激突編・34『竜殺しの剣』
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エマ=スマスリクは目の前の光景が信じられなかった。
それまでSランク冒険者となった若き少年の実力は、せいぜい同じSランク冒険者であるフラッツ=ザンバルダールの下に位置する程度だと思っていた。
なんせまだ14歳程度。冒険者界隈では噂のルーキーだろうとも、同じ人族がそこまで強いなどと思わなかった。
それに旅の道中、彼はただ身の丈にあった少年にしか見えなかった。
羊人族である凄腕の魔術士、10歳にして転移スキルを持ち交渉術にも長けたマタイサ王国の貴族子女、そして言うまでもなく竜姫様に、やたら強い謎のスライム。
彼の周囲は飛びぬけた才能で溢れているようだったが、彼自身の力はまったく見る機会がなかった。
だが、その印象はひっくり返った。
スマスリクの目ではまったく追うことのできない戦いは、音と衝撃だけが響き渡っていた。あの竜王様と拳を打ち合うほどの能力を目撃し、フラッツの戦う姿を見たことがあるスマスリクにとって、言葉通り格の違いを知らされた。
そして何より、竜種たちに向けて放った威圧スキルだ。
自分に向けられたものではなかったのに、その余波だけで足が震えて立てなくなった。
彼は、立っている次元が違う。
竜王様と互角にも見えるほどの戦いを見せる少年に、スマスリクは完全に判断を誤っていたことを知る。もしバルギアの貴族たちがルルクを排除しようとしても、まるで歯が立たないだろう。
「……強すぎる」
何がSランク冒険者になったばかりの少年だ。
もはやその実力はSS……いや、冒険者ギルドの総帥のSSSにも匹敵するだろう。
もしこの場から彼も自分も無事に戻れたとしたら、何としてでも彼と敵対しないように手を回さなければならない。それがバルギアのためであり、必須項目でもあるだろう。
スマスリクはそう決意しながら、戦いを見つめていた。
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ナギもまた、その戦いに魅入っていた。
ちょっと困らせる程度の冗談のつもりだった。
出会ってからいままで、ルルクはナギに対してからかうようなことばかり言ってくる。根が優しいのは理解しているけど、手が出せないことをいいことに冗談ばかり言われるのは、少しムカついていた。
だけど竜王は思ったより激怒してしまい、殺し合いレベルの戦いにまで発展してしまった。
予想外だったのは、竜王の沸点の低さだけでなくその強さだ。
いままでナギが一番強いと感じていたのはサトゥルヌだった。あのルルクですら一度は逃亡するしかなかった上位魔族。
しかし竜王はサトゥルヌ相手でも一瞬で殺してしまうだろう。動体視力に自信があるナギですら、その動きがギリギリ見えるかどうかのレベルだった。身体能力だけでサトゥルヌの高速移動スキルより速い。
そして何より、ルルクを数キロ先まで殴り飛ばすほどの圧倒的なパワー。
魔族は竜種と憎しみ合っている。それは神が定めたルールだ。それなのに魔族だけが領土から出ることができず、竜種は大陸のどこへでも飛んでいける。
あまりに理不尽なルールだと思っていた。
だがナギは安堵していた。
魔族が竜王の怒りに触れていないのは、その閉じ込められた環境のおかげだと知ったからだ。もし領土を出て竜王に手を出せば、勝てる見込みもないだろう。それこそ王位魔族でも都合よく現れない限り、太刀打ちできる可能性すら微塵もない。
「……でも、それについていくルルクも……」
ここまで強いとは思わなかった。
神秘術を使うルルクは防御と移動が圧倒的に優れている。それにまだ、いままで見せてきた攻撃のスキルを使っていない。
底知れない力という点では、ルルクも竜王も似ていた。
困らせてしまったことは後でちゃんと謝ろう。
ナギはそう思いつつも、そんなこと言える自分が想像できなかった。
サトゥルヌの呪縛から助けてくれた時のお礼を、セオリーに言えても、気恥ずかしくてルルクには言えてない。なぜかルルクには毒づいてしまう。うまく感謝も言えなかった。
超速で展開する戦いを目で追いながら、ぎゅっと手を握り絞める。
「……負けるな、です」
無意識で零れた言葉に、ナギ自身気づいていない。
この戦いがどうなるのかは想像もつかないけれど、彼女は祈った。
素直にはなれないけど、ルルクはこの異世界に転生してしまった彼女を、修羅に堕ちてしまった彼女として認めてくれた。普段は冗談ばかりで鬱陶しくて気に食わない男だけど、道に迷ったときは助けてくれると知っている。
その優しさは、十分わかっている。
兄様のような温かい優しさを。
ナギはじっと戦いを見つめつづけた。
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ヴァスキー=バルギリアは内心驚嘆していた。
いままで彼と互角に戦えた者はほとんどいなかった。
400年生きてきたなかで、本気を出したのはたった2度。一度はまだヴァスキーが若い頃、覚醒したばかりの魔王を見つけて戦いを挑んだ。
結果は引き分けで、その魔王とは友人になった。
もう一度は竜王になってから、訪ねてきた神秘王と戦った時だ。
アレは戦いというより、柳に風を送るようなものだった。あらゆる攻撃がまったく効かなかったので、もはや戦うことを諦めた。同じ王位存在と言われていたが、アレはそのさらに上の極位存在……亜神にすら届いていただろう。実力が違いすぎた。
その二度の経験を経たヴァスキーは、自分の力がどれくらいのものなのかは理解している。
真祖竜は竜神の血が流れる最強の肉体を持つが、そのなかでもヴァスキーの『絶対覇者』は破格の力を持っていた。神秘王並みの存在でなければ負けないと自負していた。
だがこの小僧はなんだ?
