教師編・28『俺の仲間も全員鉄扉くらい壊せる』
■ ■ ■ ■ ■
「なんと雄々しい巨躯でしょうか! 黒々しくそそり立つ角! まるで丘陵のように盛り上がった逞しい筋肉! 立派としか言いようがありません!」
ママレド=ディ=マタイサは興奮していた。
ここ数日、ずっとつまらなかった。気軽に話しかけて欲しいとまでは言わないが、必要以上の気遣いやおべっかは不快でしかない。望んでないのに王族として接されると、こちらも王族として応えなければならない。おざなりに対応してしまえば、ママレドが求める対等ではなくなってしまう。
隠れてついてきているルルクとこっそり話す時だけが、肩の力を抜ける唯一の時間だった。
しかしここに来てバイコーンの変異個体と遭遇。テンションが上がるのも仕方のないことだった。
おそらくAランクにもなるであろう巨大な魔物。本来Cランク冒険者のママレドでは、決して斡旋してもらえない相手だが――
「父母なる恵みよ絡めとれ――『マッドカーペット』!」
ママレドが唱えたのは、土と水の複合魔術。
こちらに突進してくるバイコーンの足元の地面を、すべて泥に変えた。
『キュオォォン!』
足を滑らせて転倒したバイコーン。
バイコーンは膂力特化の魔物で、速度上昇の魔術以外を使えない。魔術特化のユニコーンと違いバイコーンは走る速度に特化しており、攻撃には自分の体を使うしかない。冒険者界隈ではバイコーンに攻撃を当てるのは至難の業と言われているが、こうして機動力さえ削いでやれば、魔術で簡単に倒すことができる。
知識は武器だ。ママレドは常々そう思っていた。
「我が敵の翼を奪い地へ堕とせ――『オキシダウン』!」
つぎに発動したのは風属性の上級魔術。
対象の空気を一時的に薄くさせて、呼吸を奪うというかなり玄人好みの魔術だった。
効果範囲はさほど大きくないが、ママレドは暴れるバイコーンの鼻先に的確に出現させて呼吸を阻害し続けた。
かなりの魔術練度が要求される技だったが、大昔からこの技で数々の魔物を屠ってきたママレドにとって、たかが巨大なだけの相手はとるに足らない。あっというまに酸欠で意識をうしなったバイコーンだった。
リパードと彼の護衛たちが唖然とするなか、ママレドは迷いなく倒れたバイコーンに歩み寄り、長剣で胴体を一刺しにした。ママレドのスキル『体温察知』でどの臓器がどこにあるかは丸見えだったので、心臓を突くくらいは簡単だ。
ビクンと痙攣して命を絶ったバイコーン。
ママレドは巨大な亡骸の前で、アイテムボックスから短剣とバケツをたくさん取り出した。
「さて、解体のお時間ですね!」
ここからが本番、お楽しみタイムだ。
ポカンとしたままの同行者たちを放置して、鼻歌まじりにバイコーンを解体していく。見たところ巨大化しているが筋肉や骨の密度はさほど落ちていない。ルルクからストアニアダンジョンの中階層にある〝巨人の箱庭〟という巨大化魔物の巣窟の話は聞いていたので、巨大化した時の生態変化のメカニズムはある程度想像がついていた。本来なら体重が数十倍になるため自立歩行は難しくなっていくはずだが、巨大化によって加算ステータスにも恩恵があるのだろう。ステータスの筋力値さえ確保していれば、どれだけ自分が重くなってもあとは骨密度や筋繊維の数の比例値だけが動作の可不可を決める。これはどんなサイズの生き物も同じことである。しかし予想外だったのは血圧の高さだ。剣を抜いた瞬間から血が噴き出したため白衣が真っ赤に染まってしまった。足元が血だまりでドロドロだ。せっかくバケツを用意したのに、かなり血を取り損ねてしまったのは反省点か。たしかに考えてみれば、巨大生物は心臓の力が強いのだ。今度からは油断せずに取り組もう。さて次は――……
「あのぅ……終わりましたでしょうか」
遠慮がちにリパードが声をかけてきたのは、ママレドが解体を始めてから一時間ほど経ったときだった。
正直、まだ大雑把にバラしただけで先は長い。この夏空の下だと素材の鮮度は解体速度で大きく左右されるから、ついいつもの癖で速度重視で解体していたが、よく考えたらアイテムボックスがあるからここで解体する必要はないのだった。
「失礼しました。移動しましょう」
ママレドはすぐにアイテムボックスに収納して、新しい白衣に着替えた。
リパードとともに再び馬車に乗り込もうとした――その時だった。
「ッ!? 危ない!」
リパードを抱えて地面に倒れ込む。ほんの数瞬後、馬車の扉に投げナイフが突き立った。
