教師編・7『踊り子のニチカ』
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「会長、至急お耳に入れたいことがありまーす!」
マタイサ王国の淑女学院、その学生寮5階の共同リビング。
久々に何の予定もない休日の昼時。ゆったりとソファに座ってくつろいでいたリリス=ムーテルは、駆け込むように入ってきた学友に振り返った。
「大声を出すなんてはしたないですよミルフィさん。どうしましたか?」
「すみません会長! でもでも、いましがたマーガリア殿下……じゃなくて〝テトラン〟様より、緊急の連絡がありまして!」
「……ご報告をお願いします」
学友のミルフィが王女殿下の名前を言い直したことに、すっと目を細めたリリス。
リリスが隣領の伯爵令嬢とふたりで始めたルニー商会は、すでにマタイサ王国で最大規模の商会へと成長していた。
リリス自身には商才などありはしなかったが、彼女が作る魔術器や秘術器は過去類をみないほどの高機能だった。その聖遺物以上の発明品を売り込み、商会として成長させていったのは親友の伯爵令嬢――営業戦略部長の〝ジン〟だ。
彼女は辺境伯領で育ったとは思えないほどの卓越した手腕で、瞬く間に商会を拡大していった。それと同時に、もともと学院に存在していたリリスのファンクラブを取り込み、ルニー商会の人員として育成していった。
リリスのファンクラブだったメンバーは、全員がルニー商会の重要なポストに就いている。
その中――というか筆頭に前生徒会長であったマーガリア王女殿下もいたのだが、彼女は育成部長として〝ジン〟と同じく大幹部ポジションに就いていた。
そんな大幹部のマーガリア殿下が、リリスに直接ではなくそのお付きの補佐員ミルフィに連絡したという意味を、少しだけ考える。
いままでの傾向だとその予想は簡単についたので、とくに問いただす必要はないだろう。
「ルニー様が王都に入られたみたいですよ。カーデル侯爵の手配で今年度のダンジョン授業の講師として配属なされるらしいです」
「なるほど。その件ですか」
「……もう知ってたんです?」
ミルフィが目をぱちくりさせた。
実際、商会員のなかで〝お兄様案件〟と称されるルルク関連の情報は、よほど重要な緊急連絡を除いてミルフィを経由されて伝えられている。
理由は単純で、情報の取捨選択をせずに全て直接リリスの耳に入れると、普段は冷静で上品な公爵令嬢が大慌てになったり感情を露わにしたりと、とてもじゃないが商会長の威厳とは無縁の姿になるからだ。
内輪の組織や小規模な商会であればそれも良しとされるが、すでに国を代表する商会になっている。そのうえ学院内にはリリスの正体を知らない者も大勢いる。
それに、とある事情によりほとんどの商会員たちはリリス――〝女帝モノン〟会長をまるで聖母のように崇めているため、諸々の事情を考慮した幹部たちは、お兄様案件はミルフィに一度伝える、という面倒な手間をかけるように決めたのだった。
ただし今回は、その心配は無用だった。
リリスはすでにルルクの所在を把握していたからだ。
「ルルお兄様が近くにいるのに、私がその理由を知らないなんてあり得ないでしょう?」
「普通は知ってる方があり得ないですよ」
ちなみにリリスにわりとズバズバ言える級友だというのも、幹部たちがミルフィに任せる理由だったりもする。
「まあでも、会長の情報網はシャレにならないのはいつものことですもんね~……それでどうしましょう。商会員たちに接触させましょうか?」
「いえ、まだ動かなくて結構です。お兄様が私たちを必要とされたら〝ペンタン〟のところへ案内するよう、全商会員に伝えてください」
「わかりました~」
素直に頷いたミルフィは、すぐに導話石に似た石型魔術器を取り出してリリスの話を伝える。
もちろんただの導話石ではなく、同型の石すべてで音声を共有できて履歴再生機能も付いた【共話石】という、これまたこの世界ではとんでもなく貴重な発明品だったりする。
「共有しておきました。他にご用命はあります?」
「そうですね……おそらくお兄様は拠点を探していると思われますので、不動産部門の下請け商会に訪れた場合、下手な物件を紹介しないようそれとなく伝えてておいてください」
「はーい」
あくまでも過剰にならないように、と言葉を添えるリリス。
教育部長のマーガリア殿下による厳しい指導のおかげで、ルニー商会のメンバーのほとんどはルルクに多大な敬愛を持っている。
もともと商会員でルルクと直接会ったことがあるのは〝ジン〟と開発部門の〝アン〟だけだ。
しかしリリスの思想の影響をモロに受けた教育部長もまた、会ったことのないルルクに対して並々ならない憧れを抱いてしまった。
それがそのまま末端まで教育を通して伝わってしまったのである。
無論、洗脳ではなくあくまで教育だ。ただの商会員はそこまで強い敬愛を持ってない。
しかしエリアマネージャークラスの幹部になると、教育の影響は甚大だった。
ルルクに関わっても過度な干渉をさせないよう注意が必要なことが、目下ルニー商会の課題のひとつだったりする。
その他いくつか留意点を聞いたミルフィは、そのまま学生寮を飛び出していった。
「……さて、どうしましょう」
リリスは今朝から悩んでいたことを、再び考え始める。
いままでなるべくルニー商会からはルルクに接触しないよう気を付けていた。
でも最近は何かと関りが多くなってきた。ひょんなことからリリスの存在がバレるかもしれない。それならむしろ、こちらからルニー商会長として接触してみるのはどうだろう?
