教師編・22『兄妹水入らず』
迷宮核盗難事件から数日が経った。
結局、あのあとの顛末は聞いていない。目新しい情報はなさそうなので、犯人はまだ見つかってないと思う。王宮内に厳重保管された物を盗み出す時点でかなり腕のいい泥棒だろうし、そう簡単に尻尾が掴めるとは思えない。
ルニー商会が詳細を非公開にしている理由があるだろうから、ただの好奇心で首を突っ込むなんて愚かな真似はしない。俺はごくふつうの冒険者なのだ!
「おはようございますターニャさん。今日も磨きたてのミスリルよりも笑顔が眩しいですね。なにか個人でできるおススメクエストありますか?」
「ルルクくん、おはようにしては遅い時間よ?」
俺がにこやかに挨拶すると、ターニャが苦笑した。
「世界はそうかもしれませんが、俺はさっき起きたばかりなので」
「相変わらずマイペースね。それでクエストだったわね~……これなんかどう?」
「『クエストランクA:地質調査』ですか。調査クエストで高ランクは珍しいですね」
「対象場所が〝暗がりの巣〟なのよ。知ってる?」
「初めて聞きました。近いんですか?」
「馬車で三日くらいね。虫系魔物がたくさんいる巣穴なんだけど、土が特殊でね。光の反射率が極めて低いから灯りを持ってってもほとんど見えないの。王立研究所からの依頼で報酬もいいんだけど、珍しく誰も受けたがらないのよね……チラッ」
「おっと、俺も持病の身内の不幸が」
「はぁ~……そうよねぇ。報酬あげてもらおうかしら」
ガッカリするターニャだった。
「それこそママレド様が喜びそうなクエストじゃ?」
「それがね~群生してる魔物の種類聞いたら『もう解剖済みの個体ばかりですね。通常固体のようですし』って言ってぜんぜん興味なさそうだったのよ~。あのひと変異個体じゃないと満足できない体になってるのよ~」
「その体にしたのはあんただろ」
変態に上質なエサばかりあげてたらこうなることくらい予想はついただろうに。
ターニャの愚痴を延々と聞かされそうになったので、すぐに仮病を使って離脱した。今日はクエスト受けられそうにないな。
ちなみに仲間たちはバルギアのダンジョン攻略に戻っている。セオリーがぶっ壊した区画も直ったみたいなので、51階層からリスタートだ。壊した付近は内部構造も少し変わったみたいで、あと数日は51階層をうろうろしているだろう。階層クリアするまではダンジョン泊だと意気込んでいる。
「しばらく一人だな……さて、今日はなにをしよう」
ここ数日でマタイサの拠点も整えて、快適に過ごせるようになっていた。
家具をたくさん手に入れて買い物欲も満たされたので、やりたいことはない。
……たまにはこっちからスイモクに会いに行くか。うん、それがいい。そうしよう。
唯一の同性の友達のことを思い浮かべて、ウキウキし始めたときだった。
不意に見知らぬ男から話しかけられた。
「そこの御仁。つかぬことを伺いますが、王立図書館はどちらかわかりますかな?」
上質な服を着た、身なりの良い老父だった。
どこかの貴族か商人だろう。俺はすぐに答えた。
「北区にありますよ。この道をまっすぐいけば魔術学園と淑女学院がありまして、その間に建っているみたいです」
「左様ですか。お手数をかけて申し訳ない。ありがとう」
「いえいえ」
礼を言うと優雅に歩いていった。
これがナイスマダムなら図書館まで案内したところだったが……まあ、いいだろう。そもそも図書館は場所しか知らない。
「いやまてよ、図書館か」
どうせヒマなら行ってみるのもアリじゃないか?
いままでバルギアで買える小説は買って読みまくった。屋敷の書斎に俺専用の書棚があるが、そこからはみ出してセオリーの書棚を侵食する勢いで買いまくった。
印刷技術が発達しているといっても、物流が陸路中心なので国によって流行が違うかもしれない。
バルギアの本屋での新しい出会いは諦めたけど、こっちはまた違う国。しかもマタイサは歴史も古い。
こっちの図書館には知らない本がいっぱいあるのでは?
