賢者編・10『中央魔術学会』
魔術理論の解説回です。読み飛ばしてもストーリーには影響はありません。
後半ちょっとした変態少女がでてきます。下ネタ注意なので苦手な方は次の話に進んで下さい。
それと、あとがきTipsに今回でてきた研究要項の詳細を記載してます。
研究内容のなかで細かい伏線回収・伏線記述もおこなってますが、ストーリーに直結するわけではないので読み飛ばしても物語に影響はありません。作者の趣味です。
「中央魔術学会と〝魔王〟は、昔から縁の深い関係でした」
案内員のリーセロッテが、通路を歩きながらスラスラと暗唱する。
「いまから約千年前まで、この大陸南部から南西部にかけてはシナ帝国がありました。シナ帝国は悪辣な統治方法と恐怖政治で、この地一帯を支配しておりました。そのシナ帝国の影響で各地で戦争が増加し、世界が大きく荒れていました」
千年前はどこもかしこも戦争だったらしい。
いまとなっては表立った戦争は少ないから、まだ恵まれた時代なんだろう。
俺たちはリーセロッテの説明を大人しく聞きながら、彼女のあとをついて歩く。
廊下は長く、見学エリアに着くまでに中央魔術学会のことを知っておくにはちょうどいい距離だ。
幼少期に家庭教師からマタイサ王国史は学んでいるが、大陸西部のことはあまり教えてもらった覚えがなかった。しっかり聞いておこう。
ちなみに後ろで歴史に興味のない仲間たちが何人か雑談してるけど、それもまた自由だ。
「そんな戦乱の折、隣のインワンダー獣王国に四代前の魔王が誕生しました。彼女は歴代魔王のなかでも特に戦闘に秀でていると言われ、圧倒的な武力でシナ帝国を制圧しました。戦争に負けて王家が断絶したシナ帝国は解体され、帝都があったこの地にノガナ王国が誕生しました。そのノガナ王国女王が〝魔王リーンブライト〟です」
リーンブライト。
その名前は俺も知ってる。彼女はかなりの有名で、絵本でも見たことがあった。
たしか【リーンブライトの涙】というタイトルの童話で、あらすじはこんな感じだ。
〝リーンブライトという少女は巨大な力で悪い国を倒し、新しい王様になった。
しかし力が制御できず危険なため、友達みんなを遠ざける。
彼女は孤独に堪えかね、自らの力をほとんど神に差し出した。
友達に囲まれた彼女には、束の間の幸せが訪れる。
しかし、別の悪い国が襲ってきてしまう。
戦う力を失った彼女は友達をみんな殺されてしまった。
彼女は神に頼んで自らの命と引き換えに、もとの力を取り戻した。
悪い国は滅び、彼女もまた息を引き取った。
彼女の死後、そこに空の遥か上まで伸びる綺麗な大樹が生えた。
その頂上には丸くて大きな青い花が咲いた。
それはリーンブライトの涙と呼ばれ、枯れることなく咲き続けている〟
という話だったな。
無論、絵本にならなくても歴史上の重要人物だ。彼女の名前はたいていの人は知っているだろう。吟遊詩人たちも、リーンブライトの逸話をたまに詩っている。
「リーンブライトは女王となった後、自らの知識や魔術理論を秘匿することなく公開し、シナ帝国にあった軍事用魔術研究機関に手を加えて作り変えました。それがこの中央魔術学会の原型です。その後リーンブライトは〝天空の塔〟の攻略を自らおこない、その収集品などで資金を集め続けました。しかしある日、暗殺者の手によってダンジョン内で亡くなってしまいます。リーンブライトには子どもがおらず、わずか二十年でノガナ王国は解体され、彼女の遺言をもとに共和国として生まれ変わり、中央魔術学会はそのまま現在まで存続しているという流れになります」
共和国の祖が大事にしていた機関なのか。
だから大陸南端のこの場所で、ずっと活動しているんだろう。
そしてやがて似たような研究機関が集まってきて、この世界では珍しく学問と教育に力を入れる国になった。この発展は間違いなくリーンブライトの成果だろう。