いつかルルクの役に立つものが作れたら、という思いで続けてきた魔術器開発だった。あれよあれよという間に〝伝説級〟アクセサリーすら作れるようになってしまった。
たった2年でここまで勢力を拡大した彼女を〝女帝〟と呼ぶ者も増えてきた。
職人としても商会のトップとしても、リリスの価値は計り知れない。
もはや身分を公開するのは危険すぎるところまで来てしまった。リリスが〝ルニー商会の女帝モノン〟と知っているのは、商会員以外では国王や両親含めて数人だけだし、正体はなるべく隠しておきたい。
それに、いきなり押しかけたら迷惑に思われるかもしれない。
なによりリリスが恐れているのは、ルルクに嫌われたり避けられたりすることだ。
「あぁルルお兄様。リリはすぐにでもお会いしたいです……」
リリスもルルクも身分を隠して活動している。
ただの淑女学院生では冒険者に会う理由なんてないので、こうして思い悩むのだった。
結局リリスが思いついたのは、ダンジョンの課外授業に参加するという正攻法だけだった。
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「わあ! ここが王都!」
『おいしそうなにおいがするの~!』
「ここはあたたかいです。上着、返すです」
「まってあるじぃ、ひとが多いよぅ」
「ん。にぎやか」
マタイサ王都、その中央通りの入り口。
不動産屋に寄って適当な家を契約して拠点をゲットした俺は、仲間たちを連れて王都観光に戻ってきた。
マタイサ王都といえば中央通りの露店街が有名で、数キロ先の中央広場まで露店がズラリと並んでいた。食べ物、雑貨、怪しい薬や武器防具のありとあらゆる品揃えがあった。
不動産屋のひといわく、この通りだけで千店舗以上あるらしい。
「確かにすごい人の数だな」
ストアニアのダンジョン前広場と大差ないくらいの活気だった。
「よし。飯もまだだし食べ歩きするか」
「「「「『お~(なの!)』」」」」
ワイワイと仲間たちと歩きながら、気になったものを買って食べた。
俺が一番好みだったのは、香草で包んで蒸した魚だった。あまり魚を食べる機会がないので嬉しかったので店主に聞いてみたら、マタイサ東端の海沿いの街の名物なんだとか。
そこそこ値は張ったけど、久々の海魚を堪能できて満足だった。
仲間たちはというと、
「私のオススメはこれ!」
「うお! 焼きそばじゃねえか!」
サーヤが嬉しそうに買ってきたのは、まんま屋台の焼きそばだった。
味付けはマタイサ伝統ソースなので少し辛みがあるけど、麺や具材は完全に焼きそばだ。
「どこの名産品だコレ」
「マグー帝国の帝都で最近流行ってるらしいよ」
「またマグー帝国か」
絶対転生者がいるな。
久々に食べた焼きそばも美味だった。この麺どこかに売ってないかな……あとでルニー商会に聞いてみるか。
「ん、これがいちばん」
「なんだこれ。唐揚げ……?」
エルニが薦めてきたのは、ブヨブヨした塊を揚げたものだった。
鳥皮に近い食感で、脂も乗っている。衣には香辛料がかかっておりスパイシーで、けっこうジャンクな味わいだった。
確かにうまいが、クセが強い。
サーヤも一口食べたら顔をしかめた。
「うっ苦い! よくこんなの平気な顔で食べられるわね」
「ん。こどもじた」
「言ったわね! あっちにチリサンドがあったから、どっちが辛いの食べられるか勝負よ!」
「よゆう」
『おねえちゃんたち待ってなの! ボクもからいの食べたいの~』
サーヤとエルニが喧嘩しながらどこかへ行った。プニスケもエルニの頭の上に飛び乗っていた。
まあ、いつものことなので放っておく。
「焼きそばはたしかに驚いたです。それとルルク、こんなのもあったです。フライボールです」
「サーターアンダギーか。懐かしいな」
丸い揚げ菓子を買ってきたナギ。
沖縄で有名なやつだけど、こっちではフライボールという名のマタイサ伝統の菓子になっている。実家にいた頃は何度か食べたな。素朴な味でウマいけど、腹に溜まるからひとりでは食べないやつだ。
「そういえばルルクはこの国出身だったです?」
