教師編・23『公爵家の密談』
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久しぶりに屋敷に帰ってきたとき、屋敷の前に豪華な馬車が停まっていた。
リリスは普段、淑女学院の女子寮に住んでいる。敷地外に出る時は外出許可がいるし、送迎の馬車で移動する規則だ。
徒歩で出掛けられるのは隣接する図書館くらいだった。
もちろん屋敷に顔を出すだけでも守らないといけない。学院から徒歩十分ほどの距離とはいえ、許可を取って馬車を使って帰ってきた。
王家の紋章が入っていたので、誰が来ているのかは聞くまでもなかった。
「こ、困ります! 陛下になんと言われることやら」
「いいですの! おとーさまが文句をいってきたら、わたくしがなんとかするですの!」
「ですがメープル様、傍仕えとはいえ異性の家に寝泊まりするのはあまりに醜聞が……」
「どうせいつか結婚するですの! かんけいないですの!」
「そ、その件にしましても私は騎士で、殿下は姫様なので――」
リビングから、ガウイとメープル王女殿下の声が聞こえてくる。ガウイに会うのも久々なので挨拶しようかと思ったけど、立ち入るのはやめて直接上階へと足を向けた。
あのおてんば姫は一年前からガウイにご執心だ。先日ガウイと父が捕まっていた件でたいそう腹を立て、陛下や宰相に喚き散らしたという話も聞く。自宅謹慎になったガウイについてきて、うちに泊まると言い出したのは想像に易い。
ガウイに同情しながらも、主君の暴挙を諫めるのも仕事だと思って素通りしたリリス。
決して、あの二人に絡むとめんどくさいからではないのだ。決して。
「お父様、帰りました」
「入れ」
「失礼します」
父の書斎に入ると、母のリーナがソファに座っていた。
「お母様、ただいま」
「おかえりリリスちゃん。紅茶、用意しておいたわ。こっちにいらっしゃい」
「ありがとうございます」
リリスはすぐにリーナの隣に座った。
やはりリーナの煎れた紅茶はとても香りが良い。同じ茶葉を使っても、使用人の誰よりも美味しく紅茶をつくれるのがリーナの特技だ。こればかりは器用なリリスといえど真似できる気がしなかった。
両親の前でひとつ息をついてから、リリスは話を切り出した。
「それでお父様、お呼びされたご用件は?」
「無論、例の件についてだ」
「なるほど。では報告しましょう」
リリスは居住まいを正し、どこからともなく書類を取り出して机に置いた。
「陛下の思惑どおりでした。お父様とガウイお兄様が幽閉されているあいだ、宮廷内で不審な会計報告が三点、人事異動が二件ありました。うち四件が財務部内、残りひとつが教育部での出来事です。詳しい経緯はそちらに」
「そうか。予想より動きは大人しかったようだが」
「盗まれていた迷宮核が思ったより早く見つかり、カーデル様のご帰還も早まったためかと」
リリスは冒険者パーティ【王の未来】が取り戻したと報告を受けている。さすがだ。
つい笑みを浮かべてしまう。
自宅謹慎を命じられている父は、もちろん盗難事件に関する顛末も知らないはずだ。眉をひそめていた。
「なんと、もう見つかっていたのか?」
「依頼した冒険者がとても優秀でしたので」
「そうか。まあ、見つけられたことは何よりだが……」
本当ならカーデルもあと数日は宮廷を離れている予定だった。
そもそも迷宮核の盗難すら利用しようと計画したのは国王陛下だ。宮廷内での盗難事件なので、内部犯がいるのは確実だった。
宮廷内には多くの貴族が出入りしている。盗まれたであろう時間帯は、特に人の動きが複雑だった。
迷宮核の存在を知っているのは公爵家当主以上のごく一部だったが、犯人を絞るのは至難の業だ。貴族間でも様々な派閥があり、宮廷士官たちも一枚岩ではない。
むろん現国王派が最大派閥だが、ある程度の対抗派閥がないと貴族たちの意図がまったく見えなくなってくる。それゆえこのマタイサ王国も他の国の例にもれず、ある程度の派閥争いを許容している。適度な発散のためにわざと煽ったりもしている。力関係や利害関係は、もはや整理できないほどだ。
そんななかで最近、各地の領で小競り合いで済まない案件が増えてきた。多くは雇われ盗賊などによる、街道の治安悪化だ。
目立っていたのは北部の地方領で、ムーテル公爵領もその標的にされていた。
