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神秘の子 ~数秘術からはじまる冒険奇譚~【書籍発売中!】  作者: 裏山おもて
第Ⅲ幕 【幻影の忠誠】

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教師編・5『権力を持ったヴェルガナみたいな婆さん』

 

「ねえルルク、お願いがあるんだけど」




 屋敷にも慣れてきたある休みの日。

 裏庭で術式研究をしていると、サーヤが手紙を握りしめてやってきた。


 我がパーティ【王の未来(ロズウィル)】は、週に一度だけ完全休養日を設けている。

 冒険者たるもの体力仕事なので、休息するのも仕事のうちだ。この日は特別な理由がない限り冒険者活動を全面禁止しているのだ。ダンジョンもクエストも、激しい訓練なども禁止。


 となるとみんなヒマなので、思い思いに過ごしている。

 俺やエルニは新術開発に没頭するし、セオリーはひたすらぐーたらしているし、サーヤやナギは買い物や友達とランチに出掛けることが多い。プニスケは料理研究に忙しい。


 こうしてサーヤが俺に声をかけるのも休日では珍しいことだった。基本は別行動だからな。

 俺は試していた術式が不発だったことを確認してから、


「はいはい、どうした?」

「お父様から手紙が届いてね、時間があれば里帰りしたらどうだ? って。預かってる報酬もルルクに渡したいから、機会を作って戻って来てほしいんだって~」

「なるほど。理由はどうあれサーヤの顔がみたいわけだ」

「ま、そういうことね。シャブームの街まで連れてってくれない?」


 サーヤとは手紙のやりとりをしてるから、シュレーヌ子爵は俺たちがSランク冒険者になったこともとっくに知ってるだろう。

 確かに、報告がてら顔を見せるのは必要かもしれないな。


「わかった。いまから行くか? すぐにでも大丈夫だけど」

「うん。あ、一応みんなにも行くか声かけてくるね」

「おっけ。じゃあ中庭集合で」

「はーい」


 上機嫌に駆けていくサーヤ。

 子爵に顔を見せるだけだから手土産以外は準備もいらないので、俺はそのまま中庭で待つことにした。里帰り用の手土産はアイテムボックスに常備しているしな。


 中庭の入り口で待機している給仕竜種(メイドラゴン)に、日帰りでマタイサ王国まで行くことを伝えておく。

 少し待っていると、サーヤがナギとセオリーを連れてやってきた。


「エルニとプニスケは?」

「ふたりとも戦闘しないなら興味ないって」

「わかりやすいなぁ」


 ま、行って何をするでもないので当然かもしれないけど。


「セオリーとナギは休みなのにいいのか? サーヤの親に会うだけだけど」

「ナギはむしろ挨拶したいです」

「そうか。セオリーは?」

「ふっ愚問! 我は主の幻影(シャドウ)……御身あるところ我あり!」


 こっちは予想通り。

 相変わらず中二病全開の寂しがり屋だった。

 

「よし。じゃあ全員こっち来て――『空間転移』」


 そのまますぐシャブームの近くへ転移した。

 街道から少しそれた場所にある岩陰だ。特に環境が変わることもなく、問題なく転移できた。


 岩の陰から街の外壁を眺めて、メンバーたちが声を漏らす。


「帰省も一瞬ね。ほんとルルクがいてくれて助かるわ」

「ここがマタイサ王国です? 少し肌寒い気がするです」

「わ、我は至高にして真祖の一族……ひ、人族の国など何の憂いもない――あるじまってぇ」


 三者三様の反応が面白い。

 ちょうど通行人もいないようなので街道へと出て門へ歩いていく。


 薄着のナギが腕をさすって言う。


「バルギアは暖かいです。ここはまだ冷えるです」

「そうね。マタイサは四季があるから、今の時期だとちょうど春前ね」

「四季は嫌いじゃないですが……ルルク、羽織るものほしいです」

「はいよ」


 アイテムボックスから防御力ゼロのローブを取り出して渡した。

 ナギが着れるギリギリの範囲だ。冬は苦労しそうだな。


 俺たちが壁門までやってくると、門兵が俺とサーヤの顔を見て直立不動になった。


「これはルルク様にサーヤ様! お帰りなさいませ!」

「えっ」


 まさかの顔を憶えられていた件。

 確かに、この街を出るときにもいたのも同じ門番だった気がするけど。


「半年以上経ってるのに憶えてたんですか?」

「勿論です! とくにサーヤ様はシャブームの街の英雄ですから!」

「私? なんで?」


 首をひねるサーヤ。この街で魔族を倒したのは俺とエルニで、サーヤが関わっていたことは公表されていないはずだ。

 すると門番はさも当然のように言った。


「ご謙遜を! サーヤ様は大陸史上初の10歳でSランクになった冒険者です。いまやシャブームの街で……いえ、マタイサ王国でサーヤ様の名前を知らない人間はおりません!」