とっさに『体温察知』を発動しながら起き上がる。
『体温察知』は周囲26メートルの生物の体温を把握できる。障害物があっても関係なく診えるし、何人重なっていようが別々に把握できる。知覚系のスキルのなかでもかなり便利なものだった。
そのスキルが、周囲の森に十数人の気配を捉えていた。
「一体いつの間に――」
「ぐおっ!」
「や、やめっ!」
「ぎゃああああ!」
飛び道具を受けたのか、護衛の三人が倒れ込む。
ママレドの足元――リパードめがけてまた投げナイフが飛んできたが、これはママレドが剣で叩き落した。さすがに警戒しているときに、飛び道具一本を見落とすほどぬるい人生を歩んではいない、が。
「おうおう、聞いてたより腕が立つなぁマタイサの王女様サマは」
木立の陰から姿を見せたのは、尖った犬耳を持った獣人の男。
双剣を提げ、鋭い視線をママレドに送っている。見るからに歴戦の猛者の風貌だった。
それを合図に、隠れていたやつらが一斉に姿を現した。驚いたことにその全員が獣人だった。
この国ではあまり見かけない獣人族の集団だ。
「……盗賊ですか」
「ようよう王女サマ、そんなやつらと一緒にするな。オレたちゃ傭兵だ」
「そうですか。傭兵が、いったい何の御用でしょう」
「おいおい、わからねぇのか? めでたい頭してんなぁ」
「目的は私ですか」
「それ以外に何があるってんだ? ソロで冒険者やってるママレド王女サマよぉ」
やはり、か。
見たところかなり腕の立つ集団だ。少なくとも、ママレドひとりで対処できる相手じゃない。最初に狙ったのはリパードだし、御者や護衛たちはすでに制圧されている。ママレドに直接攻撃してこないのは、そのまま目的を白状しているようなものだった。
ターニャたちの懸念は当たっていたようだ。
「どなたの差し金ですか? それと、あなたのお名前は?」
「おいおい、正直に話すと思ってんのか?」
「いえ。一応聞いてみただけです。私も、自分を攫う相手の名前くらいは聞いておこうと思いまして」
そう言って剣を捨てて両手を上げたママレド。
獣人の傭兵は、ニッと笑った。
「おうおう物わかりが良いじゃねぇか。なら、こっちも名前くらいは教えておこうか。オレの名はビルケッソ……【血染めの森】第3部隊隊長のビルケッソだ」
「もしや〝灼熱〟のビルケッソですか?」
「お、知ってたか嬉しいねぇ」
ママレドは素直に驚いた。
インワンダー獣王国の傭兵団【血染めの森】の英傑譚は、この国の吟遊詩人たちもよく歌っている。最強の傭兵〝紅蓮の禍〟のクリムゾンを筆頭に、各部隊長は有名人ばかりだ。
その隊長格でも〝爆炎〟のマルケリル・〝灼熱〟のビルケッソ・〝苛烈〟のカリブーは上位の実力を持っていて、我がマタイサ王宮騎士団の団長レベルだと聞いていた。
少なくとも、ママレドよりは明らかに強い。
もともと対人戦経験のないママレドじゃ、抵抗してもせいぜい数秒稼げるかどうかだろう。
「その有名人の〝灼熱〟ともあろう方が、誘拐に手を貸すとは思いませんでした」
「まあまあ、オレたちにも色々あんのよ」
「ちなみに、私をどこへ連れて行くおつもりですか?」
「それを先に知ってどうなるってんだ」
「周りには誰もいないのです。どうせ連れて行くのですから、教えておいても損はしないのでは?」
「……ったく、ワガママな王女サマだぜ。いいだろう、質問はこれで最後だぜ? オレたちが王女サマを案内するのはマグー帝国だ。オレたちゃ帝国に雇われててよぉ」
「そうでしたか。やはり油断ならない国ですね。雇い主は皇帝ですか?」
「おっと、質問は終わりだぜ。じゃあ大人しく――」
「ということらしいです。お役に立てましたでしょうか?」
「はい、情報引き出しありがとうございます」
呑気な返事は、すぐ背後から降ってきた。
高度な認識阻害で姿を隠していたのは、言うまでもなく冒険者ルルクだ。
彼は馬車の上で仁王立ちして、ママレドにウィンクを飛ばしていた。
「なっ、てめぇいつからそこに――」
「【血染めの森】かあ。捕まえてもケッツァさんに怒られたりしないかなぁ」
そうつぶやいた瞬間、ビルケッソ以外の獣人たちが倒れ伏した。
何をやったのか、ママレドには全然理解できなかった。
「おめぇらどうした!? なに寝てやがる!」
「〝灼熱〟のビルケッソだっけ? どこらへんが灼熱なのか聞きたいんだけど」
「ざけんなクソガキ! うらぁ!」
ビルケッソは拳を握ると、一直線にルルクに向かって跳んだ。
速い!
