救国編・10『防衛線』
■ ■ ■ ■ ■
「避難壕へ急げ! 魔物が来るぞ!」
兵士が、市民を誘導していた。
半鐘が鳴り響く王都の夜。
マタイサ王都では四百年ぶりのスタンピードが発生していた。
緊急マニュアルに従って、兵士たちが避難指示を出して回っている。
少しでも多くの民を、各地にある避難壕に隠さなければならない。慌ただしい叫びが、そこかしこから聞こえていた。
「うわーん! ママ~!」
冒険者ギルドの受付嬢ターニャは、小さな泣き声に振り返った。
暗い道端で幼い少女が座り込んだまま泣いている。転んだのか膝を抱えてうずくまっていた。
周囲に母親らしき影はない。
ターニャは迷わず少女に駆け寄った。
「お嬢ちゃん、大丈夫?」
「ひぇ! ま、まま~!」
「大丈夫よ、泣かないで。お姉さんがママのところまで連れてってあげるからね」
「……ほ、ほんと?」
「本当よ。だから一緒に行きましょう」
優しく話しかけると、少女は躊躇いがちにもうなずいて、ターニャの手を握ってくれた。
もちろん少女の母親に心当たりはない。だが、ここでぐずぐずしていたら魔物がやってくるかもしれない。それだけは避けたかった。
ターニャは少女を連れて最寄りの教会に向かった。
境界の避難壕は大勢の人でひしめいていた。座り込んで震えている人、焦った様子で誰かを探す人、周囲を励ます人など、色んな人が暗い顔をしている。
「すみません! この子の母親を知りませんか! すぐ近くに住んでいる子らしいのですが!」
ターニャはそう叫びながら人々の合間を歩く。
すると一番頑丈な区画――子どもが集められている付近で、
「ニーナちゃん!」
「ママーっ!」
無事に母親を見つけることができた。
話によると母親は娘と逸れてしまい、周囲を探していたものの兵士に止められてここに連れて来られたらしい。誰かと避難していないか一縷の望みを抱いて、娘の姿を探してところだったようだ。
「本当にありがとうございます! なんとお礼を言っていいか……」
「いいんですよ。では、私はこれで」
涙ながらに頭を下げる母親にそう告げて、ターニャは避難壕から出た。
「……私のせいだ」
走りながら唇を噛んで、表情を曇らせる。
兆候はあったのだ。
聞いたことのない階層ボスの逆走。普段と違う魔物の出現。それ以外にも、ダンジョンに潜っている担当冒険者から、些細な違和感を何度も聞かされていた。
ダンジョン管理課にはすべて報告していたものの、もっと慎重に考えて調査するように申告していれば早く気づけたかもしれない。
スタンピードが起こる直前に気づけていれば、もっと安全に避難もできただろう。
それが悔しかった。
「我は乞う、大地の恩恵よ敵を穿て――『ストーンバレット』!」
道端にいた小さな魔物を撃ち抜きながら、ダンジョン方面へ急ぐ。
おそらくギルドでは緊急クエストが発令されているだろう。Cランク以上の冒険者は、みな広場に直行しているはずだ。
もちろん受付嬢に戦う義務はない。サポートが仕事だ。
だが、ターニャとてギルド職員だった。多少のレベリングはしている。
それに、
「私にだって、守りたい家族がいるのよ!」
両親はこのマタイサ王都に住んでいる。
本当は親のもとに駆け付けて、一緒に避難したい。親のことは心配だし、彼らもターニャを心配しているだろう。
でも些細な自分の力でも、誰かの役に立つかもしれない。そう思ったら自然とダンジョンへと足が向いていたのだ。
「ターニャさん!」
走っていたら、すぐそばの道から見知った顔が飛び出してきた。
「ママレド様!」
「無事でしたか、よかったです。これからダンジョンに向かうのですか?」