「そ、そんなに知られてるの?」

「はい! サーヤ様の人気は天井知らず、我らがシャブームの街では〝サーヤ饅頭〟や〝サーヤ団子〟、〝サーヤクッキー〟などたくさん名産品が売られております! サーヤ様はこの街の顔です! 顔なのです!」

「ちょっとなにやってんの!?」


 速報。仲間が商品化されていたことについて。


「ちなみに私のお勧めは〝サーヤ焼き〟です。頭から食べるか足から食べるかで、ご利益が変わるともっぱらの噂ですね」

「タイ焼きシステムかよ!」


 全力でツッコむサーヤだった。

 ちなみに俺とナギは爆笑している。


「え、ほんとに? 冗談じゃないよね?」

「勿論です。あとはご自身でお確かめください。それとケタール伯爵様より、我が街の誇りサーヤ様とお連れの皆様は通行料免除とのお申しつけがありますので、そのままお通り下さい」

「うっ、ガチなやつだこれ……」


 胃を押さえるサーヤ。

 いたたまれないけど面白すぎて何とも言えない気持になった。ドンマイサーヤ。

 俺たちが門を通り過ぎた瞬間、兵士は全力で叫んだ。


「サーヤ様のご帰還なり~!」


 プピ―――!

 まさかの知らせの笛つきだった。

 その瞬間、門の近くにいた全員がこっちを注視する。というかサーヤを。


「さ、サーヤ様だ!」

「あの人がサーヤ様!?」

「う、美しすぎて直視できない!」

「ママ! あれみて、ホンモノだよ!」


 ざわめく市民たち。

 つい足を止めてしまった俺たちに、少しずつにじりよってくる。


「握手とか頼んでいいのかな?」

「俺はサインが欲しいな」

「僕も! 服と帽子にお願いしたいな」

「フヒッ。拙者は体に直接――」


「ひいいい! 『相対転移』!」


 あ、逃げた。

 まさかの衆人監視のなかで転移スキルを発動するとは思わなかったけど……まあ、責めるのは酷だろう。

 それに、


「消えた! さすがSランク冒険者……スピードの格が違う」

「サーヤ様なら当然、これくらいはできると思ってた」

「なんたって歴史上一番だもんな」

「よし、街中に知らせよう。サーヤ様の凱旋だ!」

「「「おおおお!」」」


 市民が不思議に思ってないしな。

 俺たちのことには目もくれず、どこかへ走りさっていく市民たち。


「ぷくくっ……サーヤ、不憫です……」

「わかるけど、腹抱えながら言うセリフじゃないと思うぞ?」

「我が主よ。同胞はいずこへ?」

「ああ。そこにいるよ」


 俺はすぐ傍にある建物の陰を指さした。

 転移したけど、すぐ近くに隠れただけだからな。


 俺たちは人目につかないように移動して、木箱の裏に潜んでいるサーヤを覗きこんだ。

 あきらかに狼狽しながら声を震わせていた。


「な、なんでこんなことに……」

「大丈夫か?」

「……だっておかしいでしょ。ルルクとエルニネールならまだしも、私ほとんど何もしてないのに……なんちゃってSランクなのに……」


 頭を抱えるサーヤだった。

 まあ実績どうこうより、なんの変哲もない街から史上最年少の英雄が生まれたんだ。騒ぐ市民たちの気持ちも理解できる。


「移動できるか? この分だと、見つけられるのも時間の問題だけど」

「すぐ行こ! こんなのおかしいわよ、すぐにお父様に相談しなきゃ。私の名前を勝手に使うなって言えばケタール伯爵にも相談して止めてくれるかな……」

「……そうだな」


 その事情、ある程度予想はつくけど……まあ言う必要はないだろう。

 俺たちは人目につかないように転移をして、シュレーヌ子爵家へと移動した。






「お父様、ただい――」

「おお! 帰ったかいサーヤ。元気だったかい? 怪我はしてないか? つらいことはないかい?」


 シュレーヌ家の屋敷はかなり小綺麗になっていた。

 荒れ果てていた庭も整えられているし、門には警備兵もいたし、玄関前にはメイドも控えていた。


 貧乏貴族とは思えない見た目になった屋敷。

 その家に入ったサーヤを出迎えた顔色のいい子爵は、その肩に〝私がサーヤの父です〟と書かれたタスキをかけていた。

 凍ったように固まるサーヤ。

 