その両手は煌々と赤色に染まっていて――
「隕石拳!」
灼熱の拳が、ルルクに振り抜かれた――が、ルルクが消えた。
転移ではなく、ただ跳躍しただけだった。ママレドの動体視力ではそのスピードには追いつけなかっただけだ。
ビルケッソも同じだったようだ。
「なっ、消えた!?」
「へえ、燃える拳のスキルか。ロマンだね」
「うごぇ」
ビルケッソの背中を踏みつけて、地面に蹴り落としたルルク。
たいしたダメージではなかったようで、受け身を取って態勢を整えたビルケッソは、遅れて落下してきたルルクに向かって迷わず拳を突き上げた。
ルルクはその赤い拳を、ふつうに片手で受け止めた。
「なっ! 鉄扉すらぶち抜く技だぞ!?」
「そうなんだ。でも俺の仲間も全員鉄扉くらい軽く壊せるから、これくらいは慣れてるんだよ」
だからって片手で止めるパーティリーダーがいてたまるか。
ついツッコミそうになったママレドだったが、ぐっと堪えた。
なおも頭に血がのぼった様子のビルケッソだったが――
「ま、とりあえずどこからの差し金かはわかったし。ほいっと」
一瞬で懐に飛び込んだルルクは、ビルケッソの顎をかち上げた。
脳を揺らされてグルリと白目を剥いてしまう。
あまりにも、あっけない決着だった。
「さて、お怪我はないですかママレド様」
「は、はい。大丈夫です……しかし本当にお強いのですね、ルルク様は」
「うーん。実はとある人物と戦ってから、他の人がどうも手ごたえを感じなくなってしまいまして」
真剣に困った様子のルルク。
どんな相手と戦えば〝灼熱〟レベルの猛者すら赤子の手をひねるように感じるのか、激しく気になるところだったが。
今はその話をしている場合じゃない。
「本当にありがとうございます」
「いえいえ、これが俺の任務ですし。あ、御者と護衛の方々は早めに治療したほうがいいと思いますよリパードさん」
「へっ?」
地面にへたりこんで呆けていたリパード。
まあ、いきなりこんな状況になったら思考停止するのも無理はない。
今回ママレドもルルクも、リパードやその連れに対して義理立てする理由はない。狙われたのはママレドだが、あきらかにイカーホ商会が罠を仕掛けていた。
回復薬を提供するつもりはない。
そういう意思表示をしたのだが、リパードはいまいちわかってなさそうだ。
「さっきの巨大バイコーンも罠だった可能性もありますね。ママレド様はソウカ草原に向かうことは誰にも言ってないですもんね?」
「はい。情報が漏れるとすればイカーホ商会しかありません……むしろビルケッソほどの手練れが待ち受けていたなら、かなり計画的な物と思われます」
「へ? わ、私どもですか?」
本気でオロオロとし始めるリパード。
まあ先に始末されそうになっていたのは事実なので、おそらくリパード自身が計画したことではないだろうが。
「リパードさん、私への指名依頼はリパードさんが発案したことですか?」
「い、いえ……それは支店長ですが、まさか!」
慌てるリパード。
演技にしては迫真すぎる。
「では支店長がクロですね」
「そのようです」
「なら、イカーホ商会は裏でマグー帝国と繋がってると見て間違いないですよね。リパードさんはそのあたりのことはご存知でしたか?」
「わ、私は……何が何やらさっぱりでして……」
ハンカチを取り出して、ダラダラ流れる汗をぬぐうリパード。
王族誘拐の共犯の疑いをかけられていることはさすがに自覚しているようだ。有罪になったら問答無用で処刑だろうから、必死に頭を巡らせていそうだ。
「ここはビスケットさん……クリケットさん……クリニックさん?を起こして尋問したほうがいいかな?」
「その必要はありません、ルルク様」
不意に、後ろから声が聞こえた。
ママレドは息を呑んだ。すぐそばに仮面をつけた女性が数人立っていた。まるでずっとそこにいたように何の違和感もなく。
その風貌はあきらかにルニー商会の者たちだ。
「ペンタンさん。来てたんですか」
「はい。そろそろ決着がつく頃合いだろうと思いまして」
「さすがですね。で、尋問する必要はないとは?」
「狼藉者への尋問は私どもにお任せください。引き出した情報はすべて後日お知らせします」
「それはいいですけど……あ、もしかしてそっちも誰かからの依頼で? なら任せましょうか」
「はい。お察し頂きありがとうございます」
ペコリと頭を下げたペンタン以下ルニー商会員たち。
そのかなり親しげな様子を見て、彼女たちがルルクに指名依頼をしたのも納得だった。
「王女殿下におかれましては、ルルク様と王都へご帰還下さい。現在王都では混乱が起こっております」
「混乱……ですか?」
「はい。じつは今回襲撃されたのはママレド殿下だけではございません」
「どういうことですか?」
眉をひそめるママレド。
次のペンタンの言葉は、ママレドを慌てて王都に帰らせる理由には十分すぎるものだった。
「第一王子オーブン様から第七王女メープル様まで、陛下直系すべてのご子息ご息女が同時に襲われました。その事後対応のため、王都はいささか荒れております」
< 教師編 → END
NEXT → 救国編 >




