救国編・20『レンヤという男』
「この子、どうするの?」
ダンジョン最下層。
念のため自害ができないよう、サーヴェイは猿ぐつわを噛ませて縛っておく。抵抗する気もなさそうだったので、手早く拘束できた。
「疑似核とはいえマスター登録されてるみたいだからな。カーデルさんに相談しに行くか」
「そうね。まずはスタンピードを止めないとね」
サーヴェイがスタンピードの制御ができると言っても、あくまで疑似核の力によるものだから、魔物の種類と生み出す場所とある程度指示できる程度らしい。放っておいても上層階でどんどん魔物が湧いている。
冒険者たちのためにも、急いで完全に止めたいところだった。
それと、逃げたアクニナール公爵も見つけて捕まえておきたい。
サーヴェイのアクニナール家はリリスの縁者だ。このまま雲隠れされたら、リリスにもどんな噂が立ってしまうかわからない。
リリスの名誉のために、俺はやる男になろう。
サーヤがあくびしながら、
「じゃあすぐに行こ。徹夜したからほんと眠いのよね」
「ああ。カーデルさんはどこにいるかなっと」
『神秘之瞳』で王城の様子を探ったら、予想外の光景が視えた。
「どうしたの?」
「……なんだ、これ」
王城の至るとこから火の手が上がっていた。
外縁部、廊下、中庭、さらには謁見の間まで……パッと見て十数か所が燃えている。王族たちはスタンピードが起きた時点で避難していたのか、城にはあまりひと気がなかったが、それにしたって異常事態だ。
そして慌てて消火作業に走る者たちに紛れて、あきらかにマタイサ側の人間じゃないやつらがいた。おそらく帝国兵だ。
そいつらは何かを探しているようだった。
宝物庫や居住区に入り込んでいる。人数はおよそ三十人。
騎士や兵士たちが、侵入した帝国兵と応戦している。国王陛下は護衛とともに執務室にいるが、他の王族たちの姿は見えない。
「これがマグー帝国の狙いか?」
このタイミングでの侵入、注意を逸らしての強盗行為。
あらゆる方法で王城から戦力や人員を削り取った挙句にやったことが、まさか城を荒らすことだとは驚きだ。
そうする程の価値のあるものが、王城内にあるのだろう。
「ルルク、何があったのよ」
「王城内に侵入者だ。騎士たちが応戦してる」
「メープル様……王族たちは?」
「かなり前から地下経由で避難してるぞ。残ってるのは陛下と防衛戦力だけだ。ま、戦力的にはなんとかなりそうだけどな」
「それならよかったわ」
サーヤは友達になったメープルのことを心配していた。
近衛騎士たちがいないせいで、人手が足りないみたいだが。
「私たちも行く?」
「いや、さすがに大丈夫だろう。サーヤたちはサーヴェイを連れて先にギルドに向かっててくれ。ギルドマスターは……ちょうど会議中だから、疑似核のことを話してて欲しい。俺はルニー商会でちょっと情報を買って、もうひとり捕まえてくる」
「わかったわ。じゃあエルニネール、ギルドまでお願い」
「ん。『転移門』」
エルニの魔術で、早々に消えていくサーヤたち。
幼女集団に引きずられていくサーヴェイがちょっと可哀想だった。
俺もすぐにルニー商会に向かうのだった。
■ ■ ■ ■ ■
帝王の私室――その奥にある秘匿された居住区〝隠れ宮〟。
その場所に言及することは誰であろうと許されなかった。幼い頃から帝王学を修め、強い力と大きな器を持った絶対君主でも、それだけは許すことはなかった。
たとえそれが正妻や息子であろうとも。
そこに住まう八人に、帝王は告げた。
「では行ってくる。俺に何かあればナディ、おまえがみんなを連れて逃げてくれ」
「わかったわ」
「レンくん、本当に行くの? 何もレンくんが行かなくても……」
帝王の手を握り、心配そうに見上げてくる少女。
彼は彼女をぎゅっと抱きしめた。
「すまんネネ……これも必要なことだから」
「……むり、しないでね」
たっぷりと体温を分かち合い、名残惜しく離れる帝王と少女。ふたりは父と娘ほどの歳の差があったが、お互いを見る目は熱に満ちていた。
いつまでも彼女の傍にいたかったが、それはできない。
時間はもう残ってなかった。
「では、行ってくる」
帝王は優しい表情を一変させると、覇気に満ちた顔つきで部屋を出た。
魔物軍の消滅から半日以上経ってしまった。
本来なら、あと十日ほどマタイサ軍をストアニアに引きつけておきたかった。協力者であるアクニナール公爵が起こしたスタンピードも順調、兵力不足で十日もすれば街中に魔物が溢れかえるはず――だったのだが、ストアニアに侵攻した魔物たちは消え、さらにスタンピードも魔王候補とやらに邪魔されてほぼ鎮圧されている。