「少し背が伸びたかい? 顔色はよさそうだし、ルルクくんもちゃんと約束を守ってくれているようだね。そちらにいるのは初めて見る子たちだけど、もしかして新しい仲間かい? エルニネールちゃんやスライムくんの姿は見えないようだけど、別の場所にいるのかな?」


 矢継ぎ早に質問してくる子爵。

 サーヤがまだ息を忘れているようなので、先に俺が挨拶しておこう。


「お久しぶりです子爵、お元気そうで何よりです。こちらバルギアの土産です」

「おお、わざわざありがとう。しかし君は本当にすごいねルルクくん。たった半年でSランクにまで登り詰めるなんてね……私も鼻が高いよ」

「運にも助けられました。奥様方もご健勝ですか?」

「もちろん。すぐに呼ぼう。お連れの皆さんもこちらへどうぞ」


 俺たちは子爵本人に案内され、応接室へ。


「ハッ!? ちょ、ちょっと待ってお父様! それよりその恰好は何なの!? この街に何が起こってるの!?」

「ははは、何を言ってるんだいサーヤ。何もおかしなことはないだろう」

「オカシイことだらけよ! 私の父ですってアピールする理由はなに! みたことないメイドがたくさんいるんだけど、どっからお金出てるの!?」

「ははははは」


 笑いながら質問をスルーして進んでいく子爵だった。

 俺たちが応接室のソファに腰かけたと同時に、ふたりの奥様も入室した。サーヤに微笑みながら挨拶していて、いつも通りのホンワカした優しい奥様たちだった。


 メイドが運んできた紅茶に口をつけるなり、サーヤが疲れような声を出す。


「色々聞きたいことはあるけど、まずは紹介するわ。新しいパーティ仲間のナギとセオリーよ」

「ナギです。剣士です」

「セ、セオリー……」

「話には聞いているよ。いつもサーヤと仲良くしてくれてありがとう。君たちと過ごすのが楽しいと、いつも手紙に書かれてあったからね、今日はお会いできて本当に嬉しい」

「こちらこそです。サーヤをまっすぐに育ててくれて、ナギも嬉しいです」


 前世で親友だった分、感謝も強そうなナギだった。

 対してセオリーは人見知りを発揮して、縮こまって何も言えなくなっている。子爵もその性格を聞いていたのか、無理にセオリーに話題を振ることはなかった。

 

「それでお父様。手紙に書いてた件、お願いね」

「もちろん。ルルクくんには伯爵様と冒険者ギルドから預かっていた報酬金を渡さないとね」


 そう言ってメイドに命じて持ってきたのは、大きな金貨袋だった。


「金貨2000枚あるから、よければ確認してくれるかな」

「そんなにですか。お手数をおかけてしてすみません」


 すぐに中身を確かめる。

 金貨100枚が入った小分けにされた袋が、合わせて20袋。それが大きな金貨袋に入ってた。

 手早く数えてから、小分けの袋を3つ残してあとはアイテムボックスへ。


 袋のひとつをそのまま子爵へ返す。


「確認できました。こちらは保管料と手間賃としてお納めください」

「気にすることないよ。サーヤのパーティだから、家族同然だしね」

「だからこそですよ。俺にとっても大事な場所ですから」

「……まさか、付き合ったりしてないだろうねぇ?」

「威圧スキルやめてお父様」


 一般人の威圧が俺たちに効いたりはしないけど、さすがに苦笑する。

 サーヤは少しだけ唇を尖らせて、


まだ(・・)何もないわ。ちょっと手を繋いだりする程度よ」

「ルルクくん……君とはじっくり話さなければならないみたいだね」

「気のせいです」


 親バカは竜王だけでお腹いっぱいだよ。

 