「中央魔術学会はそれから二度、大きな転換期を迎えております。一度は先々代の魔王が魔族に誕生したときです。偉大なるリーンブライトと、三代前の魔王が亡くなってからまだ時間が経っていなかったため、まだ魔王信仰が厚い者も多く、中央魔術学会の中にも魔王恭順派という派閥ができました。内部分裂とともに武力闘争が起こり、研究成果を悪用した恭順派により多くの研究員が亡くなる事件まで起こりました。それを機に、学会の研究管理体制や組織構図が抜本的に見直され、現在のようなマトリックス型の運営体系になりました。
つぎの転換期は先代魔王が誕生したときです。先代魔王は隠居生活を好んだため世間ではあまり知られておりませんし、我々も偽名しか記録しておりません。しかし彼の魔術理論は驚くべきものがあり、現在主流の理論構築は彼の構成法を基礎とするものがほとんどです。学術的な視点であれば、歴史上もっとも影響を与えた人物ですね。ちなみに術式の構成理論がこの時代でかなり変わりました。
つまり我々にとって魔王という王位存在はただ圧倒的な強者というだけではなく、魔術史に変革をもたらす者だと、我々はそう考えております」
リーセロッテは何かを期待するような目でエルニを見つめる。
当のエルニは、興味なさげに腕のなかのプニスケと戯れているけども。
「……さて、それでは見学エリアに到着しましたので、いまから研究室の様子をいくつかご覧いただきます。ちなみに見学エリアも自由に移動はできませんので、そのまま私についてきてください。もし指示に従わない場合、どのような方であろうと厳粛に対処いたしますのでご注意を」
なぜか俺を見ながら言ったリーセロッテだった。
俺、そんな落ち着きないっけ?
「ではまず最初の研究室です。ちなみに見学エリアの学術員はすべて入会三年以内の新人扱いとなっているため、技術的にまだ未熟な者が多いことはご了承下さい」
そう言いながら、一つ目の扉を開く。
部屋はなんと壁が透明で、その向こう側――研究室の中の様子がハッキリと見える。向こうからはこちらが見えないようで、熱心に研究している様子を観察できるようになっていた。
いちおうマジックミラーのようなものかな、と思ってガラス壁を鑑定してみたら全然違った。魔術で光学的な指向性を持たせた魔術壁だった。こっちからは透けて見えるが、本来は灰色の壁らしい。
これだけでもスゴイ技術だとわかる。
当の部屋のなかには、三人の研究者がいた。
三人とも口元と耳に何かの装置を着けており、何か喋っては装置を外してチェックしている。
声は壁で遮断されるのでよくわからないが、音に関する研究……かな?
「こちらは無言魔術の研究です」
リーセロッテが解説してくれた。
「魔術には基礎三工程の原則があることはご存知かと思います。『魔力変換』『詠唱』『呪文』の三つですね。このうち省略可能なのは『詠唱』のみで、『魔力変換』と『呪文』はヒト種が使う魔術――標準魔術なら必須項目になっております。ただ特別な種族――例えば真祖竜や天使族など、『呪文』すら必要としない種族がいるのはみなさまならご存知かと思いますが」
「……セオリー。そろそろ魔術勉強してみたら?」
「わ、我はすでに至高の種族……そのような修練さほど意味は……」
勉強が嫌いで魔術が使えないポンコツが目を逸らした。
そういえば竜王も魔術使わないっけ。まああいつは『魔力より拳のほうがよっぽど速い』とか言ってたから、使えないわけじゃないんだろうけど。
「彼らはヒト種の発声が術式にどのような干渉を行い、なぜ呪文が必要なのかを研究しております」
「新人がですか? この分野なら、研究され尽くされていてもおかしくないのでは?」
「……さすがエルニネール様のお仲間ですね。実はこちらの研究は新人教育の『必修研究』なのです。仰る通り、この研究は魔王リーンブライトがすでに最終論文を書き上げている先行研究です。新人にはどこまでリーンブライト理論に近づけるか、あるいはどのような切り口で自分なりの理論を構築できるか、それを測るものになります」
なるほど、そういうこともしてるのか。
そういえば中央魔術学会は教育機関も兼ねているんだっけ。まずは基礎知識をつけなければ自分の研究すら始められない、ってことかな。
リリスが手を上げて、