ギリギリ王位存在に届くかどうかだろうに、竜王である自分と殴り合えるほどの力を持っている。本気を出している気配はないのに、必死さがにじみ出ている。
強いはずなのに強く見えない。そんな妙な少年だった。
竜王の言動が逆鱗に触れたのか、家臣の竜たちを威圧スキルひとつで全員昏倒させた少年。
その力を目の当たりにしたヴァスキーは不思議と湧き上がる高揚感に身を包み、何度目かになるかも忘れて少年へと殴りかかった。
殴れば殴るほど、衝撃を阻む障壁が強固になっていく。
それはヴァスキーも同じだ。『竜気纏化』により動けば動くほど強化されていく身体機能で少年を殴り続ける。
だが、一度破ったはずのその防御を打ち砕くことはできなかった。
「なあ、もういいだろ」
少年は言う。
「そりゃ娘の心配をする気持ちは理解できるよ。誰だって我が子が可愛いもんだしな。でも竜王、おまえは潔癖すぎるんだよ。いつかセオリーだって結婚して子供を産むかもしれないんだぞ? そのいつかのときも、おまえはセオリーの結婚相手を殺してしまうつもりか?」
「黙れ! テメェに何がわかる!」
ヴァスキーはつい声を荒げていた。
セオリーは大事な娘だ。
そもそも竜神の血を引く真祖竜には、そう簡単に子どもはできない。複数の妻をめとり200年かけてやっと1人目の子どもができたのだ。
セオリーの母親は単属性竜だったが、真祖竜の子を産むときの負荷に耐え切れずにセオリーを産んだ直後に亡くなった。
おそらく次の子が産まれるときも、母親はその負担に耐え切れないだろう。
それを分かっててなお、妻たちはヴァスキーの子孫を残そうとしてくれている。
それもすべては真祖の血を絶やさないためだ。
もしヴァスキーにこれ以上子どもが生まれなかった場合、次に真祖の血を引き継げるのはセオリーだけだ。真祖の血が絶えれば世界のバランスが崩れてしまう。
もしセオリーとニンゲンの間に子どもが生まれた場合、もちろんその子は真祖の血を引き継ぐだろう。だが弱いニンゲンでは子を守れない。セオリーは真祖竜で強靭な肉体を持っているが、子どもを産めば体も変わる。母親になるとはそういうことだ。
ヴァスキーが求めていたのは、セオリーやその子孫を守れる寿命と力をもった存在だった。
「テメェごときニンゲンが、我が娘を――孫を守れるか! 血を絶やさぬことが我が真祖の使命だ!」
「ざけんな! そんな不確かな未来のために、セオリーを泣かせるようなことするんじゃねえ!」
拳がぶつかる。
おかしい。
ヴァスキーの『竜気纏化』は発動している。少しずつ速度も力も上がっているはずなのに、徐々に少年がこっちの攻撃に対応し始めていた。
そもそも竜王であるヴァスキーとまともに戦えていること自体がおかしい。そんなステータスをただのニンゲンが得られるわけがない。意味が分からない。
ヴァスキーの苛立ちは募るばかりだった。
「テメェなんぞに娘はやらん!」
「セオリーが望めば! バカ親の許可なんざ必要ねえんだよ!」
捉えた、と思った拳が空を切る。
次の瞬間、ヴァスキーは殴り飛ばされていた。
何百年ぶりだろう。まともに殴られて、口の中が切れたのは。
耐久値もこれ以上ないほどに高いはずなのに、ダメージを通してきた少年。
転移スキルも厄介なことながら、相手が攻撃手段を見つけたことが戦いの均衡を崩すきっかけになった。
いままでは一方的に殴るだけだった。
だがこれからは、ヴァスキーに自身にもリスクが伴う。
そう考えたら、出し惜しみをしている場合じゃなかった。
「小僧……俺様に本気を出させたことを褒めてやる」
「なに死亡フラグみたいなこと言ってんだよ。そろそろ拳おさめようぜ?」
「くだらん。俺様を止めたければ、俺様より強いことを証明してみせろ!」
ヴァスキーは天に吠えて『変化』スキルを使った。
人から竜の姿に戻っていく。
その姿は黄金に輝く巨竜だった。
雷の力を司る真祖竜。それがヴァスキー=バルギリアだ。
『るあああああああ!』
竜の姿になった瞬間、躊躇うことなく少年にブレスを放った。
人型のときより広範囲になったブレスは、向かいにある山が消し飛ぶほどの威力だった――が。
「親子そろって環境破壊が趣味かよ」
平然としたままそこに立っている少年。
ヴァスキーはかつての記憶が脳裏をかすめる。どれだけ攻撃しても一歩も動かすことができなかったあの超越的存在を。人の姿をした神のような少女を。
「もう止めようって。俺は別におまえと戦いにきたわけじゃないって言ってるだろ」
『この世界で我を通したくば力を示せ! それが強者ってもんだ!』
「はあ……そうか。じゃあ仕方ないけど、どうなっても文句言うなよ?」
『何を余裕ぶってんだ。テメェの攻撃は俺様の鱗の前には――』
ヴァスキーがそう言いかけた時だった。
少年が手を前に掲げて、力を籠めた。
その瞬間、世界が震えた。
「『伝承顕現――竜殺しの剣』」
少年の手に現れたのは、一本の剣。
なんの変哲もないただの長剣のように見える――だが。
ヤバい!