「そうだよ。王都は初めて来たけどな」
「他に日本っぽいもの食べた事あるです?」
いつもは食事に無頓着なナギだけど、さすがに興味津々だな。
俺はムーテル家のムキムキ料理長の顔を思い出しながら、
「実家じゃ小さい頃からたまにカレーは出てたな。あと俺がうちの料理長に茶碗蒸しとお吸い物、油揚げなんかも教えて好評だったなぁ。残念ながら魚の寿司は食べなかったけどな。米も見たことないし……」
「料理長です? ルルク、もしかして身分高いです?」
「家柄だけはな。俺には何の権限もなかったよ。親からも無視され続けてたし、むしろ疎ましがられたし」
「ナギといっしょです。でもナギには兄様が……兄様……」
あかん! ナギの地雷踏んだ!
昔話はやめておこう。どのタイミングでナギが兄様モードになるかわからん。
気まずいのですぐにセオリーに話題を振る俺。
「セオリーはどれが一番好きだった?」
「ふっ、我が賞詞に値するモノなどない! 我を慶福に至らしめるのは主か同胞のみ!」
「褒めてくれてありがとうだけど、両手にクレープ持ちながら言っても説得力ないぞ」
甘味が好きなセオリーは、クリーム系の菓子に目がない。
よく甘いもの食べすぎて夕飯食べられなくなって、サーヤに怒られてるからな。
「みんな味覚バラバラだよな」
「そうです? プニスケのご飯、みんな毎日美味しく食べてるです」
「それはプニスケの腕がいいからだよ」
「……一理あるです」
我が家の料理長は一流のシェフだ。
そんな話をしているうちに、大通りを歩ききって中央広場に着いた。
真ん中に大きな噴水があり、後ろには王城がそびえている。もしカメラがあったらぜひとも撮りたい場所だな。
「噴水の横、凄いひとだかりです」
「ほんとだ。あれは……踊り子だな」
心地いい楽器のリズムに合わせて軽やかに踊る少女がいた。
こっちも踊り出したくなるくらい楽しそうに踊っている。いいね、観光地っぽい。
「ふっ、笑止。あのような脆弱な動きをしたところで魔物も追い払えぬ」
「そういうもんじゃないから。アレ大衆芸術だから」
「ニンゲンはかくも儚き生命……刹那の輝きになんの意味があろう……」
「俺はああいうの好きだけど」
「なんと素晴らしい芸術!」
「オイコラ。あんま調子乗ったこと言ってると説教――」
「ち、近くで見るのだ! ナギも!」
「はいはいです」
叱ろうとしたら、ナギを連れて逃げやがった。
ま、セオリーの子守はナギに任せておくか。俺ももうちょっと近くで見ようかな。
俺は人垣をうまいこと避けて、端のほうから踊り子を眺めた。
演奏に合わせて跳ねまわる踊り子。
肩を揺らしながら軽やかにリュートを弾く奏者の少年。
手拍子をとったり口笛を吹いたりして、踊り子を応援する観客たち。
楽しそうに踊っている少女が、まるでこの世界の中心にも思えるようなひと時だった。
その演奏とダンスが終わるまで、心地のいい時間が広場に流れていた。
やがて音楽が止み、少女が止まる。
拍手喝さいの観客たちに、肩で息をしながら踊り子の少女が頭を下げた。
「ありがとうございました!」
「ブラボー! ニチカちゃーん!」
「ニチカちゃんサイコー!」
観客たちからおひねりがたくさん飛んでいく。
帽子を脱いでおひねりを拾っていく奏者の少年と、手を振って笑顔を浮かべる踊り子のニチカ。
その名前はたしか、最近マタイサで人気のあるアイドルだったかな。
聖教国の聖女様、踊り子のニチカ、そして冒険者サーヤ。
この3人がいま旬のアイドルらしい。
確かにニチカは健康的で清純だから、踊りの才能もあいまって人気になるのもうなずけるな。
「みんなありがとー!」
ニチカは観客に手を振りながら、ゆっくりと視線を巡らせた。
その視線がひととおりぐるっと観客を回って、一番端の俺のところを過ぎるとニチカはこちらに背を向けて――
「え?」
すぐに振り返った。
かなり驚いた表情だった。その視線が、真っすぐ俺に向いていた。
「……うそ……」
口を手で覆って、目を見開くニチカ。
なぜか俺を凝視している。
なんだろう、顔に落書きとかされてないよな??
