賢者編・7『ホラー映画と思ったらサメ映画』
レスタミア王国とノガナ共和国の国境間際。
そこには寂れた関所があり、そのそばには古めかしい教会がぽつんと建っていた。
吹き付ける海風が教会の窓をガタガタと揺らし、蠟燭の灯りが揺らめいている。どこからかすきま風が入ってくるせいで、教会の中は肌寒い。
「少し冷えてきたわね。ルルク、ん」
「その広げた両手はなんだ?」
「暖めてもらおうと思って」
下心しかないサーヤを無視した俺は、逆側からさりげなくくっついてきたセオリーをサーヤにぶん投げた。
「あるじなんでぇ」
「あ、セオリーもあったかいわね。やわらか~い」
「ひぇっ。そ、そこはダメだもん」
「いいでしょ減るもんじゃないし。ほれほれ」
セオリーにセクハラするサーヤだった。
ただし二人ともかなり小声だ。それもそのはず、俺たち以外にも礼拝堂内に人がいるからだ。当然、夜も深い時間なのでみんな眠っている。
俺たちがなんでこんなところで夜を明かしているかというと、超速ゴーレム馬車の弱点が意外にも強風だったからだ。
まあ浮いているから、意外でもなんでもないんだけど。
強風にシェイクされて馬車内は地獄絵図となり、旅慣れしていないリリスが最初にダウンした。
ゴーレムにかなりゆっくり走ってもらったが、ナギの顔色も悪くなってきたところで教会を見つけ、立ち寄ることにしたのだ。
リリスとナギはサーヤに睡眠魔術をかけてもらって熟睡している。ちなみにエルニとプニスケは馬車の時からふつうに爆睡している。神経が太すぎるぜ。
「にしてもこんな場所に教会があるのね。街も何もないのに」
「漁村が近くにあるみたいだぞ。住んでるのは十数人くらいだけみたいだけど」
入ってきた時は寝泊まりしてる兵士が起きていたので、ある程度この辺りの話は聞けた。
ちなみに教会の裏手には小屋があり、そこに神父のお爺さんが住んでいるらしい。屋根や礼拝堂に掲げているシンボルを見る限り、ここは聖キアヌス教会のようだ。この世界で最も信者が多い派閥だ。
「キアヌス教会も大変ね。集落があったら教会つくらないといけないんでしょ?」
「祈りを捧げないと死んだ肉体が朽ちたら死霊化するからな」
人間が死霊化する原因のひとつが、魂を神々のもとへ送れなかった時だ。
それゆえ教会の仕事のひとつが死者の弔いだった。それ以外にも死霊化する理由があるらしいが、事例が事例だからさほど研究が進んでいるワケではないらしい。
「ふーん。でも魔物は死霊化しないよね? 動物とか植物も」
「……言われてみればそうだな。なんでだろ」
たしかに死霊は元人間しか見たことないな。
他の動物に魂がないワケではないから、別の理由があるんだろう。
「まあ死霊自体が魔物扱いだから、魔物が死霊化しないのは理にかなっているような――」
「あ、あるじ……もっと楽しいこと話してぇ」
泣きべそをかき始めたセオリーだった。
眷属通信で伝わっているが、またチビりそうだった。この歳になって三度も粗相をさせるのは本意ではないので、何か別の話題にでもしてやろう。からかって遊びたい気持ちはあるけれど、たぶんまたサーヤに叱られるからやめておく。
話題を考えるために黙ると、風が窓を叩く音とゆらめく蝋燭が余計に際立って、さっきよりも不気味な空間になっていた。
海沿いの教会に避難した、というシチュエーションも相まってさらに雰囲気が出ている。
「……こういう導入ありそうね」
「俺も思った」
なんの、とは言わない。セオリーが怖がるから。
サーヤもある程度の定石を知っているのか、少し楽しそうに話す。
「でも今回のパターン、シチュエーション的にサイコスリラーにもなりそうじゃない?」
「パニック系とか?」
「そうそう。まずね、窓が割れて蠟燭の灯りが消えるの。そしたら誰かが笑い出して、真っ暗闇のなかでイヤな音が聞こえ始めるのよ」
「……で、誰かが灯りをつけたら?」
「すごい血の跡があるのに、誰一人減ってないとか」
「おお! ふつうに面白そう」
ミステリ要素も混じってくるまた面白いよな。
純粋なホラーとはまた違った楽しみ方ができそうだ。
ただの妄想だが、どうせ夜番なので楽しめる話題がいい。映画という概念を知らないセオリーが理解できてないうちに、どんどん物語の構想を膨らませたいところだが――
「ん。来る」
爆睡していたはずのエルニがいつの間にか起きて杖を持ち、天井を見上げていた。
俺が透視する間もなく、その理由がわかった。
ドオォン!