はじめは少し治安が悪くなったと思っていただけだが、ここ最近は冒険者ギルドに依頼しなければならない数の被害が頻出していた。今年に入ってからその数は顕著で、捕まった盗賊は三年前の倍になっている。
リリスはルニー商会の情報網を駆使して一度すべての領地を洗い出した。その結果、現国王派の領内が税収、出生率、失業率を計算してもあきらかに不自然な治安悪化だったので、リリスはそのデータを陛下に提供してみた。国内だけの派閥争いで済めばまだマシなのだが、あきらかに国益をジワリジワリと削ぎ取っていく外部からの干渉だったし、他国の仕業の可能性もあると判断したのだ。
ちょうどそこに迷宮核盗難事件が起こった。
本来ならリリスの情報収集能力を活かしてすぐさま取り返すところのはずだったが、陛下はきわめて冷静に計画を立てたのだ。
『迷宮核はカーデル侯爵に任せて、我々は内部犯のあぶり出しをする。ルニー商会には宮廷内の情報収集を任せたい』
とはいえ宮廷内は騎士団の膝下で、現国王派の筆頭である父を含めて三人の騎士団長が目を光らせている。盗賊の内通者がいたとしてもボロを出すとは思えない。
ゆえに特級事件として、宮廷内だけにわかるよう父とガウイを盗難事件の容疑者として捕らえ、他の騎士団長は任務と称して宮廷を離れてもらった。
父の拘束は宮廷内に緘口令を敷いていたが、メープル殿下のせいでその噂は大々的に広がってしまったが。
現国王派の筆頭が牢屋にいて、陛下に次ぐ権力者の宮廷魔術士も外出している。その隙に何か動きを見せるだろうという予想は当たり、こうして炙り出しは成功した。
もともとムーテル家の名誉に傷がつく前提の作戦だったので成功して何よりだった。
『我々の名誉などいくらでも使い捨てて下され。それが騎士の本懐です』
作戦の前に陛下にこの計画を提案されたとき、父はこう即答していた。いままで父のことを尊敬する機会は多くなかったけど、このときばかりは父を誇りに思ったリリスだった。
兎に角、派手に動いてくれたおかげで内通者もある程度わかった。
問題はその内容だ。
「……やはり、リリスの想像通りだったか」
父は報告書を読みながら、唸り声をあげた。
「はい。今回の内通者はまず間違いなくアクニナール公爵です」
「信じたくなかったが、財務官の長とはな……だがリリスが以前から疑っていたことがハッキリしたか。おまえの名誉にも傷をつけてしまうことになったな。すまん」
「気にしないで下さいお父様。もともとアクニナール公爵家との婚約は私から提案したことです。婚約解消することも前提でしたので、予定通りです」
「……そうか」
個人的に手に入れたい情報があったのでサーヴェイと知り合ったら、都合のいいことに気に入られ、同じ公爵家で釣り合いが取れているからと相手の懐に潜るつもりで婚約を了承した。
先代の頃から当主同士が犬猿の仲だったので、アクニナール公爵家に近づく理由として婚約が一番手っ取り早かったというのもある。
おかげで婚約してからこの半年ほどで、かなりの情報を手に入れられた。その過程でアクニナール家がどこかの国の密偵と内通している痕跡をたくさん見つけていたのだ。
今回の迷宮核盗難も、その一環だったのだろう。
リリスとしてはもうアクニナール家の情報は必要なかったので、婚約破棄もそろそろ視野に入れていた時だった。サーヴェイの恋心を利用したことには少し申し訳なかったけど、サーヴェイが見ていたのは最初から最後までリリスの顔と立場だけだったので、すんなり割り切ることもできた。
「あとはアクニナール公爵の子飼いの貴族が何名か協力していたようです。彼らがメープル殿下にお父様とガウイお兄様のことを教えて、特別牢の場所も教えたようですよ」
「それと噂の喧伝も、か?」
「……それについては、派閥争いは関係ないかと」
もともと貴族というのは噂好きだ。同じ国王派や中立派でも、食べ過ぎ罪なんて面白い噂は放っておかないだろう。
父は咳払いして、
「しかしいつも助かる。婚約破棄の手続きはこちらで進めておこう」
「ありがとうございますお父様」
「他に何か用意しておくことはあるか? とはいっても、いまやリリスの力になれることといえば公爵家としての立場だけなのだが」
「そんなことありませんわ」
「事実だろう? 公爵とはいえ騎士の私と、雷鳴轟く天下の商会長では価値が違いすぎる。いまやルニー商会はマタイサの裏を牛耳っているのだからな」
「それはいささか大袈裟ですわ」
リリスは謙遜したが、半分は事実だった。
