救国編・28『柿だ!!!』
十日後、俺はマタイサの中央広場にいた。
リリスに聞いた話、今回の一件で多くの騎士や冒険者が褒美を受けたらしい。
冒険者で特に目立ったのは【地底海】で、彼らのリーダー・ラスティーは小さな領地を授かり、名誉爵位から正式な伯爵に昇格。それ以外のメンツも名誉爵位が一段階昇叙されたという。
叙勲式はすべて終わっており、マタイサ王国は何事もなかったかのように日常を取り戻した。ダンジョンも王城も全て元通り……とはいかないが、少なくとも市民の生活に影響は出なかった。
ブレッド国王は俺たちにも褒美を与えたかったらしいが、俺はリリスを通じて断固拒否した。冒険者ギルドからも似たような打診があったが、エルニたちもレベリングできたことが何よりの褒美だったと返事して、カムロックを呆れさせていた。
ほとぼりも冷めたので、ようやくマタイサに気軽に遊びに行けると思い、久しぶりに中央広場にやってきた俺。
時刻は夕暮れ時。この時間はいつも広場に人だかりができる。
観衆たちの目的は、もちろん踊り子のニチカだ。
スイモクが奏でるリュートの音楽に乗せて、軽やかに踊るニチカ。今日はいつもと違い、ニチカの周囲で子どもたちが思い思いに踊っている。見ていた子どもたちも、自分たちもとその輪に飛び込んでいく。どんどん踊る子どもが増え、ニチカは花畑のなかで飛ぶ蝶のように踊っていた。
スイモクがペースを上げると、観客の手拍子も一体となって熱く盛りあがった。ニチカの髪が汗で額に張り付いたころに陽が沈み、最後にさらに大きな盛り上がりをみせると、フィナーレを迎えたのだった。
「「「ブラボー! ブラボー!」」」
観客たちからおひねりが飛び、スイモクが帽子を脱いで急いで拾い集める。
ニチカは手を振りながら、一緒に踊った子どもたちにお菓子を配っていく。汗だくになった子どもたちは、とても嬉しそうに親の元へと戻っていった。
そうこうしているうちに空も暗くなってきた。
「やあスイモク、お疲れさん」
「ルルクさん! 来てくれてたんですね!」
「楽しませてもらったよ」
片づけを始めていたスイモクに話しかけながら、金貨を数枚帽子のなかに入れておく。
「いつもありがとうございます」
「今日は一段と凄かったな。子どもも参加してたけど、あれは?」
「今回の公演は姉さんのアイデアです。みんなにも、もっと踊りを好きになって欲しいって」
「そっか。いい企画だったな」
俺は観客たちに挨拶しているニチカを眺めながら、深く頷いた。
踊りを教えるのでもなく、強制するのでもない。ただ思い思いに好きに動いて遊び、その雰囲気ごとみんなで楽しむ。誰もが笑顔になる空間だった。
ニチカは本当に踊ることが好きなんだろうな。
スイモクもニチカを眺めながら、ほっとしたように言った。
「……実は少しだけ、姉さんは踊りをやめるんじゃないかって思ってたんです」
「やめるって、なんで?」
「姉さんが踊りを始めたのはルルクさんに会うためでした。その目的が叶ったから、もう踊り子はやめて別の生き方をするんじゃないかって……そう考えて、ちょっと寂しい気持ちになってました。でも姉さんはいつのまにか、踊り子としての生き方が好きになってたみたいなんです。……実は姉さん、魔術学園を辞めることになりまして」
「えっ辞めるの?」
「有名な歌劇団からスカウトが来たんですよ。最初は歌い手のバックダンサーからスタートらしくて迷ってたみたいですが、僕の贔屓目を差し引いても歌もかなり上手なので、断る理由もないんじゃないかって背中を押したんです。なので来月から、姉さんは職業として踊り子になります」
「そうなのか。そりゃめでたいな」
これは踊り子のニチカが、歌姫のニチカになる日も近いかもしれない。
俺が感心していると、スイモクは照れくさそうに言った。