そんな淡い期待を抱いた俺は、すぐに王立図書館へ向かったのだった。
「身分証のご提示、ありがとうございます。当館は貸出はおこなっておりませんが、紙とペンの販売をしておりますので書写はご自由にどうぞ。もしお探しの本があれば気軽にお尋ねください。蔵書は番号で管理しておりますので、司書が案内いたします。――それでは何かご質問はございますか?」
図書館は思ったよりデカかった。
四階建ての立派な建物だ。ロビーは吹き抜けで左右に螺旋階段があり、受付からでも上階の書棚がたくさん見える。
俺は感心しながら、
「娯楽小説はどちらにありますか?」
「3階にございます。大衆向けの文学作品は……ええと、現在314作品を所蔵しておりますね」
「ほうほう。大衆向け以外の作品はどういったものが?」
「おもに自伝書・定型詩集・吟遊書です。人気なのは吟遊書ですね。蔵書の数も多いです」
「……吟遊書?」
「はい。有名な吟遊詩人が歌ったものを、そのまま文字に起こした作品です。抑揚のつけ方、リズムのとりかたなども添付しており、文学作品というより歌の指南書や教本として人気です。正直、物語として読むのであれば小説をおススメしております」
そんなものもあるのか。
久々に文化の違いを感じたな。
「他に質問はございますか?」
「……禁書庫とかはありますか? 立ち入り禁止のエリアとか」
「ございませんよ。王立図書館は一般の市民が立ち入る場所ですので、こちらに禁書は置いておりません。もし禁書目録をお探しでしたら王宮内に御座いますので、閲覧には申請が必要です。ご利用しますか?」
「ああいや、聞いてみただけです」
そりゃそうだよな。
わざわざ禁書庫を見える場所に作るはずないよな。ちょっと期待した俺がバカみたいだぜ。まあ禁書に用はないんだけどさ……ほら、禁書庫って響きカッコイイじゃん?
「あとは自分で見てみます。ありがとうございます」
「はい。ごゆっくり」
丁寧な受付のお姉さんに会釈して、螺旋階段へ向かう。
とりあえず三階の娯楽小説棚だな。
この世界に来てからけっこうな数の本は手に取ったから、読んだことのない作品があるといいけど。
そう思いながら螺旋階段を登っていると、二階の書棚にさっきの老父がいた。あれは歴史書のコーナーかな? そういえばこの世界、神話は宗教書でもあるし歴史書でもあるんだよな。
正直、神話は地球のバリエーションが凄すぎてこの世界のはちょっと物足りない。そりゃ実在の神々がいるんだから、軽々しく創作できない気持ちはわかるけど。
「おっと、ここだな」
三階についたので、近くの書棚を見渡す。
見覚えのあるタイトルがずらりと並んでいる。
うーん……実家やストアニア時代からいままでで手に取ってきたタイトルばかりだ。出回ってる本は読み漁ったから、当然と言えば当然かもしれないが。
見逃しがないようにじっくりタイトルを眺めながら歩く。さすがにゼロではないだろう――と思ってたら見つけた。読んだことのないタイトル!
『暗殺の偽証』
さっそくあらすじを読む。
ふむふむ。暗殺者の村で育った天才少女と幼馴染の少年の物語か。家同士がいがみ合ってるなか、ふたりはこっそり仲良くしていたが、ある日王家からの使いがやってきて殺し合いの勅命を受ける。親友同士で殺し合い、勝った方が王家直属の家柄になれるという――
よし、これを読むか。
俺は本を手に取り、どこかゆっくり読めそうな場所を『虚構之瞳』で探した。
そしたら意外な場所で、意外な人物を見つけた。
「……屋上?」
受付のお姉さんの話では、屋上なんて説明はなかったけど……いや、でも四階の奥に屋上への階段がある。扉も開いているので、ふつうに立ち入っていい場所なんだろう。
俺はすぐに移動して四階の階段をあがり、小さな扉を開けて明るい屋外へ出た。
小さな庭園だった。
青空の下、花壇に囲まれたそこにいたのは――
「……お兄様?」
リリスが、ベンチに座って本を読んでいた。
周囲には誰もいない。休日だったんだろう。
他人の目がないので、もちろん教師のフリなんかする気はなかった。
目を丸くして本を閉じたリリスに笑いかける。
「どうも可憐なお嬢さん。隣、座ってもいいかい?」
「もちろんです、ルルお兄様!」
満開の笑顔を咲かせた俺の天使。
俺が座ると、リリスは肩が触れ合うくらいに身を寄せた。おおう、ほのかに花の匂いがする……なんだか懐かしい香りだな。安心する。
「お兄様、ようやくちゃんとお話しできます! 私は――リリは、このときをどれだけ待ったことか!」