ジンが上手く立ち回ったおかげで、国王陛下はいつのまにかルニー商会――リリス経由の情報を完全に信用するようになっている。もしリリスが黒といえば白いものでも黒くできる立場にあった。
もちろんそれだけじゃない。あまり大きくは言ってないが、国内の半数近い商会や商店を傘下におさめているルニー商会は、金や物の動きを制御しているといっても過言ではない。もちろんごく一部の者しか気づけないだろうが、いまのリリスならあらゆるモノの価格や物流のコントロールは容易だった。
ルニー商会がその気になれば、すぐにこの国の経済なら支配できる状況なのだ。
「……まったくジンったらやりすぎです……」
ボソッとつぶやくリリス。
この状況は彼女のせいなので、リリスの責任じゃないと自分に言い聞かせておく。
「ではお父様、他に何かございますか? 私からの情報は以上ですので、用がなければ学院に戻りたいと思うのですが」
「特にないが、性急だな。夕飯くらいは食べて行ってもよいのだぞ?」
「せっかくですが遠慮します。明日はダンジョン授業なので本日は早く就寝しないといけませんので」
「あら~残念だわ。一緒にリリスちゃんとご飯を食べられると思ったのに」
「お母様、ごめんなさい。またこんど埋め合わせします」
リーナの手をギュッと握って、微笑んだリリス。
「ダンジョン授業か……しかしリリス、もう危険を冒してまでレベルを上げる必要はないのではないか? レベル20を超えてるなら一般人としては高いほうではないか。おまえは自分の価値をわかっているのか?」
「もちろんですお父様。去年は確かに、レベル上げを目的として授業に参加しましたが、今年はルルお兄様が先生なので、何よりも優先して参加したいのです」
「……ルルクか」
渋い顔をした父。
リリスは、父がルルクを嫌厭しているのを知っている。その理由も5年前にこの屋敷に引っ越してきたときにハッキリと聞いた。
単に、第一夫人を失うきっかけになったからじゃなかった。
父はあのとき、リリスとリーナに告げた。
『何度も言っているが、ルルクには近づくな。あいつは……本当のルルクじゃない』
もともと愛する妻の命を犠牲にしたのに、不治の病を抱えて生まれてきたルルク。
父はそのルルクに愛憎籠った複雑な感情を抱いたまま、幽閉して避けていた。女のように華奢で綺麗な顔立ちは、鼻筋以外は妻にそっくりだったらしい。ルルクの顔を見たら湧き出る複雑な感情を抑えきれないから、なるべく避けていたらしい。
だがそれが変わったのは、ルルクが5歳になった日。つまりルルクが一度死んだ日だった。
『ルルクはあのとき確かに死んだ……死んだのだ。どういうわけか死霊にはならずに蘇ったが、それからのあいつはあきらかに別人だった。あいつはルルクだが、ルルクじゃない。リリス、リーナ……正直に言おう。私はあいつが恐ろしい。別の誰かが、ずっとルルクの皮を被って生きているのだ。とっくにヴェルガナも気づいているだろうに……なぜ、何も言わんのだ』
いくら避けていても、実の父親だ。
ルルクの中身の変化に気づかないワケがなかった。
その時はリリスもリーナも衝撃を受けた。
しかし、よくよく考えたらリリスが好きになったのはその別人のほうのルルクだ。そう考えたらむしろ、中身が変わったことを喜ぶべきだと気づいた。もちろん空気を読んで、父には言えなかったけど。
そしていま、リリスはルルクの中身についても事情は察している。
他にも同じような立場がいると知っているからだ。それも最も信頼する親友に。そしてルルクの周囲に。
リリスは微笑んだ。
「大丈夫ですよお父様、ルルお兄様は邪悪な存在ではありません。少しばかりイタズラ好きでひねくれてて、でも心優しい人です。そしていまでは誰よりも強くなりました。それより知ってますかお父様、ルルお兄様の存在格は王位なんですよ? この国に他に王位存在なんていませんわ。大陸を見渡してもいまやバルギアの竜王、冒険者ギルドの総帥くらいしか明確に確認できておりません。それほどまでに強いのに、優しくて偉ぶらないお兄様はどれほど素晴らしいかわかりますか? 邪悪だなんてとんでもない、むしろ天から遣わされた神の使いのような神秘を纏っていて、その心は曇りなき青空のような――」
「リーナ、リリスを止めてくれ」
「いいじゃありませんか、饒舌なリリスちゃんも子どもみたいで可愛いでしょう?」
恍惚と語り出したリリスに、微笑むリーナ。
そんな二人を眺めて、父はため息をついたのだった。