「それで、ルルクさんにひとつお願いがあるんです。もしご迷惑でなければ、姉さんと話してくれませんか? 姉さん、ルルクさんと二人で話がしたかったみたいなんです。サーヤさんがいるとなぜか姉さん怒りっぽくなっちゃうので……」
「それくらいならお安い御用だ。俺もニチカさんと話があったしな」
「本当ですか! ありがとうございます!」
パァっと顔を明るくして、俺の手を握ってくる美少年スイモク。
同じ男なのに柔らかいその手に少々ドギマギしながら、
「べ、べつにいいよ。じゃあちょっとニチカさん借りるぞ。片付け終わったら、一緒にご飯でも行こう」
「はい! よろしくお願いします!」
親友(と勝手に思ってる)の頼みを断るわけがない。
俺はそのままファンサービスをしているニチカに近づいて、
「ニチカさん、お疲れ様でした」
「ルルクくん! 観に来てくれたんだ!」
明るい反応を見せたニチカ。
「とても楽しい公演でしたね。それでニチカさん、少しお話したいんですけどよろしいですか?」
「も、もちろん! あ、でもちょっと待ってくれない? ええと、あちらで座って待っててもらえると嬉しい!」
「わかりました。ごゆっくり」
俺はニチカが指さした噴水近くにあるベンチに向かう。
まだ数名客が残っていたので、ニチカは彼らに挨拶回りをしていた。見るからに急いでいるので、客たちも長話はせずに労いの言葉をかけていた。
挨拶がすべて終わったニチカは、手鏡を取り出して髪を手で撫でつけて整えてから、こっちに歩いてきた。ちょっと緊張している。
「お、お待たせしました。隣よろしいでしょうか!」
「もちろん、こちらにどうぞ」
ハンカチを敷いておいたので、そこに座ってもらう。
耳の先を赤くしたニチカは、視線を揺らしながら俺の顔を見上げてくる。
「あ、あの、それでお話って……?」
「まずは、おめでとうございます。劇団に入るとスイモクに聞きました。来月からプロの踊り子になるとか」
「ありがとう! 本当はちょっと迷ってたんだけど……でも、もっとたくさんの人に観てもらいたいと思って。もっと色んなひとに、わたしの踊りで楽しんでもらいたくて」
恥ずかしそうなニチカ。
「いいじゃないですか。それにプロになったらスキルも磨けるでしょうしね」
「そうなの! あ、でもでも、ここで踊るのをやめるわけじゃないよ! 休みの日にはここにきて、みんなで踊ったりしたいなって思ってるから。だからルルクくんも遊びに来てね」
「はい。楽しみにしています。ニチカさんの踊り、好きですから」
ニチカの踊るこの場所の雰囲気は、俺も気に入っている。
何度来ても飽きることはないだろうしな。
ニチカは「す、好き……好きって言われた……」と顔を真っ赤にして照れている。
こんな美少女に好かれるのは悪い気分じゃない。俺がもう少し――あと数年前なら俺もかなり照れていたかもしれない。
……しかし。
俺は、ニチカのその純粋な好意に心当たりがない。
会うのもこの前が初めてだったし、前触れもきっかけもなかった。なのにニチカは幼少期から俺を知っていて、俺を探していた。だがその理由を教えてくれる気はない。
となると、思い当たるのはひとつ。
いままでは隠し事を無理に暴こうとは思わなかったが、今回の帝国の件で、そう言っている場合でもなさそうだと思った。
俺は、自然な口調で問いかけた。
「〝それにしても今日は暑いですね〟」
「あ、うん! もう本格的に夏だね。踊ってて汗が目に入らないか心配で心配で…………えっ」
石のように固まったニチカ。
俺の言葉――日本語に普通に返事をしてしまったことに気づいたのは明白だった。
俺はすぐに頭を下げた。
「ごめんなさい、こんな騙すような真似をして。でもどうしても知りたかったことなので。……ニチカさんも転生者だったんですね」
「……やっぱり、気づいてたんだ……」
動揺して、目を伏せたニチカだった。