「お聞きしてもよろしいでしょうか。リーンブライトさんは無言魔術の研究でどのような結論に至ったのでしょう? やはり人族に無言魔術は不可能なのですか?」
「詳しく話すと長くなりますが……端的に言いますと、条件を満たせば不可能ではありません」
「そうなんですか? 意外な結果ですね」
「ただし理論的には、です。術式を十三分割して構築し、そのすべての魔力量を均等に制御し、さらに十三の術式を同時に出力すれば可能……となります。魔王ですら専用の魔術器を使わなければできなかったため、理論上は可能でも行使は不可能と言っていいでしょう」
「なるほど。ですが魔術器を借りれば可能なのですね」
「はい。ただし細かい出力調整は不可能、という注釈はつきます。ちなみに彼らが使っている器具がその魔術器ですよ」
しきりに彼らが話しかけている器具を指したリーセロッテだった。
「では話を戻しますが、なぜ無言魔術がヒト種には実質不可能かという点を説明いたします。我々ヒト種の種族因子には、様々な特徴があります。もちろん種族特徴として身体的に表れているものだけではなく目に見えない細かな部分を含みまして、この種族因子の生まれ持ったカタチによって先天的な魔術的素質が決まっています。例えば属性適性ですとほとんどの者は二つか三つ、多ければそれ以上、ごく稀にすべてに先天的素養がある者が生まれます。ちなみにその方のみが魔王となる可能性があります」
「エルニネールのことね」
「そうです。この種族因子は属性以外にも魔力変換の効率、抵抗値という素質、最大魔力量、最大出力量などを決めていることが分かっています。無言魔術に関しては、魔力変換の部分でヒト種では実現不可能となっているようなのです」
「でもセオリーみたいな真祖竜ならできるのよね。つまり魔力変換効率が優れてるから?」
「そうです。ただし、それが魔術の素養に優れている証拠、という意味ではありません。無言魔術が可能な種族は、ひとつの属性に特化しているゆえに魔力変換効率が高いという研究結果が出ています。……も、もちろん真祖竜という種族が上位種なので、種族因子が優れているのは確かでして、いまのはあくまで魔術的素養の話です。はい……」
セオリーが香ばしいポーズを取り始めたので、慌てて言い繕うリーセロッテ。
にしても、なるほど確かにそうだ。
竜王は雷属性のみ、セオリーとルナルナは光属性のみしか使えない。彼ら先天的な上位種はそういうデメリットも持って生まれてるのか。
「ヒト種は生まれながらに複数の属性に素養があります。全体としてバランスが取れているので、無言魔術が使えないのも道理なのです」
「それは納得ね。ちなみに先天的にってことは、後天的に変わったりするの?」
「はい。そのあたりの研究も現在進めておりまして、環境によって属性の素養は増えることが昔から確認されております。水辺で長く生活しいていれば水属性が使えるようになる、ゆえに水辺には水魔術士が多い……というのは有名な話ですね」
「あ、それ俗説じゃなかったのね。実際は水魔術士だから得意の水辺で暮らしてて、だから水辺に水魔術士が多い……みたいなパターンかと思ってたわ」
「そう誤解されがちですが、実は属性物にも因子があり、それらに長く触れることで個人の因子が変化していくようです。ちなみに種族因子の研究は理術分野になりまして、とりわけストアニアの王立研究所が熱心に取り組んでおります」
後天的な素養か。
リリスも聖魔術の魔術器をよく触ってたみたいだから、聖魔術の才能が生まれたのか。
そうやって俺たちが無意識に経験してたことも色々理由があったらしい。
というか、
「マルコシアスがエルニを食べようとしてたのって、つまりそういうことだったのか……?」
もう何年も前のことを思い出した。
魔王の種を取り込むことで進化する――あの時、マルコシアスがそう言っていた。あれはエルニの因子を取り込むことで、後天的に才能を得ようとしていたのだ。
ふつうの魔物ではそんなこと無理だろうが、狼系の魔物は〝食べる〟ことに秀でた才能を持っていることが多い。食べることで相手の因子を取り込むユニークスキルがあったのかもしれない。
「……では、そろそろ次の研究室に移りましょう」