「そんな、でも、うそ……でも、でもでも!」
ニチカはゆっくりと俺へと歩いてくる。
俺の胸あたりをじっと見つめて、声を絞り出した。
「……間違いない。変なの混じってるけど、でも、ううん、絶対そうだ!」
「あの、なんですか?」
「見つけた!」
ニチカは俺の手をぎゅっと握って、涙すら浮かべながら嬌声をあげた。
「やったあ! 会いたかった! ずっと会いたかったんだよ!」
「……? 初めましてですよ……ね?」
いくら俺がひとの顔と名前を憶えるのが苦手だからといって、さすがに話題の踊り子と会ったことがあったら憶えてるだろう。
初対面のはず……なんだけど。
ニチカは俺の疑問なんて聞いちゃいなかった。
手をブンブン振られる。
「やっぱり踊り子やってて正解だった! 会えた! やった! やったー!」
なんだこのテンション。
もしかして〝神秘の子〟のファンなのかな。参ったなついに美少女のファンができるくらい有名な冒険者になっちゃった? 俺、またなんかやっちゃいました?
周囲の観客たちがポカンとするなかニチカは俺の手を離すと、照れくさそうに笑った。
「あの! あたしニチカっていいます! いきなり話しかけてごめんなさい!」
「謝る必要はありませんよ、蝶のように舞うお嬢さん」
「まあ! あの、不躾ながらお聞きしたいのですけど、あなたは普段はこの王都にお住まいなんですか? 学生さんですか? それともお仕事されてますか? お、おっおおお付き合いしている女性はいますかっ!?」
あれ? 俺が冒険者だって知らない?
じゃあ俺のファンってわけじゃないのか。顔を真っ赤にして個人情報を求めてくるのはなかなかファンキーだけど、ファンじゃないならどうして俺に会いたかったなんて――
「ルルク~なにしてんの? その子誰?」
「ん。うわきのけはい」
サーヤとエルニが追いついてきた。
それはこっちが聞きたい。とりあえず紹介しておこう。
「こちら、踊り子のニチカさん」
「わあ有名人! 私もサイン欲しい!」
「サインねだってたワケじゃねぇよ」
と今度はサーヤたちをニチカに紹介しようとしたら、なぜか今度はニチカがサーヤを見つめて目を見開いていた。
「ど……ど、どっ!」
「ど?」
「どうしてあんたがいるのよー!!!!!!」
絶叫したニチカだった。
「せっかく見つけたと思ったのに! なんでまたあんたがいるの! どこまであたしの邪魔したら気がすむのよ! なんでよ! なんでなのよぉ!」
「ちょ、まってよ! ワケわかんない!」
サーヤに掴みかかっていくニチカ。戸惑うサーヤ。
いくらサーヤがまだ子どもだからといって、ただの踊り子の腕力でサーヤをどうこうできるわけもなく、その場から動かすことすらできなかった。
すぐに奏者の少年がニチカをなだめようと走ってきた。
ざわざわする観客たち。
喚くニチカと戸惑うサーヤ。
俺に浮気を問い詰めようとするエルニ……は、無視しておこう。
カオスになってきたなぁ。
「昔の女です? もしかして修羅場?」
「ちがう。俺も何がなんだか……」
茶化してくるナギをあしらいつつ、この場をどうするか悩む俺たちだった。
興奮したニチカが落ち着く頃には、陽も沈みかけていたのだった。
 