「前にも言いましたけど子爵、未成年に手を出す気はありませんってば。それが貴族令嬢なら猶更ですよ」

「君のことは信じるけどね……いくら君の理性が強くても、サーヤの魅力の前には無力だと思うんだよ」

「だめだこりゃ」


 理屈じゃ勝てなさそうだった。

 とはいえ、子爵も本気で俺を責めているわけじゃないのはわかる。久々にサーヤに会えてテンションが上がってるんだろう。

 俺は小分けの袋残り2つを差し出しながら、


「話は変わりますが子爵、お願いしたい件がありまして」

「なにかな?」

「サーヤの就学義務のことなんですが、淑女学院のお偉方へ話をつけてもらってもよろしいですか?」


 就学義務。

 このマタイサ王国では、貴族の息女は必ず1年以上の期間、淑女学院に在籍しなければならない。俺の義妹のリリスもこの義務があるから王都へ引っ越した。

 

 サーヤはすでに冒険者として成功しているが、かといって義務が免除されるわけじゃないのだ。もともとの約束では、3年後にサーヤは冒険者を離れて淑女学院に通うということだった。


 ただ、何事にも裏道がある。

 ルニー商会の情報網を頼ったところ、淑女学院在籍=学院に通う、ということではないらしい。特別な事情があったりすでに社会で活躍している場合は、名前だけ在籍するという裏技が使えるらしい。

 もちろんそれには学院の責任者と話をつけ、かつ学院への一定額の寄付が前提らしいのだが。


 俺は淑女学院へのツテは何も持っていないので、その交渉と手続きを子爵へ頼もうと思ったわけだ。

 相場も調べてあるので、ぬかりはない。


「驚いたね。そこまで考えてくれていたのかい?」

「シュレーヌ家を背負うお嬢様をお預かりしてるんです。当然です」

「ありがとう。サーヤは学院に通うつもりは?」

「ないわ。冒険者として生きるつもりよ」


 ハッキリと、家を継ぐつもりはないと答えたサーヤ。

 ふつうの貴族なら、爵位の途絶はかなりの不名誉なので良い顔はしないだろう。

 だけどシュレーヌ子爵は笑った。


「そうかい。なら、なんの気兼ねもいらないね」

「では子爵、こちらを資金にお願いします」

「それはいらないよ。娘のために身銭を切れない父親なんて、親失格だからね」

「かしこまりました。出過ぎた真似を失礼しました」


 さすがにそう言われたら無理にとは言えない。

 結局、小袋ひとつだけ渡しただけだった。この話題もそれで終わりだった。


「じゃあお父様、改めて聞かせてちょうだい。私の名前でいろいろ名産品が作られてるみたいだけど、それって誰が許可を――」

「失礼します。旦那様、御来客です」

「おっと、誰だい?」


 メイドが訪問を告げると、子爵はサーヤの視線から逃げるように即答した。


「ケタール伯爵でございます」

「なんと! すぐに案内さしあげて」

「かしこまりました」


 メイドが踵を返すと、子爵はすぐに立ち上がった。


「悪いねサーヤ。伯爵様がいらっしゃるからこの部屋を空けてもらいたい。ルルクくんたちも申し訳ないけど、客間に移動してもらっていいかな?」

「構いませんよ」

「いいけどちょっとくらい聞かせてお父様! 誰が私を商品にしていいって――」

「ほら、伯爵様が来てしまう。すぐに移動して!」

 