「もちろんよ。ママレド様はすぐに避難して。王族専用の脱出路があるのよね?」
「何をおっしゃいますか。私は王族である前に冒険者ですよ?」
何を言っているのはそっちだ。冒険者の前に王族だ。
そう言いたくなったが、この頑固な第三王女のワガママは今に始まったことじゃない。
「では広場まで一緒にいきましょう!」
「無論です。ふふふ、無限魔物解剖……一度はやってみたかったのです」
怪しい笑みを浮かべるママレド。相変わらずのマッドサイエンティストだった。
ターニャとママレドが魔物を倒しながらダンジョン前広場に辿り着いたとき、ちょうど広場の周囲が土の壁に覆われたところだった。
広場を囲った防壁は高く、跳んで出ることは難しいだろう。
腕のいい土魔術士がいるな――と思ったら、広場前で地面に手をついていたのは盾を背負ったギルドマスターのダイナソーマンだった。
「ギルドマスターでしたか!」
「ターニャ君も来たか、感謝する。しかしママレド殿下、ここは我々に任せて――」
「無論お断りします」
「……左様ですか。では、お気をつけて」
「それでギルドマスター、状況は?」
ターニャは周囲を確認しながら尋ねる。近くに多くの冒険者がおり、広場から出ようとする魔物と戦っている。
ダイナソーマンは土壁に空いた三つの入り口を指さした。
「これで広場はすべて囲んだ。現在、防壁中で騎士やAランク以上の冒険者が戦闘中だ。壁には三つ出入り口を開けており、そこから出てきた魔物を倒すように指示を出したところだ。とはいえ、防壁ひとつでは心もとない。他の魔術士と協力してもうひとつ壁を生成するので、君たちはその第二防壁の出口の防衛に参加してもらいたい」
「かしこまりました」
ダイナソーマンは周囲に駆け付けていた冒険者や兵士にも聞こえるように言った。
土壁の強度は魔術練度に比例するので、このギルドで最も練度の高い土魔術士であるダイナソーマンが中心となって壁をもう一つ作っていく。
第二防壁には穴はひとつだけ。そこをBランク以下の冒険者や兵士たちが固めていた。
ターニャたちは出口の外側に待機だった。
「諸君、最終防衛線は私が張る。現在の情勢は知っての通り、騎士団は王城の護りを固めると連絡があったため、戦力増援はないと思え。ここは我々だけでなんとしても死守する!」
「「「おおおおおお!」」」
冒険者、兵士たちが気合を入れる。
ターニャとママレドもその輪に混じりながら、緊張感を漂わせていた。
スタンピードはいつまで続くかわからない。
早ければ一日程度で終わるが、長いと何日も続くらしい。最長記録はかつてストアニアで起こった第一次スタンピードで、一ヶ月近くも続いたという。
「……怖くないわ、怖くない……」
「大丈夫ですよ」
いまさら震えてきたターニャの手を、ママレドがぎゅっと握る。
「ムリはする必要はありません。おそらく少し戦ってこちらの戦力把握ができれば、ギルドマスターの指示でローテーションを組むようになるでしょう。教会から聖魔術士も応援に来ているようですし、そのうちクエストに出ているというSランク冒険者も戻ってくるでしょう」
「そ、そうよね……うん、わかってるわ」
「それに、私たちには彼がいます」
「……彼?」
キョトンとしたターニャ。
ママレドは気楽に言った。
「ルルク様なら、スタンピードごとき簡単に蹴散らせると思いませんか?」
「あっ」
ターニャの脳裏を横切ったのは、サーベルタイガーの群れを一瞬で素材に変えた彼の姿だった。
手の震えは、完全に止まっていた。
そうだ、たかがスタンピードで怖がる必要はない。
ターニャはやる気に満ちた表情を浮かべたのだった。
「舞え、踊れ、軽やかに!」
スタンピード発生から数時間後、すでに空は明るくなり始めていた。