いきなり屋根の一部が吹き飛んだのだ。小さな瓦礫がたくさん降ってくる。暗い宵空に溶け込むように、開いた穴の向こうに巨大な何かが蠢いていた。
降り注ぐ天井の破片は、サーヤが『確率操作』ですべて範囲外に受け流していた。
「おいおい、この展開はさすがに予想外だろ」
真っ暗な空から顔を覗かせていたのは、幽霊でも猟奇殺人鬼でもなく……巨大なサメだった。
全長は二十メートルほど。
赤い目が三つほど光っており、その三つ目はすべてこちらに注がれている。エサを探しているような凶暴な顔つきだった。
「空飛ぶサメか~……古くない?」
「あの業界、たいていのサメは古いぞ」
斬新なサメを思いついたと思ったらとっくに誰かがやっている魔境の界隈だ。
そんな緊張感のない話をしていると、破壊音で周囲の人たちも起きたらしい。天井を見てザワザワしている。
「ん、やる」
「ちなみにヒレは美味しいらしいぞ」
「……まかせて」
鼻息を荒くしたエルニ。
鑑定したところ、空飛ぶサメはオトドゥスというAランク魔物らしい。フカヒレが美味だと鑑定結果に出たので伝えておいた。
オトドゥスは空けた穴に頭を突っ込み、さらに壊しながら教会内に侵入し始めていた。轟音を響かせ穴を抜けようとする巨大ザメの迫力に、兵士たちが悲鳴を上げている。
まあ、エルニにとってはただの食材だが。
「『アイススナイプ』」
細い氷柱が発射され、オトドゥスの額を貫いた。
ビクンと体を脈打ったサメは、そのまま体をダラリと弛緩させて穴にひっかかって痙攣していた。
急所を一撃、さすがの腕ですね。
「ねる。あしたたべる」
「あいよ。おやすみ」
ひと仕事終えたエルニは、またすぐに横になって二秒で寝息を立て始めた。
ちっす、お疲れ様でした。
とりあえず何が起こったのか理解できてない兵士たちには悪いが、魚肉が新鮮なうちに回収せねば。
俺はひとまず彼らに落ち着くように声をかけて回りつつ、天井崩落した場合の二次被害を防ぐために一度教会から出てもらう。
オトドゥスがすでに死んでいるのは天井を見上げれば一目瞭然なので、みんな取り乱すことはなく大人しく外に出てくれた。
すぐにオトドゥスを回収し、サーヤが土魔術で天井を補強。穴も塞いでひとまず安全になったところで全員教会内へ戻ってもらった。
天井を見上げたあと、子どもの魔術で補強したと聞いて不安がる者もいたが、冒険者カードを見せてなんとか納得してもらった。
「うーん……」
元の場所に戻ってくると、スヤスヤ寝息をたてるエルニを見つめたサーヤが悩ましい表情をしていた。
「どうした?」
「さっきサイコ展開の話してたけどさ……一番のサイコパスって、もしかしてエルニネールじゃない?」
たしかにな。
でもサメ映画そのものがぶっ飛んでるから今回はノーカウントでいいだろう。
熟睡しているマイペースな羊幼女を見て、俺はそう思うことにした。
翌朝、年老いた神父が天井を見て唖然としていた。
魔術でも放って壊したんじゃないかと疑われたが、倒したオトドゥスを見せたら腰を抜かしていた。寿命が縮んでないか心配になるくらいの驚きっぷりだった。
どうやら神父曰く、このオトドゥスは昔から近海に住んでいたらしい。空を飛べるのは知っていたようだが、滅多なことでは陸に近づかなかったという。
そのオトドゥスがなぜ教会を襲ったのか、神父はかなり疑問を浮かべていた。チラチラと俺たちを見ていたので何か疑われていたのかもしれない。
サメ映画の舞台を出発した俺たちは、一夜を共に過ごした兵士とともに歩いて関所に向かった。そのまま感謝されつつ、ノガナ共和国の領地へ足を踏み入れた。