「まあ、ダンジョンじゃ仕方ないからね」
「あぁ……久々のお兄様の匂い……お兄様、お会いしたかった……」
俺の腕をぎゅっと抱きしめるリリス。
懐かしい感覚だな。つい頭を撫でてしまう。おっと、もう子どもじゃないのに子ども扱いは無礼かな。
「むむ。リリはいつまでもお兄様の妹です。兄が妹を撫でるのは当たり前なので、ちゃんと撫でてください」
「ははは。リリスは甘えん坊だなぁ」
「はい。リリは甘えん坊なのです……お兄様は甘えん坊な妹はお嫌いですか?」
「そんなことないよ。思う存分に甘えるといい」
そう言うとさらに腕を強く抱きしめたリリス。血が止まりそうだぜ。
そういえばリリスと引き離された理由って、リリスが俺にべったりだったから矯正させるためじゃなかったけ……ま、いいか。
「お兄様、どうしてこちらに?」
「ちょっとヒマ……ゴホン、知的好奇心が刺激されてね。リリスはよくここに来るの?」
「はい。こちらだと外出許可がすぐに下りるので、人目を気にせず羽を伸ばしたいときに利用してるんです。学院内だと、どうしても皆さんの目があるので……」
「生徒会長なんだっけ。すごいね、大躍進だ」
「はい! お兄様の隣に立てるように努力していたらいつのまにか。お兄様にはまだまだ及びませんが」
「そんなことないよ。リリスは立派な淑女になったね」
「っ!」
顔を真っ赤にして驚いたリリス。
両手で顔を隠してしまう。
「どうしたの?」
「い、いえ……ちょっと、思ったより、お兄様のお顔を見るのが恥ずかしくて」
「え、照れる要素あった?」
謎だな。
耳まで真っ赤なリリスも可愛いので、文句はまったくないけど。
「で、ではお兄様。約束は果たせたと思ってもよろしいでしょうか」
「約束って……あ、お互い立派になって再会するってやつ?」
「……はい」
「うん、そうだな。ちゃんとお互い立派になったんじゃないか?」
俺は自立した冒険者に。
リリスは学院の代表だ。
お互い離れても前を向いて生きるための口約束だったので、達成したからといって何かあるわけじゃないけど、長年目標にしてきたことに一区切りはついただろう。
リリスは青空を見上げて、小さく涙を流していた。
「……ルルお兄様、ひとつワガママを言ってもよろしいですか?」
「なに?」
「閉館時間まで、こうしていてもよろしいですか?」
リリスは俺の肩に頭を乗せた。
小さい頃、木陰で休むときによくこうしていたっけ。うるさいガウイやヴェルガナに邪魔されるまで、こうやって色んなことを話してたな。
「ああ……もちろん」
「ありがとうございます」
幸い、天気もいい。
ここは穴場らしくて誰か来るような気配もない。
読みたい本は見つけたけど……いまは、それよりも大事な時間がある。
俺は本をベンチの隅に置いた。
「学院はどう? 楽しい?」
「とても。授業は厳しいし、昔はたくさん泣きたくもなりましたけど、ルルお兄様からのお手紙を心の支えにがんばりました」
「あ、ちゃんと届いてたんだ。よかった」
「……住所も名前もなかったので、リリから出せなかったのは不満です」
「ごめんって。しょっちゅう宿も変わったし、ダンジョンに数か月籠ってたこともあったんだし。何より俺がムーテル家なのは絶対バレないようにしてたから」
「ふふ、冗談です。お兄様からお手紙が届くだけで、リリには十分すぎることでした」
くすりと笑うリリス。
青い瞳をいっそう輝かせていた。
「そういえば俺、リリスのこれまでのこと何も知らないんだよな。生徒会長になったのもそうだし、ここまで成長するとは思ってなかったよ」
「リリ、もう立派な淑女ですもん」
イタズラな笑顔で、俺の腕を自分側へ引き寄せたリリス。
もちろん発育具合も立派になっていて……いや、さすがに妹に欲情はしないけどさ。しないけど、これは、けしからんおっぱいだな。見た目は華奢なのに意外と育っていた。
「よかったら聞かせてくれないか? リリスが学院に入ってから、いままでのこと。楽しかったことや辛かったこと、話せる範囲でいいからさ」
「はい。ではリリが王都に来た時のことからお話ししますね。お母様とふたりで屋敷に来た時、ガウイお兄様が出迎えてくれたんですが――」
それから俺とリリスはゆっくりと語り合った。
本当に久々の、兄妹水入らずの時間だった。
それはとても平和で、とても幸福なひとときだった。
――だが、俺は知らなかった。
その屋上庭園は、魔術学園の男子寮の一部の窓から見えることを。
そしてある一室からじっと見られていたことを――