別の見学者が部屋に入ってきたので、リーセロッテは話を切り上げて部屋から出た。
つぎの部屋も同じように透明な壁だった。
ただし、中にいたのは一人だけ。
ボサボサの長い銀髪を垂らして、床に広げた無数の本を読みながらブツブツ言っている少女がいた。何日も風呂に入ってないのか、髪がテカテカしている。
「こちらは理術環境と魔術発動結果の相関性についての研究です。彼女は生まれながらに理術の天才として評価されており、幼い頃からストアニアの王立研究所から熱心なお誘いがあったのですが……なぜか中央魔術学会を選択しました。無論、こちらでもその理術知識を活かしてくれております。まだ三年目の新人扱いですが、昨年に最優秀研究賞を受賞した正真正銘の天才です」
そう言いながら、リーセロッテは壁をコンコンと叩いた。
すると天才少女が首をぐるりと回してこっちを見て、ニヤリと笑った。
分厚い瓶底メガネをかけていて視線は見えないが、どうやらこっちが見えているようだ。
「ここの壁はさっきのと違うんですか?」
「同じです。ただ彼女には自動型の透視系スキルがあるようで、壁にあまり意味はありません」
「気が散らないんですかね?」
「むしろ逆でして……彼女はかなり変わっていて、自分の研究成果を誰かに見てもらう時が一番興奮するらしく……」
気まずそうに視線を逸らしたリーセロッテ。
その意味はすぐにわかった。
天才少女は見るからに鼻息を荒くしながら、こちらによく見えるように透明な箱を置いた。そこに向かって手を伸ばし、ファイヤーボールの魔術を発動。
「えっ、緑色!?」
赤い炎ではなく、薄い緑の炎だった。
俺が驚いた顔を見た天才少女はうっとりとした恍惚な視線を浮かべ、おもむろに下半身に手を伸ばして服の上から自分の体をまさぐり始めた。
あきらかに俺を見ながら致している。
し、真性の変態だ……!
「ルルク、見ちゃダメよ」
「はい。見てません」
「ゴ、ゴホン。いまのが真空内における火魔術の実践です」
サーヤが俺を目隠ししたら、リーセロッテが慌てて解説を始めた。
「燃焼は理術的には火と風の属性反応です。彼女はそれをさらに細かく分類し、空気中のどの因子が燃焼反応を起こしているのか、あるいは別の因子に置き換えるとどのような反応になるのか熟知しております。真空では本来燃焼反応は起こらないのでそこに火魔術を発動すればどうなるか、それがいまの実験です……こちらはかなり詳細な理術知識と分析が必須ですので、本来はベテラン研究者が理術機関と共同でおこなう高度な理化魔術の分野研究になります」
「それを新人がひとりでですか。凄いですね」
「彼女は天才ですから……変態ですけど」
「ねえルルク、たぶん……いえ、絶対あの子が例の子よ」
俺の肩を叩いたのはサーヤ。
何を言ってるのか理解するのに、俺は十秒くらいかかった。
「……あっ。もしかして桜木?」
「うん」
クラスメイトの桜木メイ。
ルニー商会の情報網でコネルが見つけていたクラスメイトのひとりだ。
「メイって小さい頃から天才って言われてて、高校のときにはもう文部科学大臣賞とか奨励賞とか受賞してて、ノーベル賞もいずれは取るんじゃないかって噂されてたのよ」
「うちの学校そんなんばっかかよ」
現実味を帯びてきた俺だけ一般男性説。
そりゃボッチにもなる……いやそれは性格のせいですよね、はい。
「性格も昔からあんな感じでね……よく理科室の机でシてたから、先生に怒られてたわよ」
「知りたくなかった過去情報第一位だな」
俺が寝るのに使ってた机じゃありませんように。
当然、俺はクラスメイトの記憶がほぼないので桜木の顔も覚えてない。そんな変態がいたなんて知ってたら…………うん、俺は友達いなかったので何も変わりませんね。この話おわり。
兎に角、彼女は転生者の元クラスメイトらしい。しかし、その様子はいままでのクラスメイトとはまったく違う。
本当に楽しそうに研究しているようだ。
「……たぶんあの子には、私たちのこと教えても何も変わらないわよ」
「だろうな」
ふーん、くらいで終わりそう。