これ以上、マタイサ城から人払いをするのは難しかった。それどころかスタンピードを止められてしまう恐れがあると、密偵からの連絡があった。
もはや悠長にしている時間はない。
なんとしてでも『叡知の書』を手に入れる必要があった。
覇道を突き進む帝王としてではなく、レンヤ――五百尾憐弥として。
「……あいつらのためにも」
前世から恋人だった綿部寧音はもとより、クラスメイトだった友人たちのためにも、レンヤは止まれなかった。
たとえどんな手段を使ってでも、大事なものを取り戻すために。
「そのために俺は、帝王にまでなったんだからな」
レンヤは儀式の間にやってきた。
そこで待っていたのは十人ほどの帝国魔術士たち。
彼らは魔術陣の中心にレンヤが立つと詠唱を始めた。
数分間の儀式魔術が完成し、魔術士たちが呪文を唱える。
「『交換』」
瞬間、かすかな浮遊感のあと景色が一変した。
広々とした儀式の間から、かび臭い地下室のようなところになっていた。
部屋の床いっぱいに描かれた魔術陣から一歩踏み出した瞬間、扉が開いて黒ずくめの男たちが顔を覗かせる。
「陛下、準備はできております」
「では予定通りに攻め込む。陽動は任せたぞ」
「経路はいかがしましょう。状況に変わりはありません」
「なら俺は水路横を通る。地下通路は逃走用に三ヵ所押さえておけよ」
「マタイサ兵と出くわした場合は?」
「……殺して構わん」
「はっ」
男たちは気配を殺し、去っていく。
この地下室の隣の部屋には隠し扉があり、そこから直接地下――王族用の隠れ家用通路に繋がっていた。
レンヤもすぐに彼らの後を追い、別の道を辿って王城を目指して走った。
密偵たちは素早かった。
レンヤが王城に辿り着いたときには、すでに陽動が始まっていた。いたるところから火の手があがり、騎士たちが対応に追われている。
わかりやすく宝物庫や王族の私室を漁っている密偵たちは、ちゃんと囮として動いてくれていた。
レンヤは彼らとは別の場所――地下書庫を目指してまっすぐ歩いていた。姿を透明にする聖遺級装備を羽織っているので、誰にも気づかれることはない。
禁書庫はさほど広くはなかった。一般向けの書庫とは違い薄暗く、半分は歴史的価値が高いもの、そして半分は公開するのも憚られる禁書の類が置かれていた。
レンヤはわきめもふらず、禁書庫の奥へと足を進める。
「どこだ……どこにある」
二年前、レンヤはとあるスパイから情報を得ていた。
この禁書庫に、王族ですら持ち出しが禁止されている『叡知の書』なるものがあるらしい、と。それを持ちだせるのは『叡知の書』に認められた者だけ。しかしスパイの情報によると、あまりにも難解な書物で読解は誰にも不可能で、数百年はずっと禁書庫で眠っていたとのことだ。
それこそが、レンヤが求めていたものだった。
レンヤは書棚に目を走らせる。
言うも憚られるような真実が書かれた歴史書、禍々しい魔術が載っている魔導書、禁忌の実験が記された理術書など、歴史的にも本としての価値が高いものばかり置かれてあるが、レンヤはそのどれも興味を示さなかった。
「……どこだ、どこにある!」
目的の本が見当たらず、つい声を荒げてしまった。
その声に返事が聞こえてきたのは、その時だった。
「何をお探しでしょうか?」
「だ、誰だ!」
振り返る。
書庫の向こう側に立っていたのは、仮面をつけた少女だった。
神秘的な雰囲気を纏った、まだ成人もしていないであろう茶髪の少女。
それが誰か聞くまでもない。
マグー帝国の王として、ここ最近、最も注意してきた相手だった。
「貴様は女帝モノン……いや、リリス=ムーテル!」
「あら、ご存知でしたか」
女帝モノンは仮面を外した。
やはり年端もいかない少女だった。いまのネネとさほど変わらない年齢。レンヤの息子よりも五歳は年下だろう。
こんな若い娘が、レンヤですら技術を模倣するのがやっとな魔術器を作り出せる職人だなんて、何度聞いても信じられなかった。
「なぜマグー帝国の帝王様が、このような場所に?」
「……答えると思ったか」
透明化だけじゃなく、顔も覆面で隠している。
だがリリスは何の障害もないように、まっすぐにこちらを見ていた。
レンヤは不自然にならないよう、腰に下げた剣に手をかけながら、
「女帝モノンよ。わざわざ貴様が俺の前に出てきた理由はなんだ」
「ここが書庫だからですよ。価値の高い貴重な書物がたくさん収められた、私にとっても大事な場所だからです。騎士がかけつけて戦闘でも始めたら損失ですからね。仲間に頼んで人払いをしに来たところです」