「はい。最初あった時、俺のことを見て〝混じってる〟って言いましたね。それを聞いた時にピンときまして」
「……自覚、あったんだね……」
「はい。ニチカさんは魂を視ることができますね?」
俺の魂は七色楽、ルルク、ロズが混じっている。
出会ったことのない俺を探していることと、俺を見て混じっていると言えることを考えたら、つまりニチカは前世の魂を持った転生者を見分けることができるんだろうと思っていた。
サーヤやナギにつっかかるのも、同じ理由だろうとも。
ニチカは観念したかのように、項垂れたままつぶやいた。
「そう……ルルクくんの魂も見えるの」
「探していたのは、七色楽だった俺なんですね」
「……うん」
やはり。
だが疑問だったのはそこではない。
むしろわからないのは、彼女が誰だったか、ということだ。
「ニチカさんは誰なんですか? 自分で言うのもなんですけど、学生時代に女子に好意を向けられた記憶はほぼないんですけど。地味だったし」
ずっとクラスでボッチだった俺だ。
よく話しかけてくれたのは一神くらいだったし、好意を向けられていたのも一神だけだったはず。九条には名前と顔を憶えられていたが、それ以外の人間なんて絡んだ記憶すらない。
隠れてモテるほど顔がよかったわけじゃないし、性格だって地味だった。
さっぱり思い当たる節はなかった。
「……秘密、です。でも七色くんは、地味だったけど……素敵だった。男女構わず接するところとか、常識に囚われずに判断するところとか……あと、時々饒舌になるところとか、好きなことを話す時にぐっと近づいてくるところも」
ニチカは耳を赤くして言った。
これは本当に俺を見ていた反応だ。しかも何度も話していたっぽいし、陰から見守ってたわけでもなさそうだ。
うーーーんわからん。
そう何度も話していたら、さすがに俺も記憶に残るはず。
唯一心当たりがある一神はサーヤだからあり得ないし、九条はむしろいつも舌打ちされてたから違う。それ以外に俺を認知して話してた相手ってなると、まず思いつかん。
……あ、絶対違うだろうけど、男にひとりだけよく喋るクラスメイトがいたな。
俺が一神と話してたらすぐに割り込んできて、やたら絡んでくる陽キャの男が。
山……山なんとか……山……。ほら、サッカー部のあいつ。
俺は喉から出かかった言葉を思い出そうとした。
「あいつ誰だっけ……たしかサッカー部キャプテンの……山崎?」
「山柿だっ!」
ニチカに訂正された。
……ん?
「……?」
「あっ」
ハッとするニチカ。
ぽく、ぽく、ぽく、ぽく、ぽく、ぽく、ちーーーーん。
「ええぇぇぇええぇぇえええ!?」
「わああああああ!」
顔どころか全身真っ赤にして、頭を抱えるニチカ。
俺も白目を剥きそうなくらいの衝撃だった。
「ちょ、え、ニチカさん山本だったの!?」
「だから柿だって!」
茹でダコみたいになりながら、条件反射でツッコんだニチカ。その反応はもう白状したのと等しいものだった。
山柿聖也が、ニチカになっていたのか。
まさか前世が男で、今世が女になっているとは。いままで性別が代わった転生者を見なかったから考えたこともなかった。
「……なんだ、山根かよ」
「柿! 柿だ!!!」
ヤケクソ気味にツッコむニチカ。
間違いないこの会話憶えてる。あいつだ。
俺は肩が軽くなったように感じて、つい笑ってしまった。
「そっか……なんだ、そうか。ならよかったよ」
「な、なにが……だよ」
「ニチカさんが山柿で」
「え?」
目を丸くしたニチカ。
俺は背もたれに身を預けながら、空を仰いで言った。
「正直、わけのわからない好意は怖かったんだ。でもニチカさんが山柿なら納得だ。いや、学生時代に山柿から好かれてたなんて思ったことはなかったけどさ。山柿、一神と話してたらすぐ割って入ってきてただろ? てっきり一神が好きだったのかと思ってた」
「……まあ、そりゃ、ふつうはそう思うよね……」
気まずそうなニチカ。