なら俺たちのことを教える必要もないのかもしれない。前世はあくまで前世。いまが楽しそうなやつに、余計なことを言う必要はないだろう。機会があれば伝える程度にしておいた方が良さそうだ。
俺たちは視線を戻した。
「すみませんリーセロッテさん。内緒話しちゃって」
「お気になさらず」
「それで、どうして火が緑色になるんですか?」
「彼女曰く、真空内の火の発色そのものは本来もう少し青に近い緑色らしいのです。ただ我々の目に光が届くあいだに反射が起こり、離れるほどに緑色が強く見えてしまうとのことです」
「なるほど。夕陽が赤く見えるのと同じやつですね」
「ご存知でしたか。ちなみにこのように理術反応を取り除いていくほど、先ほどのように魔術すべてが緑色に近しい色で発現すると彼女の研究結果で出ております。おそらく昔から魔術士や魔術をあらわす色が緑だとされてきた理由が、この反応色の原理によるものかと思われます。昔のひとは無意識に魔力反応の本来の色を知っていたのかもしれないですね」
昔の人々も、理術知識はなくとも経験の積み重ねで真理をついていた、か。
なかなか面白い話が聞けたな。
その理屈を解き明かした当の本人は、まだ鼻息荒くモゾモゾしているが。
「さ、さて次の部屋に向かいましょうか」
「お願いします」
俺も同意する。
その後は『環境別による属性術式構築実験』や『術式の並列発動研究』などの基礎研究の部屋を解説してもらいながら見学した。
理解できない難解な理屈や理論もあったが、反応色のように誰でもわかりやすく目に見えた違いがある研究を見れたのはとても楽しかった。
そして俺たちはなぜか見学エリアから、一般非公開エリアへと案内されるのだった。
あとがきTips~魔術研究~
以下、今回出てきた魔術研究についての概要と研究結果などを記載。
応用研究についても触れてます。
(※文字数めっちゃ多いです)
1.【無言魔術の基礎研究】
・研究目的および課題
ヒト種に無言魔術が可能かどうか。可能であればどのように行うか。
・結果
理論的には可能。ただし技術的にほぼ不可能。
魔術理論研究の殿堂ともいえるアブロス=マーリン氏が論文『三工程の原則』で指摘していた通り、『呪文』は構築した術式を現象化させるための重要な要素であり、必須項目。ただし必要なのは音声そのものではなく、発語による咽頭部の振動と発語行為により術式から魔力を放出変換する過程で起きる十三通りの魔力反応であり、外部要因で音声が消されても発動そのものは可能である。
リーンブライトの最終論文によると、『三工程の原則』でマーリン氏が指摘している魔力変換時の最大出力量の違いは、単なる魔術の出力強度に関するものだけではなく、呪文省略時における消費魔力に大きく関わるとのこと。リーンブライトの研究結果では、ヒト種の変換効率だと十三通りすべての魔力反応を省略するためには通常消費魔力の〝二の十三乗〟(8192倍)が必要であり、魔力消費1の術式に8192の魔力を使用する。【最小魔術研究】の最新研究結果でも、確認されている標準魔術の魔力消費は最小2なので、たとえ術者の魔力加算値がカンスト(9999)してても発動はほぼ不可能となっている。(ちなみに中央魔術学会が確認している魔力基礎値の歴代最大値は魔王リーンブライトの『6790』であるため、加算値を含めれば無言魔術の可能性はあった。ただしそよ風を起こす程度の魔術で魔力が尽きてしまう)
本研究で使用する外部装置の役割としては、十三通り中十通りの魔力反応を代替えすること。出力量・出力方向・出力タイミングを制御している魔力反応(残りの三通り)は外部装置で正確に制御できないため、発動ができても出力はランダム性を含む。このランダム性の法則については応用研究【魔術出力に関する魔素反応の制御理論】にて研究がおこなわれている。
無言魔術に関する法則は、魔術が理論で証明され始めてから常に研究されており、応用研究は多岐にわたる。マーリン氏が『三工程の原則』を発表してからは、無言魔術研究=三工程研究となっているため、現在のあらゆる応用研究に無言魔術の知識習得が必須と言われている。ゆえに中央魔術学会は新人一年目にかならず無言魔術の研修研究をさせるようにしている。