国境でマグー帝国の暗殺者を捕えて、第二王女を救出した【地底海】と【剣舞】は、国境砦で就寝中にスタンピードの連絡を受け、大急ぎで王都まで飛んだ。
【地底海】のリーダー・ラスティーと【剣舞】の純魔術士・ルカーリオはどちらもカーデル侯爵の弟子だった。ゆえに、ふたりとも『ミーティア』を使えたので二時間ほどで王都まで戻って来れたのだった。
ダンジョン広場につくなり【剣舞】のリーダー・マクラーゲンが四本の剣を操って魔物相手に無双を始めた。彼の四つの剣は伝説級武器の【自在剣】。手で持たなくても、思念だけで操作できるという高性能武器だ。
無論、それを同時に操る頭脳がなければ役に立たないのだが。
「ボクの前に立ち塞がるなど愚の骨頂!」
ダンジョンから続々と溢れてくる魔物たち。そのすべてをほとんど一人で倒しまくっているマクラーゲンだった。
「さすがリーダーね! アタシの出番ないじゃん」
「たしかにな」
「油断は禁物ですよ。ですが確かに、マクラーゲンだけで十分ですね」
【剣舞】の面々が気楽に言う。
だが、ラスティーの判断は違っていた。
「……こりゃ、長くなりそうだなぁ」
すでにスタンピード発生から数時間。
出てくる魔物はまだ最大でCランクだ。どういう仕組みで魔物が地上まで上がっているかわからないが、おそらく内部の迷路は構造が変わっているはず。中で湧いた魔物がここまでたどり着く速度が異常に早い。
このままだと普段下層にいる高ランクの魔物が出てくるのも、時間の問題だろう。
仲間のひとり、男装した弓使いの少女ミツキがそのつぶやきを拾った。
「ラスティー、どーゆーことだ?」
「見た感じ、低ランクの魔物から出て来てるだろ? そりゃ上階層の魔物が先に出てくるから当然だけど、数時間経ってもまだCランクまでしか出て来ねぇ。数とランクを考えたらこのペースだとあと数時間はCランクがメインで、そのあとはBランクがメインになり始める。そこまできたら、ほとんどの冒険者が役に立たなくなる。そっからが正念場だなってね」
「そっか。じゃ、逆にいまはアタイたちの出番はない?」
「そーなるな。あいつらに任せて、しばらく休んどくか」
ラスティーはそう言いながら、第一防壁の穴から外に出た。
仲間たちも彼の後ろからついてきたので、あくびをしながらギルドマスターに報告した。
「なるほど。では【地底海】の諸君はしばらく待機だ。出番が来れば呼びに行く」
「あいよ」
手をヒラヒラと振って、防衛線から離脱したラスティーたち。
近くにいた数名の冒険者が睨みつけるような視線を向けてきた。
仲間のひとり、女装した槍使いの美少年が涙目でラスティーの服を掴んだ。
「ら、らすてぃーさん……」
「気にすんな。休むのも仕事のうちだ」
「はい」
頭を撫でると、顔を赤らめてうなずいた美少年。
「ほんとコナナはビビりだな」
「ぼ、ぼくお姉ちゃんみたいに強くないから……」
「何だよ。アタイが女らしくないっての?」
「……そ、そこまでは……」
「お二人とも、喧嘩してはラスティー様を困らせてしまいますよ」
喧嘩する姉弟を宥めたのは、執事風の老父。
「そうですわ。兄上様を困らせたらお仕置きですわよ」
夜なのに日傘を差しているお嬢様然とした冒険者も賛同した。
「ひえっ。ごめんなさい!」
「アタイも姉御のお仕置きは勘弁~」
そう言いながら、広場の外にある宿に入って行くラスティーたち。
緊急事態なので、ギルドがここを休憩所として借り受けている。兵士も冒険者も、休む番になれば自由に使っていいとのことだ。
前日の王女救出クエストではさほど働いていなかったので、あまり疲れてはいない。それは【剣舞】も同じだから、こうして元気に暴れているんだろう。