それは俺の勘違いだったらしい。
「もしそうだとしても、俺、山柿のこと嫌いじゃなかったんだよ。修学旅行とか職業体験とか、体育の時間とか、ボッチだった俺をいつも誘ってくれてただろ? サッカー部の陽キャだから苦手だったけど個人的には話してて楽しかったし、クラスメイトとしては好きだったから」
「……気持ち悪くないの? わたし、ずっと男が好きだったんだよ。男だったのに」
「別に? そんなの、ありふれた話だろ」
少なくとも、俺の知っている世界には、同性愛の話なんてごまんと転がっていた。
幼い頃からそういう話に触れていた俺にとって、別に苦手意識もなかった。まさか自分が好意を向けられるとは想像もしてなかったけどな。
まあ、それは異性相手でも同じことだから性別は関係ないし。
「だからニチカさんが山柿だったのはちょっと安心だなって。山柿がどうなったか、ずっと気になってたし」
男で唯一、親しくしてくれたクラスメイトだった。
ずっと心配もしていた。
俺が笑って言うと、ニチカは涙を浮かべた。
「本当に……本当に気持ち悪くないの? わたし、前世は男だったんだよ?」
「だから気にならないって。というか自分で自分を否定しないでくれ。個性を気持ち悪く思うなんて、そこまで俺はクソガキじゃないつもりだよ」
「個性……?」
「個性だ。それにいまはニチカさんだろ? 俺がルルクになったのと同じように、さ。もし前世の自分が受け入れられなくても、山柿聖也はこの世界で生まれ変わって、踊り子のニチカになったんだ。ニチカさんは自信を持って、いまの自分を受け入れればそれでいいと思うよ」
前世の記憶があるのも、個性のひとつだ。
前世の俺たちそのものじゃない。
俺たちは、いまを生きているのだから。
「だからニチカさんは、これからもニチカさんとして楽しく、素敵な踊り子として生きればそれでいいと思う。俺はそれを否定することはないよ」
「ルルク、くん……」
ポロポロと涙をあふれさせたニチカは、口元を押さえて震えた。
俺はそんな彼女が泣き止むまで、背中をさすっておくのだった。
ちなみに。
ニチカの就職祝いでレストランの個室を借りた。
その際、ニチカは前世で男だったことをスイモクに告白した。スイモクも衝撃の告白に目を点にしていた。
「姉さんがルルクさんと同じ転生者で、前世は男だった……え、え?」
「そうよ。わたしが女になったのは、たぶん本当は女になりたかったからだと思う。これからは女として積極的にアプローチしていくから覚悟してねルルクさん! ルルクさんなら、元男でも誰でも抱けるってわかったし!」
「いやニチカさんを抱けるかどうかは別の話だよ」
「なんでよ!?」
誰彼かまわず抱くような節操なしじゃねーよ。
ニチカにそれとこれとは違うという話をしていると、目を回していたスイモクがハッとして、
「こ、これはルルクさんの新しい逸話になる予感! ルルクさん、どんな男のひとが好みなんですか!?」
「おまえも乗るんじゃないよ……でもまあ、そうだな」
俺はメモ帳片手に興奮する美少年をまっすぐ見つめて、
「スイモクならいけそうだな」
「ぼ、僕ですか……うぅ」
顔を赤くしてチラチラこっちを見るスイモクだった。
可愛いやつだな、ほんとに。
俺とスイモクが見つめ合っていると、ニチカが髪をかきむしって叫んだ。
「ちょっとまってよ! なんでスイモクなのよーっ!」
こうして、賑やかな晩餐になったのだった。
< 救国編 → END
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これにて第Ⅲ幕【幻影の忠誠】が終わりです。
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多忙のため少し休載期間を挟んでから5月後半に番外編を、そのあと第Ⅳ幕スタートの予定です。