▽代表的な応用研究(最終論文済)
【魔力変換時のエネルギー減衰】
【術式構成における属性別の独自法則】
【発動時に関する魔素濃度の影響】
【構成理論の年代別特徴とその影響】
【国家・地域別の術式的差異と構成理論の違い】
▽現在、中央魔術学会で注目している応用研究
【術式による術式の構築】
☆【術式による術式の構築】
・研究目的および課題
術式が術式を発動できるか。できる場合、永久機関が作れるか。
・研究方法
魔術発動における初手から最終(発動)まで、術式でどこまで代替えが可能かどうかを検証。すべて代替え可能の場合に、永久機関(※魔素以外)を作成できるかどうかの検証。不可能の場合、術器であれば代替え可能かどうかも検証。最終目標は魔術式によるエネルギーを生める永久機関をつくること。
・現在の研究結果
専用の術式であれば発動まで可能と判明。ただし変換した魔素をすべて連立させた術式を発動することに使用しているため、余剰のエネルギーは生まれず。理論としての永久機関はできたが、ただ魔素を消費する術式になっているため改良中。
別案1として術器具を使用した半永久機関の試作を開始。駆動術式における現在の第一人者ザックバーグ氏(現レスタミア王国ゴーレム師団総指揮官)と連携し、動力機構としての連立術式を開発中。
別案2として理術との併用実験を開始。ストアニア国立研究所との協力のもと発熱機関の設計をおこなっているが、完成時の人為的干渉頻度の想定設計において交渉が難航中。ストアニア側としては、学術的装置ではなくあくまでエネルギー発生装置としての価値を最大限に活かしたいとのこと。
どの場合もネックとなっているのは魔力変換工程。発動時に使用する魔力量が高いほど、術式駆動中の減衰値の割合が高くなるため、より魔素の変換必要量が少ない術式が必須。永久稼働のためにはひと空間内において自然発生する魔素の総量を下回る魔力効率が必須だが、現時点では専用術式以外での術開発ができておらず人為的干渉(魔力提供)が必須になっている。そのため本来の目的である永久機関としての役割を果たすことは、かなり厳しいと言わざるを得ない。
ただし魔力の補填だけで複数の術式を続けて発動させることができる連立術式の開発は、想定以上の価値を伴う研究結果となっている。昨年度の準最優秀賞を受賞し、さらに本学会で最も予算が多い【術式の並列発動研究】チームからも共同研究の依頼があり、現在スケジュールを調整中。
多方面との協力関係が築けている研究であり、もしかすると並列発動チームにならぶ本学会の代表研究になる可能性もある。
2.【術式の並列発動研究】
・研究目的および課題
魔術の同時発動の手法、その術式理論の構築
・基礎研究結果および次の課題
この研究は基礎研究でありながら応用研究であり、先代魔王によって一気に価値が高まった術式理論。一部の高度な術式構成にはこの基礎理論が必須になるほど重要なもの。
前提知識として、先代魔王以前の構築理論では、ひとつの魔術に使用する術式はひとつの構成になっているものしか存在しなかった。しかし先代魔王の構築理論では、ひとつの魔術に対して術式内に別の術式を組みこむことにより術効果そのものに機能性を加え、細やかな出力調整を可能にした。
例を出すと『転移』の禁術で、それまで座標という概念でしか補強することができなかった空間情報を、術式内に定点条件を組み込むことにより座標指定がなくても式を組むことが可能になった。これにより先代魔王は座標を知ることなく、自らが見たことのある場所ならいつでも移動することができた。学会の記録によると、先代魔王はこの理論を発展させ、設置型魔術『転移門』で一定時間誰でも転移できる魔術を使った、とある。
現在ではその先代魔王の術内術式理論を発展させた、並列術式の開発研究がおこなわれている。並列術式とは、三工程の最初と最後だけを統合させて、残りの部分をすべて分離させた術式のこと。これにより一度の魔力変換と出力で、ふたつの魔術を発動させるという常識を覆す魔術ができあがる。