昨日の相手は高レベルの暗殺者だった。しかもハーニィ殿下を人質に取っていたためかなりの高難度ミッションかと思っていた。
だがこっちの騎士――〝閃光の騎士〟ララハインが優秀すぎてあっけなく終わってしまったのだ。
レベル的には格上のはずの暗殺者相手に、光魔術を駆使して翻弄していたララハイン。剣の腕もかなりものだったが、何より頭の良い戦い方だった。
まともに戦えばステータス差があるからラスティーより弱いはずだが、そうは見えない立ち回りを見せていた。うちのパーティでも一対一で勝てるのは、ラスティー以外にいないだろう。
さすが伝説のパーティ【聖夜】のリーダー・〝変幻〟ヴェルガナの一番弟子と言われるだけはある。いいものが見れたと思っていた。
兎に角、おかげでまったく疲れていないので、眠気はあまりない。仲間たちもギャーギャー騒ぐわけだ。
とはいえラスティーの特技は睡眠だった。どんな状況でもベッドで目を閉じたら、数秒後には夢の中だ。すやぁ。
起こされたのは、それから数時間後。
「ラスティー様、お出番のようです」
「あいよ」
カルマンディの低い声は心地いい。スッと目が醒めた。
すぐに部屋を出ると、仲間たちはすでに揃っていた。
武装も、準備も完璧。
「よし、行くか」
「「「「はい」」」」
【地底海】の五人がダンジョン前に戻ると、かなりの混戦になっていた。
すでにBランク魔物が溢れており、第二防壁にもちらほらと大型魔物が出てきている。【剣舞】のメンツはかなり消耗したようで、第二防壁の出口付近で治療を受けていた。
「すまんラスティー。任せた」
「あいよ」
ダイナソーマンの言葉を受けて、ラスティーは第一防壁までゆっくりと歩を進めながら魔力を練った。
当然、隙だらけのラスティーに魔物たちが襲いかかる。
しかし仲間たちの弓矢が、槍が、毒針が、日傘が、魔物たちを貫いていき、ラスティーに近寄らせない。
じっくり第二防壁内と第一防壁内を観察したラスティーは、詠唱を紡いだ。
「我は命ず、慈母より溢れし恒久の生命よ、我らに仇なす邪悪のみをその腕に抱き給え――『胎海』」
瞬間、ラスティーの手元から無尽蔵の水が湧き出ていく。
その勢いはあまりにも強く、近づこうとする魔物たちが押し流されていく。
しかし仲間や冒険者たちをすべて避けており、一滴たりとも彼らが濡れることはなかった。防壁の外にもダンジョンの中にも水は漏れることはなく、足から腰、腰から首の高さへとみるみるうちに水位が上昇していく。
あっという間に広場を囲む防壁の上部まで水は上昇すると、見えない天井に当たったかのようにピタリと止まった。
防壁内はラスティーの水で満たされ、魔物たちは水に沈んでいた。
これぞ、ラスティーが敵と定めた相手のみを超高水圧で閉じ込める、戦略級術式――極級魔術『胎海』。
広場にいた魔物は全滅していた。
ラスティーが魔術を解除すると水は消え、溺死した魔物たちの死体が散乱する。
目を見張る周囲の冒険者たちに、彼はのんびりした声で言った。
「ま、ほどほどに頑張ろうぜ」
あとがきTips~ラスティー~
>レベル99の人族、36歳の男。
>>元・孤児。あらゆる武器を使いこなし、水魔術に秀でた才能を持つ冒険者。
>>>少年時代にカーデルに見込まれて鍛えられた。主人に裏切られた執事を助けたり、没落した元貴族令嬢を助けたり、性別があべこべな姉弟を助けたりしているうちに、いつのまにか冒険者として名を挙げていた。寝ることが趣味であり特技。普段やる気はないが仲間に危機が迫ると本気になる。単体の戦闘力ではルナルナには負けるが、頭が良くSSランク冒険者に一番近いと噂されている。