 背中を押してグイグイ急かしてくる子爵。

 一時的に愛する娘の声は聞こえなくなっているらしく、俺とナギは笑いを堪えるのに必死だった。


 そんな形で、応接室から客間へと移動した俺たち。

 紅茶も新しいものを用意してくれて、ソファに腰を落ち着ける。

 セオリーは始終不安そうに俺の近くに座っているが、ナギは貴族の家は初めてらしく興味津々に家具や絵画を眺めていた。


 サーヤがため息を漏らす。


「はぁ……もう安心して帰省できる故郷じゃないのね……」

「なあナギ、あとで〝サーヤ焼き〟買いに行こうぜ」

「いいですね。ルルクは頭から食べる派です? 足からです?」

「俺は足だな。ナギは?」

「ナギは頭から派です。ちなみにサーヤは――」

「あ゛?」

「「なんでもないです」」


 サーヤの背後に般若が見えた。俺とナギは黙った。


 面白すぎる状況なのでからかいたい気持ちと、同情でそっとしておきたい気持ちにソワソワしている俺とナギだったが、そんな空気を変えたのはメイドだった。


「失礼します。ルルク様、ケタール伯爵様がお呼びです」

「え、俺ですか?」

「はい。是非ともルルク様だけと話がしたいと。ご都合はよろしいでしょうか」

「わかりましたけど……なんで俺?」


 話題沸騰中のサーヤじゃなくて、俺だけか。

 無論、友人のようになった相手なので話をすること自体は大歓迎だ。


「ではこちらへ」

「はい。じゃあちょっと行ってくる」

「行ってらっしゃい」


 メイドに案内されたのは、応接室でもなく別の客間だった。

 中にいたのは相変わらずの筋肉巨体バベル=ケタール伯爵。

 それとその隣には、杖を持った小柄な老婆がいた。初めて見るひとだ。


 バベル伯爵が両手を広げて笑みを浮かべた。相変わらず画風が違う、劇画チックな見た目だな。


「おお、ルルク! 久しいな」

「お久しぶりですバベル伯爵。お元気そうでなによりです」

「体は資本よ。お主も変わらぬようで安心したわ。それどころか大いに活躍しているようだな。私も友人として鼻が高いものよ」

「恐縮です。それで、本日は如何様で? わざわざ呼び立てたのは、挨拶するためだけではないでしょう?」

「うむ。実は貴殿に紹介したいお方がいらっしゃっておる」


 そう言うと、伯爵は隣の老婆に頭を下げた。

 ……この街の領主が、である。


 つまり杖の老婆は、少なくとも伯爵位より上の立場の人間だということだ。

 俺はつい背筋が伸びた。

 そんな俺を見て、老婆は微かに笑みを浮かべた。


「そう緊張せんでいい。バベル坊、席を外してくれ」

「はっ。では、私はこれにて」


 そのまま退室するバベルだった。控えていたメイドも一緒に。

 扉が閉まると、初対面の老婆は杖を振るった。


「『サウンドカーテン』」


 防音の魔術だ。

 いつもエルニが使っている、密談用の風魔術。


 俺はいままでエルニほど魔術を上手く使う人間は見たことなかった。

 だがこの老婆が放った魔術は、エルニよりも洗練されていた。魔力の効率、速度、密度――そのすべてがエルニよりも一段上だったのだ。


 この老婆、杖の老人ではない。

〝杖持ち〟の魔術士だ!


「ほう。魔力が視えるのかい」


 俺の反応に、面白いものを見るような目をした老婆。

 ……しまった。

 わずかな視線の動きで、その意図を見抜かれてしまった。なんという洞察力だ。


 ただ俺は魔素欠乏症の神秘術士で通っている。

 その事実を肯定するわけにはいかない。


「なんのことでしょう? それより月のように美しいレディ、麗しい貴方のお名前をお伺いしても?」

「ほう。淑女の扱いは分かっているようだね」


 ニヤリと笑みを浮かべた老婆は、


「儂はディマリア=カーデル。マタイサ王国宮廷魔術士にして〝教育官長〟を務めてる。名誉貴族だが、一応は侯爵位だ」

 

 宮廷魔術士かよ!

 しかも侯爵位。めちゃくちゃ大物だった。


 侯爵はたしか、この国では公爵に次ぐ高位貴族だ。

 女性だし名誉貴族ってことは継承権のない爵位だが、名誉爵位で最も高いのが侯爵だったはず。


 公爵位はそもそも王族の縁者じゃないと名乗れない特殊な爵位だから、いわゆる一般人が到達できる最高の立場になるのが侯爵だ。


 俺はすぐに膝を折った。

 目の前の宮廷魔術士は、例えるなら権力を持ったヴェルガナみたいな婆さんだ。きっと俺なんてすぐボコボコにできるだろう。


「無知なる無礼をお許しください。お初にお目にかかります、カーデル侯爵様。私は冒険者のルルクと――」

「知っとるよ。それにあんたの立場なら、儂にだって変にへりくだる必要はないだろうに」

「……どういうことでしょう?」

「安心おし。アンタのことはヴェルガナから聞いてるんだよ、公爵家三男坊の、ルルク=ムーテルや」


 拝啓、ヴェルガナへ。

 こんな油断のならない宮廷魔術士の知り合いがいたんなら、前もって教えておいてください。



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― 新着の感想 ―
> ヴェルガナから聞いてるんだよ、公爵家三男坊の、ルルク=ムーテルや ララハイン、ロロゼア、ガウイ、ルルク、なので四男では? 何話か前のリリスの話で、ロロゼアと言う次兄が名前だけ出てたような。
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