すでに成功例がいくつかあり、特定の初級魔術ふたつを同時発動することができている。この並列術式を発表した年、この研究チームは一気に学会の代表格へと躍り出た。
しかしいくつか留意点があり、まずは並列させるふたつの術式は同じ属性・あるいは相互補完の属性に限るということ。これは基礎研究【属性の相関図】で明記されているように、属性には干渉性が存在しており発動段階の前に互いを邪魔したり補強したりする場合があるからである。(本編第153部・激突編24『不死鳥と戦巨兵』のあとがきTipsにも詳しく記載)
加えて、ふたつの術式は同じ魔力量で均等出力されるため個別の出力調整ができない。これは明確なデメリットとして認識されており、なぜなら状況に応じた出力や調整ができることが魔術の特徴であるからだ。使用感は術器具を使った無言魔術よりは優れているものの、実用性という面では使い勝手が悪い。
現在、この研究チームには学会最大数(五十四名)が在籍しており、十八の細かい分野にわかれている。そのなかでもエース格である『三並列術式研究』は、本年度の最優秀研究賞の受賞候補筆頭である。なお最大のライバルは期待の新人が所属する【純魔術研究】チーム。
3.【純魔術研究】
・研究目的および課題
理術反応を極力おさえ、魔術反応だけで起こる状況別の効果差異を解き明かす。
・結果およびつぎの課題
これは去年度から新しく始まった数百年ぶりの基礎研究である。
これまで環境(気温や湿度、標高など)による効果の研究は何度もなされてきたが、その環境における現象にどこまで理術的意味があったのか魔術士たちは知らなかった。(今回の燃焼反応で例えるなら、極めて酸素が少ない空間では火は燃えないという理術知識がそもそもなかった)
ゆえに属性現象の理術反応範囲をすべて把握し、それを取り除いて実験を行ったのは彼女(元・桜木メイ)が初めてなのである。彼女のチームはこの時の魔術反応を【純魔術】と称した(※ちなみに武器を持たず魔術しか使わない戦士を〝純魔術士〟と呼ぶが、こちらは純粋な魔術反応という意味での純魔術である)。この純魔術研究は昨年、圧倒的な話題をかっさらい年間最優秀研究賞を受賞。彼女は新人でありながら【並列術式】チームとならぶ今年の二大トップ候補として名を馳せている。ちなみに見学エリアに重要人物の彼女がいるのはモチベーションアップのため。一度非公開エリアに連れて行ったら、あきらかに効率が下がったため苦肉の策として見学エリアに戻した。
純魔術の成果としてはいくつかあがっており、まずは空気のない空間での燃焼反応レポート。炎色は緑になり、魔力減衰はほとんどせず、一瞬で消えてしまい、延焼も音もしない。ちなみに炎の温度はかなり高いが、燃えてる時間が一瞬のためリンゴを燃やしても表面の水分が少し蒸発するくらいでほぼ無傷。理術要素がなければ出力が大きくても威力は弱まることが判明した。
同時に、魔素は空間ではなく空気内に内在していることが判明した。これは研究過程で複数個所の空気を採取した際、採取場所によりその内部での出力時に魔術が減衰することが判明したためである。これにより魔族領で魔術の威力が落ちる、という俗説の根拠が証明された。
このように純魔術実験ひとつの研究成果は非常に大きく、他の研究に大きな影響を与えることになった。
つぎに大きな影響を与えたのは空気中から水分を除いた空間での氷魔術反応。これは研究者たちの想定外の結果で、生み出された氷の大きさはまったく変わらなかった。これにより氷魔術は水魔術と同じく、空気中の理術的要素を使って生み出しているのではなく、魔力により新しい属性物を創造していることが判明した。いままでの実験で、水魔術は理術要素に影響をかなり受けづらい(重力など)ことが判明していたため、水と氷は似ているものの別系統の魔術だと考えられていたが、この結果により水魔術と氷魔術に関して見落としがあると判断され、他にも共通事項がないかこれまで以上に詳しい研究が始まった。この研究を始めているのは【環境別による属性術式構築実験】チームである。