「風も大人しいし、また快速急行に乗ってくか」
「ふかひれ」
「それは昼飯な」
エルニに袖を引かれたので言っておいた。
さすがに関所で料理をするわけにもいくまい。
そのままゴーレム馬車に乗って街道を飛ばしていく。
サメ映画どころかホラー要素すら寝ていて知らなかったナギとリリスは、サーヤから昨日の話を興味深そうに聞いていた。
「教会にサメが突っ込んでくるなんて、聖女も予想できないでしょ」
「です。ある意味サメの勝利です」
「うふふ。ご神託で言われても聖女様も信じないでしょうね」
「私が神だったらイヤだもん。サメが突撃してくるから気をつけなさい、とか言うの」
「サメ予言は威厳もクソもないです」
「ね。ギャグになるもの」
「おふたりの前世では、サメはそんなに面白い生き物だったのですか?」
「ううん。海洋生物で一番怖いわよ」
「です。年に何人も犠牲になってるです」
「……それがどうしてそんな扱いに?」
本気で疑問に思っているリリスだった。あの界隈のことを知らなければ、その気持ちはとてもよくわかる。むしろナギが知っていたことに驚きだ。
「ナギって剣一筋だし、ほとんどサブカルのこと知らないと思ってた」
「幕末が舞台で、維新ザメを斬りまくるサメ映画があったのでそれで知ったです」
「なにそれ面白そう」
ファンキーすぎるだろ。
それが界隈の良いところでもあるけども。
サーヤはリリスに映画というジャンルを説明していた。この世界には映像作品がないので理解するのに少し時間はかかっていたが、理解した途端に目を輝かせ始めた。
「つまり理術の力だけで、光粒子を記録することができていたんですね?」
「そうよ。その静止画を繋ぎ合わせて動画にして、それに音声を合せて映像をつくるの」
「なるほど……記録した写像を連続させて音声を組み合わせる装置……これなら私でも……」
ブツブツつぶやきはじめて女帝モードになったリリス。
あ、これは近い未来にまた文化ハザードが起こります。ぼくは確信しました。
「けど写真も知らなかったのは意外よね。萌……コネルならすぐに教えそうなものなのに」
「私がコネルからは発明のアイデアは貰わないことにしてるのです」
「なんで?」
「アイデア料や特許権の利権関係などで争ってもおそらく言い負かされるので、ルルお兄様に迷惑をかけるかもしれませんから」
「あいつ、リリスからも搾り取ろうとするのかよ」
「はい。コネルは金の亡者ですから」
「前世からなんにも変わってないわね~」
どおりでリリスの発明品に地球の要素がほとんどないワケだ。
それでもこの世界の文化を一足飛びに飛び越えるとか、純粋にリリスは発明家として優秀すぎでは?
「えへへ。お兄様に褒められるためにがんばりました」
「リリスの背中に羽が見えるぜ……!」
「またです。ブラコンシスコンはそっちでイチャイチャしてるです」
イチャイチャはしてない。ごく平凡な兄妹の会話だ。
とそこで、意外にもリリスがナギを挑発した。
「あら、ナギさんも混ざりたいんじゃありませんか?」
「は? 何言ってるです頼まれてもイヤです」
「素直じゃないですね」
「本音です。クソ重妹の基準で測るなです」
「ふーん……お酒でも飲みます? もう少し可愛げが出ますよ」
「おい口を閉じてそこになおれです! 叩き潰してやるです!」
「「暴れるな」」
顔を真っ赤にしてわめくナギを、俺とサーヤでたしなめるのだった。
(リリスはルルクの背中を見て育ちました。現場から言えるのは以上です)
(それと維新ザメを斬りまくるサメ映画は作者の妄想ですが……探せばあるのかもしれません。それがサメ界隈の怖いところ)
 