「……王族でもない娘が、王城の秘部を我が物顔で歩くか。マタイサは随分と平和ボケした国のようだ」
「その平和ボケした国での工作はどうでしたか? うまくいきましたか?」
にっこりと笑って煽るリリス。
レンヤはこめかみに青筋が浮かぶ。
「……俺の邪魔ばかりする痴れ者め」
「お怒りはごもっともですが、こちらも余計な波風を立てられて迷惑しております。帝国内でならまだしも、私の婚約者まで利用するなんて」
「アクニナールに近づいて利用したのは貴様も同じだろ」
「あら。バレておりましたか」
クスリと笑うリリス。
食えないやつだ。
「だが解せんな。俺の前に姿を現して、どうなるか考えていない貴様ではないだろう。俺の情報も調べてるんだろうが」
「ええ。帝王レンヤ、火魔術を得意とするレベルカンストの剣士。愚王と呼ばれた実の父――先代皇帝を殺し、王として申し分のない治世を二十年続けてきた素晴らしい王様ですね。もっとも、帝国にとっては、ですけど」
「レベルまで調べてるなら話は早い。貴様、タダで済むと思っているのか?」
「さあ、どうでしょう」
余裕綽々のリリス。
みたところ隙だらけの立ち振る舞い。レベルもそう高くないだろう。ルニー商会は商会としては圧倒的に優れているが、それも副会長ジン――おそらく同級生の橘萌の手腕によるものだ。
目の前にいる女帝と呼ばれる少女は、単に腕のいい職人なだけ。それがレンヤが調べあげたリリス=ムーテルという女だった。
試してみるか。
レンヤは腰の剣を素早く抜剣した。
「『飛剣』!」
斬撃を飛ばすシンプルなスキルだ。
だがその剣撃は、リリスの目の前で弾けて消えた。
「なるほど……魔術器の護りか」
「はい。あなたがどれだけ剣を振るっても、本は傷つけさせません」
「どこまでもふざけたやつめ!」
自分の身よりも本を守る、か。
その言い草に苛ついたレンヤは直接斬りかかった。
スキルはただ剣撃を飛ばすだけ。今度は武器そのものの効果が発動する。
「死ね小娘!」
「無駄ですよ」
「ぐっ!」
不可視の壁に弾かれて、上半身をのけ反らせるレンヤ。
レンヤの愛剣は伝説級の武器だ。その効果も、尋常じゃなく強力なはずだった。
しかし――
「なるほど、即死効果のある剣ですか。伝説級クラスとお見受けします」
「鑑定持ちか貴様!」
「まあ、似たようなものです」
そこまで見抜いてなお動揺がないということは、この武器では防御を突破できないことを確信しているらしい。
少なくとも伝説級レベルの防御。さすが女帝というところか。
「だがこのレベル差、装備の質で覆せると思うな!」
レンヤは瞬時に移動し、リリスの背後を取る。
後ろから斬りかかるが弾かれる。だがこれは予想通り。すぐに移動し、リリスの反応速度をあきらかに超えて多方面から斬りかかる。
いくら高性能な防具でも、スキルの連続発動には限界がある。その隙を一度でも突くことができれば、わずかでも傷を負わせることができれば、即死させられることができる――それがレンヤの武器『致命剣』だった。
「……あまり暴れないで下さい。振動で本が落ちたらどうするのですか」
「まだ本の心配か! 貴様、図に乗るのもいい加減に――」
「『整列せよ』」
「っ!?」
レンヤの体がいきなり硬直した。
武器を取り落とし、強制的に気をつけの体勢になる。
な、なんだこれは。
レンヤはあらゆる状態異常を半減する伝説級アクセサリーも身につけている。石化効果でも反応が鈍くなるくらいだ。体が硬直するなんてことはあり得ない。レベル差も大きいはずだから、そもそも状態異常になど――
「状態異常ではないですよ。これは『言霊』という神秘術です」
レンヤの心を読んだリリスが、ブレスレットをちらりと見せながら微笑んだ。
「私はお兄様ほどうまく神秘術は使えません。ですが私には秘術器をつくる技能がありますので……僭越ながら、効果を限定さえすればお兄様のように想念法も使えるのです。世界記憶の力によっては、レベル差すら容易に覆せるほどの影響力を持ったりするんですよ?」
「言霊……?」
「ご存知ありませんか? おかしいですね。てっきり貴方もそうだと思っていたのですが……用いた呪文に、聞き覚えがありませんでしたか?」
「呪文だと、それが――」
と、レンヤは言いかけて気づく。
あまりに自然に聞いていた。だが、さっきの言葉は思い返してみると――
「英語、だと……?」
息が詰まった。
英語はもちろんこの世界の言葉ではない。
目の前の少女は、にっこりと笑って言った。
レンヤにとって馴染み深い母国語で。
「〝そうですよ。日本人のレンヤさん?〟」