新たな基礎研究のため、数えきれないほどの応用研究がこれから発展していくであろうと予想される【純魔術研究】は、当然ながら今年も最優秀研究賞の候補になっている。ただし理術の天才少女は魔術知識自体はまだまだ他の新人と変わらないため、これから成長してくことが期待されている。
ちなみに彼女の性癖について、見学者からよく苦情がくるらしい。
4.【属性相関の基礎研究】
・研究目的および課題
複合属性術式の法則を解き、複合可能かどうかを検証。
・結果
属性同士には発動前から影響し合うため複合不可能なものがあり、それらを相互干渉属性と定義。
逆にも補強し合う相性の良い属性同士も少ないながら判明したため、以下に相関性を明記。
〇複合不可能(相互干渉属性)
・火 → 水・氷・闇
・水 → 火・雷・光
・土 → 風・光
・風 → 土・闇
・雷 → 水・氷・聖
・氷 → 火・雷・光
・光 → 水・土・氷・闇
・闇 → 火・風・光・聖
・聖 → 雷・闇
〇補強属性
・火・雷(『バスター』系)
・風・氷(『ブリザード』系)
・水・闇(『アシッド』系)
・光・聖(『ホーリー』系)
なおこれらの相関図は二属性間のみの場合。
三属性複合になった場合はまったく違っており、術式の構成によって同じ属性の組み合わせでも可不可が変わる。そのため三属性複合はかなり細かく応用研究があり、不可能と思われていた術式でも術士や構成を変えたら成功することがある。
それゆえこの属性に関する応用研究は、昔から学会でも人気の研究対象になっている。
▽代表的な応用研究(最終論文済)
【術士の適性属性の違いによる三属性魔術研究】
【複合魔術における詠唱省略手順】
【四属性魔術の構築理論】
【魔術練度別:複合魔術の難易度一覧】
▽現在、中央魔術学会で注目している応用研究
【五属性魔術研究】
☆【五属性魔術研究】
・研究目的および課題
魔術において五属性の複合術の行使は可能がどうか。可能の場合、どの組み合わせか。
・研究内容
現在記録で確認されている複合魔術の最大属性数は、魔王リーンブライトが開発した『爆裂』の四属性魔術。四属性魔術はこの一種類のみで、使用属性は火・水・風・雷である。
四属性複合魔術を使える者はリーンブライト以降千年ものあいだ現れていなかったため、四属性以上に関する研究は廃れていた。しかし近年、魔王覚醒前の魔術士エルニネールが習得したと実証されたため、当該の魔術士には史上初の五属性複合魔術を使える可能性も取りざたされている。
五属性複合魔術の構築案は膨大な数が研究されているが、五属性に適性がありかつ練度が十分高い術士が極めてまれなため、儀式魔術以外での実証実験がほとんどできていない。加えて四属性複合魔術が極級という扱いである以上、五属性魔術は神域級魔術になる可能性もある。当該の魔術士にそれが可能かどうかを実証するために、多くのアプローチが必要になると思われる。
以上。
今回の話にでてきた魔術研究のザックリとした説明でした。
現在、中央魔術学会には千名以上の職員が在籍し、三百近い研究チームがあります。こういった細やかな研究が三百もあると考えると、いまやたった数十人になった『秘術研究会』が少し可哀想な気はしますね。
なお中央魔術学会は各国の研究機関や政府・軍部や大きな商会などと提携しており多くの資金援助を受けております。そのためどの国も中央魔術学会とのコネクションを持っており、互いに牽制しあっているため過干渉がしづらくなっております。とはいえ所属する学者たちはほとんどが魔術研究に生涯を捧げている研究者気質であるため、研究結果を軍事利用されようが気にしないタイプが多いです。桜木メイのような極まった変態はまあ、稀ではありますが……。
ちなみに中央魔術学会には六名の〝魔導十傑〟が所属しております。土魔術の権威ベルガンド(変態政治家)もそのひとりですね。
魔導十傑は全員本編で公開されますので、あとがきでは未記載の予定です。お楽しみに。
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