ヴァスキーの本能が警鐘を鳴らしていた。
アレは理屈を超えた存在だ。おそらく神話級の武器だろう。つまり神々すら殺せる概念を、武装化したもの。
あんなものをどこに隠し持っていたのか知らないが、ヴァスキーは背を向けて逃げ出しそうになったのをギリギリ堪えた。それは竜王としての矜持だった。
ただ臣下たちはそうはいかなかった。かすかでも意識のあった者たちは、みな我先にと逃げ出していた。触れただけでも――否、切っ先を向けられただけでも竜種としての存在を殺すであろうその脅威に、平然とできるわけがなかった。
少年はその剣をだらりと提げて、もう一度言った。
「あんたは強いよ竜王。たぶん俺の力だけじゃ到底敵わない。こうやって卑怯な手段に頼らなきゃ、まともに話もできないしな」
『……テメェ、そんな力をどこで手にしやがった。そいつは魔神が作り出した我ら竜種を滅ぼす剣――その力を数千年分も凝縮したような波動を感じやがる。神々ですら作れるか怪しい代物だろうよ』
「悪いけど、それは企業秘密で」
もしこの力を少年が自在に使えるとしたら、竜種はすべてその剣一振りで滅ぶだろう。
ヴァスキーはそこでようやく、初めから戦いに意味がなかったことを知った。
少年が本気でやるつもりだったら、死んでいたのはこちら側だったからだ。
ヴァスキーはゆっくりと地面に降り立った。
その体を人型に変化させて、筋肉隆々の男の姿になる。
「……わかったわかった。俺様の負けだ」
「負けを認めるのか。それは意外だな」
目を丸くした少年。
ヴァスキーはため息を吐く。
「そりゃ俺様だってバカじゃねえ。最強種の頂点でほぼすべてのやつより強いつもりだが、世界最強って程でもねぇからな」
「あんたでも勝てない相手がいたのか?」
「まあな。神秘王とか」
「ああ……師匠か。そりゃ確かに」
納得顔の少年だった。
ヴァスキーは声を裏返した。
「テメェまさかあの女の弟子か!?」
「まあね。一番弟子を名乗ってるよ」
「それを早く言えよ! おっかねえ!」
それを知っていれば、そもそも手を出したりはしなかった。神秘王の怒りに触れたらヴァスキーすら瞬殺されることは理解していたからだ。
「お、おい小僧……できれば神秘王にはこのことは内密にだな」
「はいはい」
苦笑する少年だった。
「それで竜王、セオリーのことはどうするつもり? 俺はこれからも一緒に冒険者として活動しようと思ってるけど」
「好きにしろ! もともとニンゲンの遊びなんざ勝手にすりゃあいいし、俺と互角のテメェが一緒だったら文句もねえ」
「よし、その言葉を待ってた」
「だがセオリーに何かあったらただじゃおかねえからな。あと、俺様の許可なしに手を出すなよ」
「わかってるって」
少年は満足そうにうなずくと、すぐに剣とともに姿を消した。
転移で城まで戻ったんだろう。
「ったく……あぶねえモン出しやがって」
竜殺しの概念が消え去り、ほっと息をつくヴァスキー。
頭をポリポリと掻きながら浮き上がり、空から城の庭を眺める。
転移で戻った少年が、仲間たちに囲まれて笑っていた。その楽しそうな輪の中にはセオリーもいる。
「時間が経つのは早いな、まったく」
数年前まではパパ、パパ、と慕ってくれた娘もいまや男に夢中か。
どこか寂しい感情を抱きながら、ヴァスキーも空を飛んで庭まで戻ってくる。
「おうテメェら。俺様の慈悲で、その小僧を認めることにした。寿命が延びりゃあ婿養子も認めてやらんこともないが……ってなんだテメェら。俺様に何か言いたいのか」
妙な視線を感じて首をひねるヴァスキー。
そんな竜王に向かって、少年とその仲間たちが一斉に叫んだ。
「「「まず服を着ろ!」」」
「あっ」
人型に戻ったら全裸になることを忘れていた竜王だった。




