……お願いできるなら、もちろんお願いしたいところだけど……」
「歯切れが悪いな。何が言いたい?」
「あなたが誰か、私たち知らないの。この街の兵士さん?」
「愚昧なり。貴殿らは謁見する相手の顔も知らぬのか」
そいつはサーヤの疑問を鼻で笑うと、ハッキリと俺たちの名を呼んだ。
「我は冒険者ギルド総帥、ミレニウムである。【王の未来】の諸君、こたびの訪問快く迎え入れようではないか」
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